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テスト後記

菅野沖彦

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)
特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

●JBL4344での試聴について
 パワーアンプの試聴は特殊な聴き方を必要とする。本誌の試聴室におけるJBL4344の音にはわれわれは慣れている。とはいうものの、その体験はプレーヤー、コントロールアンプ、そしてパワーアンプがそろったトータルの音としてであり、普段は、そこからパワーアンプの音だけを意識して聴く機会は少ない。したがって、この4344がよく鳴るかどうかを単純に聴いたのでは、判断を誤る危険性があると思われる。プレーヤーやプリアンプが情緒性になんらかの形で関与しているわけで、それらを抜きにして聴くパワーアンプの試聴というものには、自ら、こちら側の姿勢にちがいがなければならないだろう。ひらたくいえば、JBL4344で楽しめる音だけを要求して評価することが難しいということになる。無論、音楽表現のあり方が最重要課題ではあるが、それの一歩手前とでもいってよい。パワーアンプの能力を聴く心構えも必要なのである。今回の試聴が、CDプレーヤーをアッテネーターを通してダイレクトにパワーアンプに入れて聴くという形がとられたことも、その現れといえるだろう。
 試聴のポイントとして私が注意した点をあげてみると、スピーカーからの音の精気、高域の質感、低域の量感と質感、全帯域の聴感上のエネルギー感のバランス、個々の楽音の音色の鳴らし分けなどである。スピーカーからの音の精気というのは私流の判断基準であるが、言いかえれば、スピーカーのドライブ能力といえるだろう。ドライブ能力の豊かなパワーアンプは、最大出力に関係なく音が生き生きしていて精気がある。逆に能力的に問題があるものは、かりに最大出力が大きくても、音に精気がなく無理に大出力を引っ張り出すといった一種のストレス感がつきまとつたり、あるいは、鈍重になる。高域の質感はヴァイオリン群によるのが私の方法である。ファンダメンタルとハーモニックスのバランスがとれていれば、弦合奏は滑らかで、しなやかで、しかもリアリティのある芯のしっかりした音になる。逆の場合は、やたらに弦がシルキーになったり、硬質に輝き過ぎたり、ひどいものはぎらついたりする。低域の量感と質感は、グラン・カサやコントラバスを注意する。よく弾み、ひきずらないで、豊かな量を感じさせながら、引き締まって抜けのよいことが大切だ。量が豊かでも鈍かったり、重過ぎるものは好ましくない。特にコントラバスは、アルコ奏法とピチカートではアンプの対応が異なる場合があることにも注意すべきだと思う(ピチカートでよく弾み、切れのよい締まった低音を聴かせても、アルコで柔らかく豊かな響きののらないものは問題である)。全帯域のエネルギー感のバランスはオーケストラのトゥッティでの正三角形的なイメージ・バランスを基準にして聴くようにしている。鋭角的になるのも鈍角的になるのも好ましくない。そして個々の楽音の音色感の鳴らし分けは、それらの要素を満たすこととは別のファクターがあるようだ。声、木管のフルート、クラリネット、オーボエなどの音色の識別、それらと金管との識別、弦合奏ではヴィオラの印象に注意する。
 これらの要素を時として同時に、あるいは個別に聴きとりながら、トータルの音楽表現としての情緒性も加味することを数分の中でおこなう。そのためには都合のよいソースを幾種類か聴くという方法が、私流のやりかたである。
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 個々の製品の特選、推選は編集部からの無理強いであり、私の基本的な考え方は、あるレベル以上のパワーアンプならば、使い方……コントロールアンプとの組合せ、スピーカーとのマッチングで決まり、一概に断定するのは危険だと思っている。世の中に、単独で悪い色は存在しないと私は考えている。いかに組み合わされるか、どこにどう使われるかが色を生かしも殺しもするのではないだろうか。きれいな原色ばかりがよい色であるはずがないし、混合色ばかりがよい色ともいえまい。汚れも美しい場合がある。あまり単純に理解されてほしくない。強いていえば今回の試聴条件の中で、私が気に入った順に、特選を2〜3機種、推選を5〜6機種、価格帯の中から選んで印をつけたまでのことである。その数も編集部からの注文である。
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 こんなわけで、JBL4344は本誌の試聴室のリファレンスとして決まっているし、私も馴染みがあるので、これをつかって試聴したが、CDダイレクトで最高の音が聴けたとは思っていない。物理的にはともかく、情緒的には楽しい音はほとんどなかった。機械丸だしの音(日本のオーディオファイルが好きなようだが……)が多かった。しかし、試聴の方法にしては適していたといえるだろう。一部のオーディオファイルは、オーディオ試聴を趣味としているようで、音楽の楽しみには至っていないように思うのだ。何故、わざわざこんな苦言を呈するかと言えば、この記事によってまたまたCDダイレクトがベストの聴き万として単純に信じ込まれては困るからである。物理的忠実度の進歩と情緒性のバランスこそがオーディオの核心であって、片よって然るべきはずがないと心得るからである。
●スピーカーとの相性テストについて
 試聴スピーカー以外のスピーカーをあとで用意したのは、その辺りの事情をふまえてのことである。
 マッキントッシュXRT18、タンノイGRFメモリー、オンキョーGS1、ダイヤトーンDS10000というそれぞれに全くちがう技術コンセプトと、音の情緒性をもった四組のスピーカーを選んだのも、それらによって、パワーアンプがどう変化するかという意味も含め、ノーマルな鳴らし方をして御参考に供したかったからだ。詳しくは個々のスピーカーの項を読んでいただければ御理解いただけると思うが、いずれの場合も、4344による試聴の時より、はるかに音楽の聴ける鳴り方であったことは明記しておきたい。特に、ジャディスJA80、テクニクスSE−A100、マッキントッシュMC2500などのアンプは、試聴時とは別物といってよい魅力があって、にやりとさせられた。パワーアンプ単体で判断することは難しいし、危険である。しかし、カタログやスペックだけからは全く判断が出来ないので、こうした試聴の意味もある。この辺り、賢明なる読者の総合的判断を期待するものである。
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 試聴を終えて、現在のパワーアンプを俯瞰すると、それぞれが高いレベルのアンプでありながら、依然として個々の音にちがいが大きく、スピーカーほどではないにしても、オーディオコンポーネントとして個性の豊かなものであることを感じさせられた。特にスピーカーとのマッチングの点では、パワーアンプの選択はきわめて重要な意味をもつ。今回の試聴機種の中では、広い価格帯、異なる設計のコンセプトなどの混在が原因で、それを一つの土俵の上で
比較する弊害が現れたものもあると思う。現代パワーアンプを一つの共通項でくくることは難しい。ソリッドステートの大パワーアンプ、真空管式の小さめなパワーのアンプ、あるいは、トータルシステムのコンセプトが異なるところから誕生したパワーアンプなど、いろとりどりのアンプがあった。出来るだけ、それぞれのアンプの生い立ちを理解して試聴し、判断するように努めたつもりだが、公正な結果という自信はない。ある種のスピーカーには、もっともっと魅力を発揮するアンプもあるだろうし、レコード音楽の聴き方のちがいによって、異なる尺度で認識するべきアンプもあるだろう。

テスト後記

井上卓也

ステレオサウンド 79号(1986年6月発行)
特集・「CDプレーヤー・ダイレクト接続で聴く最新パワーアンプ48機種の実力テスト」より

 試聴用にプログラムソースが、アナログディスクのときには、一般的に、音の姿、形にポイントをおき、主に、バランスを重視した評価基準をベースとする聴き方がお
こなわれてきたようだが、プログラムソースが圧倒的に情報量が多く、ワウ・フラッターやクロストークなどの音場感情報を損なう要素がなくなるCDになると、アナログ的な聴き方では通用しなくなるのは当然のことであろう。
 CDが実用化された当初は、デジタル信号を再生するCDプレーヤーは、各機器間に音質や音色の差は生じないといわれたこともあって、2チャンネルステレオの基本であるステレオフォニックな音場感情報を注意した試聴リポートが増加してきた様子である。
 音の婆、形を重視する、音質や音色の変化を聴く試聴方法は、古くは、SPレコードの時代から継承されてきたもので、ステレオLPになってからも、基本的に表現が変わらなかったことが、むしろ、不自然といえる。CDの圧倒的な情報量をもつ音になって、ようやく、ステレオ本来のベーシックな部分に注意されるようになったのは、むしろ皮肉ともいうべき事実である。
●JBL4344での試聴について
 今回のパワーアンプ単体の試聴での採点基準、あるいは試聴ポイントを書けとの編集部の要求であるが、とくにCDをプログラムソースとしたために、試聴のポイントが変わるはずはない。基本は、かつてのテープサウンドで基準としたように、2チャンネルステレオとしての音場感に音像定位をベースとして帯域バランス、音色、表現力、聴感上でのノイズの質と量などをポイントとして、今回もチェックをしている。
 もともと筆者は、音の姿や形を偏重した試聴はあまり行わないが、この最大の原因として、いわゆる、使いこなしの僅かなテクニックやノウハウで、サウンドバランスや音色などは、かなり自由にコントロールできるからである。かつては、スピーカーシステムは使い方が難しいといわれ、セッティング上での変化に注意が払われるのが当然であったが、残念ながら最近では、あまり問題にされていないようである。
 最近のように、プログラムソース側もCDに代表されるように、かつてのアナログ時代のマスターレコーダーに勝る基本特性の高さを持ち、情報量が増加してくると、僅かの使い方の違いでアンプやCDプレーヤーの音質や音色が変化し、場合によれば、この差が試聴機器以上にもなり、誤認の要因にもなりかねず注意が必要だ。
 今回の試聴でも、聴感条件を明確にして特定の要素が混入することを回避してはいるが、試聴室の環境的変化を含め、ある程度の特定のキャラクターが加わらざるを得ないのは、仕方がないことである。
 試聴アンプは、数時間以上、電源スイッチを入れた状態としておき、それにCDプレーヤーからの信号を入れ、負荷抵抗を各アンプに接統してのエージングを一定時間行い、試聴時にはスピーカーから不等間隔の位置に置いたウッドブロック上に置き、独立したACコンセントから電源を取る方法を採用して、条件を等しくしている。
 しかし、信号ケーブル系には当然のこと固有のキャラクターが存在しており、とくにスピーカーケーブルはパワーを伝送するだけに、問題を生じやすい部分だ。今回使ったスピーカーケーブルは、つねにリファレンス的に使っているケーブルではなく、モンスターケーブルが使われたが、JBL4344とのマッチングでは、ちょっと聴きには、中域が柔らかくなり、刺激的になりやすい中高域から高域にかけてスムーズで、しなやかな音になる傾向をもつが、中高域に潜在的に独特のツヤめいたものがあり、バランス的に低域の質感が軟調になり気味で、高域でのディフィニッションも少し損なわれる印象である。キャラクター的にみれば、4343あたりで効果的なイメージで、4344には軟調傾向で、音色が暗く、活気のない音になりやすいタイプである。
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 これ以外に重視したのは、試聴用に使ったCDプレーヤーの入出力での位相問題と、CDディスクそのものの同じく位相関係である。ここでの位相というのは、左右チャンネル間の位相ではなく、アナログディスクでいえば、MCカートリッジで左右チャンネルの±を反対に接続したときや、スピーカーでは同様に、左右チャンネルともに、アンプの+をスピーカー-に、アンプの-をスピーカーの+に接続することに対応すべきもので、音場感情報に直接関係をする部分だ。ちなみに、カートリッジではEMT、シュアー、デッカが反転型(逆位相)であり、スピーカーでは数少なく、JBLがその特異な例といえよう。
 この点では、最新技術の成果であるはずのCDプレーヤーでも、カートリッジと同様に、正相型と反転型が混在し、ディスク側も両者があるため、ともに、+と-があり、結果として両者の組合せで、++、+-、-+、--が考えられ、トータルでは+と-ができるということになる。
 その例として、今回の試聴に使ったソニーCDP553ESD単体と、これにD/AコンバーターDAS703ESを加えると、位相が反転する。ディスクの例では、オーディオ協会のテスト用のCDの第一作が逆相、第二回のものが、正相という不思議なことが、現実として存在するようだ。
 試聴用CDの選択にはこのあたりも含み、事前に試聴をして選択している。
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 次に、パワーアンプ単体試聴と従来のコントロールアンプと組み合わせた試聴との違いについてであるが、原則として、コントロールアンプのキャラクターによるカラーレーションがないため、コントロールアンプとのペアを重視したアンプでは、場合によっては特定のキャラクターが出ることが予想されるが、他機種間、他社モデルとの組合せも当然考えられるセパレート型アンプでは、単体使用と自社コントロールアンプとの組合せ使用で大きな差が出ること自体が問題である。
 パワーアンプ単体使用では、いわゆるバッファーアンプ的に効くコントロールアンプがないために、キャラクターがあればよりダイレクトに音になり、いわゆる音づくりを施したアンプは少しキツイ条件になると思われる。
 コントロールアンプを使わずに試聴となると、何らかの音量調整が必要になる。数種の外付けタイプのフェーダーとD/Aコンバーターの可変出力ボリュウム使用時との比較試聴をして、今回はカウンターポイントSA121stを選んだが、ボリュウムの位置により高域のディフィニッションが変化し、音場感を少しスピーカーの奥に移動させ、低域から中域の質感が軟調になるが、現状では不可避なことである。少なくともベストではないにせよ、試聴室にあるフェーダーの中ではこれしかないといったところである。
 試聴アンプは価格帯により4ブロックに分類してあるが、基本的には価格が安いブロックでは当然パワーも少なく、試聴条件の影響を少し受けたようで、このあたりをクリアーして個々のアンプからいい音が出だしたのは、第2ブロックの終わりあたりからと考えていただきたい。よく、オーディオ質は量に優先しがちと考えられやすいが、現実は、量が優先し、量は質と考えたほうが、むしろ妥当であろう。
●スピーカーとの相性テストについて
 第2段試聴は、4機種のスピーカーを選択して、使いこなしをも含めたアンプの反応を試みようというものだ。スピーカーの選択は、最終的には別項通りの決定となったが、私の場合には、国内製品のブックシェルフ型からフロアー型までを使うことを原則としている。各スピーカー毎に、置き場所、スピーカーのスタンドの調整、スピーカーコードの選択を平均的なレベルでおこない、一般的な使われ方と同等程度にコントロールをしている。
 基本的には、音場感にポイントをおいた使いこなしで、いわゆるエッジの効いたメリハリ型の方向ではなく、SN比が高く、ディスクに録音してある暗騒音がナチュラルに聴こえるタイプのチューンである。
 単体のパワーアンプ試聴での印象は、とにかくバラエティ豊かな音が聴かれ、大変に楽しかったことだ。変化があればそれを選択する楽しさがあることになる。残念なことは、聴感上でのSN比が予想以上に改善されておらず、伸び伸びとした見通しのよいプレゼンスを聴かせる製品が少なかったことである。CDプレーヤー側での聴感上でのSN比の改善と高周波の不要輻射もいずれクリアーされるだろうから、パワーアンプのダイレクト使用は一段と条件がシビアになりそうである。

試聴テストを終えて

菅野沖彦

ステレオサウンド 76号(1985年9月発行)
特集・「CD/AD 104通りの試聴テストで探る最新プリアンプの実力」より

 コントロールアンプ26機種を聴いた。我々は、音の試聴だけで、使い勝手や、作り、デザインなどは評価から全く除外したことになっている。とはいうものの、眼の前に置かれたアンプを見ながら聴いたわけだから、それらが持つ、音以外のイメージが、全く、なんらの影響をもたらしていないとはいいかねる。しかも、ほとんどの製品は、今までに、いろいろな機会に接したことのあるもので、すでに自分の内に総合的なイメージが出来上っているものが多いので、ブラインドテストのような性格ではない。しかし、それがかえって、個々のアンプの音を浮彫りにするにあたってプラスになっていると思うのだ。仮に、ブラインドで、試聴室で聴いた感じだけで判断をすると、限られた条件だけでの結果になるわけで、かえって危険があるだろう。いまさらいうまでもなく、コントロールアンプ単体は、ありとあらゆる条件での組合せで使われるものであり、特定のパワーアンプやスピーカーとの組合せで、そのアンプの音の傾向を断じ切ることは出来ない。この試聴でも、二つのパワーアンプとスピーカーを用意したわけだが、それは、現実の組合せの中でのごく限られた条件にすぎないのである。対照的な二台のパワーアンプとスピーカーを用意することによって、最低限の条件設定としたのである。少々、口はばったいいい方になるが、こうした条件の制約があっても、長い経験と、過去に同製品を聴いた印象の総合での今回の判断は、個々の製品の性格や傾向をかなりの確度をもって把握できたと思っている。極端なことをいえば、今回の試聴で、それまでもっていた印象と全くちがったアンプがあったわけではないので、改めて聴かなくても印象記は書けたといってもよい。私が聴いたことのないアンプについては、よく知っているアンプと同時に聴けたことで、いっそう明確に、その素性を知り得たと思うのである。ただし、表現上、この試聴の実際に即した書き方をしているので、マクロ的な印象記にはなっていない。これが、話者に、あまりにも特定の条件下だけの印象記として受け取られる危険があるようにも感じられ、心配されるのである。読者諸兄の御賢察をお願いする次第である。
 オーディオコンポーネントの中で、スピーカーなどの変換器のように、個体差があるものではないが、コントロールアンプも、こうして26機種も連続的に比較試聴すると、個々の音の違いには驚かされる。何故? こんなに違うのだろうと不思議に思うほどである。そして、単体のコントロールアンプとなると、いずれもが、ただ機能をはたすということ以上の、個性的魅力を価値観の中に入れてこなければならない。同時に、たとえ、音の美しさや魅力が感じられたとしても、特性・機能などのハードウエアーとして問題のあるものは、当然チェックしなければならないとも思う。高価な単体コントロールアンプにもかかわらず、数万円のプリメインアンプのプリ部にも劣るSN比の悪いものなどは、いかに音がよくても問題である。この辺は個人によって考え方が違うと思うが、ノイズレベルが、CDの登場によって大幅に低減した現在、単体コントロールアンプとしてのSN比の条件は、かつてより厳しくあるべきだと思うのである。安定性や信頼性も大事な問題だが、今回は私の判断の条件の中には入れていない。試聴時に正常に動作している以上、音だけの担当という立場で、それらは無視することにした。ノイズは耳に聴こえる音のうちであるから無視するわけにはいかなかった。
 こうして特選と推選を選んだ。
●特選
①ウェスギU・BROS1
②アキュフェーズC280
③マッキントッシュC30
④マーク・レヴィンソンML7L
●推選
①メリディアンMLP
②デンオンPRA2000Z
③マランツSc11
④アキエフエーズC200L
⑤カウンターポイントSA3
⑥サンスイC2301
⑦H&Sエクザクト十エクセレント
 私の個人的嗜好は、強く出していないつもりである。いずれも、現時点での高い水準にあるものばかりであり、いわば、コントロールアンプの頂点に位置するものがほとんどである。しかし、オーディオは、頂点はワンポイントではなく、その頂上には、いろいろな花が咲く。どの花を求めるかがオーディオの楽しみでもあり、意味でもある。裾野に咲く草花も結構だが、単体コントロールアンプを求める人は、いずれも、そこからスタートして、頂上を目指す人達であるはずだ。

