Category Archives: 瀬川冬樹

私のオンキョー観

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・オンキョー」
「私のオンキョー観」より

 真っ先に思い出すのは、ツヤのある黒いエナメル塗装のフレーム。黒地に白抜きで ONKYOと書いた円形のネームプレート。
 例の「オンキョー・ノンプレスコーン・スピーカー」である。
 例の……などと書いても、最近の読者諸兄には殆どご縁がないと思うが、昭和二十年代のはじめからラジオを組み立てていた私たち(というのは、同じこの欄に書いている筈の菅野、井上各氏ら、同じ頃からラジオをいじりはじめた同世代の人たち)には、懐かしいデザインであり、あの時代を思い起こすシンボルのひとつとして、やはり大きな存在だったと思う。
 ……といっても、当時のオンキョーのスピーカーが、私のオーディオ・システムの中にとり入れられたことは一度もない。オンキョーの六吋半や八吋(わざと古い当時の言い方をするのは、この方が何となく実感があるという私の独りよがりだが)は、もっぱら知人や親せきを廻って注文をとっては、小遣いかせぎに組み立てるラジオ(当時流行りの5球、6球のスーパーヘテロダイン式ホームラジオ)や、ときたま依頼のある電蓄に使った。
 サンスイ号のこの欄ですでに書いたことと重複するが、オンキョーの黒塗りのフレームとサンスイの青いカヴァーのトランスは、当時のパーツの類の中では中の上といった格づけだったから、あまり安もののラジオには使うわけにはゆかない。予算のたっぷりあるときにかぎって使ったが、「低音のオンキョー」と定評のあったように、素人にわかりやすい重い低音が好まれた。また、当時のラジオは裏蓋に大きな通風孔のあいたベニヤ板だったから、裏を返せばスピーカーの背面も、真空管や電源トランスやIFTやバリコンや……要するに舞台裏がそっくり眺められ、街のラジオ屋さんがひと目みると、「ははあ、山水のトランスに大阪音響のスピーカーが使ってありますなあ。これはずいぶん良心的に組み立ててあります」ということになる。組立てを依頼する相手が素人だから、ピンからキリまでのパーツのどれを選ぶかでいくらでも誤魔化すことができて、中にはあくどいアルバイトもあったらしく、そういう意味でもオンキョーのスピーカーを使っておくことは、当方の信用にもなって具合がよかった。
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 オンキョーのスピーカーは、そんな次第で何となく高級ラジオ用パーツ、といった印象で私の頭の中にあったが、あれはオーディオフェアの第二回か第三回だったろうか。オンキョーから突如として、15インチの大型ウーファー(W15)と、ホーン・トゥイーター(TW5)が発表された。
 東京駅八重洲口近くの、呉服橋角にあった相互銀行ホールでのデモンストレーションには、W15をゆるくカーヴしたフロントホーンに収めたものがステージに載っていたと記憶しているが、鳴っていた音のほうは、もうおぼろげな印象のかなたに埋もれてしまっている。だがそれよりも、当時のオーディオパーツの中では、ウーファー、トゥイーターとも目立ってスマートな製品だったことが、強く焼きついている。その後のオンキョーのユニットの中でも、最も姿の良いパーツではなかったろうか。
 私同様に〝面喰い〟の山中敬三氏は、それからしばらくあとになってこのW15を購入し、自家用のシステムに使っていた。当時JBLの150-4Cや130Aの素晴らしいデザインにあこがれながらあまりにも高価で手が出ずに、形のよく似たW15を買ったのは、ライカが買えずにニッカやレオタックスであきらめていたカメラマニアの心理に似ているのかもしれない、などというと山中氏を怒らせるだろうか。
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 昭和三十年代の約十年間は、私の記憶の中でオンキョーの名は空白のままだ。ステレオサウンド誌の創刊された昭和41年の秋、「暮しの手帖」が小型卓上ステレオをとりあげたとき、オンキョーの名が突然のようにクローズアップされるまで、その空白は続いた。
 昭和42年になって、オンキョーが久々のハイファイスピーカーE154Aを完成させてオーディオ界に返り咲いたとき、全国を縦断するコンサートキャラバンの企画が持ち上がり、それに随行する解説者として、故岩崎千明氏と私とが名指しを受けた。いまふりかえってみると、ずいぶん珍道中があったが、私はおかげさまで日本じゅう、初めての土地をずいぶん楽しませて頂いた。どこのホールでだったか、アンケートの中に「きょうのアナウンサーは解説がへただ」などというお叱りがあったり、どこか学校の講堂を借りてのコンサートでは、開演中にステージの前で学生が鬼ごっこをはじめたり、ずいぶんふしぎなオーディオコンサートではあった。
 昭和43年に完成したブックシェルフ型のF500は、さすが! と唸る出来ばえだった。とても自然なバランスで、いつまで聴いても気になる音がしない。その後のシステムの中にも、こういう音は残念ながらみあたらない。あのまま残して小さな改良を続けながら生き永らえさせるべきではなかったかと、いまでも思う。
 インテグラ・シリーズのアンプが発売されたのは昭和44年だったろうか。当初の701以下のシリーズのすべて、とても手のかかった仕上げの美しいパネルと、いやみのないデザインは、いまでもその基本を変える必要のない意匠だったのにと思う。パネルのヘアラインに、光線の具合によって、熱帯魚の尻尾のような光芒が浮かぶのは、マランツ7以来、パネルの仕上げに手をかけた数少いアンプとして、こんにちでは珍しい。
 ただ、このアンプの音のほうは、どうにも無機的でおもしろみがなくて、そのことを言ったために設計のチーフの古賀さんからは、長いことうらまれていたらしい。
 その音質も、♯725を境にして、♯755でとてもナイーヴなタッチを聴かせはじめ、722MKIIでひとつの頂点に達した。たしかに音の力づよさ、あるいは切れ味の明快さ、といった面からは、いくぶん弱腰でウェットだという感じのあったものの、音の繊細さ、弦や女性ヴォーカルのでのなよやかな鳴り方は、722/IIでなくては聴けない味わいがあった。
 その後のプリメインアンプでは少々音の傾向を変えはじめて、722IIの味わいはむしろセパレートタイプのP303/M505の方に生かされはじめたと思う。ただ、303、505のデザインの、どことなく鈍い印象が、この意外に音の良いアンプのイメージをかなり損ねているようだ。
 最新型のP307、M507で、オンキョーのアンプはまたひとつ

私のソニー観

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・ソニー」
「私のソニー観」より

 フェアチャイルド──といっても、もうそろそろ話が通じにくくなっているが、モノーラルLPの時代に、世界最高、と折紙のついていたのが、アメリカ・フェアチャイルドのムーヴィングコイル型カートリッジで、昭和30年(1955年)といえば、やがてステレオLPの誕生を迎えるモノフォニック再生のいわば爛熟期で、フェアチャイルドもすでに♯220型から♯225型を経て、モノーラル最後の名作♯230型になっていたかどうか……。古いことなので記憶が正確でないが、ともかくその、モノーラル時代最高のカートリッジと、ブラインドで一対一の聴きくらべをやろうというピックアップなら、相当の自信作であったろうことは想像に難くない。
 フェアチャイルドの♯200シリーズは、コイルの巻芯が磁性体で、発電効率は高いがいわゆる〝純粋〟のムーヴィングコイルではない。この点、ステレオ時代に入ってから名声を確立したオルトフォン・タイプの先鞭をつけた製品と言ってもいいだろう。ピュリストにとっては、鉄芯入りのムーヴィングコイルタイプなど、MCと呼んでさえ欲しくないということになるのだろうが、現実には、モノ時代のフェアチャイルド、そしてステレオ時代に入ってからのオルトフォンとそれを基本にしたこんにちの多くのヴァリエイション、それが四半世紀以上も生き永らえているという事実をみれば、やはり何らかの強力なメリットのあることが伺い知れる。
 このフェアチャイルドをほとんどそっくりイミテーションしたカートリッジが、かつて電音(いまのコロムビアでない三鷹の日本電気音響KK)が、放送局用に開発したPUC3シリーズだったが、そのことをくわしく書いていると本題から外れてしまうので、話をもとに戻していえば、このフェアチャイルドに対して、MI型のピカリング、それにVRタイプのGE、という〝御三家〟が、モノ時代のピックアップの強豪であった頃、アメリカにウェザースという小さなメーカーがあって、高調波変調・検波式のコンデンサー・ピックアップを作っていた。このメーカーの初期の製品のデザインをそっくりイミテーションしたのが昭和高音、のちのスタックスだ。デンオンもスタックスも、とをたどればこうしてイミティションからスタートし、次第に独自の創造を加えて今日に至ったものだが、これは〝戦後〟の日本の産業のすべてのたどった道でもあった。
 この、ウェザース=スタックスの高調波に対して、直流式のコンデンサー・ピックアップに挑んだのが、こんにちのSONY、当時の東京通信工業(東通工)だった。まだエレクトレットの開発以前のことで、電極には高圧をかけなくてはならず、絶縁材料をはじめとして素材の良いものも入手や開発の困難な時代には、相当に勇気の要ることだったはずだ。にもかかわらず、それを一応の製品に仕上げて、関係者を対象に発表したのが、不確かな記憶をたどってみると昭和30年の晩春か初夏の頃で、日本オーディオ協会(JAS)の例会の形で、品川の東通工本社の一室で公開試聴会が催された。そのとき、東通工が選んだのが、フェアチャイルドとのブラインドによる一対比較という、大胆な方法だった、という次第。
 日本のオーディオ界の、まだ黎明期のようやく明けて間もないこととて、中島健造氏(JAS会長)や、当時の東通工社長井深大氏も、おおぜいの会員と肩を並べて試聴に臨んでおられた。が、実のところどう記憶をたどってみても、私には、その夜の音をもはや思い起すことができない。というより、フェアチャイルドとくらべてどういうふうに音が違ったのか、全く記憶がない。ただ、カーテンを下ろした向うに試聴装置があって、赤と緑のランプによって、A、Bのピックアップが切り換わったことが示されて、あとで東通工が緑、フェアチャイルドが赤、と発表されたとき、全員のあいだで、緑よりも赤のほうが視覚的に歪を感じ、あるいは劣性な色であるから、視覚心理上は緑のほうが音が良く感じられるのではないか……などとおもしろい議論がたたかわされたのをおぼえている。そういうことを別にすれば、私個人の場合、その夜の試聴に限ったことでなく、おおぜいの集まる場所で、どんなふうに音を聴かされても、本当のところは良いも悪いも判別がつかない。公開の発表会や試聴会で、あてがいぶちの試聴室や装置や偶然坐った席や、先様まかせのプログラムソースや、人さまのきめた音量レヴェルなどでは、判定をしないことにしているのは、こんにちに至るまで全く変っていない。
 このコンデンサー・ピックアップは、私のオーディオ及び音楽の聴き方に多大な影響を与えてくださった大先輩である今西嶺三郎氏が、自家用に購入されたものを、あとからじっくり聴かせて頂いた。今西氏もすでにフェアチャイルドを愛用しておられたが、それとの比較では、私には、どうしてもフェアチャイルドのほうが聴きごたえがあった。東通工はたしかに歪が少なくトランジェントも良いようだったが、反面、レコードのほこりに弱く、湿度や温度などの環境にもひどく神経質で気まぐれだった。私自身がひどく気まぐれな性分なので、よけいに気まぐれな製品を嫌うという傾向もある。
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 そんなことはどうでもよいが、こんないきさつから、私にとっての東通工──ソニーのイメージは、まずピックアップからはじまった。そのことはさらに後になって、昭和40年当時、TTS3000というベルトドライブのサーボ・ターンテーブルを自家用にしばらく使った体験が、いっそう、ソニー=プレーヤー……という印象を強くさせる。
 ソニーといえば、東通工時代からテープレコーダー(東通工ではテープコーダーという商品名を創作して、これはずいあとまで、いわゆる文化人の類いまでが、「テープコーダー」としゃべったり書いたりしていた)をいち早く開発し、トランジスターポケットラジオや、同じくトランジスター式の超小型TVなどを積極的に開拓していたことは、いまさらいうまでもない。そして、東通工のごく初期のテープコーダーの意匠デザイン(知久篤氏の作品)などは、のちに工業意匠(インダストリアルデザイン)を勉強することになった私に、多くの刺激を与えてくれた。が、私のオーディオ歴の中に、ソニーの製品が入りこんでいたのは、いまも書いたTTS3000と、そして同じときに開発されたアーム(PUA237)だけではなかったか。いくら記憶の糸をたどってみても、これ以外のソニー製品が、私の身辺にあったこと
は、ついぞない。
 それがなぜか、ということを、もはや残り少ないスペースで言うことは、多少の誤解を招くかもしれないが、こんなことではないかと思う。
 ソニーの製品は、昔から一貫して、みごとな合理精神に貫かれている、と私は感じる。かつて直流型のコンデンサー・ピックアップを開発した頃から、その姿勢は同じだ、と思う。ソニー製品には無駄がなく、つねに理詰めで、それ故に潔癖性だ。一方の私という人間は、さっきも書いたように気まぐれで、ずぼらで、怠けて遊ぶことが大好きで、およそ勤勉の精神に欠けている。そういう私からみると、ソニーのオーディオ製品は、あまりにも襟を正していて、遊びやゆとりの心の入りこむ余地が、少なくとも私にはみつけられない。ソニー製品を愛用している人たちまでが、とても近寄り難い真面目人間にみえてしまう。マッキントッシュの豪華・豊麗、そしてアルテックの豪放磊落が私の趣味に合わないのと正反対の意味で、ソニーの折目正しいエリート社員ふうの雰囲気は、結局私のようなずぼらには入り込めない世界なのではないか、といささか拗ねている。

