Category Archives: マークレビンソン

マークレビンソン No.37L+No.360SL

菅野沖彦

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

マークレビンソンのCDトランスポートとDACの組合せによるセパレート型プレーヤーである。セパレート型は発展型とも言えるが、もちろん、このコンビで完結する高い完成度を持っている。細密感とソリッドな質感を持つ深い音である。CDシステムとしての完成度が高いが、ヴァージョンアップにも対応する。

マークレビンソン No.30.6L

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

同社のD/Aコンバーターの新製品でリファレンス的存在であるが、重厚なディジタル機器の見本のような製品である。音も深々としていて滑らかだ。ディジタルにおいてもオーディオにはこのような趣味的な製品があり得ることは喜ばしい。これでなければバランスのとれない他のコンポーネントが多いからだ。

マークレビンソン No.37L + No.360SL

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

No.37Lは薄型トレイ式のトランスポートを採用し、価格はNo.31.5Lと比べ低減化しているが、マークレビンソンの名に恥じない高級品。No.360SLは24ビットやハイサンプリングへの対応が可能で、DSPによる高精度なディジタル・インターフェイスを持つ。両者の組合せによる音は、奥行のある豊かさと精緻な解像度を感じさせる品位が高いものだ。

マークレビンソン No.25L + PLS-226L

井上卓也

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 No.26LプリアンプのフォノEQを独立させたデュアルモノ構成の製品。電源部は分離型で、No.26Lと併用する場合はプリアンプから供給するが、単独使用ではPL226SL電源と組み合わす。単独電源のほうが明らかに1ランク上の音を聴かせ、電源の重要性を確認できる。価格対満足度の高さは海外製品中抜群。

マークレビンソン No.37L + No.36L

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 No.39Lが出たので、この製品の特徴がセパレート形態そのものになった。両者を聴き比べる機会がないので優劣についてはなんとも言えないが、これはそれぞれ優れたCDトランスポートとDACである。特にDACの持つ切れ込みがシャープでいて深い響きは、ウェイトの感じられる音ともに聴き応えのあるものだ。

マークレビンソン No.39L

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 このメーカー初の一体型CDプレーヤーで、同ブランドらしい高品位なブラック・フィニッシュとサウンドが魅力的である。分厚い音の質感が力強く、音場感も豊かだ。メカニズムはNo.31系のトップローディングは採用されずトレイタイプだ。No.37Lにボリュウム付きのNo.36Lを組み合わせたものだ。

