Category Archives: リン

リン Katan, Ninka

井上卓也

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
「TEST REPORT 2001WINTER 話題の新製品を聴く」より

 リン・プロダクツは、創業時に一躍注目を浴びたアナログプレーヤーLP12で知られるようになったメーカーであるが、創業初期からスピーカーシステムにも独創性の高い製品づくりを行なっていた。例えば、実際の部屋での使用条件を重視して、部屋の壁の近くに置いたときに、最適の量感、質感が得られるシステムなどが、その好例であろう。
 今回、新製品として登場した2モデルのスピーカーシステムを紹介しよう。
 NINKA(ニンカ)は、新メディアのスーパーオーディオCD、DVDオーディオのマルチチャンネル再生を含むバーサタイルな要求に応えるべくして開発された、同社の最新のトールボーイ型システムだ。
 同時発売の小型ブックシェルフ型のKATAN(ケイタン)はユニット構成が標準的であるが、このニンカは、使用ユニットから見てもわかるように、トゥイーターの上下に、新設計の16cmウーファー2基を配置した、仮想同軸型、いわゆるバーチカル・ツイン方式を採用した同社の新しい中核モデルである。
 興味深いことは、ウーファーの振動板面積がケイタンにくらべて2倍以上になったため、エンクロージュア方式に密閉型が採用されていることだ。バスレフ方式よりは、低域のレスポンスはなだらかに下降するが、そのぶんは、エンクロージュア容積比で軽く2倍を超える余裕度を活かし、さらに2個に増強された振動板面積の増加でカバーした結果、低域のクォリティに優れる密閉型を採用したようだ。
 また、密閉型は、組み合わせるアンプにより低音の変化が少ない傾向があり、さらにバスレフポート内の空気流によって生じるポートノイズがなく、全帯域でクォリティ向上も、当然目指したものであるのだろう。
 ウーファーは、同社オリジナルのポリプロピレンコーン型でダイキャストフレーム採用の防磁カバー付き。TVブラウン管の防磁対策としての設計だ。
 トゥイーターは、新設計19mmドーム型で、口径が小さいだけに高域特性の向上ができるメリットがある。
 エンクロージュア構造は、6ヵ所の角形の窓をもつ、バッフル版と平行する補強材と、上下2枚のこれと直交した補強材とでバッフルと裏板を結合する入念な設計が行なわれた。これは内圧の高い密閉型で質的向上を狙った設計である。端子板は、バイワイアー接続対応型で、内蔵ネットワークを通さないマルチアンプ駆動対応のダイレクト接続も可能である。
 最近のバスレフ型全盛のときに、密閉型の音を聴くと、密度感が高くビシッと決る安定な音は充分に納得させられる強い説得力で楽しい。低域は必要にして充分な量感があるが、壁近くに置いてより真価が発揮されそうな印象。レスポンスはスムーズに伸び、鮮度感の高さも心地よく、安心して音楽の楽しめるパフォーマンスは一聴に値するものだ。
 ケイタンは、世界的に最激戦分野である小型2ウェイブックシェルフ型の戦略モデルとして、同社が投入した最新作である。注目したいことは、エンクロージュアが、バッフル前面の横幅が広く、裏板が狭い台形のプロポーションが採用されていること。これは、剛性の向上、内部定在波の抑制、吸音材の量を低減できるメリットがあり、かなりアクティヴで、表現力の豊かな音が聴かれるであろう。
 ユニットには、ニンカと同様に新開発されたウーファーとネオジウム磁石採用のトゥイーターを搭載。
 同社では、かなりマルチアンプ駆動を重視しているようで、このクラスでは珍しく、ケイタンにも、上級機同様のバイワイアリングやマルチアンプ接続可能な端子を備えている。
 エンクロージュア表面ツキ板処理の利点と形状効果も手伝ってか、かなりキビキビとした反応の速い、フレッシュな音が聴かれる。それも、色付けがなく、ナチュラルなレスポンスで、小型システムならではの小気味よさが魅力的だ。

リン Linto

井上卓也

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

比較的に手頃な価格のフォノEQだが、さすがにアナログプレーヤーLP12で有名になった同社ならではの独自のレコードの味を聴かせる異例の存在である。TV、パソコンが同じ部屋にある場合は、電源の取り方、設置場所の選択が、本機で良い音を楽しむためのポイント。ISDNターミナルボックスも要注意。

リン AV5150 II

井上卓也

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

同社システム用の開発と思われるが、すでに汎用型サブウーファーとして、ひとり歩きをしている定番製品だ。個性の強いメーカーだけに、使い方や操作には、いささかの慣れが要求されるが、使いこなせば確実に期待に応えてくるれる信頼性、安定度の高さは、立派な製品の偽らざる証しだ。低音再生は実に面白い。