私のテクニクス観

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・テクニクス」
「私のテクニクス観」より

 こんにちのテクニクスの母体になったのが、20センチのダブルコーン・フルレンジスピーカーユニット8PW1だと私は解釈している。そういういきさつはこの本の中に詳しく出ているのだろうから、正確な年代などはそちらにまかせることにして、その8PW1のプレス発表会は、いまならホテルの一室かショールームの展示室でということになるが、そこが昭和20年代後半の当時の感覚なのだろう、なんと大森の料亭の広い座敷でおこなわれた。雑誌関係者を対象の発表会に私が列席していたのは、そのころ「ラジオ技術」の編集部員だったからで、オーディオ担当の先輩T氏のお供をする形で出かけた。まだ駆け出しの若造がそんな高級料亭に連れてゆかれたのは、あとでわかったのだがT氏の謀略で、その夜たぶんオイストラフか誰かの演奏会があって、T氏自身はあいさつがすむと、そうした場所でのふるまいかたもよくわからない青二才を残して、そそくさと逃げ出してしまったという次第。場所柄もわきまえず、よれよれのジャンパーを着込んだ若ものは半ば途方に暮れて、他誌のヴェテラン編集者のあいだに挾って、ただおろおろしているだけだった。実際そんな大広間をみたのは初めてだったので、そこで鳴らされた8PW1の音も良いのか悪いのか見当さえつきかねた。それが日本で作られた広帯域スピーカーの中でも歴史に名を残す、世界に誇れるユニットであることを理解したのは、もっとはるかにあとのことだ。
 8PW1の設計者である阪本楢次氏のグループが開発したユニットの中で、しかし私が最も好きだったのは同軸型2ウェイの8PX1で、これは自分でも好んで聴いたし、友人たちにも勧め、知人に頼まれて組み立てる再生装置にも使って喜ばれた。
 やがてテクニクス1の登場となる。「ステレオサウンド」誌創刊号をとり出してみると、表紙をあけたところのカラー折込みの大きな広告がテクニクスで、そこにはすでにリニアトラッキング・プレーヤーの100Pと、管球式のプリアンプ10A、そしてOTLアンプ20Aが、テクニクス1と共に載っているが、私には右のようないきさつから、テクニクスはスピーカーから始まったという印象がとても強い。その同じ広告の欄外には、すでにスピーカーシステムはテクニクス2から5まで揃っていることが載っている。そのあとまもなくテクニクス6も発売されているが、そのいずれもが、当時の国産としてはかなりの水準のできばえで、中でもテクニクス4が個人的には最も好きなスピーカーだった。
 テクニクス6以降は、なぜか設計陣が変ったため、〝スピーカーの〟テクニクスはその後しばらくパッとしなかった。スピーカーシステムばかりでなく、ユニットの方も、どうも悪い方へ悪い方へと走ってしまうように思えて、私は失望した。一時期、SB500というブックシェルフでちょっと良いスピーカーが出たと思ったが、量産に入ってからの製品はあまり感心できなかった。
「テクニクス6」まででこのネイミングが一時中断されたのは、設計ポリシイが変ったというのが主な理由なのだろうが、しかしラッキーナンバーの〝7(セブン)〟を、SB7000まで使わずにいたということは、テクニクスのイメージのためには幸いしたと私は思う。8PW1や8PX1の「ナショナル」ブランド時代をテクニクスの胎動期とすれば、「テクニクス1」から「テクニクス6」までが第一世代で、その次の設計グループが変った時期を第二世代といえるだろう。私見を加えていえば私にとってテクニクスの第二世代の時期は、いまふりかえてみても失礼ながらずいぶん廻り道をしていたように思えてならない。そして再び、かつて阪本氏の下で5HH17うはじめとして、おもにトゥイーターに名作を残した石井伸一郎氏をリーダーとして、いちはやくリニアフェイズにとりくんで成功させたSB7000以降が、再び栄光の第三世代と考えてよいだろう。「テクニクス7」のラッキーナンバーを、第三世代まで使わずにいたことは、半ば偶然なのだろうが、祝福すべき結果を生んだことになる。
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 いまもふれた石井伸一郎氏には、最初はアンプの設計者として紹介された。テクニクス10Aなどの管球アンプも良かったが、それよりも私の印象に強く残っているのは、最初のトランジスター・プリメインアンプ50Aの音質の良さだ。テクニクス50Aの出現で、私の自家用のアンプにトランジスターをとり入れる気持になった。これ以前の国産のトランジスターアンプは、いわばソリッドステートの開拓期の製品であっただけに、いわゆる〝石くさい〟、硬質で、ローレベルで粗っぽい、まるで金属のブラシで耳もとを撫でられるような不快さがあって、当時の私のように狭いデッドな和室で、スピーカーから2メートルほどの至近距離で聴かざるをえないような環境では、とうてい音楽を楽しませてくれなかった。その点50Aは、さすがに管球アンプでベストを尽くした上で、それに負けない音を目ざした石井グループの快心作だけあって、滑らかで穏やかで自然な音の美しさで満足させてくれた。
 先日、思い出して数年ぶりに50Aをぴっぱり出して鳴らしてみた。ここ数年来、また一段と進歩したトランジスターアンプの優秀な製品を聴き馴染んだ耳に、50Aがどう聴こえるか、とても興味があったからだ。旧い製品はどんどん捨ててしまう私が、愛着を感じて捨てきれずにいる製品が、ほんの一握りだけあって50Aもその中に入っている。
 久々に耳にした50Aの音は、さすがにこんにちの耳にはいささか古めかしく聴こえたが、進歩の早いトランジスターアンプの世界で、10年前のアンプが一応の水準で鳴ったのだから、やはり当時としてはたいへん優れたアンプといえたわけだ。
 まもなく10000シリーズという超弩級のアンプが生まれたが、その試作品を、BBCモニターLS5/1Aに接続して鳴らしたときの驚きは今でも忘れない。持主の私が気づかずにいたLS5/1Aの底に秘めた実力の凄さをはじめて垣間見せてくれて、このアンプが、私のモニタースピーカーに対する考え方を根本的に変える本当のきっかけになったといえなくもない。
     *
 こうしてふりかえってみると、私のオーディオ歴の中にテクニクスというブランドは、抜きがたい深さで根を下ろしているということに今さらのように気がついて驚きを新たにしているような次第だ。
 ところで、松下電器という「家電」メーカーのイメージを逃れるためと、大型企業の中で手づくりの一品制作に近いクラフトマンシップの良さを生かすために生まれた「テクニクス」というブランドも、いまでは少々成長しすぎて、この部門だけでもしかするとかつての松下電器ぐらいの大企業にふくらんでしまったのではないかと思えるほどだが、あまり大きくなりすぎて、かつてテクニクス・ブランドを創設したときのように、もうひとつ新しい手づくりセクションのブランドを作らなくては、などという時代にだけは陥らないよう祈りたい。
 しかしSB10000といいA1やA2といい、ふつうならもっと小さい規模の企業体でしか手がけにくい、おそろしく手の込んだ製品を、常に開発しつづける姿勢をみているかぎり、そんな心配は老婆心にすぎないのだろうと思う。これほど大きな企業体で、こうした超高級品を作れるというのは、おそらくあまり例のないことだと思う。高級品、といういい方は誤解を招きそうなので言葉をかえれば、大きな組織の中では往々にして個人の存在が抹殺されて、その結果が製品に反映して、無味乾燥な、あるいは肌ざわりの冷たい機械的な音になりやすいが、テクニクスの製品には、たしかに大掴みには大企業らしい印象があるにもかかわらず、どこかにほんのわずかとはいえ人間くさい暖かみが残されていると、私には受けとれる。これほどメカニズムに囲まれながら、人間臭さを大切にしたいというのが、オーディオという趣味のおもしろいところだと思うが、そこのところ、大企業でありながら失わないのがテクニクスの良さだと私は考えているし、これからもそうあって欲しいと思っている。