ハイエンドCDプレーヤー4機種を聴いて

黒田恭一

ステレオサウンド 110号(1994年3月発行)
「絶世の美女との悦楽のひとときに、心がゆれた……」より

「お前、大丈夫か?」
 なんとも身勝手ないいぐさとは思われた。しかし、自分の部屋にもどって、スチューダーのA730のスイッチを入れながら、無意識のうちに、そう呟いていた。むろん、若干の後ろめたさを感じていなかったわけではない。
 なんといっても、こっちは、絶世の美女四人と、たとえしばしの時間とはいえ、悦楽の時を過ごしてきたのである。後ろめたさを感じて当然だった。そのあげくの、「お前、大丈夫か?」であった。ことをいそぎすぎて、A730に、いらぬ粗相をさそては気の毒である。スイッチを入れてから、一時間ちかくも待った。
 A730の準備のととのうを待つ間に、不実な主は、千コマで、かりそめの時をともにしていた美女たちのことをぼんやりと思いかえしていた。その時の気分は、さしずめ、ロロ、ドド、ジュジュ、マルゴとマキシムの女たちの名前を、ほんとうはもっとも愛しているハンナの前で口にする、オペレッタ「メリー・ウィドウ」の登場人物ダニロの気持に似ていなくもなかった。
 今回もまた、甘言をもって、ぼくを不実な行為に誘ったのはM1である。
「このところにきて、CDプレーヤーが新しい局面をむかえていましてね」
 受話器からきこえてくるM1の声は、夜陰にまぎれて好色親爺を巧みに誘うぽん引きのささやきに、どことなく似ていなくもなかった。M1は、さらに、「いい娘が四人ほどいるんですがね……」、ともいって、意味ありげにことばじりをにごした。いつもながらのこととはいえ、M1のタイミングのよさには感心させられた。M1の誘いに、結果として、ぼくは虚をつかれたかたちになった。
 ここしばらく、ぼくは、スチューダーA730+ワディア2000SH+チェロ・アンコール+アポジーDAX+チェロ・パフォーマンス×4+アポジー・ディーヴァといった我が愛機のきかせてくれる音と蜜月の日々を過ごしていた。ぼくは毎日を、かなりしあわせな気分でいた。この正月、ほぼ一年ぶりに訪ねてくれた友人は、何枚かのCDに黙って耳をすました後、「なにか装置を変えたの?」、といって、ぼくを大いに喜ばせてくれた。彼は鬼の耳の持主である。ぼくは、なにひとつ装置を変えていないと答えた。彼は怪訝な顔をして、「ずいぶんかわったね、去年の音とは」、といってから、彼がこれまで一度も口にしたことがないような言葉で、ほめてくれた。
 夫婦仲の悪い男が浮気にはしる、と考えるのは、たぶん、誤解である。夫婦仲がぎくしゃくしていれば、男はさしあたり、目の前の割れ蓋の修復に専念せざるをえない。そのような立場におかれた男に、余所にでかけ、それなりの所業にはげむ余裕があるとは考えにくい。もし、割れ蓋の修復をなおざりにしたあげく、余所に楽園を探すようなタイプの男であれば、哀れ、さらにもう一枚の割れ蓋をつくるだけである。
 ぼくも、うちのスチューダーたちと折りあいの悪い状態でM1に声をかけられたのであれば、それなりの覚悟をして、ステレオサウンドの試聴室にでかけたにちがいなかった。しかし、そのときのぼくは、なにがマークレビンソンだ、なにがソニーの新製品だ、うちの嫁はんが一番や、とたかをくくっていた。しかし、安心したぼくが悪かった。M1は読心術をも心得ているようで、巧みにぼくの虚をついた。
 まず、デンオンのDP-S1+DA-S1からきき始めた。このCDトランスポートとD/Aコンヴァーターについては、少し前に、長島達夫氏が、「ステレオサウンド」の誌上で、「ともかく、とのような音が来ても揺るがず、安定しきった再生ができるのである……最近これは感銘をうけた製品はない」、と書いていらしたのを、ぼくはおぼえていた。そのためもあって、かねてから、機会があったら一度きいてみたい、と思っていた。
 一聴して、なるほど、と長島達夫氏の言葉が納得できた。そして、同時に、電話口のM1が、「このところにきて、CDプレーヤーが新しい局面をむかえていましてね」、といった意味も理解できた。デンオンのDP-S1+DA-S1がきかせてくれる音の質的な、あるいは品位の高さには驚嘆すべきものがあった。きめ細かなひびきに、うっとりとききいった。
 デンオンのDP-S1+DA-S1のきかせてくれる音は、敢えてたとえれば、オードリー・ヘップバーン的な美人を、ぼくに思い出させた。その得意にするところは、かならずしも劇的な演技にはなく、抒情的な表現にあった。むろん、繊細な表現にのみひいでていて、力強さに不満が残るなどという、低次元のはなしではない。オーケストラがトゥッティで強奏する音に対しての力にみちた反応にも、充分な説得力があった。ただ、いかにドラマティックな表現を要求されようと、ついに裾う乱さない慎ましさが、DP-S1+DA-S1のきかせてくれる音には感じられた。そのようなDP-S1+DA-S1の持味を美徳と考えるか、それともいたらなさと感じるか、それともいたらなさと感じるか、それは、たぶん、使う人の音楽的な好み、ないしは音に対しての美意識によってちがってくる。
 カラヤンが一九七九年に録音した「アイーダ」の全曲盤で標題役をうたっているのはミレッラ・フレーニである。当時のフレーニはリリック・ソプラノからの脱出をはかりつつあって、アイーダのみならず、トスカのような劇的表現力を求められる役柄にも果敢に挑戦していた。DP-S1+DA-S1のきかせてくれた見事な音が、ぼくには、どことなく、一九七〇年代後半から一九八〇年代前半にかけてのフレーニの歌唱に似ているように感じられた。