相性テストの結果から選ぶコントロールアンプとパワーアンプのベストマッチ例

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 セパレートアンプ、つまり、独立したプリアンプ(コントロールアンプ)とパワーアンプの世界は、コンポーネントの組合せによる音のバリエーションをさらに細分化するものである。プリアンプとパワーアンプが、アンプとしての動作に本質的な違いがあることはいうまでもない。それは、電気的にも機能的にもいえることであって、むしろ、セパレートされていることのほうが自然の形ともいい得るかもしれない。解り易く整理した表現をすれば、プリアンプは、プログラムソース(レコードやテープなど)の変換器(プレーヤーといってもよい)を動作的に完成させるものであり、これに対して、パワーアンプはスピーカーの動作を完成させるものだ。したがって、同じような電子回路をもっているように見えても、この二つのアンプは、ただ、その回路を二分したという意味以上の必然性を持っているといえる。さらに敷衍するならば、プリアンプの設計・製造には、プレーヤーなどのインプット側の変換器の特質の理解が絶対に必要であるのに対し、パワーアンプのそれは、スピーカーの特質への対応性が条件となってくる。プリアンプは受動的要素が強く、パワーアンプは能動的要素が強いといってもよいであろう。こう考えてくると、このプリとパワーを一つにまとめたインテグレーテッドアンプ(プリメイン型)をユニットして考えるより、セパレートアンプとして、これを二分された個々のものとして考えるほうが自然であり、また、その相互のもっている音の個性を組合せによって厳密に選択追求していくことのほうが、より精緻な音質追求の方法として精巧な手段だということになるだろう。裏返していえば、セパレートアンプの世界は、まことに複雑精妙で、厄介で難しく、より高度な知識と熟練、そして時間と経費と努力を、使用者に強要することになるのは当然だ。
 しかし、音楽が複雑精妙なニュアンスに満ちた楽音を、人間の感性、情緒の洗練の極といってよい美学と、細やかな心の襞と肉体の力によって織りつめられた綾であり、聴き手は、表現する側に優るとも劣らぬ豊かな感性と、個々の資質や嗜好によってこれを受け取り、自身を満す喜びを求めるものである以上、そこに介在するメカニズムには寸分の隙をも許さない厳格さで対することは、むしろ当然であろう。だから、一度、この微妙な音色、音質の違いに心眼が開けたら最後、セパレートアンプによる精緻な音質追求こそ、汲めども尽きぬオーディオの楽しさとして感じられることになるだろう。周知のように、カートリッジ、トーンアーム、ターンテーブル、スピーカー、そしてアンプ系と、コンポーネントシステムの相互的な組合せと、その使いこなしの技術と努力によって、ありとあらゆる音の違いが存在するオーディオの世界であるが、セパレートアンプはそこに、さらに選択度と自由度と、高い可能性をもたらすのである。
 そしてもう一つの大きなポイントは、原則的にセパレートアンプは、プリメインアンプの水準を超えたパフォーマンスとクォリティをもったものであるということだ。多くの製品の中には、プリメインアンプに劣るようなセパレートアンプ、あるいは、セパレートアンプに優るプリメインアンプの存在も認められるが、私個人としては、それは正しい姿だと思わない。セパレートやブリメインを、単なるスタイル上の違いとして捉えることには賛成できない。セパレートアンプは、プリメイン型のプリアンプ部とパワーアンプの水準を、常にその時点での技術水準で凌駕しているものでなければ、存在の必然性がないという考え方である。この本質を持たない商業的商品を私は認めたくないのである。この考え方で厳格に判断すると、残念ながら、納得のできるセパレートアンプはそそう多くは存在しない。今回取り上げられたものの中にも、首をひねりたくなるものもなくはない。
 しかし、先述したように、音のバリエーションの選択度、自由度を考慮に入れると、ことは複雑になるわけで、オーディオの客観性と主観性の入り乱れた難しさ、面白さを思いしらさせるのである。例えば、ある種の管球式プリアンプのように、S/N比が決してよいとはいえないような製品は、技術的には全く問題にしたくない。製品の完成度の点では明らかに落第である。今時、プリメインアンプの安物でも、もっとS/N比は優れたものばかりだ。しかし、そのプリアンプのもつ音の魅力を個性的に好むなら、そしてそれがプリメインアンプでは得られない質だと判断するのなら、その存在を頭から否定できないのである。たとえS/N比が現在の水準で決してほめられたものではなくても、音の魅力と天秤にかけて、我慢できる範囲なら、存在の必然性を認めるべきだという気もする。メーカーには徹底的に客観性、つまり技術の正しさと高さを要求しても、これを使い楽しむ側にとっては、主観性、つまり好きか嫌いかという嗜好性が最も重要な条件となるからだ。
 セパレートアンプを使うというくらいのユーザーなら、当然、技術的に水準以上の再生音を要求する人にちがいない。つまり、再生音としてのプログラムソースへの忠実度、正確さを求める人達だろう。しかし、そうした物理的条件を満たしただけでは完成しないところが、オーディオの、レコード音楽の実態である。いやむしろ現実は、自身の好みの音を、より強く求めているようだ。好みの中に、物理的忠実度、正確さをもが含まれているというべきかもしれない。レコード音楽鑑賞という個性的音楽再創造行為として、複雑微妙な音色、音質への個人的要求の、きわめて強い人たちであろうと思う。したがって、セパレートアンプの選択は、知的に性能を判断すると同時に、情緒的に個々の感性で音を聴きとらなければならない。もちろん、これはセパレートアンプに限ったことではないが、他のものの選択より高度な判断力を必要とすると思う。また、すべてのものについていえることだが、機械は優秀な動作さえすればよいというものではないだろう。その優秀な能力にバランスした製品としての魅力が、視覚的にも触覚的にも味わえるものであってほしい。セパレートアンプは、その方式からして高級アンプであり、高級商品である。そして、それを手段として得ようとする音楽の世界は、当然並の水準よりはるかに高いものだろう。高度な音楽的欲求にふさわしい雰囲気を、使う人に感じさせてほしいと思うのは私ばかりではあるまい……。機械の品位は、材質の質的高さと、加工精度、その機械としての必然をもった形態、そして、色彩を含めたデザイン感覚の順で決まると私は考えている。つまり、どんなに洒落た色合いやスタイルでも、材質が安物では全く駄目だ。材質の品位が高ければ、それ自体でも品位が感じられるということだ。アメリカ人は、オーディオ機器についても、よくコスメティックという言葉を使う。いうまでもなく化粧である。どうも、この言葉の使われ方に私は良い印象を受けない。なんとなく、材質の品位や、工作精度といった本質的な意味とは遠い、ごまかし的イメージを受けるからである。日本ではデザインといわれるが、デザインというとむしろ中味の設計を意味するので、外観のフィニッシュはコスメティックといって区別しているのだろう。言葉の使い方の問題ではあるが、コスメティックという言葉から私が受けるようなニュアンス、イメージをもって、機械を仕上げるのを私は好まないのである。少なくとも、セパレートアンプのような高級製品には、あって欲しくない事だ。自動車のボディのように形態が、そのまま、性能や機能に影響を及ぼすものでさえ、千差万別の外観があり、品位の落差がある。本当に高級な車のボディは、例え全体のスタイルを見なくとも、せいぜい、10cm四方の部分だけをとっても、品位が解る。つまり、材質の品位と加工精度が違うのだ。また、このことは、いかなる部分といえども、ごまかしや手抜きがあってはいけないということにも通じる。昔とちがって、今は、車もオーディオも、こうした点では一抹の淋しさを禁じ得ない。
 今回、私が試聴したセパレートアンプは、海外製の7機種のプリアンプに、それぞれ4機種のパワーアンプを組み合わせるというものだった。この組合せは、考え得る組合せの、ごく一部にしか過ぎないが、それでも合計28種類の組合せである。千変万化とはいえないが、おおよその見当はつくかもしれない。7機種のブリアンプが、だいたいどういう傾向のものか、パワーアンプが同メーカーのものである場合、それを規準にして、他のアンプではどう変化するか、組合せとしてどれが最も好ましいか、といったことをさぐってみたわけだ。同メーカーにパワーアンプのないものもあるが、これは異質なパワーアンプの組合せの変化の中から、そのプリアンプ共通の個性をさぐるよう試みたつもりだ。しかし、この程度のことでは、決して明確に素姓を知ることにはならないので、他のパワーアンプとの組合せについては、知識と体験により類推していただく他はない。いわば、きわめて曖昧なテスト方法といわざるを得ないであろう。したがって、むしろ、今回の28種の組合せの試聴という限定の中で、個々の音のリポートとして受け取っていただくほうが無難である。テスト後の心境としては、テスターとして、まことにすっきりしないというのが偽らざるところであるが、今回は諸般の事情により、このような形をとらざるを得なかったようだ。また、この種のセパレートアンプでドライヴするスピーカーは、これまた個性の強い高級スピーカーが多いはずだが、これをJBL4344に限定しておこなったことも批判があるだろう。しかし現実に同じようなテストを数種のスピーカーについてやるとなると、なおさら大変なことになるわけで、一つの記事の中で、やりおおせることではない。したがって、ステレオサウンド本誌、別冊の総合的な企画の中での一つの角度からのリボートとして、このテストを受け取っていただくようにお願いする次第である。
 最後に、御参考まで、今回の28種の組合せの中で、特に好ましかった組合せをあげてみたいと思う。7機種のプリアンプの中で、私が素晴らしいと思ったものは、三つ。マッキントッシュのC33、クレルのPAM2、そしてマーク・レビンソンのML7Lであった。あとは、どこかに良さはあっても、それを相殺してしまう不満があって、総合的に価値を認め難かった。
 3機種のプリアンプは、いずれも同メーカーのパワーアンプとの組合せが規準というに足る良い結果であったが、ここで、他メーカーのアンプとの組合せで好結果の得られた3種をあげておくことにする。
①マッキントッシュC33+サンスイB2301
 テスト時には、やや低域過大であったけれど、この弾力性のある楽音の質感と、豊かなプレゼンスは素晴らしいものだと思う。
②マーク・レビンリンML7L+エクスクルーシヴM5
 この明晰な響き、透徹で精緻な音は魅力であった。難がないわけではないが、これは高く評価したい組合せである。
③クレルPAM2+エクスクルーシヴM5
 これも、同じM5との組合せだが、ML7Lの時より暖かい。そして鮮明である。重厚さではML7Lに歩があるが、これは、それを上廻る爽やかさであった。

試聴テストの結果から私が選んだ特選/推選アンプ

黒田恭一

ステレオサウンド 64号(1982年9月発行)
特集・「スピーカーとの相性テストで探る最新プリメインアンプ11機種セパレートアンプ44機種の実力」より

 いかなるスピーカーに対してもそのスピーカーの最良の面を示せるようなアンプがあれば、そのアンプが理想のアンプということになるのであろうが、理想は現実にならないから理想なのである。こっちをたてればあっちがたたず、あっちをたてればこっちがたたないしいうことがあるので、いわゆる「組合せ」に神経をつかうことになる。
 一般的な考え方ではアンプがスピーカーに歩みよるべきものとされているのではないか。つまりこのスピーカーにはどのアンプがあうのかと考えられることが多いように思う。数あるアンプの中にはしなやかにスピーカーに歩みよるアンプもあれば、わたしが主人公とばかりに自己主張をつづけるアンプもなくはない。どっちがどうとはいいきれないとしても歩みより方の巧いアンプの方がつかいやすいとはいえそうである。
 コンポーネントとはつまるところ、弦楽四重奏とかピアノ三重奏のようなアンサンブルである。個性的であっても一向にかまわないが、あわせもののうまいアンプやスピーカーを歓迎したい気持が、すくなくともぼくにはある。むろんクォリティの面を軽視したわけではないが、このスピーカーでなければ困るというアンプより、三つのスピーカーのいずれに対してもこのましい反応を示したアンプの評価の方が高くなった。
 似たようなことは試聴に用いたレコードに対しての反応についてもいえる。いかにダイナミックな音を特徴とするレコードにこのましく反応しても、しなやかな音を特徴とするレコードの反応にいたらないところがあれば、そのアンプのぼくなりの平均点は低くならざるをえなかった。基本的にはアンプについてだけいえることではなく、スピーカーをはじめとしてのその他の機器についてもいえることではあるが、一種のヴァーサタイル性が求められるということである。オーディオ機器はすべからく音楽の従順な娘であってほしいというのがぼくの考え方である。
 当然のことながらレコードはそれぞれ特徴のあるものを選んだ。責任の所在をあきらかにするために書いておけば、プリメインアンプの試聴でつかった三枚のレコードはぼくが選んだ。セパレートアンプの試聴でつかった五枚のうちのプリメインアンプでもつかった二枚以外の三枚は山中さんが選んだ。いずれのレコードもきかせる音の性格が極端にちがっていた。音楽としての性格もちがうし、音のとり方そのものもそれぞれ大変に個性的なレコードであった。かならずしもこれだけで充分とは思ってはいないが、アンプの可能性をさぐるためのレコードとして充分に変化にとんでいたはずであった。
 この試聴はアンプの魅力をさぐる目的でなされた、つまり「アンプテスト」ではあったが、結果として三種類のスピーカーの可能性をさぐることにもなった。ヤマハのNS1000Mが、その価格からおして、ある程度のところで限界を示すであろうと漠然と考えていたが、どうしてどうして、JBLの4343Bのほぼ6分の1の価格であるにもかかわらず、見事にがんばり通した。あっぱれとしかいいようがなかった。
 これまではこのヤマハのスピーカーに対してことさらこのましい印象は抱いていなかったが、おのれの不覚を恥じないではいられなかった。ヤマハのNS1000Mはすばらしいスピーカーです。むろんそのエンクロージュアの大きさからして、どうしても手にあまる部分があるとしても、さまざまな音楽への歩みより方、つまりヴァーサタイル性において底しれぬ力を内に秘めていることがわかった。一対で216000円のスピーカーを、たとえば2880000円のマーク・レビンソンML7L+ML3でならすというのは、おそらくありえないことなのであろうが、それでもNS1000Mはそこでまたあらたな可能性を示してききてをびっくりさせた。
 編集部の求めに応じて「特選」のアンプと「推選」のアンプをあげた。ぼくなりに自信をもっての「特選」であり「推選」ではあるが、その場合にいわゆる「価格帯」を無視できなかった。アンプとて商品であり、買い手には買い手としての予算もあるのであるから「価格帯」を無視するわけにもいかない。当然のことに価格もアンプ選びの際の重要なファクターである。
 しかしながら、もしぼくが価格のことなど無視できる大金持であったら、いささかのためらいもなくクレルのアンプを買うであろうということを、蛇足とはしりつつ、いいそえておきたいと思う。このクレルのアンプの積極的な「表現力」をそなえながら、しかも押しつけがましくならない提示をほれぼれときいた。もう少し時間をかけてじっくりきいてみたいと思ったのは、このクレルのアンプとエクスクルーシヴのアンプであった。クレルのアンプとエクスクルーシヴのアンプとは理想のアンプのすれすれのところまでいっていると思った。

特選プリメインアンプ
 オーレックス:SB-Λ77C
 ケンウッド:L02A
推選プリメインアンプ
 マランツ:Pm6a

特選セパレートアンプ
 ヤマハ:C50 + B50
 パイオニア:Exclusive C3a + M5
 クレル:PAM2 + KSA100
 スレッショルド:FET two + S/500
推選セパレートアンプ
 エスプリ:TA-E901 + TA-N901
 パイオニア:C-Z1a + M-Z1a
 マークレビンソン:ML10L + ML9L