私のラックス観

瀬川冬樹

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・ラックス」
「私のラックス観」より

 ラックスの社歴が50年という。私のオーディオ歴はせいぜいその半分を少し越えたばかりである。
 私がオーディオアンプを作りはじめたころ、ラックスのパーツは日本で一番高級品で通っていた。昭和二十年代半ばごろの日本の電子機器やパーツの性能は、世界的にみてもひどく貧弱なレベルにあった。割れたドブ板のあいだからメッキ工場の流す酸の匂いの洩れてくるような、うらぶれた町工場で作られたという感じが製品そのものにただよっているような、手にとっただけでアンプ作りの意欲を喪失させるような、いかにも安っぽい、メッキでピカピカ光らせていてもその実体は貧しく薄汚れているといったパーツばかりであった。そんなパーツがうそ寒くパラパラとならべられたウインドウの中に、ラックスの♯5432というパワートランスを眺めたときの驚きを、何と形容したらいいだろう。アメリカのアンプにさえ、こんなにきれいでモダーンなトランスは載っていなかった。
 完成品のアンプが売れるというようなマーケットはまだなくて、アンプが欲しければ自作するか作ってもらうか、海外から取り寄せるかしなくてはならなかった時代である。いまの秋葉原ラジオ街の前身、神田須田町を要として一方は神田駅寄りに、もう一方が小川町にかけて、八割以上が露天商で、残りの僅かがテンポをかまていた。その中でも数少ない高級品を扱う店に中島無線というのがあって、そのウインドウで初めて♯5432を見たのだった。よだれを流さんばかりの顔で、額をくっつけてみいっていた。ひどく高価だった。
 イギリス・フェランティのエンジニア、D・T・ウィリアムソンが、雑誌『ワイアレス・ワールド』に発表した広帯域パワーアンプが〝ウィリアムソン・アンプ〟の撫で話題になったころの話で、回路はそっくた真似ができても、パーツの性能、中でも、出力トランスの特性の良いのが入手できなくて、発振だの動作不安定で格闘していた時代に、ラックスはやがて〝Xシリーズ〟の名で素晴らしいアウトプットトランスを世に送った。トランス一個買うのに、当時の中堅サラリーマンの月給一ヵ月分が消えてしまうような高級品だった。これらのトランスと、真空管のソケットやスイッチ類がラックスの主力製品で、そのどれもが、ズバ抜けて高価なかわり性能も仕上げもよかった。昭和二十六〜二十七年以降、私はどれだけのラックス・パーツを使ってアンプを作ったことか。アンプの製作記事を書いては原稿料をかせぎ、その原稿料でまた新しいアンプを作る。それがまた原稿料を生む……。ラックスのトランスを思い起こしてみると、アンプ作りに血道をあげていたあの頃の想い出に耽って、ついペンを休めて時間を費やしてしまう。決してラックスのパーツばかりを使っていたわけではないのに、このメーカーの作るトランスやソケットは、妙に私の性に合ったのか、好んで使ったパーツの中でも印象が鮮明である。
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 昭和三十三年ごろ、つまりレコードがステレオ化した頃を境に、私はインダストリアルデザインを職業とするための勉強を始めたので、アンプを作る時間もなくなってしまったが、ちょうどその頃から、ラックスもまた、有名なSQ5B
きっかけに完成品のアンプを作るようになった。SQ5Bのデザインは、型破りというよりもそれまでの型に全くとらわれない新奇な発想で、しかも♯5423やXシリーズのトランスのデザインとは全く別種の流れに見えた。
 途中の印象を飛ばすと次に記憶に残っているのはSQ38である。本誌第三号(日本で最初の大がかりなアンプ総合テストを実施した)にSQ38DSが登場している。いま再びページを開いてみても当時の印象と変りはなく、写真で見るかぎりはプロポーションも非常に良く、ツマミのレイアウトも当時私が自分なりに人間工学的に整理を考えていた手法に一脈通じる面があってこのデザインには親近感さえ感じたのに、しかし実物をひと目見たとき、まず、その大づくりなこと、レタリングやマーキングの入れ方にいたるまですべてが大らかで、よく言えば天真らんまん。しかしそれにしては少々しまりがたりないのじゃないか、と言いたいような、あっけらかんとした処理にびっくりした。戦前の話は別として♯5423以来の、パーツメーカーとしてのラックスには、とてつもなくセンスの良いデザイナーがいると思っていたのに、SQ5BやSQ38を見ると、デザイナー不在というか、デザインに多少は趣味のあるエンジニア、いわばデザイン面ではしろうとがやった仕事、というふうにしか思えなかった。
 少なくともSQ505以前のラックスのアンプデザインは、素人っぽさが拭いきれず、しかも一機種ごとに全く違った意匠で、ひとつのファミリーとして統一を欠いていた。一機種ごとに暗中模索していた時期なのかもしれない。その一作ごとに生まれる新しい顔を見るたびに、どういうわけか、畜生、オレならこうするのになア、というような、何となく歯がゆい感じをおぼえていた。
 ほかのメーカーのアンプだって、そんなに良いデザインがあったわけではないのに、ラックスにかぎって、一見自分と全く異質のようなデザインを見たときでさえ、おせっかいにも手を出したくなる気持を味わったということは、いまになって考えてみると、このメーカーの根底に流れる体質の中にどこか自分と共通の何か、があるような、一種の親密感があったためではないかという気がする。
     *
 いろいろなメーカーとつ¥きあってみて少しずつわかりかけてきたことだが、このラックスというメーカー、音を聴い

JBL 4350A(組合せ)

瀬川冬樹

「スイングジャーナル」より

 本誌試聴室で鳴ったこの夜の音を、いったいなんと形容したら良いのだろうか。それは、もはや、生々しい、とか、凄味のある、などという範疇を越えた、そう……劇的なひとつの体験とでもしか、いいようのない、怖ろしいような音、だった。
 急いでお断りしておくが、怖ろしい、といっても決して、耳をふさぎたくなるような大きな音がしたわけではない。もちろん、あとでくわしく書くように、マークレビンソンのAクラス・アンプの25Wという出力にしては、信じられないような大きな音量を出すこともできた。しかしその反面、ピアニシモでまさに消え入るほどの小さな音量に絞ったときでさえ、音のあくまでくっきりと、ディテールでも輪郭を失わずにしかも空間の隅々までひろがって溶け合う響きの見事なこと。やはりそれは、繰り返すが劇的な体験、にほかならなかった。
 JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
 初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
 JBLのこの43……ではじまるモニター・スピーカーのうち、4333A、4343のシリーズは、入力端子部の切換えによって低・高2chのマルチ・アンプ(バイ・アンプリファイアー)ドライブができるようになっているが、いうまでもなく4350は、最初からバイ・アンプ・オンリーの設計になっている。だが、この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬は、いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする。菅野沖彦氏は、かってこの中〜高音用にはExclusiveのM−4(旧型)が良いと主張され、実際、彼がM−4で鳴らした4350の中高域は絶妙な音がした。しかし今回は、M−4と同じく純Aクラスの、マークレビンソンML−2Lを使ってみた。問題は低域だが、これは、少し前に、サンスイのショールームで公開実験したときの音に味をしめて、同じML−2Lを2台、ブリッジ接続して使うことにきめた。こうすると、1台のとき25Wの出力がいっきょに100Wに増大する。ことに4350の低音域は4Ωなので、出力はさらに倍の200Wまでとれる。ブリッジ接続したML−2Lは、高音域では持ち前のAクラス特有のおそろしく滑らかな質の良さはやや損なわれる。が、250Hz以下で鳴らす場合の、低域の締りの良いことはちょっと例えようのない素晴らしさだ。ブリッジ接続による十分に余裕ある大出力と、4350をふつうに鳴らした低音を聴き馴れた人にはウソのように思えるおそろしく引き締った、しかし実体感の豊かなというより、もはやナマの楽器の実体感を越えさえする、緻密で質の高い低音は、これ以外のアンプではちょっと考えられない。なおことのついでにつけ加えておくと、ML−2L自体が発表当初にくらべて最近の製品ではまた一段と質感が改良されている。
 低音にくらべて高音の25Wが、あまりにも出力が少なすぎるように思われるかもしれないが、4350の中〜高音域は、すべてきわめて能率の高いユニットで構成されているので、並みのブックシェルフを100Wアンプで鳴らした以上の実力のあることを申し添えておく。実際に、「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」の序曲を耳がしびれるほどのパワーで鳴らしてみたが、アンプもスピーカーも全くビクともせず聴き手を圧倒した。
 ここまでやるのだから、入口以後のすべてをマークレビンソンの最高のシステムでまとめてしまう。ここで特筆したいのは、プリアンプの新型ML−6Lの音の透明感の素晴らしさと質の高さ。完全モノーラル構成で、入力切換とボリュームの二つのツマミだけ。それがしかも独立して、音量調整に2個のツマミを同時にぴったり合わせなくてはならないという操作上では論外といいたいわずらしさだが、それをガマンしても、この音なら仕方ないと思わせるだけのものを持っている。
 もうひとつ、こんなバカげたことは本当のマニアにしかすすめられないが、ヘッドアンプのJC−1ACを、片側を遊ばせてモノーラルで使うというやりかた。結局、2台のヘッドアンプが必要になるのだが、音像のしっかりすること、音の実体感の増すこと、やはりやるだけのことはある。こうなると、今回は試みなかったがエレクトロニック・クロスオーバーLNC−2Lも、本当ならモノーラルで2台使うのがいいだろう。
 プレーヤーはマイクロ精機が新しく発表した糸ドライブ・システムを使う。ある機会に試聴して以来、このターンテーブルとオーディオクラフトのトーンアームの組み合せに、私はもうしびれっ放しのありさまだ。完全に調整したときの音像のクリアーなこと、レコードという枠を一歩踏み越えたドキュメンタルな凄絶さは、こんにちのプレーヤー・システムの頂点といえる。最近になって、これにトリオのターンテーブル・シートを乗せるのがもっと良いことに気づいた。また、もしもオルトフォン系のロー・インピーダンス・カートリッジに限るのなら、アームの出力ケーブルを、サエクのCX5006TYPEBに交換するといっそう良い。この組み合せを聴いて以来いままで愛用してきたEMTのプレーヤーのスイッチを入れる回数が極端に減りはじめた。
 ただし、こういう組み合せになると、パーツを揃えただけではどうしようもない。各コンポーネントの設置の良否、相互関係、そして正しい接続。これだけでも容易ではない。また、パワーアンプだけでも消費電力が常時2.4kW時にのぼるから、AC電源の確保も一般的といえない。そして、これだけの組み合せとなると、ACプラグの差し込みの向き(極性)を変えても音の変るのがはっきりとわかり、全システムを通じて正しい極性に揃えるだけでも相当な時間と狂いのない聴感が要求される。
 これらについて詳細は、RFエンタープライゼスの向井氏、マイクロ精機の長沢氏、オーディオクラフトの花村氏(社長)、山水JBL課の増田氏らが、それぞれ実際上の的確なヒントを与えてくださるだろう。