 ミレッラ・フレーニは、先刻ご承知のように、もともとリリック・ソプラノとしてオペラ歌手のキャリアを始めた歌い手である。しかし、あの慧眼の持主であったカラヤンがアイーダをうたうソプラノとして白羽の矢をたてたことからもあきらかなように、一九七〇年代後半ともなると、フレーニは、すでにドラマティックな役柄をこなせるだけの声の力をそなえていた。しかし、そのようなフレーニによった絶妙な歌唱といえども、もともとの声がアイーダをうたうに適したソプラノ・リリコ・スピントによったものとは、微妙なちがいがあった。アイーダをうたってのフレーニの持味は、ドラマティックな表現を要求される音楽ではなく、抒情的な場面で発揮された。また、そのような既存のアイーダ像とはちがったアイーダを提示するのがカラヤンのねらいでもあった。
 蛇足ながら書きそえれば、アイーダをうたうフレーニを、背伸びしすぎたところでうたっているといって批判する人もいなくはないが、ぼくはアイーダをうたうフレーニの支持派である。いくぶんリリックな声のソプラノによって巧みにうたわれたアイーダは、ソプラノ・リリコ・スピントによって劇的に、スケール大きくうたわれて、過度に女丈夫的なイメージをきわだたせることもなく、恋する女の微妙な心のふるえを実感させてくれるからである。
 ついできいたのはソニーのCDP-R10+DAS-R10だった。このCDトランスポートとD/Aコンヴァーターのきかせる音にふれた途端、ぼくは、一瞬、ロミー・シュナイダー風美女にキッと見つめられたときのような気持になり、たじろいだ。ここできける音には、媚びがない。曖昧さがない。潤色が、まったく感じられない。劇的なひびきも、抒情的な音も、まっすぐ、いいたいことをいい切っていながら、しかも相手を冷たくつきはなすようなところがない。音楽のうちに脈々とながれる熱い血をききてに感じさせることに、いささかの手抜かりもない。
 蛇足ながら書きそえれば、ロミー・シュナイダーはほくにとっての理想の美女である。ソニーのCDP-R10+DAS-R10の音にふれたぼくは、出会いがしらに恋におちたような気分になった。「なんだって、CDを裏がえしてセットするんだって?」などと、なれない手順に不満をとなえながらきき始めたにもかかわらず、ものの一分とたたないうちに、「凄い、これは凄い!」と溜息をついていた。
 幸か不幸か、試聴後には予定があった。したがって、ロミー・シュナイダーとの心きとめく対面は、そこそこにすませなければならなかった。後の予定がなければ、ぼくは、編集部の面々に箒をたてられても気付かず、延々とききつづけ、家に帰るのを忘れていたかもしれなかった。
 おのれの不実を恥じつつも、ぼくは、家で待つ、うちの嫁はん、スチューダーのA730がきかせてくれる音と、今、出会ったばかりのロミー・シュナイダーのきかせてくれている音を耳の奥で比較しないではいられなかった。若干の救いは、その他の部分、つまりスピーカーやアンプが家のものとステレオサウンド試聴室のものとが同じでないことであった。しかし、いかに条件がちがっていても、ロミー・シュナイダーとうちの嫁はんの目鼻だちのわずかとはいいがたいちがいは充分にききわけられた。
 もっともちがっていたのは、言葉として適当かどうかはわからないが、情報の精度のように思われた。このソニーのCDP-R10+DAS-R10のきかせてくれる音は、それらしい音をそれらしくきかせるということをこえたところで、キリッと、まっすぐひびいていた。きっと、このような、しっかりした音は、思いつきや小手先のやりくりによってではなく、技術的に正攻法で攻められたところでのみ可能になるものであろう、と思ったりもした。
 CDのための、このような高度の性能をそなえた再生機器ともなれば、斯く斯くしかじかのソースではどうきこえたとか、こうきこえたとかいった感じで語ろうとしても、徒労に終るにちがいない。もし、かりに、ききてと音楽との間に介在することをいさぎよしとせず、まるで透明人間のように姿を消して、その機器へのききての意識を無にできることが再生装置の理想と考えれば、ソニーのCDP-R10+DAS-R10は、その理想に限りなく近づいている。
 そう考えると、CDP-R10+DAS-R10をロミー・シュナイダーとみなしたぼくのたとえは、見当はずれのものになる。ロミー・シュナイダーは、どんなつまらない映画にでても、強烈に自己の存在をアピールできた女優だった。したがって、ここでのロミー・シュナイダーのたとえは、ぼくの魅了されかたの度合を表明するだけのものと、ご理解いただきたい。ききてと音楽との間で自己主張しないということでは、むしろ、ソニーのCDP-R10+DAS-R10はロミー・シュナイダーの対極に位置していた。
 ちなみに、全四機種をきき終えた後、ぼくは、わがままをいって、編集部の若者たちの手をわずらわせ、ソニーのCDP-R10+DAS-R10を、もう一度きかせてもらわずにいられなかった。そのことからも、おわかりいただけると思うが、今回、きかせてもらった四機種のうちでぼくがもっとも心を動かされたのは、ソニーのCDP-R10+DAS-R10だった。
 ついできいたのはワディアのWADIA7+WADIA9だった。これにもまた、大いに驚かされた。ぼくの驚きを率直にいうとすれば、CDの再生機器は、すでにここまでいっているのか、と思ってのものだった。しかし、同時に、ぼくは、マ・ノン・トロッポ!(しかし、はなはだしくなくの意)と呟かないではいられなかった。
 情報の精度の高さということになれば、これもまた、かなりのところまでいっているのは、ぼくの耳にもわかった。ただ、ここできける音には、情報が整理されすぎたため、とみるべきか、整然としたひびきが若干冷たく感じられた。曖昧さをなくそうとするあまり、角を矯めて牛を殺してはいないかな、と思ったりもした。