リン Linto

井上卓也

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

アナログプレーヤーLP12で注目を集めたリンのフォノEQだけに、各種カートリッジの音を趣味性の高いレコードの音として聴かせる能力の高さは素晴らしく、遥かに高価格かつ高性能を誇る高級フォノEQでも、本機の音の佇まいに匹敵する製品は少ない。TV放送のない深夜に落ち着いて聴きたい、味わい深い音なのである。

リン CD12

黒田恭一

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「ようこそ、イゾルデ姫!」より

 きみは、きっと、少し疲れていたぼくを生き返られせるために来てくれんたんだ。最初の音をきいて、思わず、そう呟かないではいられなかった。

 待った。注文してから、ともかく待った。首を長くして、長いこと待った。待ちつづけているときのぼくの気持はイゾルデ姫の到着を待つトリスタンの気持ちに、どことなく似ていなくもなかった。メーカー側にそれなりの事情があってのこととは充分に想像できたが、待てど暮らせど来ぬ人を待ちつづけるのは、やはり、ちと辛かった。
 ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の第3幕は寂寥感ただよう前奏曲が演奏された後に始まる。幕が上がると、菩提樹のそばの寝椅子に深傷う負ったトリスタンが横たわっている。牧童の吹く牧笛が寂しげにひびく。トリスタンの従者クルヴェナールは牧童の問いに答え、「あの女医さんに来てもらわないことには……」とため息まじりに呟く。クルヴェナールはイゾルデだけがトリスタンの傷を癒せるという意味で、イゾルデを「女医さん」といったのである。
 イゾルデは、先刻ご承知のとおり、アイルランドの王女である。しかし、ぼくの持っていたお姫様はアイルランドからではなく、スコットランドから着くはずだった。トリスタンは、哀れ、イゾルデが着く前に息たえてしまうが、ぼくはしぶとく生きていて、スコットランドからはるばるやってきてくれたお姫様との夢のハネムーンを体験することができた。
 ここ数年、むくむくと頭をもたげそうになるオーディオへの興味と関心をぼくは力ずくでおさえこんできた。ぼくが新しいオーディオ機器を導入しなかったことに、特にこれといった理由があったわけではなかった。むろん、語るにたるような心境の変化があったわけでもなければ、身辺に特別の異変が起こったいうことでもなかった。敢えて理由をさがすとすれば、次々に登場する新旧とりまぜてのおびただしい数のさまざまなCDとの対応におわれていて、オーディオ機器への興味と関心をいだく気持のうえでの余裕がなかったことがあげられるかもしれない。
 それに、もうひとつ、これはおずおずと告白することになるが、自分の部屋で普段なっている音にそこそこ満足していた、ということもあったように思う。いかにあたらしく登場してくるCDとの対応におわれていても、音の面で具体的に、どこか不満なところが一ヵ所でもあれば、それなりの養生を試みていたにちがいなかった。これといった不満もなく、それなりに満足していたこともあって、ぼくは音の面でぼくなりに平穏な日々を過ごしていた。
 しかし、『ステレオサウンド』第126号の表紙を目にした途端、ぼくの泰平の夢を一気に破られた。オーディオのハードウェアに関してはいつまでたっても不安内なオーディオ音痴のぼくの、かねてからの、まず容姿に惚れてしまう悪しき習性で、そこに写っていたリンのソンデックCD12のあまりの美しい姿に魅了されてしまい、茫然自失の体だった。そのときのぼくは『トリスタンとイゾルデ』第1幕で愛の妙薬を飲んだ後のトリスタンさながらの状態で、しばしソンデックCD12にうっとりみとれているよりなかった。
 ぼくはそのとき、スチューダーのA730にワディア2000(の内部をアップグレードしてもらったもの)をつないで使っていた。で、発売になってからさほど時間のたっていない時期にA730を使いはじめたので、使用期間はかなりの長さになっていた。おまけに、ほとんど一日中仕事で酷使されつづける運命にあるぼくのところのオーディオ機器は、以前、友人にいわれたことばを借りれば、「タクシーで使われた車」のようなものだから、その段階でA730がかなり疲れていたとしても不思議はなかった。
 しかし、ぼく自身、日夜懸命におのれの使命をはたしつづけてくれているA730に対して感謝こそすれ、その時点で、これといった具体的な不満は感じていなかった。そのうえ、このところしばらく、ちょっとした事情があって、友だちを部屋に呼んで一緒に音楽をきいてすごす機会がほとんどかったこともあって、当然、A730をふくめての現在使っている機器との、ということはそこできこえる音とのまじわりはこれまで以上に親密さをましていた。週に一度や二度、明日の予定を気にしながらも空が白むまでさまざまなCDに耳をすまして陶酔の時をすごすことだってなくもなかった。
 もっとも、至福の時をすごさせてもらっているとはいっても、それまで長いこと馴染んできたオーディオ機器との親密な関係の、つまりそこからきこえる音との「慣れ」がおのずと安心を呼び、ひいてはききての感覚を次第に鈍化させていく危険には、オーディオ音痴はオーディオ音痴なりに、気づいていた。それやこれやで、きわめて漠然としたものではあったものの、A730との別れの時期が近づきつつあることはぼんやりと意識しはじめていた。