組合せ価格一覧表
カートリッジ:オルトフォン MC30
¥99.000
トーンアーム:オーディオクラフト AC-4000MC ¥67.000
ターンテーブル:マイクロ RX-5000/RY-5500 ¥430.000
ヘッドアンプ:マーク・レビンソン JC1AC ¥145.000×2
チャンネル・デバイダー:マーク・レビンソン LNC2L ¥630.000
プリアンプ:マーク・レビンソン ML6L ¥980.000
パワーアンプ:マーク・レビンソン ML2L ¥8000.000×6
スピーカー:JBL 4350AWX ¥850.000×2
計¥8.996.000

チューナー セクエラ Model 1 ¥1.480.000
オープン・デッキ マーク・レビンソン ML5 ¥未定
合計¥10.476.000+α

試聴ディスク
「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」
(アルファレコード:A&M AMP-80003〜4)

「ショパン・ノクターン全21曲/クラウディオ・アラウ」
(日本フォノグラム:Phlips X7651〜52) 

「でも、〝インターナショナル〟といっていい音はあると思う」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
特集・「サウンド・オブ・アメリカ 憧れのスーパー・アメリカン・サウンドを聴く」より

 全試聴が終らないうちに不本意ながら入院ということになってしまいまして、聴けないシステムが何機種か出て、最後の総括の部分のみなさんのお話に加われなかったために、お三方のご意見をいちおう読ませていただいたうえで、私個人の感じたことを談話でしゃべらせていただきたいと思います。
 まず、今回のテーマの〈アメリカン・サウンド〉ということについて、二、三、申しあげておきたいんですけれども、私自身がここ数年来、スピーカーの音の分類をするためには、第一に、その音の生れた風土・地理、第二にその音を生んだ時代、あるいは世代、第三に技術的な進歩、という、まあ大きくわけて三つの座標軸でとらえるようにしている。
 そういう意味では、西ドイツや日本のような小さな国がひとつの地域としてとらえられるにしても、アメリカという国はあまりにもひろい。お三方がそれぞれのかたちで指摘しておられるように、アメリカという国を,ごくおおまかに分けたとしても、東海岸があり、西海岸があり、そしてシカゴを中心とした中部といったような三つの地域にわけて考えなくては片手落ちになるわけで、〈アメリカン・サウンド〉と一括して論じることにはやや無理があるんではないかという気がまずいたします。
 次の第二の点として、これは岡先生が発言しておられるように、アメリカのスピーカーの発達の歴史をたどっていきますと、アルテックに代表されるトーキー・サウンドから発生した音と、もうひとつはパナロープを例にあげておられたような家庭用の電気蓄音機から発生した音という、まあごく大ざっぱなわけかたであるにしても、ふたつのちがいがあるこのこと自体も、一括して論じるというわけにはなかなかいきにくい、ひとつの要因ではないか、と思います。
 第三点として、とくに時代、あるいは世代のちがいとなると、これもお三方がそれぞれに指摘しておられるように今回試聴し得たスピーカーのなかでも、アルテックのA4を古いほうとして、新しいほうでは、たとえばインフィニティに代表されるところまで、アルテックの原型から考えれば、半世紀ぐらいも時代がはなれているわけで、その点でもなかなか〈アメリカン・サウンド〉という一言で一括しにくい部分がある、というように私は考えました。
 以上の点を前提としたうえで、しかし、私自身が個人的に考えている〈アメリカン・サウンド〉というイメージ、あるいは〈アメリカン・サウンド〉という言葉を聞いたときに、とっさに思い浮かぶこと、をもうすこし具体的に述べてみます。菅野さんが発言しておられたと思うんですけれども、やはりアメリカのよき時代ですね。たとえば第2次大戦以前の30年代、それも30年代後半から、それと第2次大戦の終った50年代、のふたつの繁栄した、ゆたかであった時代に代表される、そういうものをやはり〈アメリカン・サウンド〉というふうに受けとめてみたい、という気がするわけです。
 それを具体的に言いますと、たとえば、アメリカの自動車でいえばキャディラックのような大型の、大排気量の、車にのったときの乗り心地のよさのような、ぜいたくに根ざした快さ、、快適さ、いかにもお金がかかっているという、そういうところが、まず第一に、第二に、同じようなことですけれども、音のリッチネストいいますか、音がこよなく豊かである。第三にははなやかさ、一種独特のきらめいた、はなやかなサウンド。第四に音の明るさ──どこまでも、くったくなく、朗々と鳴る気持のよさ、だいたい、そんなような音を私個人は、どうしても思い浮かべてしまう。
 そして、それを具体的な音、スピーカーにあてはめてみると、やはり、古い世代のアルテックに代表されるものではないか、という気はいたします。
 もうひとつ私は前期の理由によって、試聴には加われませんでしたけれども、ほかで何度か聴いた音で言えば、エレクトロボイスの音ですね。これも上手に鳴らしたときの音というのは、以上、申しあげたような各要素が、やはり聴きとれるんではないか、という気がします。
 またJBLのパラゴンであっても、そして今は製造中止になってしまったハーツフィールドであっても、やはり、お金を充分にかけた、そこからくる、ゆたかで、明るく、はなやかである、という音をやはり持っていると思うので、そういうのは、やはり〈アメリカン・サウンド〉だろう、とはっきり言ってよろしいかと思います。
 さて、次の問題にうつるまえの簡単な補足をつけ加えておきますと、以上のようなスピーカーは本質的な意味でのワイドレンジではないのではないか。たとえば、いまあげた、ハーツフィールド、パラゴン、パトリシアン、これらは、それぞれの時代では、たしかに、アメリカのスピーカーのなかでのワイドレンジの製品であったにちがいないけれども、しかし、同時代に、これは今回の話題ではないけれども、たとえばイギリスがモニタースピーカーなどで追求していた、ほんとうの意味でのワイドレンジとは、ずいぶん質のちがっている、耳にきこえる感じというのは、いわゆる「ワイドレンジ、ワイドレンジした」音ではなくて、たとえば、プログラムソースのアラなどが耳につきにくいというような音、あるいは、それに関連して、ノイズや歪みを極力おさえて、まろやかに、つまり、さきほどの話によれば、ぜんたくな、快適さといいますか、そういうものをやはり信条としていた、というふうに思います。それが私の考える〈アメリカン・サウンド〉です。
 さて、私がJBLの4345の試聴のところで、やや不用意に〝インターナショナル・サウンド〟という言葉を使ってしまったために、あとで総論の部分を読ませていただきますと、お三方の誤解をややまねいたような気がいたしますので、そのことについて、補足をさせていただきたいと思います。
 たとえば、JBLでも、今しがた例にあげたパラゴンにせよ、それから、それとは、また、まったく方向のちがう4676システム、といったような音になりますと、これは、やはり、私はアメリカならではの音、アメリカ以外の国では決して生れることのないサウンドだと思います。
 そして、私が〝インターナショナル・サウンド〟という言葉を使った、その使いかたがやや不用意だったために、誤解をまねいたようです。この場合、言葉の意味にあまりこだわってもらっては困るわけです。常日頃、私がスピーカーを論じる場合に、一貫して主張し続けてきたことですけれども、世界的な音の流れとして、たとえば10年という時間をさかのぼってみますと、当時はまだ明らかにイギリスの、たとえば、やや線の細い、繊細な音、ドイツのコリッとした音、アメリカの華麗な音、といったようなわけかたが、はっきりできた。それに対して、近年の、ことにそれは技術的な進歩によってスピーカーの特性の解析の技術がたいへんすすんだこと、そして、もうひとつは、プログラムソースを作る側、もっとさかのぼって言えば、音楽を演奏する側、などの感覚的な変化、楽器の変化なども含めて言えることですけれども、音楽的に正しく再生するには、指向特性を含めての、真の意味でのワイドレンジであり、歪あを極力すくなく、トランジェントをよく、そして、位相特性までも含めた平坦な特性、物理的な意味で、理想に近い特性を各国のメーカーとも目指しはじめた。
 目指しはじめたことによって、各国から数多く作り出されるスピーカーのなかで、そうした条件をみたすことに、からくも成功したスピーカーの音というものが、だんだん、ひとつの地域の独特のサウンドではなくて、国際的に、あるいは、みなさんのお話のなかの最後に〝コスモポリタン〟という言葉が出ていましたが、このほうが適当か、という気もいたしますけれども、そうしたように、特定の地域の、あるいは特定のジェネレーションのカラー、特定の技術によるカラーといったものが、だんだんうすめられてきて、音のバランスとか音の鳴りかたが、たいへんよく似てきているということを申しあげたいわけです。それを特に私が、JBLの4345のところで申しあげたのは、今回、試聴に用意されたそれぞれのスピーカー、および今回は種々の理由によって用意できなかったアメリカのスピーカーを全部ふくめたうえで、やっぱりJBLの4345というのは、とびぬけて、物理特性を理想に近づけることに成功した、数少ない例のひとつだということを言いたかったために、〝インターナショナル・サウンド〟などというような、言葉を使ってしまったわけです。
 で、ありながら、菅野さんや、ほかのかたのご指摘にありますように、私が、それだから、JBLが無国籍のスピーカーだと言おうとしているのでは決してなくて、あくまでも、これはJBL製であり、アメリカの西海岸製のスピーカーであり、そのことは、百も承知のうえで、アメリカが作り得た、〝コスモポリタンな〟あるいは〝インターナショナルな〟音、ということを言いたかっただけの話なのです。アメリカのそれ以外のスピーカーというのは、たとえばアルテックのA4に代表される、アメリカの古き良き時代のトーキー・サウンド、あるいは、インフィニティに代表されるようなアメリカの古い伝統を全く断ち切ったところから生れてきた、まったく耳あたらしいサウンドといったようなものが、オーバーに言えば、無数にあるわけです。そういう点で私は、JBLの4345をのぞいたそれぞれのスピーカーというのは、やっぱり、アメリカの国のそれぞれの地域、世代、技術、そしてそれらをふくめた音を求める傾向、といったものが、はっきりと現われていると思う。それか今回試聴に参加して、たいへん興味ぶかく感じたことです。
 多少個人の発言につっかかような言いかたになるんだけど、菅野さんが「あいつは自分の考えている音の世界があって、それを〝インターナショナル・サウンド〟だと思っている、ということは不遜である」と、いうようなたいへん、きつい発言をなさっている。
 まあ、菅野氏とは個人的に仲がいいから、あえて、すこし売られたケンカを買わせていただくけれども、私は決して自分の考えている音が即〝インターナショナル〟だとは思っていません。
 ですから、決して、もちろん私自身の音の世界というものは確固として持っているけれども、それをインターナショナルなどと思うどころか、それはもう、私の鳴らしかた、私の音の世界だというふうにわり切っているわけです。それと、客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音、そういったものを〝インターナショナル〟ないし〝コスモポリタン〟と言っていいのだろうと思うので、傲慢と言われたことについては、私は、とんでもない、と一言抗議させていただきたい、と思います。