試聴を終えて

井上卓也

ステレオサウンド 60号(1981年9月発行)
「MCカートリッジ用トランス/ヘッドアンプ総テスト──(下)」より

 前号(No.59)と今号の2回にわたって掲載したMC型カートリッジ用の昇圧トランスとヘッドアンプのテストリポートは、MC型カートリッジが数多く華やかに登場し、プリメインアンプでも出力電圧の低いMC型カートリッジをダイレクトに使用可能になったという現状をふまえて企画された。そこで、MC型カートリッジ専用の昇圧手段である昇圧トランスとヘッドアンプが、どのような性能と魅力をもつのか。また、オプショナルなアクセサリーとして構入してまで使うべきだろうかを探ることを目的として、その概況をリポートすることにした。
 したがって、各昇圧トランスとヘッドアンプは、それぞれの試聴条件が比較的に同一になるように、最低限度の常識ともいえる注意をして実際の試聴にあたっている。
 試聴テストに使用した機器は別表の通りだ。カートリッジは、ローインピーダンス型としてオルトフォンMC20II、他にフィデリティリサーチFR7f、ハイインピーダンス型としてデンオDL305、他にEMT/XSD15を使用し、他にミディアムインピーダンス型のオーディオテクニカやヤマハの製品も使用した。また特定のカートリッジの専用モデルとして開発されたトランス/ヘッドアンプについては、専用カートリッジでの試聴はもちろん、インピーダンス的に問題のない(前号270頁参照)他のカートリッジでも試聴している。
 ターンテーブルはマイクロのエアーベアリング方式のSX8000を使用し、トーンアームを3本取付けた。オルトフォンMC20IIにはオーディオクラフトAC3000MC、デンオンDL305にはデンオンDA401を組合わせ、EMT/XSD15、フィデリティリサーチFR7fなど比較用にはフィデリティリサーチFR66Sを組み合わせたが、タイプによってはAC3000MCでもチェックしている。なお、ヤマハHA2は専用ヘッドシェルの使用が前提条件であるため、DL305はこの場合のみAC3000MCに組み合わせした。
 ヘッドアンプはAC/DCをとわず、試聴別に3時間以上通電してヒートアップをおこない、AC電源を使用するヘッドアンプの物理的なAC極性はすべてチェックしている。一方、昇圧トランスやヘッドアンプの出力をコントロールアンプに送るRCAピンコードは、各メーカーの付属品もしくは指定のタイプを使い、特に指定のない場合には、ステレオサウンド試聴室で常用しているピンコード(長さ50cm)を使った。このピンコードは、数多くの機器間の接続用としてひどい偏りのない、つまり、現状でやや高いレベルで平均的な性能の、特殊構造でない製品である。
 また、電流容量の十分に大きいテーブルタップを使用し、全国どこでも入手可能なやや太い平行線コードをスピーカーケーブルに使用するなど、特別な方法は一切とっていない。
 テストした昇圧トランス/ヘッドアンプと比較し、概略のグレードをチェックする目的で、MCポジションをもつブリメインアンプのビクターA-X5D、テクニクスSU-V7、サンスイAU-D907Fの3機種も用意した。この中でAU-D907Fだけは、このクラスのブリメインアンプに一般的なハイゲインイコライザーではなく、専用ヘッドアンプを内蔵してしいる。
 約60機種の昇圧トランス/ヘッドアンプをテストしての全般的な感想としては、進歩が著しいMC型カートリッジと比べ、昇圧トランス/ヘッドアンプともに、製品開発の目的が明確でない製品や、現状ではすでに旧態化した製品が存在することが第一にあげられる。やはり、昇圧トランス/ヘッドアンプは、コンポーネントシステムとしてはオプショナルな別売アクセサリーであるためか、進歩の激しい他の分野と比べ、やや陽のあたらぬ場所的な印象を受けるのかもしれない。
 それにしても、問題の多い製品が散見されるのは事実だ。今回のテストの対象からは除外したが、AC電源コードがアンプ内部で配線されてなく、バイパススイッチも動作しないといった極めてひどいキット製品があった。また、トランスでも、HIGH/LOWの表示が昇圧比の大小なのか、入力レベルの大小なのか、試用しないと不明の製品が散見された。
 現在の昇圧トランスとヘッドアンプは、価格的にも1万円未満から20万円を超す製品まで、非常に広範囲の価格に分布しているが、価格対性能・音質の比較は、カートリッジと似て、スピーカーシステムやアンプほど明確な差は感じられない。つまり、高価格だから性能・音質が優れるという結果は少なく、特に、5~10万円あたりの価格帯でこの傾向が強い。
 比較用プリメインアンプとの対比で昇圧トランスとヘッドアンプを考えると、昇圧トランスでは約3万円が、トランスとしての魅力を聴かせはじめる境界線であり、1万円程度の製品は、低インピーダンスのMC型用として、主にSN比を稼ぐための使用にメリットを見出すべきだ。
 また、ヘッドアンプは、技術進歩が激しい分野だけに、少し古い製品はアンプとして旧態化したことが聴感上で聴き取れ、比較的新しい製品でも、特別の目的以外は、アンプ側にMCポジションがあるのなら、わざわざ単体製品を購入してまで使用するメリットは少ないようだ。簡単にいえば、比較用プリメインアンプにみ組合わせて、さすがに専用ヘッドアンプと思わせるのは、プリメインアンプに匹敵した価格の製品で、実用上は、トータルのコンポーネントシステムとしてかなりアンバランスを生じる。
 おおよそに区別した価格帯別に、今回の試聴で好結果が得られた製品のリストを挙げておくが、これはあくまでも、ステレオサウンド試聴室で、別掲の試聴用コンポーネントシステムを使ったときの結果で、一応の参考としてお考えいただきたい。
 最後に、今回のテストを通じて浮びあがった、昇圧トランス/ヘッドアンプの問題点、注意点をまとめておきたい。
 従来は問題にされなかったことだが、昇圧トランス/ヘッドアンプの入出力の位相関係を等閑視してはいけない。今回の試聴では、入力と出力の位相の関係をチェックする初めての試みをおこない、発表することにした。
 カートリッジの位相の表示は、一般的に水平振幅にカッティングされたディスクを使い、中心方向から外周方向に針先が動いた場合に+側に発電する端子を+として表示する例が多い。しかし現状では、各メーカー間で完全な統一はなく、逆の場合もある。ステレオサウンドにある各種MC型カートリッジを、トーンバースト波のカッティングされたレコードを使いチェックした結果では、±表示が逆の、位相が反転している、いわば逆相カートリッジがいくつかあった。今回使用した製品では、EMT/XSD15、TSD15、フィリップスG925XSS、アントレーEC15の3種が逆相で、古い製品の中には、ソニーの〝プロ〟になる以前のXL55、初期のヤマハMC1なども反転型だ。
 一方、昇圧トランスとヘッドアンプでは、入力と出力の位相が反転する逆相タイプとして、次のような製品があった。
 昇圧トランスでは、オーディオニックスTH7559、ラックス8025、スペックスSDT77とSDT1000。
 ヘッドアンプではオーディオニックスADNIII、フィデリックスLN2、フィリップスEG1000、ヤマハHA1。
 入力系の正相と逆相の位相関係は、トータルなコンポーネントシステムの音質を変化させる大きな要素である。一部の製品に見受けられる、音質的な特徴を得るために反転型を採用するといった使い方は、たしかに効果的ではある。しかし、特に昇圧トランスの場合には、技術的アプローチから考えても、本質的には避けるべき手段である。
 また、昇圧トランス/ヘッドアンプともに、その出力をアンプに送る出力コードが必要だが、このコードの種類により、音が大幅に変化することにも気をつけていただきたい。これは、アームコード、機器間接続用のRCAピンコードも同様で、注意したい問題点だ。特定の音に焦点を合わせてチューニングをとる場合には、音を変える要素は大きなメリットとなる。しかし、今回のような比較試聴上では、この変化量がテスト結果を支配する要素となるだけに、たとえ専用コードを使用した場合でも、音質的にアンバランスを生じたときは、他のコードでもチェックしている。特別の場合には、かなりキャラクターの強い昇圧トランスが、一般的なRCAピンコードでナチュラルな音を聴かせた例もあり、特殊な構造や線材を使ったタイプは、いかに高性能であろうが、誤った使用法だけは避けたいものだ。

●テストに使用したレコード
ロッシーニ:《弦楽のためのソナタ集》アッカルド(v)他フィリップス25PC70-71
ドヴォルザーク:交響曲第九番《新世界より》ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー グラモフォンMG1199
峰純子《ジェシー》 ロブスターLDC1026
カシオペア《アイズ・オブ・マインド》 アルファALR28016
●テストに使用した機器
スピーカーシステム/JBL♯4343BWX
コントロールアンプ/マークレビンソンML7L
パワーアンプ/スレッショルドStasis3
ターンテーブル/マイクロSX8000十RY5500
トーンアーム/オーディオクラフトAC3000MC, デンオンDA401, フィデリティリサーチFR66S
カートリッジ/デンオンDL305, オルトフォンMC20MKII, フィデリティリサーチFR7f, EMT XSD/TSD15 他に各社代表的MC型多数
MCポジション比較用ブリメインアンプ
ビクターA-X5D, テクニクスSU-V7, サンスイAU-D907F

スペックは向上したが、〝音楽的感銘〟はどうか?

瀬川冬樹

ステレオサウンド 57号(1980年12月発行)
特集・「いまいちばんいいアンプを選ぶ 最新34機種のプリメインアンプ・テスト」より

 プリメイン(インテグレイテッド)型というタイプに関する限り、いまや国産のアンプは世界のオーディオアンプの中で主導権を握っているといっても過言ではないほど高い水準にある。例えば、十万円以下の手頃な価格のプリメインでさえ、Aクラスまたはそれに準じた出力段、そして豊富でしかも充実した操作機能。100Wを超える充分なパワー。そして全体の絶え間ない質的な向上への努力といった点で、世界の他のオーディオメーカーを遠く引き離している感がある。そしてまた周知のように、この分野はここ数年来、各メーカー間の競争の最も激しい分野でもあり、ほとんど半年ないし1年という周期で、各メーカーが新製品を発表し、そのたびごとに新しい回路、新しい方式がユーザーの前に提示される。こうした動きを見ている限り、ここ数年間で国産のプリメインアンプは恐るべき進歩を示しているはずだ、と思うのが自然だろう。今から6ないし7年以上前、デンオンのPMA300、500、700あたりをひとつのターニングポイントとして、国産プリメインアンプの音質が真の意味で向上しはじめた時期からあとを追って、ヤマハCA2000のようなきわめて性能の高いプリメインが誕生した。それから今日までの決して短いとはいえない年月の中で、果してそれらを大幅に超えるといるだけ、国産アンプの性能・音質が向上したのだろうか。今回のプリメインアンプのテストに参加しての、私の第1の関心点はそこにあった。確かに、物理データを見る限り、プリメインアンプの性能はここ数年来、格段にという表現が誇大でない程度の向上を見せていることは確かだ。例えば高調波歪率(THD)にしても、数年前0・01%オーダーであったものが、今日では0・00のオーダーまで低減され、またSN比も非常に向上している。同じような構成のプリメインが数年前の2倍近い最大パワーを出せるようになっている。そして、回路設計技術の安定、それをふまえての広帯域低歪率、そして、ここ1、2年来のひとつの傾向を示しはじめたAクラス動作の新しい回路……。こうした側面を眺める限り、アンプの性能は格段に向上している。けれど、我々が新しいアンプを求める理由の第1は、あくまでもレコード(FM、テープ)から、より多くの音楽的感銘を引き出したいからではないだろうか。音楽的感銘という言葉が曖昧すぎれば、いっそうよい音、それも音楽的にみていっそうバランスの整った、そして音楽が聴き手に与える感銘を、できる限りそこなわないアンプを我々は求める。その意味でアンプの音質が本当に向上したか、という疑問を私はあえて提しているのだ。
 したがって今回のテストで最も重視したのは、最近になって格段に録音の向上したクラシックのオーケストラ録音、それもできる限り編成の大きく、かつ複雑な音のするパートを、いかにあるべきバランス、あるべきニュアンスで再現してくれるかどうか、ということ。もうひとつは、音楽のジャンル(クラシック、ジャズ、ポップス……)にかかわらず、あらゆる種類の音楽をできる限りあるがままの姿で聴かせてくれるアンプ。例えばクラシック、例えばポップスに対象をしぼってしまった場合、オーディオ機器の音は、よく言えばかなり個性的。悪く言えば欠点ないし弱点があった場合でも、それなりに聴き手を納得させることはできる。けれども今日、あらゆる意味で性能の向上した周辺機器および録音をとに、あらゆる音楽を楽しもうという場合には、アンプに限ったことではないが、明らかな物理特性の欠陥のあるオーディオ機器では、もはや聴き手を納得させない。特にアンプは、純電気的・電子的なパーツであるために、明らかな物理的または電気的な欠陥があっては困る。また、今日ここまで技術の向上した国産アンプに、今どきそうした欠点があってもらいたくないという気持もある。とはいうものの、やはりその点をシビアにテストする必要があると考え、あえてやや「いじわるテスト」に属するといえるようなテスト方法も試みている。一例をあげれば、我々がアンプのテストをする場合にはたいてい、レコードまたはテープがプログラムソースに使われ、その反復でアンプの音質をつかむ。ところが、ユーザーが1台のアンプを自分の再生装置のラインに組みいれた場合には、当然のことながら、アンプの入力端子にはレコードプレーヤーのほかにもFMチューナー、テープデッキその他の周辺機器がすべて接続されたままの形で聴かれる。言いかえれば、レコードを聴いている間でもチューナー端子にはFMの入力が加わっていることになる。こういう接続をしたままボリュウムを上げた場合、時としてレコードを聴取しているにもかかわらずに、チューナーからのシグナルがかすかに、時に盛大に、混入してきて聴き手を惑わすというアンプがある。その点をチェックするために、今回の試聴ではチューナー端子には常にFMチューナーを接続したまま、フォノ聴取時にボリュウムをかなり上げてみて、チューナーからの音洩れの有無を確かめてみるというテストをした。その結果、数は少なかったとはいいながら、中にはかなり盛大にFMからの音が洩れてくる機種もあり、今日のアンプにあるまじき弱点ではないかと思う。
 最近のプリメインアンプには、わずかの例外を除いてほとんど、MCカートリッジ用のヘッドアンプないしはMCカートリッジをダイレクトに接続できるMCポジションが設けられているのがふつうである。そうであれば当然、別売(外附)のトランスまたはヘッドアンプを用意することなく、各種MCカートリッジをそのままつないで、MCカートリッジの特徴である音の緻密な充実感または繊細なニュアンスを充分に聴かせてくれなくては、MCポジションの意味が半減する。にもかかわらず、MCポジションのテストをしてみると、大半のアンプが落第だった。まず第一にノイズが多い。レコードをプレイバックする際の、実用的な(ことさらに大きくはない)音量でさえ、音の小さなピアニッシモの部分では、明らかに耳につく程度のノイズ、時にハムの混入した耳ざわりな雑音の多いアンプが、必ずしも少ないとはいえない数あった。また、MCポジションまたはヘッドアップ入力での音質も、MCカートリッジの音よさを十分に生かすとまではいわないまでも、せめて、あえてMMでなくMCを使っただけのよさを聴かせてくれなくては困る。
 ノイズに関連して、別の意味で、レコードまたはその他のプログラムソースの聴取時に、ボリュウムをある程度上げたままで、各種のファンクションのボタンまたはスイッチを操作した時に、耳につくようなくりっクイズが出るというのは、やはり望ましいことではない。それらの点もアンプのチェック項目として重視した。なお、本文試聴記中には、特に詳しくはふれていないが、ヘッドフォン端子での音のよさ、またヘッドフォン端子で十分な音量が出るか出ないかもテストのポイントに加えた。もうひとつ、最近になって一部の人たちが指摘しはじめたACプラグの極性(ポラリティ)(電源プラグを逆向きに差し換えた時に音質が変化するという現象)もテスト項目に加えた。ただし、私見を述べれば、こうした部分であまり音の性格が極端に変化するアンプは、回路設計あるいは構造設計上、何らかの弱点をもっているのではないかと思われ、一定水準以上の音質の音が再生されることが望ましいわけで、あまり極端に変化するアンプは好ましくないと考える。