 おそらく、このワディアのWADIA7+WADIA9のきかせる音についてのききての評価は大きくわかれるにちがいない。ぼく自身も、ここできける音を前に、冷静ではいられず、心がむれた。これが、もし、数年前だったら、と思ったからである。
 音に対して保守的になってはならないと、日頃、自分をいましめてはいる。音に対して保守的になったが最後、ききては歯止めを失い、懐古の沼に沈んだあげく、昔はよかった風の老いのくりごとをくりかえしはじめる。ひとたびサビついてしまった感覚は修復不能である。積極果敢に新しい音とふれあっていかないと、日に日に前進のエネルギーが不足していく。しかし、以前であれば、ぐらときて、そのまま突進していたかもしれない、このワディアのきかせる新時代の音を前に、今、ぼくは戸惑っている。お恥ずかしいことである。
 明晰さということでいえば、これは、ぼくがいまだかって耳にしたことのない明晰な音である。ここで耳にした音には、さしずめ、超人的な頭脳の持主が、消しゴムを使った痕跡さえ残さず、ものの見事に解いた方程式のような感じが或る。このような曖昧さを微塵も残さない音が、ぼくは、もともと嫌いではない。しかし、やはり、どうしても、マ・ノン・トロッポ! と呟かないではいられなかった。
 ただ、そのようなワディアのWADIA7+WADIA9のきかせる音についての感想は、あくまでもぼくのきわめて個人的なものでしかないので、ご興味のある方は、どこかで、なんとか機会をみつけられて、このユニークな音とふれあわれることをおすすめする。もしかすると、ご自身のオーディオ感の根底をゆさぶられるような思いをなさらないとも限らない。それだけの、独特の力をそなえている、このワディアの音である。
 マークレビンソンのNo.31L+No.30Lを最後にきいた。これは以前にもきいたことがある。したがって、「どうも、お久しぶり」、といった感じできき始めることができた。ここで耳にする音は、音の性格として、ワディアのWADIA7+WADIA9のきかせてくれる音の対極にある。
 もし、ワディアのWADIA7+WADIA9のきかせてくれる音がエゴン・シーレ描くところの痩せた美少女にたとえられるのであれば、マークレビンソンのNo.31L+No.30Lのきかせてくれるのはグスタフ・クリムトの描く豊潤な美女であろう。この、個々の音を、ぐっとおしだしてくる、たっぷりとしたひびきっぷりは見事の一語につきる。このマークレビンソンをしばらくきいた後に、ソニーをあらためてききなおしたら、けっして痩せすぎとはいいがたいロミー・シュナイダーがひどくスリムに感じられた。
 充分に繊細であり、鋭敏でもあって、そのうえ、腰のすわった、肉づきのいい音をきかせてくれるのが、このマークレビンソンである。粗衣身で、これは、いかに過酷なききての求めであろうと、十全にこたえられる機器というべきであろう。このような音を耳にすると、CDはどうも音が薄っぺらで、といったような、しばしば耳にする、表面的なところでのCD批判のよりどころが、どうしたって、ぼけてくる。
 いくぶん逆説的にきこえてしまうのかもしれないが、このCDの強みを最大限いかしきった機器できける音は、さまざまなCDプレーヤーのきかせてくれる音のなかで、もっとも非CD的な音である、といえなくもない。この力にみちた、弾力にとむ音は、たぶん、最高級のアナログディスクプレーヤーできける音と較べても、いささかの遜色もないはずである。まことに見事な、表現力にとんだ、恰幅のいい音である。
 ただ、畏敬しつつも、身近に感じることのできない音が或る。そのあたりが模範回答のないオーディオの、オーディオならではの面白いところというべきかもしれない。ぼくにとって、マークレビンソンのNo.31L+No.30Lのきかせてくれる音が、畏敬しながらも、自分からは離れたところにある音のようである。グスタフ・クリムトの描く豊満な美女に対する憧れは充分にあるが、そのタイプの音となると、かならずしもぼくのものではない、と思ってしまう。
 絶世の美女四人とのステレオサウンド試聴室での、しばしばの団欒は、スリリングでもあり、まことに楽しかった。ステレオサウンド試聴室につどったロロやドド、ジュジュやマルゴたちのチャーミングな容姿や物腰、それに体温を、ダニロよろしく思い出しているうちに、アンプもあたたまってきたようである。
 いささかの後ろめたさと不安を胸に、ぼくスチューダーのA730のスタートボタンをおした。あたりまえのことながら、日頃なじんでいた音がきこえてきた。ぼくは、なれない外国語に苦労しつつ一人であちこち旅してきて、やっとのことで帰りつき、「お疲れさま」、とやさしく声をかけられたときのような気持になり、なぜか、ほろっとした。そして、同時に、安堵の溜息をつかずにいられなかった。
 ステレオサウンド試聴室で出会ったロロやドド、ジュジュやマルゴたちは、たしかに、今、ぼくの使っているスチューダーA730+ワディア2000SHのいたらなさに気づかせた。最新のCD再生機器の性能が、ここのところにきて大きく向上したのは否定しようのない事実である。その意味で、M1の、「このところにきて、CDプレーヤーが新しい局面をむかえていましてね」、といった言葉は正しかった。
 以前であれば、このような状況を目のあたりにすれば、前後の見さかいもなく、飛石づたいに、あっちにふらふら、っこちにふらふらするような感じで放蕩をかさねられたのかもしれなかった。しかし、今は、よほどうちの嫁はんに惚れ込んでしまっているためかどうか、どうやら、ここしばらくは、ロミー・シュナイダーのことが原因の別れ話をしないでもすませそうに思え、ほっとしつつも、ちょっと寂しい気もしている。
 それにしても、「お前、第屏風か?」、と呟いたぼくに答えるかのように、A730が恥じらいつつうなずいたのは、あれは幻影だったのか?