「いま、いい音のアンプがほしい」

瀬川冬樹

’81世界の最新セパレートアンプ総テスト(ステレオサウンド特別増刊・1981年夏発行)
「いま、いい音のアンプがほしい」より

 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それを全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を眺望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかすると私個人の特性のひとつであるかもしれない。
 そこに思い当ったとき、記憶は一度に遡って、私の耳には突然、JBL・SA600の初めて鳴ったあの音が聴こえてくる。それまでにも決して短いとはいえなかったオーディオ遍歴の中でも、真の意味で自分の探し求めていた音の方向に、はっきりした針路を発見させてくれた、あの記念すべきアンプの音が──。
 JBLのプリメイン型アンプSA600が発表さたのは、記憶が少し怪しいがたぶん1966年で、それより少し前の1963年には名作SG520(プリアンプ)が発表されていた。パワーアンプは、最初、ゲルマニウムトランジスター、入力トランス結合のSE401として発表されたが、1966年には、PNP、NPNの対称型シリコントランジスターによって、全段直結、±二電源、差動回路付のSE400型が、?JBL・Tサーキット?の名で華々しく登場した。このパワーアンプに、SG520をぐんと簡易化したプリアンプを組合わせて一体(インテグレイテッド)型にしたのがSA600である。この、SE400の回路こそ、こんにちのトランジスターパワーアンプの基礎を築いたと言ってよく、その意味ではまさに時代を先取りしていた。
 私たちを驚かせたのは、むろん回路構成もであったにしても、それにもまさる鳴ってくる音の凄さ、であった。アンプのトランジスター化がまだ始まったばかりの時代で、回路構成も音質もまた安定度の面からも、不完全なトランジスターアンプがはびこっていて、真の音楽愛好家の大半が、アンプのトランジスター化に疑問を抱いていた頃のことだ。それ以前は、アメリカでは最高級の名声を確立していたマランツ、マッキントッシュの両者ともトランジスター化を試みていたにもかかわらず、旧型の管球式の名作をそれぞれに越えることができずにいた時期に、そのマランツ、マッキントッシュの管球式のよさと比較してもなお少しも遜色のないばかりか、おそらくトランジスターでなくては鳴らすことのできない新しい時代を象徴する鮮度の高いみずみずしい、そしてディテールのどこまでも見渡せる解像力の高さでおよそ前例のないフレッシュな音を、JBLのアンプは聴かせ、私はすっかり魅了された。
 この音の鮮度の高さは、全く類がなかった。何度くりかえして聴いたかわからない愛聴盤が、信じ難い新鮮な音で聴こえてくる。一旦この音を聴いてしまったが最後、それ以前に、悪くないと思って聴いていたアンプの大半が、スピーカーの前にスモッグの煙幕でも張っているかのように聴こえてしまう。JBLの音は、それぐらいカラリと晴れ渡る。とうぜんの結果として、それまで見えなかった音のディテールが、隅々まではっきりと見えてくる。こんなに細やかな音が、このレコードに入っていたのか。そして、その音の聴こえてきたことによって、これまで気付かなかった演奏者の細かな配慮を知って、演奏の、さらにはその演奏をとらえた録音の、新たな側面が見えはじめる。こんにちでは、そういう音の聴こえかたはむしろ当り前になっているが、少なくとも1960年代半ばには、これは驚嘆すべきできごとだった。
 ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さを教えてくれたアンプがJBLであれば、スピーカーは私にとってイギリス・グッドマンのアキシオム80だったかもしれない。そして、これは非常に大切なことだがその両者とも、ディテールをここまで繊細に再現しておきながら、全体の構築が確かであった。それだからこそ、細かな音を鳴らしながら音楽全体の姿を歪めるようなことなくまたそれだからこそ、細かな音のどこまでも鮮明に聴こえることが快かったのだと思う。細かな音を鳴らす、というだけのことであれば、これら以外にも、そしてこれら以前にも、さまざまなオーディオ機器はあった。けれど、全景を確かに形造っておいた上で、その中にどこまでも細やかさを求めてゆく、という鳴らし方をするオーディオパーツは、決して多くはない。そして、そういう形でディテールの再現される快さを一旦体験してしまうと、もう後に戻る気持には容易になれないものである。
 8×10(エイトバイテン)のカラー密着印画の実物を見るという機会は、なかなか体験しにくいかもしれないが、8×10とは、プロ写真家の使う8インチ×10インチ(約20×25センチ)という大サイズのフィルムで、大型カメラでそれに映像を直接結ばせたものを、密着で印画にする。キリキリと絞り込んで、隅から隅までキッカリとピントの合った印画を、手にとって眺めてみる。見えるものすべてにピントの合った映像というものが、全く新しい世界として目の前に姿を現わしてくる。それをさらに、ルーペで部分拡大して見る。それはまさに、双眼鏡で眺めた風景に似て、超現実の別世界である。
 写真に集中的に凝っていたころ、さまざまのカメラやレンズの名品を、一度は道楽のつもりで手もとに置いた時期があった。しかし、たとえばタンバールやヘクトールなどの、幻ともいわれる名レンズといえども、いわゆるソフトフォーカスタイプのレンズは、どうにも私の好みには合わないことを、道楽の途中で気づかされた。私は常に、ピントの十分に合った写真が好きなのだった。たとえば長焦点レンズの絞りを開放近くに開いて、立体を撮影すれば、ピントの合った前後はもちろんボケる。仮にそういう写真であればあったで、ともかく、甘い描写は嫌いで、キリリと引締った鋭く切れ込む描写をして欲しい。といって、ピントが鋭ければすべてよいというわけではない。髪の毛を、まるで針金のような質感に写すレンズがある。逆に、ピントの外れた部分を綿帽子のようにもやもやに描写するレンズがある。どちらも私は認めない。髪の毛の質感と、バックにボケて写り込んでいる石垣の質感とが、それぞれにそれらしく感じとれないレンズはダメだ。その上で、極力鋭いピントを結ぶレンズ……。こうなると、使えるタマは非常に限られてしまう。
 そうした好みが、即ち再現された音への好みと全く共通であることは、もう言うまでもなくさらにはそれが、食べものの味の好み、色彩やものの形、そして異性のタイプの好みにまで、ひとりの人間の趣味というものは知らず知らずに映し出される。それだから、アンプを作る人間の好みがそれぞれのアンプの鳴らす音の味わいに微妙に映し出され、アンプを買う側の人間がそれを嗅ぎ分け選び分ける。自分の鳴らしたい音の世界を、どのアンプなら垣間見せてでもくれるだろうか。さまざまのアンプを聴き分け、選ぶ楽しさは、まさにその一点にある。
 どこまでも細かく切れ込んでゆく解像力の高さ、いわばピントの鋭さ。澄み切った秋空のような一点の曇りもない透明感。そして、一音一音をゆるがせにしない厳格さ。それでありながら、おとのひと粒ひと粒が、生き生きと躍動するような,血の通った生命感……。そうした音が、かつてのJBLの持っていた魅力であり、個性でもあった。一聴すると細い感じの音でありながら、低音の音域は十分に低いところまで──当時の管球の高級機の鳴らす低音よりもさらに1オクターヴも低い音まで鳴らし切るかのように──聴こえる。そのためか、音の支えがいかにも確としてゆるぎがない。細いかと思っていると案外に肉づきがしっかりしている。それは恰も、欧米人の女声が、一見細いようなのに、意外に肉づきが豊かでびっくりさせられるというのに似ている。要するにJBLの音は、欧米人の体格という枠の中で比較的に細い、のである。
 JBLと全く対極のような鳴り方をするのが、マッキントッシュだ。ひと言でいえば豊潤。なにしろ音がたっぷりしている。JBLのような?一見……?ではなく、遠目にもまた実際にも、豊かに豊かに肉のついたリッチマンの印象だ。音の豊かさと、中身がたっぷり詰まった感じの密度の高い充実感。そこから生まれる深みと迫力。そうした音の印象がそのまま形をとったかのようなデザイン……。
 この磨き上げた漆黒のガラスパネルにスイッチが入ると、文字は美しい明るいグリーンに、そしてツマミの周囲の一部に紅色の点(ドット)の指示がまるで夢のように美しく浮び上る。このマッキントッシュ独特のパネルデザインは、同社の現社長ゴードン・ガウが、仕事の帰りに夜行便の飛行機に乗ったとき、窓の下に大都会の夜景の、まっ暗な中に無数の灯の点在し煌めくあの神秘的ともいえる美しい光景からヒントを得た、と後に語っている。
 だが、直接にはデザインのヒントとして役立った大都会の夜景のイメージは、考えてみると、マッキントッシュのアンプの音の世界とも一脈通じると言えはしないだろうか。
 つい先ほども、JBLのアンプの音の説明に、高い所から眺望した風景を例として上げた。JBLのアンプの音を風景にたとえれば、前述のようにそれは、よく晴れ渡り澄み切った秋の空。そしてむろん、ディテールを最もよく見せる光線状態の昼間の風景であろう。
 その意味でマッキントッシュの風景は夜景だと思う。だがこの夜景はすばらしく豊かで、大都会の空からみた光の渦、光の乱舞、光の氾濫……。贅沢な光の量。ディテールがよくみえるかのような感じは実は錯覚で、あくまでもそれは遠景としてみた光の点在の美しさ。言いかえればディテールと共にこまかなアラも夜の闇に塗りつぶされているが故の美しさ。それが管球アンプの名作と謳われたMC275やC22の音だと言ったら、マッキントッシュの愛好家ないしは理解者たちから、お前にはマッキントッシュの音がわかっていないと総攻撃を受けるかもしれない。だが現実には私にはマッキントッシュの音がそう聴こえるので、もっと陰の部分にも光をあてたい、という欲求が私の中に強く湧き起こる。もしも光線を正面からベタにあてたら、明るいだけのアラだらけの、全くままらない映像しか得られないが、光の角度を微妙に選んだとき、ものはそのディテールをいっそう立体的にきわ立たせる。対象が最も美しく立体的な奥行きをともなってしかもディテールまで浮び上ったときが、私に最上の満足を与える。その意味で私にはマッキントッシュの音がなじめないのかもしれないし、逆にみれば、マッキントッシュの音に共感をおぼえる人にとっては、それがJBLのように細かく聴こえないところが、好感をもって受け入れられるのだろうと思う。さきにもふれた愛好家ひとりひとりの、理想とする音の世界観の相違がそうした部分にそれぞれあらわれる。