『ステレオサウンド』第126号の表紙でソンデックCD12の姿を目にしたのは、ちょうどそんな時期だった。表紙でとりあげられているとなれば、当然、次号では紹介記事が掲載されるにちがいないと考えて、第127号を待った。はたせるかな、第127号では菅野沖彦さんがソンデックCD12について「クルマ」にたとえて巧みに書かれた文章を読むことができた。自動車の運転の出来ない不調法者にも、菅野さんのかかれていることの意味がよくわかった。
 それからしばらくして、おそらく、ぼくはなにかの機会にソンデックCD12についてはなしていたのであろう、畏友HNさんから電話をもらった。その音に対するストイシズムに裏うちされたきわめて高尚な好みと、オーディオに対しての徹底した姿勢のとり方から、ぼくがひそかに、これぞオーディオ貴族と考えているのがHNさんである。このことは自信をもっていえるが、以前、HNさんの部屋できかせていただいた音は、ぼくがこれまでに実際に耳にしたもっともゆたかで、気品の感じられる音だった。それだけに、HNさんが電話口でソンデックCD12についてはなしてくれたことばはきわめて説得力があった。
 ぼくがソンデックCD12の導入を決意しかかっているときに、あたかもだめ押しをするかのように、もうひとり、ぼくの背中を押してくれた友人がいた。耳のよさと感性の鋭さではいつも敬服しているKGさんである。KGさんもまた、きいた条件が充分ではなかったがといいつつも、ソンデックCD12の素晴らしさをことば巧みに語ってくれた。
 実際に自分の耳で音を確かめもしないで、『ステレオサウンド』第126号の表紙で見せられ、菅野さんの記事とHNさんやKGさんからの電話でソンデックCD12の導入を決意したぼくは、お見合い写真と仲人口だけでお嫁さんを決めたようなもだった。しかし、今思うと、ちょっと不思議な気がしなくもないが、ぼくはソンデックCD12に結婚の申し込みをすることにいささかの不安も感じていなかった。
 ソンデックCD12とのお床入りはチェチーリア・バルトリがヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコで録音したアルバム『ライヴ・イン・イタリー』(ロンドンPOCL1853)の21曲目、ジャン=イヴ・ティボーデのピアノでうたっているロッシーニの「スペインのカンツォネッタ」を選んだ。テアトロ・オリンピコは、ルネッサンス様式とでもいうのか、なんとも興味深い建てられ方をした劇場で、以前、一度、いったことがある。そのテアトロ・オリンピコでライヴ録音されたリサイタル番はバルトリの本領が遺憾なく発揮されていることもあって、大好きなアルバムである。そのうちから「スペインのカンツォネッタ」を選んだのは、歌も歌唱も好きだったからではあるが、むろん、それだけが理由のはずもなかった。
 チェチーリア・バルトリはリズムをきざむピアノにのって、まずメッツァ・ヴォーチェで、いくぶん艶めかしくうたいはじめる。しかし、音楽は次第にテンポをはやめていって熱気をおび、もりあがるにつれて、バルトリの声も引きしばられる弓さながらに、はりをましていく。バルトリはメゾ・ソプラノといっても、『アイーダ』に登場するドラマティックな表現力を要求されるアムネリスのようなタイプの役柄を持役にできるような声ではなく、ロッシーニの『セビリャの理髪師』のロジーナやモーツァルトのオペラのスーブレット役を得意にしている抒情的な声のメゾ・ソプラノである。
 リリックな声のメゾ・ソプラノにもかかわらず、はったときに独特の強さをあきらかにできるところにチェチーリア・バルトリの素晴らしさがある。「スペインのカンツォネッタ」ではそのあたりの声のうつり変わりが端的に示されている。ソンデックCD12とのお床入りで「スペインのカンツォネッタ」を選んだのは、なによりもまずそこをきいてみたかったからだ。
 南の国イタリアが実らせることができる果実を思わせるチェチーリア・バルトリの瑞々しい声がふたつのスピーカーの間からすーとのびてくるのをきいて、ぼくは久しぶりにきれいな空気を胸いっぱい吸いこんだような気持になった。バルトリがメッツァ・ヴォーチェでうたう声からはった声に次第に変えていく、その変化をソンデックCD12はこれまで以上に自然に、無理なく感じとらせてくれて、ぼくを驚かせた。A730できいていたときには、はった声がいくぶん硬く感じられなくもなかったが、ソンデックCD12できく変化はより納得できるものだった。
 強い声と硬い声では、当然のことながら、似て非なるものである。しかし、硬くひびく声はともすると強い声とききとられがちである。「スペインのカンツォネッタ」をうたうチェチーリア・バルトリがその後半できかせている声は強い声であっても、硬い声ではありえない。そこで声が硬くひびいてしまったら、バルトリの誇るべきもっとも大切な部分が、つまりバルトリならではの魅力が感じとりにくくなる。
 ぼくはバルトリの声が考えていたとおりにきこえて大いに納得し、お見合い写真と仲人口だけでお嫁さんを決めた自分がまちがっていなかったことを知ってうれしくもあった。しかし、ソンデックCD12とお床入りをして知ったのは、むろん、それだけではなかった。ぼく普段、アポジーのディーヴァからほぼ3メートル40センチほどのところできいているが、それまでのきこえ方は、敢えてたとえるとコンサートホールの1階席でのきこえ方に近かった。しかし、ソンデックCD12にしてからは音像がいくぶん低くなって、2階席できいているような感じになった。いかなる理由でそのようなことになったのか、ぼくに理解できるはずもなかったが、2階席的なきこえか方になった、その変化はぼくにとって大いに好ましかった。
 当然、ソンデックCD12とのお床入りがバルトリの「スペインのカンツォネッタ」だけですむはずもなく、アッカルドのひいているロッシーニの弦楽ソナタのアルバム(フィリップスPHCP24024~5)とか、大好きなイタリアの歌い手オルネラ・ヴァノーニの新旧さまざまなアルバムとか、あるいはこのところきく頻度がきわめて高いキップ・ハンラハンのCDといったように、思いつくままにCDをとりだし、手当たり次第にききまくって、スコットランドのイゾルデ姫へのご挨拶をつづけた。
 嬉々としてソンデックCD12へのご挨拶をつづけながらも、ぼくのところにお輿入れしたイゾルデ姫に耳をすますぼくには若干の探るような気持もなくはなかった。鼻をクンクンさせて相手を嗅ぎあう散歩の途中に出会った2匹の犬さながらに、ぼくはさまざまな、すでにきき馴染み、そこできける音楽を熟知しているCDをかけながら、ソンデックCD12の出方をうかがった。
 いずれのCDも、それまでとは,特に音のきめ細かさと腰のすわりといった点で微妙にちがうきこえ方をして、なるほどと膝をうったり、へえ! と目を丸くしたりした。これがこうなら、あれはどうなるんだと、傍目にはなんのとりとめもないように思われるにちがいないCDのしり取りぎきをしていて、ソンデックCD12とのお床入りの夜に、結果として、もっとも時間をかけてきいたのがキップ・ハンラハンのCDだった。
 キップ・ハンラハンのCDできける、特に『ALL ROADS ARE MADE OF THE FLESH』の4曲目「the September dawn shows itself toElizabeth……」できわだっている「妖しい」ともいえるし、「危うい」ともいえる音楽このところずっと気になっていることもあって、ほかのアルバムの気に入りのトラックをとっかけひっかえきいた。「the September dawn shows itself toElizabeth……」でもうたっているジャック・ブルースの嗄れ声のただよわす妖しくて危うい雰囲気の影響も小さくないと思われるが、キップ・ハンラハンの音楽をつつんでいるのは深夜の大都会の陰りの濃い抒情である。
 少なくともぼくには、キップ・ハンラハンのアルバムのことごとくが、音楽的な興味のみならず、オーディオ的な冒険にみちみちているように思われていたので、そのようなCDがソンデックCD12でどのようにきこえるのか、とても興味があった。それだけに、そこできける音に納得できなかったら困るなと思う気持もあったが、むろん、きいてみないことにはおさまりがつくはずもなく、ソンデックCD12でききはじめてから5、6時間もたったころからききはじめた。ソンデックCD12は重層的にいりまじるキップ・ハンラハンの音楽の特質を見事にあきらかにしつつ、おそらく音のきめが細くなったことが微妙に関係しているのであろう、深夜の大都会の陰りのある抒情の陰影をより濃くしてくれていた。