リファレンス機器
カートリッジ──大別してMCとMM、そしていずれのカートリッジにも、対照的な性格があることを考慮し、まずMCカートリッジは、オルトフォンMC30(低出力低インピーダンス型)と、デンオンDL303(比較的出力が高く、インピーダンスも高め)の2機種を用意した。また、この両者は音質の上でもかなり対照的なので、MCを聴くにはこの2機種があれば一応のテストができると考えた。MMカートリッジでは、一方にオルトフォンVMS30MKII(テストに使ったのは最新の改良型の方である)のようにヨーロッパ系の、いくぶんソフトな肌合いで、特にクラシックのレコードをプレイバックした時の全体的なバランスのよさといくぶんウェットなニュアンスをもった製品。これに対して、エムパイア4000DIIIのような、アメリカのカートリッジならではの音の力、乾いた音感のよさ明るさをもったカートリッジ、の2機種を対照させてみた。なお、もうひとつ、個人的に近頃気づいていることだが、フォノ・イコライザー回路の可聴周波数以上の帯域(超高域ないし高周波領域)の部分での高域特性のコントロールいかんによっては、高域にかけて特性の上がりぎみのカートリッジで、なおかつ傷みぎみのレコードをプレイバックした時に、極度に音の汚れるタイプのアンプと、そうした部分をうまく抑えて音楽的にバランスをととのえて聴かせてくれるタイプのアンプがあることに気づいたため、そのチェック用としてエレクトロアクースティック(エラック)ESG794Eという、高域がややしゃくれ上った傾向をもったカートリッジを用意し、その場合の試聴レコードはテストを重ねていくぶん溝の荒れたレコードをあかて使うという、独特のチェック法を試みた。
MCカートリッジ用ステップアップトランス──テストしたアンプのMCポジションでの音質およびノイズをチェックするために、素性のわかったよいトランスを用意する必要があると考え、オルトフォンT30およびオーディオインターフェイスCST80(E30とE40)を適宜つなげ分け、チェックに使用した。
プレーヤーシステム──用意したカートリッジのそれぞれの性格をある程度きちんと鳴らし分けるだけのクォリティの高さおよびテストの期間中を通して性能が一貫して安定している、という条件から本誌55
号プレーヤーテストの結果をふまえ、エクスクルーシヴP3を標準機として用いた。
スピーカーシステム──全機種を通じて、標準に使ったのはJBL4343BWXで、これは個人的に聴き慣れているということもあり、また同時に、特性上の弱点が少なく、アンプの音のバランス、歪、ニュアンスといった要素をつかむのに、最も適していると考えたからである。ただし、4343B(および4343)には、基本的なクォリティのやや貧弱なアンプもある程度聴かせる音に変えてしまう──いいかえればスピーカーの特性の幅の広さまたは深さの部分で、アンプの特性の悪さをカバーしてしまう──というような傾向がなきにしもあらずなので、これとは逆に、アンプのクォリティを比較的露骨にさらけ出すタイプのスピーカーとして、アルテック620Bカスタムを併用した。このスピーカーは、アンプの良し悪しにきわめて敏感であり、基本的なクォリティの優れたアンプでないと、楽しめる音になりにくいという、いささか気難しい性格をもっている。さらに、第3のスピーカーとして、前記2種とはまったく音の傾向の違うヨーロッパ系のスピーカーとしてイギリス・ロジャースのPM510を用意した。このスピーカーもまた、アンプのクォリティおよびもち味によって、鳴り方の大きく左右されるスピーカーだが、テスト全機種を通じて鳴らすことはせず、明らかにこのスピーカーを鳴らせると革新のもてるアンプの場合にのみチェックのために接続するという方法をとった。したがって、主に使ったスピーカーはJBLとアルテック。この性格を異にする二つのスピーカーで、アンプのスピーカーに対する適応性、いいかえればアンプのスピーカーに対する選り好みの傾向がほぼつかめたと思う。
 以上の機器は、試聴に際して切替スイッチをいっさい通さずに、すべてテストアンプに直接接続するという方法をとった。今日のオーディオ機器の、非常に微妙な音質の変化の部分をつかむには、よほど良い切替スイッチを使っても、その性格の差が聴き分けにくくなるために、すべての機器を直接接続するという方法が最も有効であり、またテストに際して必要なことでもあると思う。したがってカートリッジはそのたびごとに付け替えし、針圧調整をし、なおかつスピーカーは、AB切替えがないしプでは、そのたびごとに接続しなおすという手間をかけた。また、接続コードの類は特殊なものを使わず、ごく広く普及した、ふつうのコード類を使った。

試聴レコードとその聴きどころ
リムスキー・コルサコフ/シェエラザード──主に、最終楽章の後半、この曲の中の最もいりくんだオーケストレーションの部分からフィナーレにかけて、ピアニシモに移る部分での音のダイナミックスの変化およびそのニュアンスをテストに使った。
ストラビンスキー/春の祭典──話題の新録音で、第1部および第2部のラストにかけての盛り上がりの部分、これは特にアンプのダイナミックスと解像力のチェック。また、ロマン派以前の曲ではつかみにくいアンプの別の性格をチェックするのに有効であった。
ヴェルディ/アイーダ──話題のカラヤンのEMI新録音、有名な凱旋行進曲の部分での、音の華麗なダイナミックスの再現をチェック。
ウェーバー/ピアノ小協奏曲──シューマンの方がタイトルロールだが、B面ウェーバーの方が録音しては優れている。特に、ピアノのタッチがすばらしく艶やかで、ヨーロッパのホールに特有の比引きがよくとらえられ、オーケストラとのバランスも素晴らしい。このピアノのタッチの美しさとオーケストラとのバランスがどの程度うまく再生されるかどうか。
フォーレ/ヴァイオリン・ソナタ──テストに使用した部分は、第2楽章、時として第1楽章のフィナーレから第2楽章にかけてだが、特に第2楽章のしっとりとした味わいが、度程度ニュアンス豊かに再生されているかどうか。ヴァイオリンの胴鳴りの響き、そしてピアノとヴァイオリンの融け合う美しさ。このレコードは本来のニュアンスがなかなか再生されにくい難物といえる。
メンデルスゾーン/フィンガルの洞窟──このレコードは、交響曲第5番「宗教革命」の余白の部分にはいっているが、私のレコードはたびたびのテストに使って溝がきわめて荒れている。エレクトロアクースティック(エラック)ESG794Eでも、このレコードの傷みがどの程度耳ざわりでなく抑えられながら音楽的なバランスがととのえられ再生されるかというのがチェック項目。大半のアンプが落第であった。しかし、中に数機種とはいいながら、レコードの傷んでいることを忘れさせる程度にきかせてくれるアンプもあった。
ベートーヴェン/交響曲第九番「合唱」──たまたま、某誌でのベートーヴェンの第九聴き比べという企画で発見した名録音レコード。個人的には第九の録音のベスト1としてあげたい素晴らしい録音。音のひろがりと奥行き、そして特に第4楽章のテノールのソロから合唱、そしてオーケストラの盛り上がりにかけての部分は、音のバランスのチェックに最適。しかも、このレコード独特の奥行きの深い、しかもひろがりの豊かなニュアンスというのは、なかなか再生しにくい。
チャック・マンジョーネ/サンチェスの子供たち──ここ1、2年来、一貫してテストに使っているフュージョンの代表レコードのひとつ。序曲の部分のヴォーカルから、パーカッションの強打に移行する部分で、音のニュアンスおよびダイナミックスが、的確にテストできる。
ドン・ランディス&クェスト/ニュー・ベイビィ──最近のシェフィールドの録音は、また一段と向上し、ダイナミックレンジが驚異的に拡張されている。例えば、正確なパワーメーターを見ながら再生すると、この第1曲「イージィー」などでも、それほど大きな音量を出していない場合でも、ごく瞬間的に、きわめて大きなパワーの要求されるパートがある。この曲では意外なことにそれは、最も注意をひくパーカッションの音よりも、ハモンド風の音を出すキーボードの部分で、パワー不足のアンプはその部分でビリついたり、クリップしたりする。このレコードを使ってアンプの表示パワーと聴感上の音量感の伸びとが必ずしも直接的な関係のないことがわかって興味深かった。
 他にも、別掲のリストにあげたレコードを、必要に応じて使用した。

価格ランク別ベスト3
5万円台──意外につぶぞろい。中には、6~7万円台のアンプの必要がないといってよい製品もある。むろんそれは、6万円以下という価格の枠を頭に置いた上での結論であるにしても、価格に似合わぬ出来栄えのよさが、この価格帯の特徴。
 その中でも無条件特選がテクニクスSU-V6。この値段では安すぎるくらい内容が充実。ただし、パネルデザインはいただけない。
 オンキョー/インテグラA815。オンキョー独特の音色に好き嫌いがありそうだ。
 サンスイAU-D7。いくぶん華やかなタッチ、しいていえばポップス系の音楽に特徴を発揮する。
6~7万円台──製品による、出来、不出来のたいへんに目立った価格帯であった。中に二~三、優れた製品があり、5万円台の出来栄えのよい機種と比べ、やはりどこかひと味違う音がする。しかし全体的には、メーカーとしては、このランクは製品の作り方の割合むずかしい面があるように思う。個人的には、もう少し予算をとって、思いきって1ランク上からよいアンプを探すのも、買い物上手な方法かと思った。
 ベスト3は、まずテクニクスSU-V7。V6の改良モデルだけに、パネル面の意匠も洗練され、内容も充実。
 デンオンPMA540。音質はなかなか充実して聴きごたえがあり、価格を考えるとよくできたアンプのひとつ。デザインはいささか野暮。
 ラックスL48A。力で聴かせるタイプではないが、ラックスの伝統的な音の優雅さが生かされた佳作。
8万円から10万円──5~6万円台のアンプに比べ、明白に内容が充実してきたことが、音の面からはっきりと聴きとれる。とはいうものの、出来栄えの差はやはりあり、全体として充実しながらも、それらの中で一頭地を抜いた製品があった。
 無条件ベスト1がビクターA-X7D。国産のアンプが概して中~高域に音が固まりがちな中で、めずらしく中域から低域にかけての支えのどっしりした、いわゆるピラミッド型のバランスが素晴らしい。
 次がサンスイAU-D707F。中~高域の音のニュアンスに独特の特徴があり、パワー感も十分。ポップスでエネルギー感を聴かせながら、クラシックでも捨てがたいニュアンスを聴かせる。
 デンオンPMA550。パワーも十分大きく、基本的な音の質がこの価格としてはかなり練り上げられている。
10万円台以上──今回の分類では、10万円以上、20万円台の後半までを一括しているため、大掴みな言い方ではとらえきれない。したがって、あえて20万円で一戦を引くと、10万円台のアンプは、8~10万円あたりの価格帯で、最新技術と良心的な製造技術によって、優れた出来栄えを示す製品に比べ、あまり明白な差がつけにくいという事情があるのではないだろうか。
 その点、20万円あるいはそれを超えるとさすがに、プリメイン最上級機種だけのことはあり、基本的な音の質が磨かれ、緻密かつ充実し、十分な手ごたえ、満足感を聴き手に与えてくれる。と同時に、この価格になると、明らかにメーカーの製品に対する姿勢、あるいはそれぞれのメーカーがどのような音を求めているかということが、明白に聴きとれるようになってくるのもまた興味深い。
 ベスト3は10万円台以上で一括すれば、ベスト1はアキュフェーズE303。基本的な室の高さに支えられた上に、独特の美しい滑らかな音が十分な魅力にまで仕上っている点、特筆したい。新製品ではないが、今日なお注目製品。
 どこを推してもよく出来ているという点では、デンオンPMA970。いくぶん硬調ぎみの音ながら、質のよさに支えられ、ややポップスよりながらクラシックまで十分こなせる質の高さ。
 ヤマハA9。あらゆるプログラムソースに対して、一貫して破綻のない、安定したプレイバックを示す。個人的には、音の魅力感がいまひと息というところだが。
 次点として、ケンウッドL01A、ラックスL68Aをあげておく。

「ハイ・クォリティ・プレーヤーシステムのテストを終えて」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 55号(1980年6月発行)
「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」より

音質について
 良くできた製品とそうでない製品の聴かせる音質は、果物や魚の鮮度とうまさに似ているだろうか。例えばケンウッドL07Dは、限りなく新鮮という印象でズバ抜けているが、果物でいえばもうひと息熟成度が足りない。また魚でいえばもうひとつ脂の乗りが足りない、とでもいいたい音がした。
 その点、鮮度の良さではL07Dに及ばないが、よく熟した十分のうま味で堪能させてくれたのがエクスクルーシヴP3だ。だが、鮮度が生命の魚や果物と違って、適度に寝かせたほうが味わいの良くなる肉のように、そう、全くの上質の肉の味のするのがEMTだ。トーレンスをベストに調整したときの味もこれに一脈通じるが、肉の質は一〜二ランク落ちる。それにしてもトーレンスも十分においしい。リン・ソンデックは、熟成よりも鮮度で売る味、というところか。
 マイクロの二機種は、ドリップコーヒーの豆と器具を与えられた感じで、本当に注意深くいれたコーヒーは、まるで夢のような味わいの深さと香りの良さがあるものだが、そういう味を出すには、使い手のほうにそれにトライしてみようという積極的な意志が要求される。プレーヤーシステム自体のチューニングも大切だが、各社のトーンアームを試してみて、オーディオクラフトのMCタイプのアームでなくては、マイクロの糸ドライブの味わいは生かされにくいと思う。SAECやFRやスタックスやデンオンその他、アーム単体としては優れていても、マイクロとは必ずしも合わないと、私は思う。そして今回は、マイクロの新開発のアームコード(MLC128)に交換すると一層良いことがわかった。
 
デザインと操作性
 単に見た目の印象としての「デザイン」なら、好き嫌いの問題でしかないが、もっと本質的に、人間工学に立脚した真の操作性の向上、という点に目を向けると、これはほとんどの機種に及第点をつけかねる。ひとことでいえば、メカニズムおよび意匠の設計担当者のひとりよがりが多すぎる。どんなに複雑な、あるいはユニークな、操作機能でも、使い馴れれば使いやすく思われる、というのは詭弁で、たとえばEMTのレバーは、一見ひどく個性的だが、馴れれば目をつむっていても扱えるほど、人間の生理機能をよく考えて作られている。人間には、機械の扱いにひとりひとり手くせがあり、個人差が大きい。そういういろいろな手くせのすべてに、対応できるのが良い設計というもので、特性の約束ごとやきまった手くせを扱い手に強いる設計は、欠陥設計といえる。その意味で、及第点をつけられないと私は思う。適当にピカピカ光らせてみたり、ボタンをもっともらしく並べてみたりというのがデザインだと思っているのではないか。まさか当事者はそうは思っていないだろうが、本当によく消化された設計なら、こちらにそういうことを思わせたりしない。
 そういうわけで、音質も含めた完成度の高さではP3。今回のように特注ヘッドシェルをつけたり、内蔵ヘッドアンプを使わないために引出コードも特製したりという異例の使い方で参考にしたという点で同列の比較は無理としてもEMT。この二機種の音質が一頭地を抜いていた。しかし一方で、操作性やデザインの具合悪さを無理してもいいと思わせるほど、隔絶した音を聴かせたマイクロ5000の二重ドライブを調整し込んだときの音質の凄さは、いまのところ比較の対象がない。とはいってもやはり、この組合せ(マイクロ5000二重ドライブ+AC4000または3000MC)は、よほどのマニアにしかおすすめしない。
 これほどの価格でないグループの中では、リン・ソンデックの、もうひと息味わいは不足しているが骨組のしっかりした音。それと対照的にソフトムードだがトーレンス+AC3000MCの音もよかった。またケンウッドの恐ろしく鮮明な音も印象に深く残る。

テストを終えて

菅野沖彦

ステレオサウンド 53号(1979年12月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか(下)最新セパレートアンプ25機種のテストリポート」より

 前号に引き続き、セパレートアンプを試聴した。セパレートアンプ全体にいえることであるが、パワーアンプに優れた製品が多いのに比較して、コントロルアンプが劣るという傾向は相変らずであった。今回はコントロルとパワーがペアで開発されたものを7種類、単独のものを、コントロールアンプ1機種とパワーアンプ10機種の試聴であった。このように、数の上でも、パワーアンプに対して、コントロールアンプは少ない。ペアのものは、その組合せで試聴し、単独のものは、リファレンスにコントロールアンプはマッキントッシュのC29、パワーアンプにSUMOの〝ザ・パワー〟を私は使った。ステレオサウンド誌の試聴室において前回と同様のプログラムソースを使って試聴したが、実際には、他の機会に、これらの製品を試聴した時の体験も折りまぜてリポートする形となったと思う。特にペアのものについては、コントロールとパワーの組合せを変えることによって、評価が変ることもあり得るので、本当は、ありとあらゆる組合せをやってみて評価を決めることが、セパレートアンプについては必要かもしれない。しかし、限られた時間ではとても無理な作業なので、一応、こういう形をとったことをご了承願いたい。ここで、そうした別の機会に試聴した体験を少々書き加えることによって、私の短い試聴メモの補足とさせていただこうと思う。
 面白いことに、ペアで開発された製品のほとんどが、その組合せをもって最高としないことである。これが、セパレートアンプの面白さと意味合いの一つであるともいえるだろう。デンオンのPRA2000とPOA3000、パイオニアのC−Z1とM−Z1はよく組み合わされた例といえるが、それでも、私の体験だと、POA3000はマッキントッシュのC29で鳴らしたほうがずっといいし、C−Z1はSUMOの〝ザ・パワー〟で鳴らすと、また格別な音を聴かせてくれる。もちろん、PRA2000はいいコントロールアンプだし、M−Z1は抜群のパワーアンプで、これらには、きっと、別のベストな組合せをさがすことが出来るだろ。オンキョーのP306というコントロールアンプも、〝ザ・パワー〟とつないで鳴らした時に大変素晴らしく、本来、M506とのペアでのサーボ動作まで考えて開発されたものでありながら、別の使い方で、さらに生きるということがおこり得るのである。
 今回の試聴でびっくりするほどよかったのがマッキントッシュC29とオースチンのTVA1の組合せであった。パワーこそ70W+70Wと大きいほうではないが、その音の充実感と豊かなニュアンスの再現は、近来稀な体験であったことをつけ加えておきたい。スレッショルドの〝ステイシス1〟というアンプの美しい音に惚れ込んだけれど、このアンプを鳴らすには、どうやら、C29以外に、より適したコントロールアンプがありそうな気がしたのである。まだ試みていないから、なんともいえないが、〝ステイシス1〟のもつ、どちらかというと贅肉がなく、きりっと締って繊細に切れ込む音像の見事な再現はC29とは異質なところがあると感じるからだ。しかし、こればかりは、実際に音を出してみなければ解らないことなのだからオーディオは面白く厄介だ。
 アンプの特性は、まさに、桁違いといってよいほど向上しながら、このように、音の量感や色合いに差があって、音楽を異なった表情で聴かせるということは、今さらながら興味深いことだと、今回の試聴でも感じた次第である。