マークレビンソン No.26SL + No.20.6L(JBL S9500との組合せ)

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する」より

 現在のハイエンドマーケットで、良くも悪くもリファレンスアンプとして常用されている、マークレビンソンの組合せである。
 No.26Lは、ステレオサウンドのリファレンスアンプの一部で、設置位置は十分に吟味して決めてあるため、テフロン基板タイプとなったNo.26SLもまったく同じ条件に置くことにした。一般に、電源部が独立したプリアンプでは、電源部はどこにどのような状態で置いても音は変らないと思われているようであるが、電源部の感度は相当に高く、置き場所の条件で、音質、音色ともにコロコロと変るものであることを是非とも覚えておく必要がある。パワーアンプは標準位置、結線は平衡型である。
 アウトフォーカスの写真が、徐々にクリアーなピントとなるようなウォームアップをするタイプで、アンプのウォームアップの典型的なパターンといえよう。帯域バランス的な変化は少ないため、ほぼ10分間も経過すれば、一応この組合せとおぼしき音にはなるが、音場感情報量は抑えられ、音の内容も新聞の写真のように粗粒子型のラフさが残っている。低域は軟調気味で、質感が甘く、高域も伸びきっていないため、ゆったりおおらかな魅力はあるが、やや締まらない制御不足の音ともいえるだろう。時間経過に伴い、内容が次第に充実し、音場感情報が豊かになると音の表情にも余裕が感じられるようになり、高級アンプならではの独自の世界が展開されるようになる。
 S9500は、いわゆるアブソリュートフェイズも、一般的スピーカーと同様に正相に変っているため、よく知られているJBLのモニター系(こちらは逆相である)の音質音色に比べ、かなり柔らかくしなやかで、マイルドな方向の音に変っているが、独特のプロポーションをもつエンクロージュアの特徴から、奥行き方向のパースペクティヴの再現能力や音像が浮かび上がって定位する魅力は、従来にない新しい魅力だ。
 No.26SLは、従来のLタイプから、滑らかに、艶やかに、の方向に音色が変り、独特の陰影が音につくようになった。このため、ここでの音はかなり柔らかく豊かで、色彩感を少し抑えた淡彩な音で鳴り、低域は量感はあるが軟調で甘く、全体に見事にコントロールされた、非常に巧みな、味わい深い、とてもオイシイ音として聴かせるパフォーマンスは、マークレビンソンならではの魅力であり、安心感、信頼感である。この程度、時間も経過すれば、スピーカーも部屋に馴じみ、当初のマットな表情から目覚めだしたようで、このアンプ用にセッティングを修正すれば、かなりの幅で自分の音とすることは容易であろう。