 JBLとマッキントッシュを、互いに対立する両方の極とすれば、その中間に位置するのがマランツだ。マランツの作るアンプは、常に、どちらに片寄ることなく、いわば?黄金の中庸精神?で一貫していた。だが、そのほんとうの意味が私に理解できたのは、もっとずっとあとになってのことだった。アンプの自作をやめて、最初に身銭をはたいて購入したのが、マランツ♯7だった。自作のアンプにくらべてあまりにも良い音がして序ッ区を受けた話はもう何度も書いてしまったが、そのときには、まだ、マランツというアンプの中庸の性格など、聴きとれる筈がない。アンプの音の性格というものは、常に「それ以外の、そしてそれと同格でありながら傾向を異にする」音、を聴いたときに、はじめて、理解できるものだ。一台のアンプの音だけ聴いて、そのアンプの音の傾向あるいは音色が、わかる、などということは、決してありえない。それは当然なので、アンプの音を聴くには、そのアンプにスピーカーを接続し、何らかのプログラムソースを入れてやって、そこで音がきこえる。そうして鳴ってきた音が、果して、どこまでそのアンプ自体の音、なのか、もしかしたら、それはスピーカーの音色なのか、あるいはまた、カートリッジやアームやターンテーブルや、それらを包括したプレーヤーシステムの音色、なのか、それともプログラムソース側で作られた音色なのか、さらにまた、微妙な部分でいえば接続コードその他の何らかの影響であるのかどうか──。そうしたあらゆる要因によるそれぞれに固有の音色をすべて差し引いた上で、これがこのアンプの固有の音色だ、このアンプの個性だ、と言い切るには、くりかえしになるが、そのアンプと同格の別のアンプを、少なくとも一台、できれば二〜三台、アンプ以外の他の条件をすべて揃えて聴きくらべてからでなくては、「このアンプの音色は……」などと誰にも言えない筈だ。
 そうした道理で、マッキントッシュの豊潤さ、JBLの明晰さ、を両つ(ふたつ)の極として、その中間にマランツが位置する、と理解できたのは、つまりそういう比較をできる機会にたまたま恵まれたからであった。それが、本誌創刊第三号、昭和42年の初夏のことであった。
 このときすでに、JBLのSG520とSE400の組合せが、私の装置で鳴っていた。スピーカーもJBLで、しかしまだ、こんにちのスタジオモニターシリーズのような完成度の高いスピーカーシステムが作られていなかったし、あこがれていた「ハーツフィールド」は、入手のめどがつかず、「オリムパス」は二〜三気になるところがあって買いたいというほどの決心がつかなかったので、ユニットを買い集めて自作した3ウェイが鳴っていた。そのシステムをドライヴするアンプは、ほんの少し前まで、マランツの♯7プリに、QUADII型のパワーアンプや、その他の国産品、半自作品など、いろいろとりかえてみて、どれも一長一短という気がしていた。というより、その当時の私は、アンプよりもスピーカーシステムにあれこれと浮気しているまっ最中で、アンプにはそれほど重点を置いていなかった。
 昭和41年の暮に本誌第一号が創刊され、そのほんの少しあとに、前記のプリメインSA600を、サンスイの新宿ショールーム(伊勢丹の裏、いまダイナミックオーディオの店になっている)の当時の所長だった伊藤瞭介氏のご厚意で、たぶん一週間足らず、自宅に借りたのだった。そのときの驚きは、本誌第9号にも書いたが、なにしろ、聴き馴れたレコードの世界がオーバーに言えば一変して、いままで聴こえたことのなかったこまかな音のひと粒ひと粒が、くっきりと、確かにしかし繊細に、浮かび上り、しかもそれが、はじめのところにも書いたようにおそろしく鮮度の高い感じで蘇り息づいて、ぐいぐいと引込まれるような感じで私は昂奮の極に投げ込まれた。全く誇張でなしに、三日三晩というもの、仕事を放り出し、寝食も切りつめて、思いつくレコードを片端から聴き耽った。マランツ♯7にはじめて驚かされたときでも、これほど夢中にレコードを聴きはしなかったし、それからあと、すでに十五年を経たこんにちまで、およそあれほど無我の境地でレコードを続けざまに聴かせてくれたオーディオ機器は、ほかに思い浮かばない。今になってそのことに思い当ってみると、いままで気がつかなかったが、どうやら私にとって最大のオーディオ体験は、意外なことに、JBLのSA600ということになるのかもしれない。
 たしかに、永い時間をかけて、じわりと本ものに接した満足感を味わったという実感を与えてくれた製品は、ほかにもっとあるし、本ものという意味では、たとえばJBLのスピーカーは言うに及ばず、BBCのモニタースピーカーや、EMTのプレーヤーシステムなどのほうが、本格派であるだろう。そして、SA600に遭遇したが、たまたまオーディオに火がついたまっ最中であったために、印象が強かったのかもしれないが、少なくとも、そのときまでスピーカー第一義で来た私のオーディオ体験の中で、アンプにもまたここまでスピーカーに働きかける力のあることを驚きと共に教えてくれたのが、SA600であったということになる。
 結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
 ……という具合にJBLのアンプについて書きはじめるとキリがないので、この辺で話をもとに戻すとそうした背景があった上で本誌第三号の、内外のアンプ65機種の総試聴特集に参加したわけで、こまかな部分は省略するが結果として、JBLのアンプを選んだことが私にとって最も正解であったことが確認できて大いに満足した。
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ思ったものだ。
 だが結局は、アルテックの604Eが私の家に永く住みつかなかったために、マッキントッシュもまた、私の装置には無縁のままでこんにちに至っているわけだが、たとえたった一度でも忘れ難い音を聴いた印象は強い。
 そうした体験にくらべると、最初に手にしたにもかかわらず、マランツのアンプの音は、私の記憶の中で、具体的なレコードや曲名と、何ひとつ結びついた形で浮かんでこないのは、いったいどういうわけなのだろうか。確かに、その「音」にびっくりした。そして、ずいぶん長い期間、手もとに置いて鳴らしていた。それなのに、JBLの音、マッキントッシュの音、というような形では、マランツの音というものを説明しにくいのである。なぜなのだろう。
 JBLにせよマッキントッシュにせよ、明らかに「こう……」と説明できる個性、悪くいえばクセを持っている。マランツには、そういう明らかなクセがない。だから、こういう音、という説明がしにくいのだろうか。
 それはたしかにある。だが、それだけではなさそうだ。
 もしかすると私という人間は、この、「中庸」というのがニガ手なのだろうか。そうかもしれないが、しかし、音のバランス、再生される音の低・中・高音のバランスのよしあしは、とても気になる。その意味でなら、JBLよりもマッキントッシュよりも、マランツは最も音のバランスがいい。それなのに、JBLやマッキントッシュのようには、私を惹きつけない。私には、マランツの音は、JBLやマッキントッシュほどには、魅力が感じられない。
 そうなのだ。マランツの音は、あまりにもまっとうすぎるのだ。立派すぎるのだ。明らかに片寄った音のクセや弱点を嫌って、正攻法で、キチッと仕上げた音。欠点の少ない音。整いすぎていて、だから何となくとり澄ましたようで、少しよそよそしくて、従ってどことなく冷たくて、とりつきにくい。それが、私の感じるマランツの音だと言えば、マランツの熱烈な支持者からは叱られるかもしれないが、そういう次第で私にはマランツの音が、親身に感じられない。魅力がない。惹きつけられない。たから引きずりこまれない……。
 また、こうも言える。マランツのアンプの音は、常に、その時点その時点での技術の粋をきわめながら、音のバランス、周波数レインジ、ひずみ、S/N比……その他のあらゆる特性を、ベストに整えることを目指しているように私には思える。だが見方を変えれば、その方向には永久に前進あるのみで、終点がない。いや、おそらくマランツ自身は、ひとつの完成を目ざしたにちがいない。そのことは、皮肉にも彼のアンプの「音」ではなく、デザインに実っている。モデル7(セブン)のあの抜きさしならないパネルデザイン。十年間、毎日眺めていたのに、たとえツマミ1個でも、もうこれ以上動かしようのないと思わせるほどまでよく練り上げられたレイアウト。アンプのパネルデザインの古典として、永く残るであろう見事な出来栄えについてはほとんど異論がない筈だ。
 なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
 パネルのデザインの完成度の高さにくらべると、その音は、崩し方が少し足りない。いや、音に関するかぎり、マランツの頭の中には、出来上がったバランスを崩す、などという意識はおよそ入りこむ余地がなかったに違いない。彼はただひたすら、音を整えることに、全力を投入したに違いあるまい。もしも何か欠けた部分があるとすれば、それはただ、その時点での技術の限界だけであった、そういう音の整え方を、マランツはした。
 むろん以上は私の独断だが、バランスはちょっと崩したところにこそ魅力を感じさせるのであれば、マランツの音は立派ではあったが魅力に欠けるという理由はこれで説明がつく。そしてもうひとつ、これこそ最も皮肉な事実だが、その時点での最高の技術を極めた音であれば、とうぜんの結果として、技術が進歩すればそれは必ず古くなる。言いかえれば、より一層進んだ技術をとり入れ、完成を目ざしたアンプに、遠からず追い越される。