 そうやってソンデックCD12でさまざまなCDをきいているときのぼくは、どことなく弟の嫁となった若い娘の立ち居振る舞いを尖った目で見る小姑に似ていなくもなかった。しかし、なんともうれしいことであるが、ぼくのところに嫁入りしてきたスコットランドのイゾルデ姫はいかなる局面でも粗相することなく、鬼千匹の小姑をもすっかり魅了して、夜が更けた頃にはぼくに小姑の尖った目で見ることを忘れさせてくれた。
 さらに、ソンデックCD12はその使い勝手の面でも、思いもかけない素晴らしさでぼくう感動させてくれた。このCDプレーヤーでは指先でトレーを押すと閉まってプレイ状態になるが、その状態のままさらに指先でトレーを押すと、押した回数によってききたいトラックを選ぶことができる。つまり、3回トレーを押せばトラック3、5回押せばトラック5がきけるといったように、である。これを作った人のお母さんが高齢のために、ほとんどのCDプレイヤーについている操作キーをあつかうのが辛く、お母さんの頼みで考案された昨日だと教えられた。使っているうちにますます、この昨日のありがたみがわかるようになった。
 そして、ソンデックCD12には使い勝手の面でもうひとつ、使い手に対するさりげない親切な思いやりがほどこされていた。トレーを開けたまま2分たつと、自動的にトレーが閉まる機能である。埃が機器の内部に進入するのをふせぐための機能と思われるが、次のCDを選ぶのに時間がかかり、うっかりトレーを開いたままにしてしまうこともときにはなくはないずぼらな男にとってはなんとも親切な配慮である。あらためて書きそえるまでもないが、使い手が望みさえすれば、さらに細かい指示は心地よい重さのリモコンですることも可能である。