20万円コンポのためのプリメインアンプ18機種徹底レポート

瀬川冬樹

別冊FM fan 25号(1979年12月発行)
「20万円コンポのためのプリメインアンプ18機種徹底レポート」より

 二十万円コンポシリーズも、前号、前々号での総論を卒業し、いよいよ各論に移るが、今回トータル二十万円の予算でコンポーネントを組むのに適当であろう価格帯のプリメインアンプを一同に集めてテストしてみた。テストの対象にしたアンプは四万五千円から十万円迄のアンプで、まず市販品の中で比較的人気の高い製品、そして新しい製品を中心に集めた。人気という点からいうと、決して新製品とはいえないアンプも何台かまじっている。そのことは逆にの一年ないし二年の間でのアンプの性能がどれだけ進歩したか、しなかったか、ということを知るものさしともなるわけで、これだけアンプがそろうと、二十万円コンポ族にとっていろいろおもしろいことがわかってくるだろう。
 試聴アンプは一応編集部からメーカーに試聴テストするという話をしたうえで、貸してもらった。メーカーから辞退してきたもの、あるいは諸般の事情でテストの対象にならなかったものもあり、このクラスの市販品全部を網羅するというわけにはいかなかったことをあらかじめお断りしておく。

アンプは3時間以上エージングした
 さてテストの方法だが、まずテストに先立ち、アンプを十分にエージングするということを心がけた。すでに一、二年前からよく知られた始めたことだが、アンプに電源スイッチを入れ、音を鳴らし始めると、スイッチを入れた直後よりも一時間、二時間後にだんだんと音が柔らかくこなれてくるアンプが近ごろ増えている。いまとなってみるとすべてのアンプがそういう性質をもっていたのだが、そういう違いが聴き分けられるほど、最近のアンプ自体の基本性能あるいは周辺の機材というものが向上してしまったということにもなる。そこでテストに当たってはそういうハンデを避けるためにすべてのアンプを少なくとも三時間以上十分に鳴らし込んだ状態でテストすることにした。写真にもあるようにテストするプレイヤー以外に三台のプレイヤーを用意し、常にその次にテストするアンプを鳴らし込んでおくような配慮をした。
なぜJBL4343BにエクスクルーシヴP3なのか
 アンプのテストをする場合にはスピーカー、プレイヤー、カートリッジあるいはテストソースとしてのレコードといったものの選び方については多くの意見が出るところだが、今回のテストに関しては、アンプの持っている性質そのものをできるだけ十分に聴きとろうということで、アンプの価格帯にふさわしい機器を選ぶのではなく、むしろ現在市販されている中から得られる最高水準のスピーカー、レコードプレイヤー、カートリッジというものを用意し、アンプをベストの状態で聴き取るようにした。したがって、これから後の試聴記に出てくるアンプの音質というのは、このアンプのもっているほぼ基本的な性質と考えていただいて差し支えない。それを後でどんなスピーカーやどんなカートリッジと組み合わせると一層生きるかということは、試聴記の中に二、三ヒントを述べてはあるが、また改めて別の機会にこれらのアンプを中心とした組合せとしてさらに詳しく取り上げてみたいと思う。
 そういうわけでスピーカーにはJBLの4343の新しいBタイプ、レコードプレイヤーにはエクスクルーシヴのP3という、ともに市販されている中でも最高のグレードのものを組み合わせた。
カートリッジはMMとMCを用意
 次にカートリッジだが、大きく分けてMM系のカートリッジとMC系のカートリッジ、これを両方用意した。というのは、現在四万五千円あたりから上のアンプになると、大半のアンプがMCヘッドアンプを内蔵しており、そのMCヘッドアンプのテストをするためには、ぜひともMCカートリッジが必要だからだ。さらにMCカートリッジについてはオルトフォンのMC20MKIIとデンオンのDL103Dという二つのタイプを用意した。その理由というのはMCカートリッジにも大きく分けるとインピーダンスの高いMC型と、比較的インピーダンスの低いMC型の両極端があり、出力が低いタイプと出力が高いタイプの両方あるということから、どうしても二つのタイプが必要となる。オルトフォンのMC20MKIIはインピーダンスが3Ωであるのに対して、デンオンDL103Dは33Ωとほぼ十一倍のインピーダンスの差がある。また出力電圧もこれはカタログデータの公称だから、そのまま比較にはならないが、オルトフォンが0・09mVに対してデンオン103Dが0・3mVというように、これも三倍以上の差がある。こういう違いがMCヘッドアンプの性能に大きく響いてくる。特にオルトフォンの3Ωという低いインピーダンス、そして0・09mVという非常に低い出力電圧は、MCヘッドアンプに対しては非常にきびしい条件なので、これが十分に鳴らせるMCヘッドアンプは相当なものであることがいえるわけだ。半面、デンオンの33ΩというようにMCとしては比較的高めのインピーダンスと0・3mVという、これもMCとしては大きめの出力というのは、大方のMCヘッドアンプに対しては十分であろうということがいえる。そしてまた出力とインピーダンスの違いだけでなく、MC20MK20IIとデンオン103Dとは音質もだいぶ違い、これを含めてアンプのテストに利用した。
 さてMM型のカートリッジだが、これは西ドイツのエラックの新シリーズ794Eと、アメリカのスタントン881Sという、西ドイツとアメリカという全く違った国の、違ったキャラクターをもったMMカートリッジを用意した。というのは、エラックの方は非常に繊細で切れ込みがよく、多少ウェットな面ももっており、どちらかといえばクラシックのプログラムソースを非常に美しく、ハーモニー豊かに聴かせてくれるカートリッジであるのに対して、スタントン881Sはどちらかといえば現在の新しいポピュラー・ミュージックに本領を発揮する音の厚み、力強さ、そして音の明快さをもったカートリッジであるということだ。さらに比較参考用としてもっとローコストなカートリッジということで私がよく性質をしっている同じエラックの793Eも併用し、随時それを比較の参考にした。
 次に試聴レコードだが、なるべく広い範囲のレコードから選択した。新旧の録音あるいは非常に大きな編成からデリケートな編成のものまで、そしても内容も弦あり、管あり、ボーカルあり、パーカッションあり、また編成の大きなものでもクラシックの場合とポピュラーの場合と、できる限り多彩なソースを用意したつもりだ。ただテストに要する時間を考えるとできるだけレコードは少数に絞りたいということもあり、私がここ数年来テストに使っているレコードに最近の新しいレコードを何枚か加えた。このレコードの中のそれぞれたいてい三分以内の部分がテストに使われている。
八畳間の感じにセッティング
 試聴の場所は本誌で使っているかなり床面積の比類試聴室を使わせてもらった。アンプのテストをする場合、あまり広くていい音のする試聴室だと、アンプの隠れた欠点を全部覆い隠してしまうという恐れがあるので、私の主義だがなるべくスピーカーに近づいて聴くようにした。もう少し具体的にいうと、和室で六畳ないし八畳ぐらいの広さの部屋でスピーカーとリスナーの関係位置が保てる程度に近づいて聴くということが必要だと思うわけだ。二つのスピーカーの中心から中心の間隔を約3m弱、スピーカーから聴き手の位置もそのくらい。八畳の中でこの程度のセッティングができるだろうというような関係位置をこしらえて、試聴にのぞんだ。
 アンプのテストにあたって切り替えスイッチを一切用いていない。というのは現在の最新アンプをテストする時に、切り替えボックスを通してしまうと、どうしても接点の抵抗、あるいはそこに要するコードの余分な長さなどで、アンプの本当の性能が発揮できないということがいわれており、アンプはすべてプレイヤーから直接コードをつなぎ、スピーカーに直接つなぐということで確実な接続をし、一台一台入念なテストをした。
 また、何台か聴いた後でもう一度前のアンプに戻るといういわゆるクロステストを行い、十分に念を入れて聴き落しのないようにしたつもりだ。MCヘッドアンプのテストをするアンプ以外の電源をすべて切って、周囲の漏えいなどの影響を受けないようにしたことはもちろんのことだ。
試聴を終わって
 結果をちょっと大ざっぱにいうと、大半のアンプにMCヘッドアンプが組み込まれていた。もうひとつは、アンプの音質をできるだけぎりぎりのところまで追求しようということで、多くのアンプに、メーカーによって違いはあるが、各種のスイッチでアンプのトーン・コントロールその他の付属回路を飛ばして、イコライザーとパワーアンプを直結するという、非常にシンプルな構成にするという考え方が取り入れられていた。これは確かに現在の時点でアンプをより一層ピュアーに改善するための手段であることは認める。音質を劣化させる回路を飛ばしてしまって、できるだけアンプの構成を簡潔、シンプルにして音質を改善しようという純粋な発想であるということはわかるが、半面それはトーン・コントロールその他の回路の音質向上に対する技術的努力を怠っているという見方ができなくはないと思う。少なくともそうした回路を積極的に音楽を聴くときに生かしたいという人にとっては、アンプの音質を犠牲にせざるを得ないわけで、そこのところは次の段階ではぜひともトーン・コントロール回路を入れて、なおかつ音質が劣化しないような方向で、さらに技術的な追求をしていくのが本筋ではないかと思う。付属回路を飛ばしてしまうということは極端ないい方をすれば、アンプの回路を片輪にしてしまうことだ。言いすぎといわれそうだが、私はそう考える。
 MCヘッドアンプもテストした結果からいうと、少なくとも半数以上がただカタログの上にMCヘッドアンプ内蔵と書きたいためのつけ足しにすぎないのではないかという印象をもたざるを得ないようなアンプが少なからず合った。こういうものが無理してカタログ・データを充実させるために組み込まれるのであったら、MCヘッドアンプなど入れないで、そのぶんだけ音質向上に振り替えるか、あるいはそのぶんだけコストダウンするか、という方がユーザーにとっての本当の親切になるのではないかと思う。もし付けるのならばもっと本当の意味で実用に耐えるものを付けてほしい。少なくともMCヘッドアンプ以外のアンプの性能のよさと見合うだけのものが組み込まれなければ、これは片手落ちではないかというように思う。
 それからもうひとつ、今回はヘッドホン端子での音の出方、音質ということについてもテスト項目に入れている。というのはやはりわれわれはこの狭い、住宅事情の悪い日本に住んでいる限り、どうしても深夜など音楽を十分に楽しむためにはヘッドホンのお世話にならざるを得ないわけで、ヘッドホン端子はやはりアンプそれぞれのもっている音質の傾向をはっきり出し、同時に、ヘッドホン端子で十分に音量が楽しめるだけの出力が出てくれないと困るわけだ。これもテストした結果からいうと、概してヘッドホン端子での出力を少し抑えすぎているように思う。それからすべてのアンプではないが、何台かのアンプがヘッドホン端子ではずいぶん音質が劣化するものがある。ヘッドホン端子での音の出方というものをもう少し真剣に検討する必要があるのではないだろうか。その点をメーカーへ要望したい。
 細かくはこれ以後の試聴記をみていただくことになるが、試聴したアンプの出来栄えについて星が付いている。これは星の数が一つ、二つ、三つ、それから星印なしというように分かれており、星印がないからといって決して悪いアンプということではない。少なくとも星が一つ付いたということはその価格帯で印象に残ったアンプであり、二つ付いたアンプというのは、その価格帯の中で大変出来栄えのいいアンプであり、三つ付いたアンプは文句なく大変いい、音楽を実に音楽らしく聴かせてくれるという意味で、テストをし終わった後々まで、いいアンプだなという印象を残した優れたアンプだというような意味に受けとっていただきたい。

テストを終えて

菅野沖彦

ステレオサウンド 52号(1979年9月発行)
特集・「いま話題のアンプから何を選ぶか 最新セパレートアンプ32機種のテストリポート」より

 セパレートアンプを16通りの組合せで試聴した。本来、セパレートアンプというのは、コントロールアンプとパワーアンプが別々のものだから、単独で試聴し、それぞれについてリポートする方法を本誌ではとってきた。今回のように、同一メーカーの組合せだけで音を評価するという試みは初めてであると同時に、一つの組合せ機種について、かなりの字数で述べるというのも、今までにない方法である。したがって、記述内容は、個々の製品について、かなり深く詳しくならざるを得ないと同時に、ただ音の印象だけではなく、製品自体、あるいは、それを作ったメーカーのコンセプトやバックグラウンドについても主観的意見を述べさせていただく結果となった。
 私の担当した記述は、エクスクルーシヴC3a+M4a、Lo-DのHCA9000+HMA9500、ソニーのTA-E88+TA-N9、トリオのL07C+L07MII、マッキントッシュのC29+MC2205、スレッショルドのSL10+4000カスタムの6機種について詳述し、あとの機種については音の印象を短くコメントするものであった。本当ならば、この詳述した6組合せ機種については、読者が、製品を目の前にして、あたかもいじっているような気持になる具体的な報告にすべきなのかもしれないが、私としてはそれ以上に、その製品を通して、それを作ったメーカーのコンセプトやバックグラウンドについて私見を述べることのほうが意味があるように思えたので、テストリポートを期待する方には少々、勝手のちがったものになったのではないかという不安がある。何故このような記述になったかというと、セパレートアンプというものは、当然、高級アンプで、そのメーカーの全技術力や音への感性の水準を示すものと解釈出来るし、それを使うユーザーは、プリメインアンプやレシーバーとは違った関心の持ち方であろうと考えたからである。つまり、そのサウンドロジーへの共感があってこそ、わざわざ、セパレートアンプを使う意味もあるのではないかと考えるのである。現在の技術をもってすれば、プリメインアンプで高度な再生を可能にするのになんら不都合はないはずだ。1台数十万円もするセパレートアンプのレーゾン・デートルは、最高度のテクノロジーと、余裕と無駄という犠牲を払っても十分な価値観の充足を得ることのできる素晴らしいぜいたくさにあるといえるであろう。こういう本質を満たす製品は、ただ金をかけただけで作り出せるはずはないだろうし、ましてや、形だけをセパレートにしたというのでは、あまりにもイージーで、お粗末であろう。確固たるフィロソフィーがオリジナリティをもった創造力によって具現されたと感じられる製品でなければ、セパレートアンプの本質にかなったものとはいえないと考えるのである。無論、その理想が完成したものは数少ない。否、未だ皆無かもしれない。しかし、少なくとも、そうした理想の方向にあるかないかは、こうしたハイエンド製品にとって重要なことではあるまいか。リアリストにとっては無縁の存在といってもよい尊いものなのだ。
 こういう考え方から生れる、セパレートアンプへの要求は、当然、かなり厳しくなるし、主観的にもなる。また、作るほうも同じように、きわめて個性的な方向へ向くことにもなるだろう。こんなわけで、前述した6種類の組合せについては、かなり勝手なことを述べさせていただいたのである。
 今回、16組の、内外のセパレートアンプを試聴して感じたことだが、国産のものと、海外のものとが、まるで、大メーカーの製品と小メーカーの製品という言葉に置き替えてもいいような雰囲気が、そのデザインに、作りに、そして音に現われていたことだ。国産のものは実に手馴れた作りと、キメの細いフィニッシュで、ある意味では完成度が高く、海外のものは、どこかに強い癖があって、武骨で不馴れな作りとフィニッシュのものが多かった。もちろん、それぞれに例外もある。例えば、海外製ではマッキントッシュ、国産ではサンスイのCA-F1、BA-F1がそうだ。マッキントッシュのC29とMC2205は、海外製品の中では抜群に完成度の高いフィニッシュであり、サンスイの二機種は、小メーカーのアマチュア的作品といった未完成さが感じられる。はっきりいって、この二機種は、AU-X1というプリメインアンプの水準を上廻るものとはいい難く、セパレートアンプとしてサンスイのラインアップの中での存在の必然性はどれほどのものなのだろうか。また、ダイヤトーンのDA-P15Sというコントロールアンプも、私の考えるセパレートアンプとしての本質をもっているとはいえない雰囲気であったし、あのマーク・レビンソンのML6のようなモノーラル・プリアンプの不便でエキセントリックな強烈な個性の製品が、あれほどの高価格で商品性を持っているという現実とのひらきの大きさには驚かされる。因みにダイヤトーンのDA-P15Sは7万4千円で、マーク・レビンソンのML6はペアで、98万円である。この価格のひらきを正統化する価値の差をなんと説明したらよいだろう。前述した、私の考えるセパレートアンプの存在の必然的理由で納得していただけるだろうか。
 今回試聴した組合せの中で、最も好ましい音で鳴ってくれたものは、国産ではエクスクルーシヴのC3aとM4a、海外製品ではマッキントッシュのC29とMC2205であった。おもしろいことに、C3aとM4aは、日本のオーディオ界では時代遅れ? といってよい非DCアンプであり、C29とMC2205は保守的で古いと一部に評きれるマッキントッシュ製品であった。この音のよかった国産と海外の2組合せ機種は、作りと仕上げの美しさでも、今回の製品群の中でトップクラスであったことは、はたして偶然といい切れるのであろうか。
 先にも述べたように今回は、コントロールアンプとパワーアンプのペアで音を評価したために、どちらかが好ましくないものは他方が損をする、という結果になっている。セパレートアンプは、その組合せによって、かなり音がちがってくるから、その本来の性格からすると、今回の方法に不備な点も認めざるを得ない。単独で評価をすると、また、違った結果が出てくるものもあるはずだ。しかし、それは、今回の評価の好ましくなかったものについて特に言えることで、今回、推薦とした組合せについては、コントロールアンプ・パワーアンプ、それぞれ単独でも、高品位で価値の高いものといってよいと思う。
 求心的に音を探求し、真に価値あるものを求める読者諸兄にとって、なんらかの御参考になれば幸せである。