JBL4344をMark Levinson No.27/20.5でBi Amp Driveする

早瀬文雄

ステレオサウンド 9号(1990年9月発行)
「マルチアンプシステムに挑戦! JBL 4344をバイアンプドライブする」より

 さて、スレッショルドの組合せによるバイアンプドライブの直後に、マークレビンソンNo.20・5Lによるシングル駆動に戻してみた。
 率直にいってやや物足りなくなる部分と、逆にまとまりがよくなる部分が相半ばする結果だったと思う。たとえば、低域に強い音が連続して加わった時の高域の繊細感や解像力がやや希薄になる、あるいは低域のゆったりとした柔らかさ、ふくよかさが弱まる。音色変化のダイナミックレンジが狭くなるような面もわずかだが聴き取れる。しかし、それは量としてごくわずかなもので、シングルアンプとしてはトップレベルのスピーカー駆動能力を持っていることには変りない。
 陰影感に富む立体的な音像表現をとるものの、いわばリファレンス的で中立的だと言う印象が強い。それはソースの響きに一切の印象を加えない真面目さにもつながる。シングルで、バイアンプに優るとも劣らない音場感を再現できるのは、もちろんこのアンプのもつポテンシャルの高さによるものだろうが、モノーラル構成を取ってるということもその原因の一つになっているに違いない。右チャンネルと左チャンネルを別個のアンプでドライブできるということに起因するチャンネル間の干渉のない、すっきりとしたセパレーションが確保できるというメリットはやはり大きい。
 さて、ここでNo.20・5Lを低域に使い、No.27Lを高域に配したバイアンプドライブを試みる。
 No.27L単体の音は何度か本誌試聴室でも聴いているが、その高域の美しさ、透明感に関して言えば、マークレビンソンのパワーアンプの中でも最も高いものだと思っている。
 僕個人の不満は低域がやや軽くなって表情が単調になる点にあったが、その部分をここではNo.20・5Lがサポートするわけだから期待は大きい。
 チャンネルディバイダーJBL5235との音色面でのマッチングもマークレビンソンの方がスレショルドよりいいはずだ。結果は、想像以上にもの凄いものだった。
 No.27Lの繊細感の下に隠れていたすさまじい求心力が明らかになる。低域負荷を切り離され290Hz以上の信号だけを増幅し、しかもウーファーからの逆起電力が戻ってこないというのだから、この結果は当然といえば当然すぎるものなのかもしれない。それにしても、たとえばシンバルのアタックのエネルギー感は強烈だ。
 それも、下品な輝きがついてまわるような上っ面のエネルギーではなくて、トップシンバルにスティックがぶつかった瞬間の凝縮された音に続いて、シンバル全面に振動が拡散し空中にそのディスパージョンが爆発的に拡散する、そして間髪をいれず次のアタックが重なった時の、まさにシンバルの重畳爆撃みたいなエネルギー感をひねりだす。
 4344のホーンドライバー2425Jがその限界まで鳴りきっているといった印象すら受ける。それは、切れ込むなどというなまやさしい感じではなく、音像をえぐり出すとでもいいたくなるような、冷汗が背中に吹き出してくるような迫真のリアリティがつく。
 古楽器オーケストラの弦にもスムーズさ、倍音の豊かな艶のある響き、毅然とした澄んだ空気感、そういった要素がぐんと純度を高めていることがはっきりと聴き取れる。しかも、こういった透明感がボリュウムをしぼり込んでいっても、部屋全体にいつまでも残ろうとする。ぎりぎりまで浸透力を維持するところはすごい。
 No.27L単体でジャズ系のソースや編成の大きな演奏を大音量で再生した時に、やや硬質な感触が頭を覗かせるようなこともここではまったく見られなかった。
 アンソニー・ニューマンのチェンバロは不思議なことにオーディオ臭さがむしろ薄まり、オーバーシュート気味になりがちなパルシヴな響きも、アコースティックな楽器の複雑なニュアンスの変化を短調にせず、タッチの違いや音色の変化、演奏上の技巧的な解釈のディテールをたぶん、これ以上細分化できないレベルまで掘り下げて克明に提示する。
 エンヤでの雷鳴のリアリティは思わず首をすめたくなるほどだし、録音そのものの凝り具合やエンジニアの意図、あるいは完璧主義者といわれているエンヤ自身の音に対するこだわりが手にとるように見えてくる。
 音場の奥行き、音像のイメージングのよさに彼女が意図したいわば音像の浮遊感のようなものが実体感を失わずに再生される。これはもう文句のつけようがない空間描写力である。
 ふと気がついたことだが、シングルアンプでは気になっていた4344のやや箱鳴り的な付帯音がなぜかピタリとな 鳴り止んで、なんだかとても静かな鳴り方になっていたのだ。スピーカーそのもののS/Nがぐんと良くなったように聴こえる。これにより、エンクロージュアの響きがとても綺麗になったように聴こえ、音楽の再現力もいっそう優れたものになったのだ。
 どうしてだろう? 一つには電気的にウーファーのクロスオーバーポイントが320Hzから290Hzに下がり、遮断特性が12dB/octから18dB/octになっているということが効いているのだろう。
 しかし、No.20・5Lがネットワークを介さず、38cmウーファー2235Hをダイレクトにドライブしていることのメリットのほうが大きいのかもしれない。No.20・5Lはただでさえドライブ能力の高いアンプなのに、高域ユニットからの逆起電力も受けず完璧にウーファーそのものを制御している、そんな印象だ。
 コーン紙はピストンモーションを正確に行なうことで、不要な動きが抑制され、そのおかげでフレームからバッフル、バッフルからエンクロージュア全体と拡散していく複雑な共振を発生させないことにも繋がっていると思う。

マークレビンソン No.25L + PLS-226L

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「スーパーアナログコンポーネントの魅力をさぐる フォノイコライザーアンプ12機種の徹底試聴テスト」より

 C280Lのラインアンプと響きの内面性において確執する部分があるように聴けた。物理的には申し分のない情報量、解像力をもち、音場の広がりはプリアンプの限界内を完全に埋めつくしている。SMEのような粗削りな彫刻的な感じはないが、音像の輪郭は繊細でディティールの表現は緻密な精度感がある。きわだった音色感がないため、リファレンスプリの性格を反映する鏡のような面が顔を出す点が興味深い。ここまでくるともうラインアンプ、パワーアンプのテストをしている錯覚に陥る始末だ。JBL4344もモニター調の鳴り方となり、ソースの個性、録音の質的要素を遠慮なく剥き出しにしようとする。それだけに、隠れていた良さも確実に拾い出ししてくれはするのだろうが、その可能性を活かすには、入力系を含め組合せのバランスを確保することが前提となろう。じっくり追い込んで使うべき存在だ。

マークレビンソン No.25L + PLS-226L

早瀬文雄

ステレオサウンド 90号(1989年3月発行)
「スーパーアナログコンポーネントの魅力をさぐる フォノイコライザーアンプ12機種の徹底試聴テスト」より

 コントロールアンプ、No.26Lのツインモノ構成のイコライザーを独立させ、単体化したもの。電源はNo.26L用電源PLS226Lを共有するが、一般のコントロールアンプとの併用ではPLS226L(28万円)を用意する必要がある。フォノ付No.26Lのフォノカードを外してNo.25Lのフォノカードなしのモデルに移植して使用することも可。フォノカードはゲイン58dB/64dB切替え可能なMC用と、38dB/44dB切替えのMM用がある。

マークレビンソン No.20L

井上卓也

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

特集・「最新パワーアンプはスピーカーの魅力をどう抽きだしたか 推奨パワーアンプ39×代表スピーカー16 80通りのサウンドリポート」より

(ダイヤトーン DS5000での試聴)
 引き締まった質感に優れた低域ベースのキリッとしたフラットなレスポンスの音を聴かせるアンプだ。プログラムソースの暗騒音の分布から、中域にキャラクターがあるのが判かるが、音を引き締める要素となっており、これがマーク・レヴィンソンの魅力だろう。音場感はナチュラルに拡がり、音像は小さく、輪郭クッキリと立ち、感覚的な見通しはよい。プログラムソースとの対応は、全体に、僅かではあるが小さく凝集して聴かせる。