 かくして、ぼくのところのCDプレーヤーの定位置に、それまでのA730をしりぞけて、ソンデックCD12がおさまった。そこで、あらたな悩みができた。これまでお世話になっていたA730の、その後の処遇である。この悩みは今回に限ってのことではなく、機器をとりかえたときにつきものである。
 長年使ってきて、これといった欠点があったわけでもないのにコードをはずした機器にはそれなりの冠者の気持もあって、冷たく引導をわたし、すげなく扱うのも気がひける。かといって、使わなくなった機器をかかえこんでおけるほどぼくの部屋は広くないから、やはり、手放さなければならなくなることが多い。しかし、今回のA730の処遇については前もって一応の心づもりができていた。ぼくは机のそばに、放送に使うCDのタイミングを確かめたりするために使う、つまり一種のオーディション用の小さな装置をおいているが、そこで、つまりフォームではたらいてもらうことにしていた。そんなこともあって、長年の友との辛い別れが回避できて、いくぶん気が楽だった。

 リンのソンデックCD12との新しい生活がはじまって1ヵ月ほどがたった。CDプレーヤーにもエージングといったようなことがあるのであろうか、スコットランドからぼくのところに嫁いできたイゾルデ姫は日々、その美しさをましているように思われる。菩提樹のそばの寝椅子に横たわって、牧童の吹く寂しい牧笛をきいていたはずのトリスタンではあったが、現金なもので、最近はCDをきく時間も以前以上にふえ、自分ではそのきき方さえいくぶんかは鋭くなれたようにさえ思っている。
 オーディオ機器の一部をとりかえることによって、しばしば、使い手の意志とは関係なく、好んできくCDが変わってしまうということが起こる。ずいぶん前のことになるが、スピーカーをとりかえただけで、それまでのピアノのLPを好んできいていたにもかかわらず、気がついたら、ヴァイオリンのLPをきく機会がふえていたといったようなことさえ経験したことがある。スコットランドのイゾルデ姫もまた、そのようなかたちでぼくの音楽の楽しみ方に踏みこんでくるようなことがあるのかどうか、今のところ、まだ新しい生活をはじめて間もないこともあって、わからない。

 気がついたら、窓の外がかすかに白みかけていた。テーブルには棚からとりだしてききあさったCDの山がいくつもできていた。しめくくりに、もう一度、チェチーリア・バルトリのうたう「スペインのカンツォネッタ」をきいた。長い時間、緊張してきいてきたのでかなり疲れていたはずだったが、ぼくはとてもハッピーだった。
 きみのおかげで、ぼくは生き返ったよ。そう呟いて、ソンデックCD12との最初の日を終えた。

リン LP12 + Ekos + Lingo + Trampolin

菅野沖彦

レコードリスナーズ アナログバイブル(ステレオサウンド別冊・1996年6月発行)
「注目モデルの徹底試聴 レコードプレーヤー」より

 イギリス製品の多い、アナログプレーヤーだが、これもイングランドではないがスコットランド製であるから、メイド・イン・UKである。そのなかではもっともキャリアーの長いプレーヤーだ。そもそも、このメーカーはアナログプレーヤーの製造販売でスタートした会社で、このLP12は基本的に約20年前の誕生以来のロングセラーモデルである。
 最近のアナログブームとは無縁の、気骨のど根性製品で、回転シャフト周りなどの若干の変更だけでこの長寿を保ってきた。見事なものである。今回の試聴には、電源部やベースのオプションをフル装備したものが用意されたが、ベーシックのLP12との価格の違いが開きすぎるように思う。つまり本体価格は27万円でこれに最低限必要な電源部とベースが4万8千円で42万円弱のカートリッジ・レスのベーシック・モデルに対し、フルオプションのトータル価格は同じくカートリッジレスで91万8千円となるので2倍強である。少々常識を欠いたオプション設定と言わざるを得ない。
 このプレーヤーのよさは実質価値にあり、贅沢な趣味性はない。しかもフルオプションにしても、見た目はほとんど変わらない実質主義に徹しているのである。さらば、音が3倍の出費に見合うほど改善されるであろうか? その期待をもって聴いたのだが、これがリンにとって裏目だった。ベーシックモデルでこそ絶賛ものだが、100万円のプレーヤーとしては当たり前という感想である。
 たいへん優れた再生音で、腰と芯の座った実感溢れる質感と妥当なエネルギーバランスが、どのディスクにも高水準の再生音として聴けたけれど、ベーシックでもこの水準をそれほど下回るとは思えない。はっきり言って、割高感があるのである。この製品の能力と音のよさは評価するが、機械としての高級感やデザインセンス、素材、加工精度、仕上げなどの魅力は100万円のものではない。