 ところが、マッキントッシュのように、ひとつの個性を究め、独特の音色を作り上げた音は、それ自体ひとつの完成であり、他の音が出現してもそれに追い越されるのでなく単にもうひとつ別の個性が出現したというに止まる。良い悪いではなく、それぞれが別個の個性として、互いに魅力を競い合うだけのことだ。その意味では、JBLのかつての音は、いくぶんきわどいところに位置づけられる。それはひとつの見事な個性の完成でありながら、しかし、トランジスターの(当時の)最新の技術をとり入れていただけに、こんにち聴くと、たとえば歪が少し耳についたり、S/N比がよくなかったり、などの多少の弱点が目につくからだ。もっとも、それらの点でいえばマッキントッシュとて例外とはなりえないので、やはりJBLのアンプの音は、いま聴き直してみても類のないひとつの魅力を保ち続けていると、私には思える。あるいは惚れた人間のひいき目かもしれないが。
 マランツ、マッキントッシュ、JBLのあと、アメリカには、聴くべきアンプが見当らない時期が長く続いた。前二社はトランジスター化に転身をはかり、それぞれに一応の成果をみたし、マッキントッシュのMC2105などかなりの出来栄えではあったにしても、私自身は、JBLで満足していた。アメリカ・クラウン(日本でのブランドはアムクロン)のDC300が、DCアンプという回路と、150ワット×2という当時としては驚異的なハイパワーで私たちを驚かせたのも、もうずいぶん古い話になってしまったほどで、アメリカでは永いあいだ、良いアンプが生れなかった。その理由はいまさらいうまでもないが、ソ連との宇宙開発競争でケタ外れの金をつぎ込んだところへ、ヴェトナム戦争の泥沼化で、アメリカは平和産業どころではなかったのだ。
 こうして、1970年代に入ると、日本のアンプメーカーが次第に力をつけ始め、プリメインアンプではその時代時代に、いくつかの名作を生んだ。そうした積み重ねがいわばダイビングボードになって、たとえばパイオニア・エクスクルーシヴM4(ピュアAクラス・パワーアンプ)や、ヤマハBI(タテ型FET仕様のBクラス・パワーアンプ)などの話題作が誕生しはじめた。ことにヤマハは、古くモノーラル初期に高級オーディオ機器に手を染めて以後、長らく鳴りをひそめていた同社が、おそらく一拠に名誉挽回を計ったのだろう全力投球の力作で、発売後しばらくは高い評価を得たが、反面、ちょうどこの時期に国内の各社は力をつけていたために、かえってこれが引き金となったのか、これ以後、続々とセパレートタイプの高級アンプが世に問われる形になった。ただしもう少し正確を期した言い方をするなら、パイオニアやヤマハよりずっと早い時期に作られたテクニクスの10000番のプリとメインこそ、国産の高級セパレートアンプの皮切りであると思う。そしてこのアンプは当時としては、音も仕上げも非常に優れた出来栄えだった。しかし価格のほうも相当なもので、それであまり広く普及しなかったのだろう。
 パイオニアM4はAクラスだから別として、テクニクスもヤマハも、ともに100ワット×2の出力で、これは1970年代半ば頃としては、最高のハイパワーであった。
 テクニクスもパイオニアもヤマハも、それぞれにプリアンプを用意していたが、そのいずれも、パワーアンプにもう一歩及ばなかった。というより、全世界的にみて、マランツ♯7、マッキントッシュC22、そしてJBL・SG520という三大名作プリアンプのあと、これらを凌ぐプリアンプは、まるでプッツリと糸が切れたように生れてこなかった。数だけはいくつも作られたにしても、見た目の風格ひとつとっても、これら三者の見事な出来栄えの、およそ足もとにも及ばなかった。あるいはそれは私自身の性向をふまえての見方であるのかもしれない。自分で最初に購入したのが、くり返すようにマランツ♯7と、パワーアンプはQUADIIで我慢したように、はじめからプリアンプ指向だった。JBLも、ふりかえってみるとプリアンプ重視の作り方が気に入ったのかもしれない。そう思ってみると、私をしびれさせたマッキントッシュのMC275は、たいしたパワーアンプだということになるのかもしれない。マッキントッシュのプリアンプは、どの時期の製品をとっても、必ずしも私の好みに十分に応えたわけではなかったのだから。
 それにしてもプリアンプの良いのが出ないねと、友人たちと話し合ったりしていたところに登場したのが、マーク・レヴィンソンだった。
 最初の一台のサンプル(LNP2)は、本誌の編集部で初めて目にした。その外観や出来栄えは、マランツやJBLを使い馴れた私には、殆どアピールしなかった。たまたま居合わせた山中敬三氏が、新製品紹介での試聴を終えた直後で、彼はこのLNP2を「プロ用まがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない……」と酷評していた。キャノンプラグとRCAプラグを併べてとりつけたどっちつかずの作り方が、おそらく山中氏の気に入らなかったのだろうし、私もそれには同感だった。
 ところで音はどうなんだ? という私の問いに、山中氏はまるで気のない様子で、近ごろ流行りのトランジスターの無機的な音さ、と、一言のもとにしりぞけた。それを私は信用して、それ以上、この高価なプリアンプに興味を持つことをやめにした。
 あとで考えると、大きなチャンスを逃したことになった。この第一号機は、いまのRFエンタープライゼスではなく、シュリロ貿易が試みに輸入したもので、結局このサンプルの評価が芳しくなく、もて余していたのを、岡俊雄氏が聴いて気に入られ、引きとられた。つまり、LNP2を日本で最初に個人で購入されたのは、岡俊雄氏ということになる。
 しばらくして、輸入元がRFに代わり、同社から、一度聴いてみないかと連絡のあったときも、最初私は全く気乗りしなかった。家に借りて、接続を終えて音が鳴った瞬間に、びっくりした。何ていい音だ。久しぶりに味わう満足感だった。早く聴かなかったことを後悔した。それからレヴィンソンとのつきあいが始まった。1974年のことだった。
 レヴィンソンがLNP2を発表したのは1973年で、JBLのSG520からちょうど十年の歳月が流れている。そして、彼がピュアAクラスのML2Lを完成するのは、もっとずっとあとのことだから、彼もまた偶然に、プリアンプ型の設計者ということがいえ、そこのところでおそらく私も共感できたのだろうと思う。
 LNP2で、新しいトランジスターの時代がひとつの完成をみたことを直観した。SG520にくらべて、はるかに歪が少なく、S/N比が格段によく、音が滑らかだった。無機的などではない。音がちゃんと生きていた。
 ただ、SG520の持っている独特の色気のようなものがなかった。その意味では、音の作り方はマランツに近い──というより、JBLとマランツの中間ぐらいのところで、それをぐんと新しくしたらレヴィンソンの音になる、そんな印象だった。
 そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。その彼は若く、当時はとても純粋だった(近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが)。レヴィンソンが、初めて来日した折に彼に会ったM氏という精神科の医師が、このままで行くと彼は発狂しかねない人間だ、と私に語ったことが印象に残っている。たしかにその当時のレヴィンソンは、音に狂い、アンプ作りに狂い、そうした狂気に近い鋭敏な感覚のみが嗅ぎ分け、聴き分け、そして仕上げたという感じが、LNP2からも聴きとれた。そういう感じがまた私には魅力として聴こえたのにちがいない。
 そうであっても、若い鋭敏な聴感の作り出す音には、人生の深みや豊かさがもう一歩欠けている。その後のレヴィンソンのアンプの足跡を聴けばわかることだが、彼は結局発狂せずに、むしろ歳を重ねてやや練達の経営者の才能をあらわしはじめたようで、その意味でレヴィンソンのアンプの音には、狂気すれすれのきわどい音が影をひそめ、代って、ML7Lに代表されるような、欠落感のない、いわば物理特性完璧型の音に近づきはじめた。かつてのマランツの音を今日的に再現しはじめたのがレヴィンソンの意図の一端であってみれば、それは当然の帰結なのかもしれないが、しかし一方、私のように、どこか一歩踏み外しかけた微妙なバランスポイントに魅力を感じとるタイプの人間にとってみれば、全き完成に近づくことは、聴き手として安心できる反面、ゾクゾク、ワクワクするような魅力の薄れることが、何となくものたりない。いや、ゾクゾク、ワクワクは、録音の側の、ひいては音楽の演奏の側の問題で、それを、可及的に忠実に録音・再生できさえすれば、ワクワクは蘇る筈だ──という理屈はたしかにある。そうである筈だ、と自分に言い聞かせてみてもなお、しかし私はアンプに限らず、オーディオ機器の鳴らす音のどこか一ヵ所に、その製品でなくては聴けない魅力ないしは昂奮を、感じとりたいのだ。
 結局のところそれは、前述したように、音の質感やバランスを徹底的に追い込んでおいた上で、どこかほんの一ヵ所、絶妙に踏み外して作ることのできたときにのみ、聴くことのできる魅力、であるのかもしれなず、そうだとしたら、いまのレヴィンソンはむろんのこと、現在の国産アンプメーカーの多くの、徹底的に物理特性を追い込んでゆく作り方を主流とする今後のアンプの音に、それが果して望めるものかどうか──。
 だがあえて言いたい。今のままのアンプの作り方を延長してゆけば、やがて各社のアンプの音は、もっと似てしまう。そうなったときに、あえて、このアンプでなくては、と人に選ばせるためには、アンプの音はいかにあるべきか。そう考えてみると、そこに、音で苦労し人生で苦労したヴェテランの鋭い感覚でのみ作り出すことのできる、ある絶妙の味わいこそ、必要なのではないかと思われる。
 レヴィンソンのいまの音を、もう少し色っぽく艶っぽく、そしてほんのわずか豊かにしたような、そんな音のアンプを、果して今後、いつになったら聴くことができるのだろうか。