試聴テストを終えて

瀬川冬樹

HIGH-TECHNIC SERIES-3 世界のトゥイーター55機種の試聴とその選び方使い方(ステレオサウンド別冊・1978年冬発行)
「世界のトゥイーター総試聴《内外55機種をJBL・LE8Tとの2WAYで聴く》」より

 55機種のトゥイーターのそれぞれに、最適のクロスオーバーポイントを選び最適のレベルセットのポジションを、それも短時間のうちに探し出す、そのオペレーターの役割を私が担当したが、これはまったく気骨の折れる仕事だった……。
 どのトゥイーターの説明書にも、一応は周波数レンジと推奨クロスオーバー周波数が書いてある。また、出力音圧レベルも海外製品の一部を除いてほとんどが新JISの表示に統一されているから、それを参考にしてレベルセットなど容易にできる……と思えそうだが、実際に鳴らしてみるとこれが意外に計算どおりにいかない。
 たとえば、クロスオーバー周波数が2ないし3kHzあたりに指定されているのは、トゥイーターとしては割合に低い周波数までカバーできる製品のはずだ。しかし実際にそのクロスオーバー周波数にセッティングして、うまくいく例は少ない。
 うまくいかないというのは二通りのケースがある。第一は、指定のクロスオーバーでは低域の許容入力に無理が生じて、やかましい、または圧迫感のある音になりがちのトゥイーター。第二は、たとえば2kHzといえばまだ一部の楽器の基音(ファンダメンタル)領域をカバーしているのだから、かなり力強い音も再生しなくてはならないはずなのに、そのあたりの出力エネルギーが十分でないせいかクロスオーバーをもっと高くとったときと比べて、そんなにエネルギーの増えた感じの得られない製品。
 もう一つのレベルセットに関していえば、概して良いトゥイーターは、音のクセ(カラーレイション=色づけ)が少ないために最適範囲が割合広く、レベルセットにそれほど神経質にならないで済む。ところが、質のよくない製品、またはタフさに欠ける製品ほど最適レベルの範囲が狭く、ちょっとレベルを上げれば音が出しゃばるし、少し絞れば引っ込んでしまう。良いトゥイーターにはそういう現象が少なく、やや上げすぎてもやかましくはならないし、絞りかげんでも音の芯を失うことがない。
 ……というように、オペレーターをやってみると、クロスオーバーやレベルを調整してゆく過程ですでにそのトゥイーターの性格が大まかに掴めてしまうという点はありがたかった。素直でクセが少なく高域が十分に伸びて透明な音。トランジェント(過渡特性)がよくその結果スクラッチノイズやヒス成分が耳ざわりでなく軽い感じで、楽音とはっきり分離して聴こえる。大きな入力や低域の少々無理な入力にもよく耐える。しかも受持帯域のすべてにわたって十分に緻密でエネルギーもある。というのが、結局のところ良いトゥイーターということになり、そういうトゥイーターは、また結局のところ使いやすい組合せもしやすいという理屈になる。
全体を通じて感じたこと
 いま2から3kHzと書いたのは一つの例だが、試聴した全機種を通じてみると、これは厳密な計算の結果ではなくごくおおまかな見当だが、5ないし6kHzあたりから上を受け持つというのが平均的な製品だと思う。ピアノの高音のキイの基音が約4・2kHzだから、5kHz以上というのはほとんど楽器の倍音の領域だ。そういう高音域だけを次々とつけかえて聴くわけだから、完成したスピーカーシステムのように全音域を交換するのにくらべたら、音の差はよほど少ないと思われるかもしれないが、事実は全くそうではない。倍音の領域の音色が変われば、当然のことにそれは基音を含めた全体の音色を大きく変える。昔からスピーカーユニットを組み合わせて苦労してきたユーザーならとうに経験したことだろうが、トゥイーターを交換することによってウーファーの音色まで変る。そして、これは驚くべきことなのか当然の結果というべきなのか、とにかく55機種のトゥイーターを次々と交換して音を聴き比べて、二つとして同じ音色では鳴らない。だが、同じメーカーのトゥイーターは、価格や構造が違っても大づかみには似た傾向の音色で鳴ることが多いし、もっと大づかみには、生まれた国の違いによってそれぞれに鳴り方の傾向が違う。
 そのことから、たとえトゥイーターといえども、常々他のオーディオ機器やさらには音楽について言われていると同様に、メーカーにより国により、音のとらえ方や音の作り方への姿勢の違いが、明確に反映されることがわかる。
 簡単にいってしまえば、トゥイーターの音色は「高音」という概念をどうとらえるか、によって決まるといえそうだ。たとえば繊細、たとえばキメの細かさ、音の切れ込み、たとえば音の輝き──。
「高音」というイメージをどうとらえるかという姿勢は、ひいてはトゥイーターの受持帯域や耐入力パワーやエネルギーバランスや指向性や……などの構造にも大きく影響を及ぼす。比較的低い高音域のエネルギーしっかりと支える作り方。反対に、いわゆる超高音域をどこまで細やかに伸ばすかという作り方──。
 そこで、メーカーの求めている方向を感じとり、自分の望む音に合致する製品を選び出すことが、トゥイーター選びの成否の鍵になる。
印象に残った、または使ってみたいトゥイーター
 かつて、テクニクス5HH17(いまの17Gではない)というローコスト・トゥイーターの名作があった。あれから十年余を経た今日なら、ローコストのグループの中にもう少し優秀なトゥイーターが出現してもよさそうなものだと思っていたが、結果的には五千円以下のグループの中には印象を深く残した製品は一つもなかった。もう少し拡大していえば、一万円以下の国内製品の中には、これならと思える製品が残念ながら見あたらなかった。このあたりの価格帯では、イソフォンのKK/10、KEFののT27、それに、フィリップスのAD0161/T8という、それぞれに構造も価格もよく似た(6千円〜6千五百円)三つのヨーロッパ製のトゥイーターが、それぞれの性格を持ちながらとてもよくできていると思った。
 一万円以上、二万円までの間では、これも新製品ではないのがやや意外だったが、ヤマハのリング・ホーン型JA0506が素直で音でびっくりした。国産のホーン型トゥイーターの中には非常によい製品が少ないながら見つかったが、ヤマハを除くとほかには、たとえばコーラルのH100、フォステクスのT725、あるいはマクソニックやYLのなどのようにもっと高価なグループに入ってしまう。そのことから逆にヤマハが価格対性能で抜きに出ていることが印象的だった。
 高価なグループの中でホーンタイプ以外では、パイオニアのPT−R7、テクニクスのリーフ型EAS10TH1000がそれぞれに惚れ込んだ製品で、どちらも一度じっくり使いこなしてみたいと思った。
 海外製品では、先ほどのヨーロッパ三社のドーム型を除けば、これはと思ったのはJBLの♯2405(077を含めて)と、もう一つおそろしく高価な点がやや納得がいかないがピラミッドのT1の二つだった。♯2405は、スーパートゥイーター的な作り方にもかかわらず、クロスオーバーポイント以下のエネルギーのしっかり出てくる点が見事だったし、ピラミッドはおよそいままで聴いたことのない滑らかな音で、これに関しては機会があればもっといろいろな条件で組合せを試してみたいと思った。
 ただ、今回のようにLE8Tの上にだけトゥイーターをのせてのテストでは不十分ではないかとの最初の不安は、テストを進める間に解消してしまった。最近のLE8Tの高域は非常に素直なので、それぞれのトゥイーターの性格を掴むにはこの方法で十分だったと思う。

試聴テストを終えて

井上卓也

HIGH-TECHNIC SERIES-3 世界のトゥイーター55機種の試聴とその選び方使い方(ステレオサウンド別冊・1978年冬発行)
「世界のトゥイーター総試聴《内外55機種をJBL・LE8Tとの2WAYで聴く》」より

 これまでにもステレオサウンド誌では、各種のオーディオコンポーネントの試聴をおこなってきたが、今回のようにトゥイーターユニット単体を対象として、数多くの機種を同一条件で試聴するということは創刊号以来、はじめての試みである。かつて、本誌6号でもマルチウェイ構成用のウーファー、スコーカー、トゥイーターなどを使って、実際に2ウェイ構成、3ウェイ構成といったスピーカーシステムを作って試聴したことはあったが、基本として同一メーカーのユニットを使うこととしたために、簡単に取替えられるトゥイーターも他社間の比較はしていない。
 本誌6号以来すでに十年をこす年月が経過しているが、当時の製品のうちでいくらかのものは、今日もなお現役製品として残っている。あらためていうまでもないが、スピーカーユニット前半にわたり、トランスデューサーというメカニズムをもつものであるだけに、その基本型となるものは1924年に米国のライスとケロッグが発明したダイナミック型である。材料面を中心とした改革はあっても、その基本を覆すほどの斬新な変換方法はいまだにあらわれず、依然としてムーングコイル型、つまりダイナミック型が、すべてのスピーカーユニットの主流の座にある。トゥイーターユニットでも、これは変わらない。
 たとえば、海外製品のうちで、今回の試聴に集められたアルテックの3000H、エレクトロボイスT35、T350、JBL・LE20、075などは、本誌6号時点でも、それぞれのメーカーを代表するトゥイーターであった。国内製品では、海外製品にくらべ、トゥイーターとしての平均的なクォリティもさして高くなく、製品の入れ替わりがあらゆるジャンルで難しいこともあって、海外製品に匹敵するロングセラーを誇るユニットはコーラルH1のみであり、これに準じた製品としては型番は変わっているが基本型が同じであるものに、YLの製品をあげることができる。
 いずれにせよ、新技術、新素材をベースとした技術革新のテンポが年ごとに早まり、現在もっともそれが激しいカセットデッキともなると、今年春に発表された製品が廃番になったり、そうでなくても代替機種が発表され、事実上の商品としての価値が失われたりしている状況と比較すれば、海外製品を中心としたスピーカーユニット全般にわたる製品寿命の長さは、いわば驚異的といってよいほどのものがある。
 トゥイーターユニットに限定して考えれば、現在の主流は、ブックシェルフ型スピーカーシステムが台頭して以来、完全にメーカーでアッセンブルしたスピーカーシステムである。かつてのようにスピーカーといえば、それは単体のスピーカーユニットの意味で、これを選択し、組み合わせ、エンクロージュアやネットワークを作って自分でシステムとして完成させるのが一般的であった時代が、大勢としては過去のものとなったことが大きな要因であると思われる。
 ユニットを選択し,組み合わせる、いわば自作型のスピーカーシステムづくりは、自らの求める音をつくりだすためにはもっとも相応しい方法で、現在でも市販のスピーカーシステムの限界をこえた性能、音を求める超高級ファンは、ただ一筋にスピーカーシステムのユニットの多角的な要求にもとづいた向上に努力している。しかし、市販のスピーカーシステムでは望みえない音を自らの手でつくり出そうとすることは、当然メーカー以上の予算、時間をかけ、その上で基礎となる技術、経験、間隔が要求されるため、ほとんど現実には不可能に近いといってもよいであろう。
 これに比較してメーカーでシステム化されたスピーカーシステムは、幅広い需要に対応する各種のコンセプトにより、数多くの製品が開発され販売される。つまり、量産効果を最大限に活用したメリットである価格帯性能・音質の比率が高い特長があり、この10年間急激に成長したオーディオの需要を満たすことができたが、反面においては、さして量産効果が活かされず、性能を向上させると飛躍的に価格が上昇する結果となり、単体ユニットの開発が限られることにもなる。
 国内製品のトゥイーターは、現在、予想以上に数多くの製品が存在している。これは、いきおい類型的にならざるをえない各メーカーのスピーカーシステムにあきたらずオーディオの原点に立ち返って、自らのためのオリジナルなスピーカーシステムをつくる、または、極めて単純に自分でスピーカーシステムをつくることに喜びを感じるファンが数を増し、その要求に答えるために開発された製品がほとんどといってよい。一部には、本質的な新技術や新素材の特長を活かし、従来では望みえなかった高度な性能・音質をもつ、いかにも現代のトゥイーターらしい製品があり、自らのスピーカーシステムをつくる場合に相応しいユニットというよりは、完成されたスピーカーシステムに追加して、システムそのものの性能・音質を改善する使用法を、これらの製品で試みることができる。この既製スピーカーシステムにトゥイーターを選択して、ある周波数以上を受け持つトゥイーター、もしくはスーパートゥイーターとして使う単体トゥイーターユニットの利用方法は、名器とうたわれる定評が高いスピーカーシステムから、現在のトップランクに位置づけされる最新のスピーカーシステム全般にわたって、ぜひとも一度は試みていただきたいものである。ある程度のオーディオやスピーカーの知識さえあれば、誰でも容易に着手できることであり、万一予想に反する結果を招いたとしても、スピーカーシステム本来の性能・音質に簡単に復元できる、いわば一種のギャランティが充分にあることも一つの大きなメリットだ。
 今回のトゥイーター試聴は、現在のトゥイーターの概要とその個々の性格を把握することを最大の目的としたことに注意していただきたい。このため、平均的で、しかも信頼のできる水準の性能・音質を備えたフルレンジ型ユニットJBL・LE8TをサンスイのEC20に組み込んだシステムをベーシックスピーカーとし、これにクロスオーバー周波数の選択が容易なエレクトロニック・クロスオーバーを使う、いわゆるマルチチャンネルアンプ方式でトゥイーターをクロスオーバーさせる、2ウェイを試聴の基本としている。
 各トゥイーターは、この条件のもとで使用され、クロスオーバー周波数の選択、レベルセット、それからLE8Tを含めた2ウェイシステムとしての音の試聴をおこなっている。当然のことながら、この場合ウーファーとして使ったLE8Tとトゥイーターとの相互関係、つまり性能、音質、音色、クォリティ、トゥイーター側の制約となるクロスオーバー周波数の選択の幅の広さなどで、本質的な各トゥイーターの音質やキャラクターを追求した結果とはなっていない。これは、55機種という数多くのトゥイーターを、同一条件で使うという原則からみれば仕方のないことで、たとえば、特定の、現在自分で使っているスピーカーシステムに、スーパートゥイーターとして追加する使用法を考えれば、今回の結果以上に充分に使えるトゥイーターが55機種のなかに存在するはずである。なぜならば、一般的にトゥイーターは高音専用ユニットであるだけに、クロスオーバー周波数を7〜8kHz以上にとり、受持帯域を狭くすれば、再生可能周波数下限まで使ったときにくらべて、予想以上に見事な音を聴かせてくれるものだからである。極端な例としては、標準的なクロスオーバー周波数で使った場合には、あまり高域のレスポンスが伸びていなかったユニットが、クロスオーバー周波数を7〜8kHz以上に上げて使うと、ナチュラルなプレゼンスが感じられるスーパートゥイーターになったという実例も数多くある。アルテックの3000H、JBL075などは、落してのあらわれかたの違いはあっても、トゥイーター、スーパートゥイーターと二通りの使い方ができる例である。もっとも、ローコストのトゥイーターのなかにも、スーパートゥイーター的に使ったほうが魅力が引き出せる製品が意外にあるはずである。かつてのテクニクス5HH17は、この好例といってもよいものである。
 試聴にあたっては、EC20のエンクロージュアの上にトゥイーターを置いておこなったが、トゥイーターもスピーカーユニットであるために、特別な例を除いて、いわゆるバッフル効果があり、30cm角程度のバッフルに取付けるとかなり結果としての音に違いがあらわれる。しかし、ドーム型は、バッフル面の仕上げや取付け方法が難しい、ホーン型は、予想よりもクロスオーバー周波数は高いほうがよい、また、ネットワークは6dB型がよいといった通説は、実際に数多くの経験をこなした上で実感として味わうものだと思う。