リン LK2-75

井上卓也

ステレオサウンド 84号(1987年9月発行)
特集・「50万円未満の価格帯のパワーアンプ26機種のパーソナルテスト」より

独特の個性の強い明快な音をもつアンプだ。帯域バランスは、ややナローレンジ型で、中域から中高域に特徴的な硬質のキャラクターがあり、これが、プログラムソースを、このアンプの音として聴かせるために働いている。全体に、硬質に、スケールを小さくして聴かせるが、バランスよくまとめる能力は抜群で、入出力は変化しても納得できる音である点は、良い意味でのカセットデッキ的な一種の魅力。

音質:71
魅力度:79

リン LK2

菅野沖彦

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)
特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

 こまやかな質感が魅力的で、はなやかな味わいのある音を聴かせてくれる。弦の音の質感もしっとりしていて、適度な鮮やかさを聴かせるし、ヴォーカルもうるささのない自然な感じで聴ける。チェロの響きが明るく、しなやかで、生気のある表現がよく生きていた。金管は華麗で効果的で緻密感のある快い音である。60Wのパワーとは思えないスピーカーのドライブ能力をもつているが、決してスケールの大きい音とはいえない。単体パワーアンプとして新しく異端児的な存在に注目。

音質:7.8
価格を考慮した魅力度:7.8

リン LK2

井上卓也

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)
特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

 柔らかく細やかで、滑らかさのある音を聴かせるが、音の細部が聴きとりにくく、とくに低域の質感のあいまいさが安定度を欠き、いわばカセットデッキ的に聴きやすいが、プログラムソースの特徴が再生できず、音場感的な情報量の不足が気になる音だ。ここで筐体のアースを完全にとり、再び音を聴く。この変化は、当然のことながら、聴感上のSN比が改善され、一転して適度に硬質さのあるスッキリと見通しのよい音になる。力強さは望めぬが、ローレベルの音は一種の魅力だ。

音質:8.0
価格を考慮した魅力度:8.8

リン KARMA

井上卓也

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「いま話題のカートリッジ30機種のベストチューニングを探る徹底試聴」より

●本質を見きわめる使いこなし試聴
 標準針圧で、イコライザー付ヘッドアンプを試してみる。かなりダイレクトな印象の音になるが、TVやFM電波が非常に強い東京・六本木では、バズを含んだハムレベルが実用限度を超え、試聴には問題があり、C200Lダイレクトに切替える。
 帯域バランスはナチュラルで、低域は安定し、中高域に独特な輝きがある音だ。音場感、音像定位もナチュラルで、平均的な要求にはこれで十分であろう。
 試みに針圧を1・6gに上げる。音色が曇って重くなり、高域は抑え気味で、安定感はあるが、反応が鈍く、中域に輝きが移り、少し古典的なバランスである。針圧1・5gでは、程よく伸びた帯域バランスで、低域は軟調だが、全体に滑らかさがあり、彫りは浅いが、中高域の輝きも適度に魅力的で、聴きやすく雰囲気型の音だ。
 針圧を標準にもどし、IFCを調整する。IFC約1・65ほどで、音に焦点がピタッと合った、抜けの良い音に変わる。低域は厚みがあり、質感に優れ、音溝を正確に拾うイメージの安心感がある音だ。中域は適度にあり、中高域に少し硬質さがあるが、これは一種独特の魅力であり、プレゼンスもよい。また、音像定位はクリアーに立つタイプだ。個人的には、この中高域の輝きは個性として残したいが、この傾向を抑えるためには、テクニカ製スタビライザーAT618を使ってみる。天然ゴムに覆われた特徴が、音を適度に抑え、メタリックな輝きを柔らかくしてくれる。なお、スピーカーは標準セッティングである。

●照準を一枚に絞ったチューンアップ
[ヘンデル:木管のためのソナタ]
大村 いかにもイギリスのカートリッジという気がします。イギリスのオーケストラはドイツのそれに比べて、色彩感はありますが、ゆとり、重厚さにかける。まさに、そんな感じの音です。線の硬質なクリアーな音。オーケストラを聴く場合は、もう少しゆとりが欲しいと思います。
井上 英国系らしい、中域から高域にかけての硬質な部分を、いかにコントロールするかが使いこなしのポイントです。相性のいいトランスを選んでやれば、硬さがとれて力が出てくると思いますが、ちょうどいいのが手元になかった。そこで、ゴムでダンプされたオーディオテクニカのAT618で、中域のメタリックさを殺した上で、プリアンプの位置を動かしてみました。
大村 最初のアンプの位置ですと、リズミックな表現がやや単調になっていたのが、前に引き出したところ、反応が速くなり、反対に後ろにすると、穏やかになる。また、ヒンジパネルを開けると、音がすっきりするんですね。
井上 注意してほしいのは、開けたパネルが台に触れないようにすること。台との間にフェルトを敷けば、よりすっきりします。アンプの位置ひとつで、音が変わることを頭にとどめておいていただきたい。

