瀬川冬樹
ステレオサウンド 46号(1978年3月発行)
特集・「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」より
これの旧型である612A(604E入り)をかつて自家用に購入し、結局私の家ではどうにも使いこなせずに惜しくも手離してしまったといういきさつがあったので、改良型ともいえるこのモデルが、どんなふうに変っているか(あるいは変っていないか)という点に興味を持って試聴に臨んだ。中音域のよく張り出して相対的に高・低両音域がややおさえ気味に聴こえるバランスは大掴みには旧型と変らない。そういう性格のために総体に音がぐんと近接した感じに、そしてかなりハードに聴こえる。たとえば試聴盤中、バッハのヴァイオリン協奏曲では独奏ヴァイオリンがやや音マイク的にきつい音で録音されているが、そうした音源の場合とくに、キンキンした感じが強い。ヴァイオリンをすぐ近くで聴くとこういうきつい音のすることも事実で、その意味ではナマの楽器の鳴らす音の一面を確かに聴かせるのだが、耳の感度の最も高いこの音域がこれほど張って聴こえると、音量を上げたときなどことにやかましい感じで耐えがたくなる。試みに、トゥイーターレベル(連続可変)を-1から-3ぐらいまで絞ってみる。-1からせいぜい-1・5がバランスをくずさない限界のようで家庭での鑑賞にはこのあたりがよさそうだ。ハイエンドの伸びがかなり物足りないのでトーンコントロールのターンオーバーを高くとって補正してみたが、本質的にトゥイーターの高域の硬さがあるために、音の繊細さや爽やかさが増してくる感じにはなりにくい。同じ意味で、独奏ヴァイオリンのバックで鳴っている弦楽オーケストラの、肉声やチェムバロの繊細な倍音が鮮やかに浮かび上る感じがあまり出ない。
ステレオの音像は広がるタイプでなく、左右のスピーカーのあいだに凝縮する傾向になる。したがって、独奏者の中央での定位はしっかりしている。低音はかなり引締め気味なので、これもアンプで+3から+6dBぐらいまで補整を加えてみる。量感としては整ってきて、中域の密度の高いこととあいまって充実感が増してくるが、反面、ピアノの音などで箱の共鳴音、といってオーバーなら音像がいかにもスピーカーという箱の中から鳴ってくることを意識させられるような鳴り方になりがちだ。ヴォーカル、それもクラシックの歌曲のようにマイクを使わないことが前提の場合でも、声がPA(拡声装置)を通したようにやや人工的に聴こえる。但しこれらはすべてクラシックのソースの場合の話で、ポップスに限定すれば、中域の張って明るい音、低域をひきしめた音、高域端の線の細くない音、は概してプラスに働いて音楽に積極的な表情をつけて楽しませる。能率はかなり高い方で、リファレンスのJBL4343よりもアンプのボリュウムを8ないし10dBほど絞って聴感上で同じようになった。アンプの音質の差にも敏感で、用意したパワーアンプの中ではマランツが一応合うタイプで、マーク・レビンソンにあると音を引締めすぎるのか硬さが目立った。
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