マークレビンソン No.20L

菅野沖彦

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

 柔軟な質感をよく再現し、木目の細かい粒立ちや、滑らかなニュアンスは魅力的である。ただ、明るく抜けきった屈託のない音とは違って、どこか、生ぬるい感触が個人的には違和感として感じられる。カンタータでのヴォーカルのドゥエットはソフトな質感だが、やや鮮烈さが不足し、瑞々しさとリアリティに不満が残った。耳障りな刺激性は皆無といってよいが、肌合いが私には合わないのだろう。ベースの音色やピアノのリアリティは見事で、アナリティカルに聴くと大変優れているが。

音質:9.2
価格を考慮した魅力度:8.8

マークレビンソン No.20L

井上卓也

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)

特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

 ナチュラルに伸びた帯域バランスと、シャープに、クッキリと音に輪郭をつけて聴かせる鋭角的なイメージの音である。低域はやや硬質だが、質感に優れ、引き締まった音が特徴である。ただし、伸びやかさはミニマムであり、中低域の豊かさも不足気味だ。中域は、コリッとした独特の質感があり、これが聴かせどころになってはいるが、聴感上でのSN比が一段と向上すれば、よりナチュラルになり、彫りの深い見事な中域になるだろう。総合的に立派な製品だが、限りなき前進を望む。

音質:9.3
価格を考慮した魅力度:9.0

マークレビンソン ML-7L

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 このプリアンプの音の品位はきわめて高い。品位が高いというのは、物理特性によるところが大きい。パーツやコンストラクションを含めて、音の実体に則した特性の洗練が生んだ結果だろう。測定データ上の物理特性の次元では、今や、品位が高いという表現が使える音になるとは限らない。この透明度の高い空間再現性、滑らかでソリッドな実在感豊かな音の多彩な再現能力は、現在の高級プリアンプの中でも傑出していると思う。
[AD試聴]マーラーの第6交響曲を聴いて、定位、奥行きの再現などが、ちょっと、他のアンプとちがうことを感じさせられた。個性としては、やや粘りっこい女性的な色合いと質感の中間ぐらいの感触が感じられて気になるが。JBLだと、より実在感が高く、眼前に屹立するようで、いわゆるソリッドな音、マッシヴな音という表現をしたくなる。B&Wでも、このスピーカーのスケールが一廻り大きくなったような音像の立体感と実在感が聴ける。
[CD試聴]CDを聴いても、ADの項で述べたような、並のアンプとは一桁ちがう品位の高い音という印象は変らない。好き嫌いは別として脱帽せざるを得ないものだと思う。質感は表面は骨らかで、しなやかで、中味はかなりつまっている感じである。ショルティのワグナーの鮮かなオーケストラには圧倒される。ベイシーのピアノの輝かしい音色、ミュート・トランペットの複雑な音色の妙と冴え、リズムの抑揚が生き生きと弾んでスイングする。

マークレビンソン ML-7L + ML-2L

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 この組合せで聴くマーラーのシンフォニーのヴァイオリン群のしなやかで、滑らかで、それでいて、しっかりした芯のある音は類がない。木管のやさしい響きも見事なものである。パワーが25Wとは信じられない堂々たる力感で鳴り響く。もちろん大パワーアンプのような大音量再生は無理だが、90dB以上の能率のSPで、普通の家庭の部屋なら、さしたる不満はないはずだ。ジャズでようやくパワー不足を感じるという程度であった。

マークレビンソン ML-7L + ML-3L

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 ワイドレンジで高域も低域も最高度の満足感が得られる。質感もよく再現し、しなやかで柔軟である。ただ、音として、特にマーラーでは、もう一つ熱っぽさが不足するし、重厚な響きが出るべきではないだろうか。これはもう、個人の美学の領域だ。フィッシャー=ディスカウの声も、もう少し暖か味が欲しいと感じるが、明瞭で透徹な響きにただものではないクォリティの高さを感じざるを得なかった。ジャズも客観的に最高点だ。

マークレビンソン ML-7L + クレル KSA-100

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 この組合せは、どちらのアンプの持味も強調されるといった感じであった。いずれも素晴らしいアンプだから、その結果の音が悪かろうはずはないのだが、一つの音として決っているとはいえない。つまり、KSA100のあの魅力的な高域は、さらに強調され、ML7Lの彫琢の深い厳格な音の陰影も、より隈取りが濃くなるといった印象だ。このように絶妙なバランスとはいえないが、客観的には、実に立派な音としかいえない。

マークレビンソン ML-7L + パイオニア Exclusive M5

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 精緻な音。よく締まったソリッドな音像感、豊かに迫る押し寄せるかの如き力のある音の幕。ディテールの再現も緻密で透徹であった。少々、マーラーには情緒性に乏しい音の世界のように感じられたけれど、立派な音には間違いない。ストラヴィンスキーなどはもっとよいだろうと感じた。ヴォーカルは、透明で淡彩な中に粘りのある不思議な感覚で聴いた。これは男声にも女声にも感じた。これが正確な音色再現かもしれないが……?