リン KARMA

井上卓也

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)

特集・「いま話題のカートリッジ30機種のベストチューニングを探る徹底試聴」より

 標準針圧では低域が少しモゴっとするが、中高域に独特の爽やかなキラメキがあり、巧みにバランスを形成する。キメ細やかで線は細く、スッキリと音は抜けるが、音場感はやや不足気味。レコードらしい音である。
 針圧上限では、暖色系の安定した個性型の音で、中域に穏やかさ、安定感があり、0・05gの変化としては大きい。雰囲気よく、巧みにコントロールされた音である。
 針圧下限では、軽く、華やかさがある。適度に輝きのある音となり、プレゼンスが程よく保たれ、これはレコードとして聴いて楽しい音だ。音場感は少し平面的である。
 針圧を下限に決め、ファンタジアを聴く。低域は少し軟調だが、細かくきらめくピアノはかなり魅力的で、雰囲気がよく、きれいにまとまった音だ。リアリティよりも再生音的な魅力をもつ音だ。
 アル・ジャロウは音色が暖色系に偏り、リズムの切れが甘く、力不足な音楽になる。

リン Pre PreAmp

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 ASAK・MC型カートリッジ専用のセパレート電源付ヘッドアンプである。
 低インピーダンス用のためMC20と組み合わせると、無理に帯域を伸ばした印象がないトランス的な性質と、中高域から高域での美しい輝きをもち、全体としては重く量感のある低域をベースとした独特の穏やかな安定感のある音が、このアンプの特徴であることがうかがわれる。
 試みにASAKとFR66Sを組み合わせると、適度にソリッドさがある低域をベースにクッキリと音像を立たせる中域、シャープで少し硬質な高域が巧みにバランスをした硬質な音ながら安定感があり、引締まった立派な音を聴かせる。音場は適度にクリアーで音像定位はシャープであ1り、反応はキビキビして速い。

リン LP-12 + LV-II

菅野沖彦

別冊FM fan 30号(1981年6月発行)
「最新プレイヤー41機種フルテスト」より

概要 このプレイヤーはスコットランドの製品で、大きな特徴はフローティングマウントシステムを採用していることだ。トーレンスのTD126シリーズと同じような考え方である。これは大体ヨーロッパのプレイヤーシステムの主流だ。このことに関してはほかのところでもう少し詳しく述べたい。このリンソンデックの場合は、フローティングが大変うまくできている。見た目にはあまり有難味のない、この値段に匹敵しない仕上げ、デザインで、おそらく普通の人がちょっと見ただけでは、これは五、六万円のプレイヤーじゃないかと思うだろう。プレイヤーは音がよければいいということではなくて、見た目も非常に重要な要素だと思うので、この点に関してはリンソンデックに対する私の評価は非常に低い。いかにいい音がしても、高級プレイヤーシステムとして家庭に持ってきて、大事に扱おうという気が起きないようなデザインではダメだと思う。ここまですばらしいものを作りながら、このデザインで平然としているリンソンデックのセンスには私としてはちょっと共感しかねる。ところが実際に音を聴いてみるとこれがビックリ。私はリンソンデックのプレイヤーはオーディオ界の七不思議の一つだと思っているけれども、とにかく大変に音のすばらしいものだ。今回は、リンソンデックが最近出したアサックというカートリッジを付けて試聴した。トータルでリン・ディスク・システムと呼ぶ。
音質 このアサックを付けて試聴した感じでの音は、とにかく非常に重心の低い落ち着いたエネルギーバランスで、ピアノを聴いても打楽器を聴いてもガッチリとした、しっかりとした音で実に重厚、剛健というか、音楽の表現力が非常にたくましく躍動する。やや繊細さには欠けるような感じがして、もう少しデリカシーの再現ができればいいと思うが、しかしこの力と豊かさがわれわれの聴感には非常に心地よいバランスだ。これは非常に特異なものだと思う。ベースの太くたくましい、ズシンとくるような響きの豊かさというのはほかのプレイヤーと一線を画して魅力のあるものだと思う。ただベースの音色的な細やかな変化はあまりきかれない。そういう意味では先ほど述べた、繊細さに欠けるということにも通じるかもしれない。それからリズムは下へ下へ、グングン押しつける傾向のリズムで、上へはねる傾向には聴こえない。このへんがこのプレイヤーの特色だろう。しかし、ドラムス、ベースはジャズを聴いても迫力十分だし、オーケストラを聴いた時の厚みのある低音弦楽器部分の怒とうのように迫る響きはなかなかのもの。管の音もバスクラとかバスーンとか、そのへんの領域の音が非常に奥深く、深々と鳴ってくれる。こういうところが、このプレイヤーならではの充実した再生音だろうと思う。奥行き、音場感、これもなかなか豊かで、ステレオフォニックな音場感がこういうように再現されるというのは、プレイヤーの共振モードが大変にうまくコントロールされているのだと思う。私の感じたところによると、500Hzから800Hzあたりが非常に豊かに響いてくる。これが音楽を奥深く感じさせることになっているのではないかと思う。高域の弦楽器群、バイオリンのハイピッチの音などは、決してしなやかとまではいかないけれども、とげとげしくもない。