「ブラインドテストを終えて」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」より

 アンプとスピーカーに関するかぎり、ここ二年ほどのあいだに、内外の大半の製品をテストする機会が与えられていたから、プリメインとセパレート、ブックシェルフとフロアータイプ、そしてプロ用のモニタースピーカー、と、それぞれの製品の分野での大まかな水準を掴めていたつもりだった。そして、アンプ及びスピーカーに限っていえば、ここ数年間での全体的な性能の向上は、まったく目を見張る思いだった。こうした体験を通じていえることは、少数の例外的存在を除いて、アンプもスピーカーも、大すじには価格と性能がほぼ比例していて、たとえば5万円のスヒーカーが20万円のスピーカーよりも音が良いなどということは、まあありえないと断言してもいいと思う。事実、そんなことがあれば、何かが間違っている。
          *
 プレーヤーのブラインドテストというのをさせられて、終ってから製品名と価格を種明かしされたいま、とても複雑な気持に襲われている。それは、いま書いたばかりの「何かが間違っている」状態が、プレーヤーに関してはいまところまかり通っているのではないだろう、という気持からだ。
 そのことは別項の速記録をお読み頂くことで明らかになる筈だが、少なくとも私自身に限って言っても、相当に高価なプレーヤーもそれと知らずに聴くかぎり、ローコストのプレーヤーにくらべて音質の上での明確な差を、聴き分けることができなかった。もう少し正確な言い方を心がけるなら、聴感上での音質の良し悪しと価格の高低とのあいだに、アンプやスピーカーほどの相関関係を見出すことが困難だった。たしかに音質は一台一台みな違った。だが、この音はどうも頂けない、とメモしたプレーヤーが、意外に高価であったり、一応聴くに耐える音のした製品がそんなに高価でなかったりしたのを、あとになって知ってみると、どうも複雑な気分にならざるを得ない。いったい、プレーヤーの価格の根拠はどこにあるのだろうか……と。
 こんなことを書けば、次のような反論が出るにちがいない。アンプやスピーカーをブラインドテストすれば、やっぱり同じことを言うのじゃないか、ローコストでも、高価な製品より音の良いのがあるじゃないか──。例外的にはそういう製品がないとは断言できない。けれど、アンプとスピーカーに関するかぎり、そういう作り方がいまや成り立ちにくくなっている。粗理由をくわしく書くのはこのスペースでは無理だが、スピーカーでたとえれば、借りに耐入力を犠牲にすれば、音域の広さや音色の美しさやバランスの良さを鳴らすことはできるだろう。だがいくらブラインドテストでも、パワーを入れればたちどころに馬脚をあらわす。
 アンプの場合には、パワーという要因だけでは説明しきれない。パワーを抑えればコストダウンできるが、しかし限度はある。となると、ファンクションを簡略化するとか、セパレートをやめてインテグレイテッド(いわゆるプリメイン)化するなどの手段をとる。こういう見た目の形態は、ブラインドテストではわからない。だがそうであるにしても、音の良いアンプは結局高価だ。
 正直に白状すれば、いくらブラインドテストでも、こんにち、本誌が我々をモルモットに起用する以上、この製品はたぶん入っているだろう、というような推理ぐらい働かせて試験に臨む。そして、いま鳴っているこの音は、これは各コンポーネントが相当にしっかりしていなくては鳴らないだろう音だから、もしかしたらこれがあの製品じゃないだろうか──といった推測もしている。しかし恥ずかしながら、少数の例外を除いてすいそうは見事に外れた。テープを前に憶面もなくしゃべり終えた(メーカー名や製品名を知らされないおかげで、何の気兼ねなしに悪口を言えたが)あとで、ひとつひとつの製品名を知らされて、なるほどと納得したりえ! あの音がこの製品? と青くなったりした。これがブラインドテストのおもしろいところだろう。もっとも、本当の意味でおもしろがっていたは、モルモットにされた我々よりも、それを操る編集部の諸君であったにちがいないが。
          *
 そんな状態で、プレーヤーというパーツは、アンプやスピーカーの最近の性能向上に比較すると、まだまだ見落しの多い部分であることを感じた。言うまでもなく、ターンテーブルやアームやカートリッジ、といった単体のコンポーネントパーツについては、それぞれに研究・開発の成果が実っていなくはないが、それを総合してまとめる際に、スピーカーやアンプと比較すると、まとめかたの勘どころあるいは決め手が、まだ見つかっていない、というのが本当のところなのではないかと思う。
 テストの進めかたについては別項にくわしい解説があると思うが、私自身は、とくにカートリッジのちがいによるプレーヤーの音色の変化に興味を持って臨んだ。ことに、オルトフォンMC20は、インピーダンスが2Ω近辺ときわめて低い。一方、現存するフレーやーの大半、アームの先端からアンプに接続するピンコードの直流抵抗分が大きく、大多数が、往復で2Ω或いはそれ以上の直流抵抗を持っている。これでは、理屈だけ考えてみてもMC20のようなローインピーダンスのカートリッジに対して、よい結果の得られる筈がない。
 現実に私の心配は当った。スタントン881Sでは一応の結果が得られても、MC20の場合となると、打って変って精彩のない、反応の鈍い、あるいは大切な音の一部をどこかに忘れたか落したかしてしまったかのような、おもしろみに欠けた音になってしまうものが少ないとはいえない。すでにカートリッジやアンプの受け口の部分では、MCカートリッジのブームが到来していながら、プレーヤーの専門メーカーが、意外なほどMCカートリッジのため設計を怠っている。MCカートリッジが、その本来の特性の良さでレコードに刻まれた溝の隅々から微細な音を拾ってきても、それをアンプの入口に運んでくる以前に、どこかにとり落して、魅力のひとかけらもない、つまらない音にしか聴かせない。
 あらかじめ覚悟していたものの、そういうプレーヤーが現実にとても多いことに、改めてびっくりさせられた。
 今回のブラインドテストには、リファレンスとしてEMTのプレーヤーが使われた。もともとMC20や881Sを組み合わせるための製品ではないのだから、それらが最良の結果で鳴ったとはいえない。ただ私自身は、自分の聴き馴れたプレーヤーとして、これを最良の基準としたのではなく単に、自分の耳の尺度を整える意味で、参考として頭に置いたにすぎない。
 残念なことに、今回たまたまブラインドテストの対象に選ばれたプレーヤーの中には、アンプやスピーカーの時とは異なって、一台ぜひ(例えばサブ機としてでも)欲しいと思わせるほどの音を探し出すことができなかった。いずれの製品も、部分に的には良い音を聴かせながら、同じ一枚のレコードの音を、どこかで欠落させているといった印象を拭い去ることができなかった。
 こんにち、DDモーターの再検討が論じられゴムシートや、引出コードや、ヘッドシェルや、その他部分的には細かな問題点が個別に指摘されている。そうした反面で、プレーヤーシステムとしての総合的なまとめの方法論に、もうひとつトータルな、俯瞰的な視野の広さが求められるのではないだろうか。いや、そんな小難しいことをくだくだしく言わずとも、ともかく、ヴィヴィッドでたっぷりと豊かな音を一枚のレコードから抽き出して、聴き手を心から満足させてくれるプレーヤーシステムの出現を、いまこそ強く望みたいと思った。

「ブラインドテストを終えて」

黒田恭一

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」より

 ブラインドテストだからといって特別のことはない。使い勝手だとか、あるいはみためのことだとかが問題になる場合ならともかく、そうではないときはいつだって、耳だけをたよりに試聴にのぞんでいるから、たとえプレーヤーシステムが別室にあって、どのプレーヤーシステムの音かわからなくても、どうということもない。
 もし、どのメーカーの製品かわかって、その値段を知って、、そうかなるほどというきき方がもしオーディオの専門家のきき方だというのなら、ぼくのきき方は、ついに専門家のきき方たりえない。ブラインドテスト──という言葉は、ともするとそのときのテスターを、目かくしをされた鬼ごっこの鬼のような気持にさせるのだろうか。鬼は、てぬぐいで目かくしをされているから、手さぐりで、つかまえた相手のあちこちをさわってみて、「あっ、ふとっているから、イサオちゃんだ」といったりする。
 おそらく、そういうあてっこのたのしみのために、ブラインドテストが行われるようだが、この場合はどうだったのだろう。
 すくなくともぼくは、鬼ごっこの鬼どころのはなしではなく、せいぜいモルモットにすぎなかった。聴覚だけをたよりにきいた。ききおぼえがあるものといえば、つかわれたレコードの音と、そしてそこでつかわれたカートリッジの音だけだった。イサオちゃんというプレーヤーシステムだけがふとっていて、腹がぷくっとふくれているかどうかなんて、もともとわからないのだから、それがイサオちゃんかどうかあてられるはずもなかったわけだ。
 ただ、このブラインドテストをして、俺の耳もたいしたことないな──と、もともとわかっていたこととはいえ、それをまざまざとみせつけられて、うんざりしたということはある。ブラインドテストは、二日にわけて行ったが、前日は、このましいプレーヤーシステムだと思い、○印をつけておいて、翌日、どうもものたりないところがあると思い、×印をつけたものがあったからだ。具体的にいえば、ビクターのTT101+UA7045+CL−P1Dだ。一方が○印で、もう一方が△印なら、まあ、ことはいかにも微妙だからと、自分にいいきかせることもできなくはないが、○と×とでは、極端で、自分を納得させるすべがない。
 たしかに、きいたレコードの性格は、少なからずちがっていた。一方はクラシックで、もう一方はジャズといった、それぞれのレコードにおさめられている音楽の性格がちがうということもある。それに、一方のレコードが通常のレコードで、もう一方がダイレクト・カッティングのレコードだったということもある。一方が大編成のオーケストラ・プラス・声のレコードで、もう一方がコンボのレコードということもある。つまり、さまざまな点でちがていた。だから、一方が○で、もう一方が×でもおかしくないんだ──といえばいえなくもないだろうが、どうも釈然としない。
 それで、俺の耳もたいしたことないな──という。自己嫌悪の色濃厚な独白となる。もともとたいした耳と思っていたわけではないのだが。
 プレーヤーシステムによる音の変り方は、かなり基本的なところでの変り方で、だからききとりやすいということも、また逆にききとりにくいともいえる。たとえばこれがカートリッジなり、スピーカーなりが変ったというのなら、それはレコードが変ることによって、きこえ方が大幅にちがい、こっちでよかったものが、あっちではよくなくなるということもあるが、プレーヤーシステムでの変り方は、もう少し基本的なところでの変り方だから、そういうことはあまり起らないはずである。
 にもかかわらず、一方で○印をつけ、もう一方で×印をつけたというのは、自分ではそれなりの理由がわからなくてもないが、やはり基本的なところでの変化をききのがしたためといわざるをえない。そのための、俺の耳もたいしたこと
ないな──という自己嫌悪の独白だ。
 プレーヤーシステムの音は、基礎の音だと思う。
 地震の際に、造成地にたてられた家が、もろくもこわれて、岩盤の上の家が、内部はそれなりに、棚がおちたり、あちこちこわれたりしているのかもしれぬが、外からみるかぎり、地震の影響などまるでないかのように立っているのをみたりする。さまざまなプレーヤーシステムの音をきいていて思ったのは、そのことだった。いかに立派な家でも、土台というか、基礎がやわでは、いかんともしがたい。
 今回のブラインドテストは、いってみればその普段目にみえるところを同じにして、さてこのおとは 岩盤の上の音か、それとも造成地の上の音かをききわけることを目的としていたのではなかったか。それぞれの音は、ぼくは岩盤の上の音だよ──と、せいいっぱいがんばっていた。しかし、本当に岩盤の上になりたっている音と、そうでない音とは、かなり明確にちがっていた。
 しかし、どこまでが土台に関係した音で、どこからが基礎とは関係のない音なのか、充分に判断できないこともあった。そのために、一方のレコードでは○印をつけ、もう一方のレコードでは×印をつけるというような、つまり混乱が生じたのだろうと思う。
 すぐれたプレーヤーシステムの音には、あぶなっかしさがなかった。ひびきは、すみずみまで、しっかりしていた。
 カートリッジやスピーカーでは、ひびきのキャラクターが、大きな問題になる。むろん、プレーヤーシステムの音にも、それぞれのキャラクターがあるが、カートリッジやスピーカーの場合のようには、問題にならない──というより、そのキャラクターのとわれ方がちかうように思う。あの家の屋根はトタンで、この家の屋根は瓦だというようなことは、誰にもわかるし、屋根をトタンにするか、瓦にするかは、おそらくその家の住人の好みに関係することだろうが、家を岩盤の上にたてるか、それとも造成地の上にたてるかは、好みとは別のところでのことといえるのではないか。
 ただ、プレーヤーシステムの音にも、カートリッジやスピーカーシステムの場合とは意味するところ微妙にちがうとはいえ、キャラクターがあるので、それにとらわれると、その音が岩盤の上の音か、造成地の上の音かを、ききそこなうことになる。
 そして、このブラインドテストに参加して、あらためて思ったのは、やはり、なにはさておいても、プレーヤーシステムに、それなりの投資をしないといけないなという、すでにわかりきったことだった。毎日の生活ということでいえば、岩盤の上の家での生活も、造成地の上の家での生活も、さしてちがいはないように思うが、やはりどこかで微妙にちがってくるのかもしれない。
 ぼくの今住んでいる家は、造成地というわけではないが、それでも前の道を大きなトラックが通ったりすれば、かなりゆれる。だからといって生活に不便をきたすほどではないが、やはりどっしりした家屋に住んでいるとは思いがたい。そういう家に住んでいると、あまり出来のよくないプレーヤーシステムでレコードをききつづけることによる心理的な影響をあなどれないなと思ったりする。

「ブラインドテストを終えて」

井上卓也

ステレオサウンド 48号(1978年9月発行)
特集・「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」より

 ディスクの再生では、プレーヤーシステム、アンプ、スピーカーシステムがシリーズに接続され、それぞれのコンポーネントの置かれた位置と機能の違いが、各コンポーネント固有の音の変わり方をすることになる。
 一般には、システムのもっとも出口の位置にあるスピーカーシステムが、その扱うエネルギー量も多く、メカニズムを利用した電気エネルギーを音響エネルギーに変換するというトランスデューサーでもあるために、それをセットする部屋の条件も加わって、各コンポーネントのなかでは結果としての音をもっとも大きく左右する部分とされている。
 また、中間に位置するアンプは、入力として加えられた微弱な電気信号を増幅し、スピーカーシステムをドライブするだけの電気エネルギーとして出力に出す純粋な電気の増幅器であるために、物理的な計測データを基としての解析がメカニズムをもつトランスデューサーよりも容易であり、本来はエレクトロニクスの技術が進歩すればするほど製品化されたモデル間の音違いが少なくなるはずである。しかし、現実には、入力、出力ともにトランスデューサーであるカートリッジやスピーカーシステムと結合されるとなると、計測時のように入出力に定抵抗が接続された状態とは異なった動作をなすことになり、これが音の違いとなっている。また、エレクトロニクスの技術の製品であるだけに、回路を構成する部品の改良、それを使った新しい素材にマッチした回路設計という反応が、非常に短いインターバルで繰返される結果、ほぼ半年毎により計測データの優れた新製品が開発され、聴感上でも音の変化がいちじるしいため、現実には話題が絶えず、もっとも注目される部分だ。プレーヤーシステムは、コンポーネントのもっとも入口の部分に位置している。そのため、ディスクにカッティングされている情報量の50%しか電気信号に変換できないとすれば、アンプ、スピーカーシステムにどのような高性能のコンポーネントを使ったとしても、結果として聴かれる音は最大限50%にしか過ぎないことになる。このように非常に重要な位置にありながら、アンプ、スピーカーシステムにくらべて、なぜかさほど重要視されない傾向が強いようだ。
 それというのも、プレーヤーシステムが、それぞれ独立したコンポーネントと考えてもよいカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターと、それを取り付けるプレーヤーベースで構成されているからだろう。そのため、単体のカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターの性能、音の違いは問題にされることはあっても、トータルなシステムとしての音の変わり方についてはあまり問題にされず、それが問題にされだしたのはつい最近のことといってもよい。
 簡単に考えれば、スピーカーシステムやアンプの分野では、相当に高度なアマチュアがどのように努力しても、メーカー製品以上の性能、音質をもつものを作ることは不可能といってもよいが、ことプレーヤーシステムにおいては、優れたカートリッジ、トーンアーム、フォノモーターを選択すれば、強固なプレーヤーベースを作るノウハウさえ持てば、メーカー製品を凌ぐ性能と音質をもったシステムをアマチュアが自作できる、唯一のジャンルであるためだろう。
 ちなみに、ステレオサウンド別冊「ハイファイ・ステレオガイド」を見ても、プレーヤーベースの頁には、オーディオメーカー以外の会社から異例に多くの製品が発売されており、プレーヤーシステムの特異性を示している。
 プレーヤーシステムのジャンルでも、最近では、トータルなシステムプランから開発された、メーカでなくては作れない製品がその数を増し、次第にスピーカーシステムと同様にプレーヤーシステムとして完成されたものが主流となってきつつある。たとえば、オートマチックプレーヤーシステムは、メーカーならではできないプレーヤーシステムである。
 今回の特集はプレーヤーシステムであり、プレーヤーシステムの重要性を確認する目的から、本誌では珍しくブラインドテストが行われることになった。この方法には、当然長所短所があるが、ある部分では、平均的な試聴とは異なった製品の実体に触れることができるのは事実である。実際に、スピーカーシステムやアンプでブラインドテストをしたために、ひとつの印象として捉えていた製品に、より多くの新しい可能性を見出すことはよく経験することである。
 ブラインドテストは、出てきた音に聴き手がどのように反応するかである。つまり、単純に考えれば、モルモットそのものにいかになりきるかということができる。したがって、モルモットの置かれる条件が結果を大きく左右することになる。たとえば、傾いた机の上に置かれれば、それを基準として反応するほかはない。
 今回のブラインドテストは、聴く人数の面から、試聴室の長手方向にスピーカーシステムをセットして行なったが、それにしても左右のスピーカーとテスターとの相対位置は、中央付近を除いて相当に異なるため、このあたりが結果としての発言内容の差と密接に結びついている。私の位置は左端で、左チャンネルのスピーカーのやや外側である。この位置では、リファレンスとしたEMTのプレーヤーシステムも、ややバランスを崩した状態であり、現在のコンポーネントでもっとも重要視される、ステレオフォニックな音場感の広がりと定位、音像の問題はチェックポイントとはなりえず、聴感上でのバランス、音色、音楽の表現能力などが判断基準となっている点に注意されたい。
 結果としては、テスト機種のなかには、つねに試聴室で、また個人用として使用している製品が含まれていたが、それらの製品名を試聴結果から当てることはできなかった。たとえば、現在のフォノモーターの水準からはかなり劣るはずのガラード301・SME3012のシステムすら判別不可能で、モルモットとしては正しく反応していたつもりだけに残念という感が強いが、この反応で正しかったと思っている。
 各テスト機種は、先入感がないだけに、かなり大幅に結果としての音、音楽を変えて聴かせてくれた。それは、低域、中域、高域といった、いわば聴感上での周波数特性的なバランス、帯域の広い狭いをはじめ音色的にも当然違いがある。また、カートリッジのMC型、MM型による差が少ないものの、差を大きく出すものといった違い方もある。さらに、音楽そのものが相当に変わってしまうこと、これは大変に重要なことである。これに、ステレオフォニックな音場感、定位、音像などの要素を加えれば、各テスト機種の違いはさらに拡大されるはずである。やや表現を変えれば、プレーヤーシステムでの音の変わり方を情報量的に捉えると、テープデッキでの、カセットデッキ、4トラックオープンリールデッキ、2トラックオープンリールデッキに対比させることができる。結果として製品がわかったプレーヤーシステムとメモを突合わせてみると、一般的な傾向として、大型で重量級の製品ほど2トラックオープンリール的な音をもっているように思われる。たしかに、物理的にも感覚的にも、ディスクにカッティングされている音溝の凹凸は非常に細かいものと思われやすいが、実際にカートリッジを手に持って、直接ディスクの音溝に触れさせてみると、指に感じる反応の激しさで音溝の凹凸による抵抗がどのように大きいかを知ることができるが、これからもフレーヤーシステムは予想以上に機械的な強度を要求されていることがわかるはずだ。これは、当然のことながらフォノモーターのトルクについても同じことがいえる。測定データからも音溝の抵抗でサーボ系がどのように反応しているかを知ることができるであろう。
 このように音が大幅に変わること自体が、プレーヤーシステムの選択の尺度をさらに厳格にしなければならないことを物語っていることになる。かつて、プレーヤーシステムをもっとも優先的に考えるべき論旨があったが、これは現在でも変わることはなく、他のコンポーネントが優れているだけに、プレーヤーシステムでの音の変化がクローズアップされるべきだと感じた。