クレル PAM-2 + マークレビンソン ML-3L

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 キメの細かさ、滑らかさ、充実したソリッドな質感などでは、クレルKSA100に匹敵する高品位な再生音だと感じた。しかし、どこかに、こちらのほうがひややかな感触があって、マーラーの響きにやや熱さの不足を感じる。僕の受けとっているこのレコードの個性とは、やや異質なものを感じた。ピアノの低音が少々ダンゴ気味になり、ジャズのベースも、音色的に鈍さがあって、重くなりすぎる嫌いがあった。

カウンターポイント SA-1 + マークレビンソン ML-3L

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 不思議なもので、この組合せでは、パワーアンプの個性で鳴ってくれるようだ。つまり、KSA100のときより、これはML3の音だなと感じる音になる。聴感上のナローレンジ感もそれほど感じられず、むしろ現代的ですっきりした音になる。ヴォーカルを聴いても、特に魅力が生きるとはいえないが、中低域のこもりはML3をクレルのプリと組み合わせたときより少ない。しかし、ML3の能力が十分発揮されているとはいえない。

マークレビンソン ML-12L, ML-11L

マークレビンソンのコントロールアンプML12L、パワーアンプML11Lの広告(輸入元:ハーマンインターナショナル)
(オーディオアクセサリー 27号掲載)

MLAS

マークレビンソン ML-7L + ML-3L

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 ①のレコードではオーケストラのひびきがぐっと押しだされてくる。尋常ならざる迫力というべきである。⑤のレコードにおけるチェロの音は充分にやわらかく、しかもその音に力が感じられる。③のレコードで和音をひくピアノの重い音も見事に示されている。円みのある音の提示で特にすぐれている。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★★★
 いずれのレコードでも音場感的に狭く感じられた。④のレコードでは右のバスの方がきわだつ傾向があった。⑤のレコードにおける三つの楽器の音色の対比も十全であった。①のレコードでのトゥッティではもう少し鮮明であってもいいと思った。②のレコードでは充分な迫力を示した。
JBL・4343Bへの対応度:★★★
 ①のレコードでのバスのひびきはすばらしい。ここにあるのは下品にならない馬力とでもいうべきものである。それでいながら④のレコードでの6人6色の声の色あいのちがいをも鮮明に示したし、⑤のレコードでのフラウト・トラヴェルソの強奏したときと弱奏したときのちがいも完璧に提示した。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

マークレビンソン ML-10L + ML-9L

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新セパレートアンプ44機種の実力」より

ヤマハ・NS1000Mへの対応度:★★★
 直進する音の先端がいくぶん丸くなっているという印象である。アタックの鋭い音での反応ではスレッショルドでのものの方がすぐれている。⑤のレコードでのしなやかな音の提示はこのましいが、音像はいくぶん大きめである。④のレコードでの声の余韻は大変に美しい。
タンノイ・Arden MKIIへの対応度:★
 ①のレコードでは個々の楽器のひびきの性格を鮮明に示すものの、トゥッティで濁りが感じられる。③のレコードではこのスピーカーの弱点をカヴァーしきれていない。ベースの音は大きくふくれてしまっている。⑤のレコードでのフラウト・トラヴェルソの音もモダン・フルートのごとくである。
JBL・4343Bへの対応度:★★
 あたたかいひびきはそれなりに魅力ではあるが、切れこみの鋭いシャープさが求められる。②のレコードではその面でのものたりなさがきわだつ。逆に③のレコードでは三つの楽器のひびきのとけあいが美しく示されている。力感の提示よりしなやかさへの対応にすぐれた組合せというべきか。

試聴レコード
①「マーラー/交響曲第6番」
レーグナー/ベルリン放送管弦楽団[ドイツ・シャルプラッテンET4017-18]
第1楽章を使用
②「ザ・ダイアローグ」
猪俣猛 (ds)、荒川康男(b)[オーディオラボALJ3359]
「ザ・ダイアローグ・ウィズ・ベース」を使用
③ジミー・ロウルズ/オン・ツアー」
ジミー・ロウルズ(P)、ウォルター・パーキンス(ds)、ジョージ・デュビビエ(b)[ポリドール28MJ3116]
A面1曲目「愛さずにはいられぬこの思い」を使用
④「キングズ・シンガーズ/フレンチ・コレクション」
キングズ・シンガーズ[ビクターVIC2164]
A面2曲目使用
⑤「ハイドン/6つの三重奏曲Op.38」
B.クイケン(fl)、S.クイケン(vn)、W.クイケン(vc)[コロムビア-アクサンOX1213]
第1番二長調の第1楽章を使用

マークレビンソン ML-9L, ML-10L

マークレビンソンのコントロールアンプML10L、パワーアンプML9Lの広告(輸入元:RFエンタープライズ)
(スイングジャーナル 1981年9月号掲載)

マークレビンソン