リン LP12, ITTOK LV-II, ASAK

リンのターンテーブルLP12、トーンアームITTOK LV-II、カートリッジASAKの広告(輸入元;オーデックス)
(別冊FM fan 30号掲載)

LP12

リン Asak

井上卓也

ステレオサウンド 58号(1981年3月発行)
「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」より

 ターンテーブルでの情報損失を重視した高性能33 1/3回転専用ベルトドライブ型ターンテーブル、LP12で特異な存在として知られる英国のスコットランドにあるリンから今回、同社初のMC型カートリッジ、リン・アサックが発売されることになった。
 この製品の特長は、カートリッジボディを剛体化し、トーンアームに強固に取り付ける目的で、可能なかぎり幅広いプロポーションを与えた点にある。これは、針先の振動がカンチレバーを介してボディや磁石を振動させる情報損失をトーンアームとターンテーブルのマスを利用して防止しようという構想に起因した必然的な結果らしい。
 発電メカニズムの詳細は不明だが、規格から推測すれば、コイル巻枠に磁性体を使った、いわゆるオルトフォンタイプのようで、インピーダンス3・5Ω、出力電圧0・2mVと発表されている。
 試聴はLP12とリン・イトックLVIIを組み合わせて行なった。スケールが大きく重厚な低域をベースに、適度に輝きがあり、コントラストがクッキリとついた中域から中高域が個性的である。ローエンドを適度にカットしたことによって得られる安定感が他にはない独特のポイントだ。

リン LP12

井上卓也

ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
特集・「’80ベストバイコンポ209選」より

 DD全盛の現在ではユニークな存在のベルトドライブ型のアームレスプレーヤーだ。モーターは24極シンクロナス型でスピードは33 1/3回転のみの1スピード型。ターンテーブルとアームボードは、3点支持でフローティングされる。機械精度の優れた佳作だ。

リン LP-12 + LV-II

瀬川冬樹

ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」より

●音質/明るく、引締ってなかなか良い音だ。とくに低音から重低音にかけてのコントロールに特徴がある。たとえばバスドラムやベースの低音。量感が十分でありながらキリッと引締めて、音階の変化や音色の違いがとてもよく聴き分けられる。スネアドラムやシンバルの音は、粒立ちの良さをことさらに感じさせはしないが、音がめり込むようなことはなく、爽やかな切り味が楽しめる。音が決して乾きすぎていない。ヴォーカルなど喉の湿りを感じさせるような血の通ったあたたかさがあるし、上滑りしたりハスキーになるような欠点がない。フォルティシモでも音がよく伸びる。従ってポップス系にはたいそう満足感を与えている。クラシック系でも、たとえばベルカントふうの明るいハッピーな音はとても気持ちよく聴かせる。が、反面、この音は曲によって少し明るすぎるような感じを受ける。たとえばフォーレのVnソナタ。音楽的におかしいところは少しもない。ヴァイオリンとピアノの音色もかくあるべきというバランスで鳴らし分ける。けれど、フォーレの世界にはもうひとつしっとりした味わい、陰の部分の色あいの複雑さ、が欲しく思われる。また、クラシックのオーケストラ曲に対しては、あとほんのわずか、低音をゆるめてよいのではないかと思わせる。だが、そうした高度な論議をしてみたくさせるということは、すでにこの音質が相当に高度であることを示す。そして、右のわずかな私にとっての不満は、アームをACに替えることで解決される(ただしこの組合せでは蓋がしめられなくなるのがまずい)。
●デザイン・操作性/前述のように国産のアームがハミ出るほど小型。仕上げは美しい。電源スイッチのON/OFF以外に操作性の問題点はないが、ボタンを押すたびにターンテーブルがフラフラ揺れる点は、改善の工夫が欲しいところだ。

リン LP12

リンのターンテーブルLP12の広告(輸入元:オーデックス)
(ステレオ 1979年2月号掲載)

LP12

リン LP12

瀬川冬樹

ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」より

33回転オンリーは難点だがDD時代にアンチテーゼを示す音質の良さ。

リン LP12

瀬川冬樹

ステレオサウンド 35号(1975年6月発行)
特集・「’75ベストバイ・コンポーネント」より

 トーレンスの亜流というような気がしないでもないがプレーヤーシステムがバカみたいに大きくなるのを嫌う私としては、このコンパクトなまとまりは好ましい。