トーレンス Reference

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 EMTの927Dstと、偶然のように殆ど同じ価格だが、EMTは、同社のTSDシリーズのカートリッジ専用であるのに対して、こちらは、好みのアームやカートリッジをとりつけられるユニバーサル・ターンテーブルシステム。レコードの音溝を針先でたどるという、メカ的なプリミティヴな方式を守るかぎり、メカニズムに十二分の手を尽したプレーヤーシステムは、それ相応の素晴らしい音質を抽き出してくれるという証明。

EMT 927Dst

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 いまは消えてしまった16インチ(40cm)ディスクを再生するための大型プレーヤーデッキだが、標準の30センチLPをプレイバックしてみても、他に類のない緻密でおそろしく安定感のある音質の良さが注目されて、生き残っている。大型のダイキャストターンテーブルの上にガラス製サブターンテーブルを乗せたのが927Dst。プラスチック製はただの927st。しかし音質面では、ガラス製のDstにこそ、存在価値がある。

マークレビンソン LNP-2L

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 1973年に、レヴィンソンが、テープに録音するためのミニ・ミクシングコンソールのような目的で作ったのがLNP−2で、その後何回も小改良が加えられて、こんにちに至っている。別にML−6ALやML−7Lのような、機能を最小限に抑えて極限まで性能を追求した製品もあるが、大幅なゲイン切換やトーンコントロールその他、レコード観賞に必要な機能を備えたコントロールアンプとして、今日これ以上の音を聴かせる製品は他にない。

JBL D44000 Paragon

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。

JBL 4343B

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 発売後五年あまりを経過し、途中でBタイプ(フェライト磁石)に変更のあったりしたものの、こんにち世界じゅうで聴かれるあらゆる種類の音楽を、音色、音楽的バランス、音量の大小の幅、など含めてただ一本で(完璧ということはありえないながら)再生できるスピーカーは、決して多くはない。すでに#4345が発表されてはいるが、4343のキャビネットの大きさやプロポーションのよさ、あ、改めて認識させられる。

EMT XSD15

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 EMTのカートリッジTSDシリーズは、ほんらい、同社のプレーヤーデッキに組合わされるいわばプレーヤーシステムの系の中のパーツであり、単売のカートリッジだと考えないほうがいいが、それでもTSDの魅力の半面なりを味わいたいという向きのために、オルトフォン/SME型のコネクターに代えたXSDが用意されている。この音の魅力を生かすには、アームやプレーヤーシステムの選び方が相当に制限される。

デンオン DL-303

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 永く続いた103シリーズのあと、最近のカートリッジ設計の主流ともいえるローマス化をはかって企画されたのが303のシリーズで、現在、301、303、305の三機種が揃っているが、DL−301はヤング層の好みをことさら意識しすぎ、DL−305は303の繊細さに何とか力を加えようと力みすぎ、みたいに(私には)思えて、ことさらの音作り意識の加わっていないDL−303が、やはり最良の出来栄えだと思う。国産MCのベストに推す。

デンオン DL-103

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 おそらくオルトフォンのSPUに次いで寿命の長いカートリッジだろうか。永いあいだ1万6千円、その後1万9千円に改訂されたものの、FM放送用として入念に設計され、長期間作り続けられた安定性と信頼性は、その後数多く出現したいわゆる1万9千円MCカートリッジの攻勢を寄せつけない。最新型と比較すれば、音がやや太く重いが、MCとしては出力が大きく扱いやすく、良いアームと組合せれば、この音は立派にひとつの個性だ。

トーレンス TD126MKIIIBC

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 スイス・トーレンス社のターンテーブルは、TD125以来、150、160などすべて、亜鉛ダイキャストの重いターンテーブルをベルトドライブで廻すという方式で一貫している。同社ではS/N比の向上の点でのメリットを強調しているが、DDを聴き馴れた耳でTD126の音を聴くと、同じレコードが、あれ? なんでこんなに音が良いのだろう! と驚かされる。音の良さの理由は私には正確には判らないが、ともかくこれが事実なのだ。

アキュフェーズ T-104

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 ほんらいは、コントロールアンプC−240、パワーアンプP−400とマッチド・ペアでデザインされた製品。三台をタテに積んでもよいが、横一列に並べたときの美しさは独特だ。だがそういう生い立ちを別としても、アナログ感覚を残したディジタル・メモリー・チューニング、リモートコントロール精度の高いメーター類などは信頼性が高い。そしてそのことよりもなおいっそう、最近の同社の製品に共通の美しい滑らかな音質が魅力だ。

マイケルソン&オースチン TVA-1

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 トランジスターの素子も回路技術も格段に向上して、素晴らしい音質のアンプが作られるようになったこんにち、効率の悪い、発熱の大きい、ときとして動作不安定になりやすい管球アンプをあえて採るというからには、音質の面で、こんにちのトランジスターアンプに望めない+アルファを持っていること、が条件になる。TVA−1の音はどちらかといえば女性的で、艶やかさ、色っぽさを特長とする。ふくよかでたっぷりして、ほどよく脂の乗った音。

アキュフェーズ P-300X

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 この社の第一世代の製品ともいえるC−200、P−300、そして小改良型のC−200S、P−300Sのシリーズに関しては、音質の点でいまひとつ賛成できかねたが、C−240、P−400に代表される第二世代以後の製品は、明らかに何かがふっ切れて、このメーカーならではの細心に磨き上げた美しい滑らかな音質がひとつの個性となってきた。P−300Xは、そこにほんの僅か力感が増して、C−200Xと組合わせた音の魅力はなかなかのものだ。

アキュフェーズ E-303

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 プリメインタイプの最高機をねらって、著名ブランドがそれぞれに全力投球している中にあって、発売後すでに3年近くを経過しながら、E303の魅力は少しも衰えていない。特別のメカマニアではなく、音楽を鑑賞する立場から必要な出力や機能を過不足なく備えていて、どの機能も誠実に動作する。ことにクラシックの愛好家なら、その音の磨き上げた美しさ、質の高さ、十分の満足をおぼえるだろう。操作の感触も第一級である。

テクニクス SU-V6

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 電子回路の部品や技術が日進月歩して、ローコストで音の良いアンプが容易に作られる時代になったものの、極限までコストダウンして、しかも性能をどこまで落とさずに作れるか、というテーマに関しては、やはり「挑戦する」という言葉を使いたくなるような難しさがある。SU−V6はそれに成功した近来稀な製品。鳴らし出してから本調子が出るまでにやや時間のかかるのが僅かの難点。そして、外観の野暮なこと。だがそれを補って余りある内容の良さ。

ロジャース PM510

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 LS3/5Aは英国BBC現用の最も小さいモニタースピーカーだが、同じシリーズで最も大きいのがLS5/8。これにはバイアンプドライブのパワーアンプシステム(QUAD製)が附属しているが、それを、普通のLCネットワークに代えて、扱いやすくしたのがPM510。クラシック全般、中でも弦合奏やオペラ等の音や声の音色や音場の自然さ、美しさ、という点で、いまのところ頂点のひとつにあるスピーカーと言ってよい。

ロジャース LS3/5A

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 周知のように英国BBCの開発になるミニモニターだが、同局の認可をとってロジャースとオーディオマスターの2社から、製品が市販されている。大きさからいって、スケール雄大といった音はとても望めない反面、精巧な縮尺模型を眺める驚きに似た緻密な音場再現と、繊細な弦の響きなど、他に類のない魅力だろう。KEF303を、安心して家事のまかせられる堅実女房とすれば、こちらは少し神経質だが魅力的な恋人、か。

JBL 4301B

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 #4350、#4345、#4343等を頂点とするJBLスタジオモニターシリーズの末弟。KEF303同様に20cmウーファーとコーン型トゥイーターの2ウェイ。だが音質は対照的で、ジャズ、フュージョン、ロック等の叩き込んでくるパーカッションの迫力は、小型とはいえやはりJBL。明るい軽快なカリフォルニア・サウンド。ちょっと小粋で魅力的なスピーカーだ。

KEF Model 303

瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より

 20cmウーファーとドーム型トゥイーターの2ウェイ。キャビネットはプラスチック成型を主体とし、外装はストレッチクロスでぐるりと囲んで、徹底的にコストダウンした作り方。レベルコントロールもついていない。が、その分だけ音質はさすが、で、バランスよく、大入力にも耐え、どちらかといえば地味な音色だが音楽を選ばず楽しませる。最近の製品はストレッチクロスの色が6色用意され、好みによって選べる。