早瀬文雄
ステレオサウンド 9号(1990年9月発行)
「マルチアンプシステムに挑戦! JBL 4344をバイアンプドライブする」より
マーク・レビンソン氏自身が主宰するチェロ・ブランドもこのところ意欲的な製品の開発、改良に取り組み、その製品も安定度を高めているようだ。
僕自身、かつてシルバーパネルのML6というプリアンプに接し、彼の作る音の世界にノックアウトされた経験をもっている。その後ML6BLになり、つい最近までその世界に浸りきっていた。やがて、僕の嗜好も変化していくのだが、正確にいえばMLAS(マーク・レビンソン・オーディオ・システムズ)を離れたマーク・レビンソン自身が追及している音は、第三者による改良の手が入って、よりニュートラルな完成度を高めた6BLの響きにはなく、当然のことながら、自分のブランドであるチェロのアンコール1MΩやオーディオ・ スウィートということになる。特に、アンコール1MΩはいかにもプリアンプらしいデザインをもち、機能美だけを前面に押し出しているわけではなく、精度感と瀟洒な佇まいを融合した仕上がりをみせる。
アンコール・パワーアンプはコンパクトに仕上げられ、大袈裟でない知的な感じがする製品である。たとえバイアンプで二台設置したとしても、場所をとらないスペースファクターの良さがあるといえよう。
純正組合せ、パワーアンプ単体での響きはJBL4344自体がもつ、ある種の緊張度というものを微かに緩め、耳当たりを和らげてくれる良さがある。
先鋭な先端思考が影をひそめたおだやかさが前面に出ているのは、マーク・レビンソン自身の人間的な変化や円熟というものが影響しているのかもしれない。製作者の個人の思い入れにささえられた、いわば芸術品的な製品は、多くの技術者が集団で完成させるニュートラルな製品に比べ、はっきりとした個人の考える音の世界というものが厳然と存在する。いや、意識してなくてもそうなってしまうに違いないのだ。それに共感できれば、この製品以外にはないという、使い手と機器がかたく結ばれる結果にもなる。
4344から情緒的な表現力を引き出し、僕の一番敏感な部分をくすぐるような響きにしてくれた。
物理的な情報量、セパレーションがどうの歪み率がどうのといった議論を忘れさせてくれるような解像力や音場の透明感があるのはいうまでもない。このアンプの特質は4344に色彩感の豊かさを付与し、そのグラデーションをいっそう緻密に細分化した。そのせいで、楽器の音色感の変化の複雑さに見事に対応している。
ディテールの繊細感はトップクラス。輪郭線の細さは消える一歩手前といった感じだが、音像はぼけない。これみよがしなエネルギー感、演出としての叩きつけるような音の出方というものはまるっきりない。
バイアンプ化することで、現象面では確かにエネルギー感は増加した。しかし、ここでは4344のエネルギー感を増加させたこと自体が積極的に『改善項目』のトップにはなっていない。
むしろ、チェロ・ブランドの、ひいては、マーク・レビンソン個人の思想がより鮮明になった。あるいは、アンコール1MΩの個性がストレートに増幅され、4344から神経質な気配がなくなった。あるいは4344が非常に上品でつつましい色気のようなものを獲得した、そんな印象なのだ。
つまり、ここで強調したいのは、やはり物理量の改善より、情緒的な響きの純度が上がってより人の心に浸透していく力を増した点である。
なんだか、試聴とかテストとか、そういうことをしているのだということを、うっかり忘れてしまいそうだ。しかし、仕事なのだからあえていえば、バイアンプ化で響きのスピード感、音場の透明感、色彩感のグラデーションや明暗のコントラスト、そういった項目すべてにいっそうのデリカシーがつく。おだやかで淡い光沢感のある艶、そんなものにもいっそうの情緒感が乗り、『あやうさ』といったニュアンスがある種の形而上的な雰囲気は伴ってうっすら漂い始めるのだ。ピノックによるヘンデルの演奏では、そうした個性が音楽の深度そのものをより深くする。演奏されたその場の雰囲気や空間のニュアンスがとても自然で、響きが実によく溶け合う。古楽器の響きがぎらつかず、かといって丸くやわらかくなりすぎもしない。音楽の旋律から喚起される聴き手の内的な変化を妨げたり、あの方向へ引っぱったりしない。
個人的には、もう少し頽廃的な、いわば意識のかげりの部分にしっとりと染み込んでいくような気配とか、音のなりやんだ時の静寂の深度がさらに深まれば最高だ。自分の装置の中の一部として聴いた時に、ある日なんの前ぶれもなく、そういう響きが聴ける、たぶんそういうものなのだ。
エンヤでは彼女の声がもっている妖しい透明感がなんだかたっぷりと、女であることのいろいろな思いが浸透しているように聴けるものの、やや少女的な感じがしなくもない、そんな風に対立的な要素が同時にひっそりと溶けこんでいるのだ。
バイアンプのメリットとして、ディテールの繊細さは確かにここでもはっきりと聴き取れる。でも不思議なもので、たとえばディテールの細密描写的なところは十分にありながら、そのことに聴き手の意識を必要以上に集中させない表現になっている点だ。これは特に強調しておいていいことだろう。アンプの中には、4344を引き締め、とにかく、聴き手の意識をディテールへと集中力を高めることを促すような、そんな鳴り方をするものがある。たしかにそれもスリリングで、緊張感自体が快感になってくるようなことだってなくはない。4344自体、そういう鳴り方がとても得意なのだ。
チェロの組合せでは、逆にいえば、そういう緊迫した響きのスリルというものは望みにくい。だから、そのことを不満に思う人がいてもおかしくない。問題は聴き手が今、何を求めているのか、結局は人の問題なのだ。移り変わる自己と装置をシンクロさせるのは至難だけれど、逆に静止したある瞬間の自分をそこに封印するということもできる。どちらを採るのか、それはその人次第というところなんだろう。
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