私の推奨するセパレートアンプ

瀬川冬樹

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)
「最新型94機種のテストリポート」より

 94機種プラス46組合せと、合計140回。それに1機種ごとにリファレンスを念のために聴き、また実際に試聴はしたが種々の事情で掲載されない10機を加えると、ざっと300機種ぶんほど聴いた計算になるが、これだけ数多く聴いた中で、試聴後もあえてメモをみなくてもその音をはっきり思いだせるようなアンプが、ほんとうの意味で優秀な製品といえるにちがいない。しかし機種名を聞いてとっさに音が思い浮かばなくても、メモを参照すると、あ、そうだとたちどころにその音を思いだせる程度のアンプなら、一応の合格機種ということになりそうで、その線までは一応の水準と考えた。もっとも、あまりにもひどい音がして忘れないというアンプも中にはあるから、音を憶えているということが必ずしも基準にはなりえないが。
     *
■同一メーカーの組合せによる推薦機種
 別表の①から⑨までは国産、⑩から⑲までは海外の、それぞれ同一メーカーどおしの組合せ(⑪のみ例外)をまずあげる。
 ①から③までは、その音質はもちろん、外観や仕上げの良さ、コントロール機能に至るまで、それぞれに水準以上のできばえで、いわば特選クラスといえる。ただし①のラックスは、私か実際に入手するとしたら、トーンコントロールアンプ5F70を必ず追加したいところだ。
 次の④から⑥までの三機種は、音質という面ではそれぞれのよさはあっても、①から③までのようなどこからみてもスキのない完成度の高さまでには至っていない。たとえば④のアキュフェーズは、デザイン面と、コントロールアンプがあまりにもシンプルで実際の使用に際してはときとして機能上に不満を感じることがあるだろう。⑤のオンキョーも機能的に省略しすぎて、少なくとも私には、トーンコントロールやフィルターが、ごく簡素なものでいいから欲しいし、それなりに出てくる音優雅さにくらべて、外観が失礼ながら野暮すぎる。その点⑥はさすがラックスで、デザインには不満は全くないが,やはりファンクションが少々不足であることと、音がいくらか甘口なのでその点使用者の感覚とピントが合わないと理解されにくい。
 ⑦はやや硬調ぎみだが音楽の表現力、彫りの深い表現がとても好ましい。調子の出るまでにかなり時間のかかる点は使いこなし上の注意点だ。しかしコントロールアンプのデザイン(というより仕上げや色あい)は、誰にすめても嫌われるので、この点がややマイナスポイントという次第。
 ⑧はデザインも音質もトータルにバランスがとれて、中庸をおさえたおとなの風格を持っていて、製品としての完成度は最上位のグループにひけをとらないが、音質の面でこれならではという魅力をわずかに欠くという点で特選とまではゆかないが、反面、あまり個性の強い音を嫌う向きには喜ばれるだろう。
 その点では⑨にも同じことがいえる。ただし、外観が少々メカ志向であること、ファンクションが私には少々ものたりないことで、やはり上位には入らない。
     *
 海外製品に移ると、⑩のおそろしく透明度と品位の高い、しかしやややせ型の音質と、⑪透明感でわずかに劣るが⑩にはない音の厚みと豊かさをとるか、の違いはあるが、ともに私自身がこんにちの世界中のアンプの中でベストに入れたい組合せだ。
 ⑫はそれとは全く逆に、書斎やベッドルームや、またオーディオマニアでない愛好家のインテリアを重視した部屋などで、出しゃばらず場所をとらず、いつまで飽きずに使えるアンプとして、やはり存在価値が高い。
 ⑬から⑮までは、トータルバランスのよさ、そしてグレイドの高いハイパワーアンプでしか聴くことのできない充実感と安定感が、それぞれに音のニュアンスを異にするもののいずれも見事なバランスに支えられて好ましい。
 ⑯のマッキントッシュは、⑭のGASと共に必ずしも私個人の好みとは違うが、この豪華な味わいはほかのメーカーの製品からは決して得られない。
 ⑰と⑱は、スリムで簡潔な作りの、最近のアメリカのセパレートタイプのひとつの傾向の中で、バランスよく手際よくまとめられた手ごろな製品で、ともに肩ひじの張らない音のよさが見陸だ。
 ⑲は、この仕上げの粗さが必ずしも私の好みではないが、内容本位という点で、ローコストであることを前提にその割には良い音、という意味であげた。

■コントロールアンプ単体
 ❶のML1Lについては改めていうまでもない最上の音質。ただ、実際に使ってみて私にはやはりトーンコントロールのないのがちょっぴり不満になる。
 ❷は設計がアメリカ、製造が日本で、そのためにかなりローコストだが、価格以上の音質で、仕上げもよく、機能も充実して、コントロールアンプによいものの少ない現時点では、注目してよい製品。
 ❸のハフラーはメーカーとしては新顔だが豊富な体験を持つヴェテランの作品らしく、簡潔な手際よいまとめかたで、仕上げはまあまあだが輸入品としては安いという点が魅力。
 ❹から❻までは、コントロールファンクションが省略されすぎているが、最近の海外のソリッドステート技術のいわゆる反応の鋭敏さがそれぞれの音質の良さを支えている。
 ❼はコントロールアンプ唯一の国産品だが、パワーアンプとの組合せで示さないのは、同じシリーズどおしでは少々音がブライトすぎるように思われるので、もう少し穏やかなパワーアンプと組合せることを前提に、時間がなくて試みれなかったが、案外後出のダイナコの管球パワーアンプなど、おもしろいのではないかという気がした。

■パワーアンプ単体
 ❽と❾は、ともに数少ないヨーロッパ製のアンプだが、その繊細な品の良さ、滑らかでことにクラシック系の弦や声を鳴らすときのほどよい艶のある美しさと、やややせぎすながら立体的な彫りの深さはとても魅力的で、いずれもすばらしいパワーアンプだ。
 ❿はプロ用として入力回路が平衡型低インピーダンスになっているので使用上の注意が必要だが、内容は❽をプロ用としてモディファイした製品で、いくぶん硬質だが支えのしっかりした骨太の安定感のある音は独特だ。
 ⓫から⓰までは、国産の、それぞれによくできていると思われる製品を列挙した。これらはすべて、ペアとなるコントロールアンプとともに企画されている製品ばかりだが、あえてパワーアンプ単体だけをあげたは、裏がえしていえばペアとなるべきコントロールアンプの完成度が、それぞれのパワーアンプのレベルまで達していないと思えたからだ。その意味では、これらをより一層生かす、或いは持てる能力を100%抽き出すコントロールアンプが、それぞれに欲しくなる。ただ、⓬のパイオニアM25は、バランスを無視すればエクスクルーシヴC3があり、⓭のラックスM12は5C50が、またアキュフェーズはC220が、それぞれにあり、同じメーカーの中に良いコントロールアンプがある。もちろん他のメーカーの優秀製品と組合せることは一向に差し支えない。⓰についてはコントロールアンプの❼のところで書いた事を繰り返しておく。
 ⓱から⓳までの3機種は、アメリカ製の、それぞれに性格のかなり強いパワーアンプで、中ではダイナコ/マークVIの、いささか反応が遅いがすばらしく豊かで暖かい音がいまだに耳に残っている。解像力の良いコントロールアンプと組合せたときに音が生きてくる。⓲のDBシステムズと⓳のスレシュオールドは、ともにコントロールアンプがあるが、同一メーカーどおしで組合せない方がその個性が生かされそうに思って、別々にあげた。

国産/組合せ特選機種
①ラックス 5C50+5M21
②エクスクルーシヴ Exclusive C3+Exclusive M4
③ヤマハ C-2+B-3

国産/組合せ準特選機種
④アキュフェーズ C-220+M-60 (×2)
⑤オンキョー Integra P-303+Integra M-505
⑥ ラックス CL32+MB3045(×2)

国産/組合せ推薦機種
⑦トリオ L07C+L-05M (×2)
⑧デンオン PRA-1001+POA-1001
⑨テクニクス SU-9070 II+SE-9060 II

海外/組合せ特選機種
⑩マーク・レビンソン LNP-2L+ML-2L (×2)
⑪マーク・レビンソン LNP-2L+SAE Mark 2600
⑫QUAD 33+303

海外/組合せ準特選機種
⑬アムクロン IC150A+DC300A IOC
⑭GAS ThaedraII+AmpzillaII
⑮マランツ model P3600+Model P510M

海外/組合せ推薦機種
⑯マッキントッシュ C32+MC2205
⑰GAS Thalia+Grandson
⑱スレシュオールド NS10custom+CAS1custom
⑲スペクトロアコースティック Model 217+Model 202

コントロールアンプ特選機種
❶マーク・レビンソン ML-1L
❷マランツ Model 3250
❸ハフラー DH-101

コントロールアンプ準特選機種
❹AGI Model 511
❺DBシステムズ DB-1
❻オーディオ・オブ・オレゴン BT2
❼ビクター EQ-7070

海外/パワーアンプ特選機種
❽ルボックス A740
❾QUAD 405
❿スチューダー A68

パワーアンプ推薦機種
⓫Lo-D HMA-9500
⓬パイオニア M-25
⓭ラックス M-12
⓮サンスイ BA-2000
⓯アキュフェーズ P-300S
⓰ビクター M-7070 (×2)
⓱ダイナコ Mark VI (×2)
⓲DBシステムズ DB-6
⓳スレシュオールド 400A custom

「テスト結果から私の推すスピーカー」

黒田恭一

ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(下)」より

 二本で五万円のスピーカーと、一本が五十万円もするスピーカーとを一緒くたにして、どっちがいいとかわるいとかいっても、意味がない。高価なスピーカーでも、ハシにもボーにもかからないものがるとしても、一応は、一本で五十万円もするスピーカーの方が、二本で五万円のスピーカーより、ききやすいといえそうだ。しかし、一本五十万円のスピーカーを買わずに、二本五万円のスピーカーを買えば九十五万円残る。九十五万円あれば、一枚二五〇〇円のレコードが三八〇枚も買える。一本五十万円のスピーカーが二本五万円のスピーカーよりレコード三八〇枚分のたのしみを与えてくれるかというと、ことは、いとも微妙になる。三八〇枚のレコードといえば、毎日三枚ずつきいても、ほぼ一二六日かかる分量だ。おおよそ四ヵ月あまり、毎日、新しいレコードをききつづけるというのは、なんともたのしいことだ。
 もっともこれは、質的な問題を量的な問題におきかえての、これといった足場のない考えでしかないが、そんなことを、ふと考えたくなるような価格差が、今回とりあげたスピーカーにあった。スピーカーとて、安ければ安いにこしたことはないが、どうも、そうは問屋がおろさないようで、やはり、高価格なスピーカーにこれはと思って耳をそばだてるようなものが多かった。まあ、当然のなりゆきというべきだろう。
 試聴中に、これならと思い、メモ用紙のすみに○印をつけたスピーカーを、継ぎに、ずらっと列記することにする。あらためていうまでもなく、安いスピーカーから高いスピーカーの順番になっている。
 ヤマハ/NS10M、サンスイ/SP−L150、AR/AR17、デンオン/SC105、JR/JR149、ロジャース/LS3/5A、エクスクルーシヴ/Model3301、マランツ/Model920、スペンドール/BCII、ルボックス/BX350、ビクター/S3000、エクスクルーシヴ/Model2301、オーレックス/SS930S、アルテック/Model19、ヤマハ/FX1、JBL/4343。
 もっとも、これらが「ベスト」というわけではないし、「私が推薦するスピーカーシステム」などといえるものでもない。この値段でこれだけきければ、まあまあじゃないか──といった、妥協の気持もあっての選択だ。いずれにしろ、オールマイティなどということはありえないわけだし、有限の、しかもかなりきびしい制限のある財布の中の金をつかって、決して安価とはいいがたいものを買い求めなければならないわけだから、どこでどう妥協するが問題だ。
 しかし、その中でも、JBL/4343は、普段、自分でつかっているものなので幾分気はひけるからそれないでおくとして、マランツ/Model920とヤマハ/FX1には、特に心をひかれた。マランツの、もってまわらない、すっきりした反応は、大変このましかった。このスピーカーは、多分使いやすいスピーカーといえるのではないだろうか。ヤマハには、高い方の一部にちょっと癖がなくもないようだが、このスピーカーがきかせてくれた質的に高い音は、なかなか魅力的だった。もう少し安ければいいのにな──というのが、いつわらざる感想だ。それにもうひとつ、安い方では、JRのJR149を、あげておこう。このスピーカーの音でいいところは、ひびきがくぐもらないところだ。見ためはちょっと風変りだが、でてくる音は実にまっとうだ。

「テスト結果から私の推すスピーカー」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 45号(1977年12月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(下)」より

 前号でも価格のランク別に推薦スピーカーを列挙したが、それとは別に、無条件で推薦できる製品として、前回はセレッションのDITTON66をあげた。同じ意味で今回のテストからあげるなら、JBL♯4343とKEF♯105をためらわずに推す。この二つのどちらか、あるいは両方があれば、私自身はこんにち得られるレコードのどんな新しい録音でも、そこから音楽の内容を聴きとることに十分の満足をもってのぞむことができるし、これらのスピーカーがあれば、アンプやカートリッジの音質の判定にも相当の自信をもつことができる。言うまでもないことだがこのどちらも、いわゆるモニター仕様で設計されて、こんにちの時点でそれぞれ(少なくとも商品として)最高のレベルで完成している優れたスピーカーといえる。無条件で、と書きはしたが、しかし、いま「少なくとも商品として」と断ったように、大きさや形や価格の制約の中で作られる、言いかえれば個人が時間も規模も経済性も無視して作りあげるスピーカーとは違う現実の製品としては、やはり価格のランクの中で、という前提を忘れるわけにはいかない。
          *
 そこで前回に準じて、価格帯別に推薦機種を列挙してみる。
■30万円台以上の中から
 JBL L200B クラシックには少し苦しいが、ポップス、ジャズに関するかぎりやはり素晴らしい音で楽しませる。
 オンキョー セプター500 国産の大型としてはたいへんに完成度が高い。
 これ以外に、ヤマハFX1は試聴記にも書いたように、もう少し量産が進んでからの結果を見守りたい。
■20万円台の製品から
 タンノイ ARDEN

■18万円付近の中から
 インフィニティ QUANTUM4
 ダイヤトーン DS90C

■10〜15万円まで
 スペンドール BCII
 ルボックス BX350

■8〜10万円
 エクスクルーシヴ♯3301
 次点としてマランツ ♯920

■5万円前後
 B&W DM4/II
 BSW(ボリバー) MODEL18
 デンオン SC105

■4万円前後
 サンスイ SP−L150
 ダイヤトーン DS30B

■ミニスピーカーグループの中から
 これはテストしたスピーカーすべてが、それぞれに良かった。
 ロジャース LS3/5A
 スペンドール SA1
 JR JR149
 ヤマハ NS10M
 なおテストリポートには掲載されていないが、参考品として試聴した十数機種の中で、イギリス・ロジャースの新製品「コンパクトモニター」は、バランスの良い響きの美しさがとても印象深かった。同社のBBCモニターLS3/5Aのような緻密さには及ばないが、反面、大きさで無理をしていないせいか鳴り方にゆとりがあり、クラシックの弦を中心にとても楽しめるスピーカーだと思ったので、あえて追記させて頂く次第。 

テストの結果から私の推すスピーカー

瀬川冬樹

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

■セレッション DITTON66
 今回のテストを通じて最も印象に残った音といえばこれを第一にあげる。とくにクラシックの管弦楽や協奏曲やオペラ等での、おだやかでありながら適度に厚みと艶のある響きの美しさは──もちろんあくまでもこの価格でという前提つきで、だが──ちょっと類のない素晴らしさだ。新製品とはいえないが、そして前にも何度かとりあげられているが、初期の製品は、ペアで購入してみるとネジが左右で違っているのがついていたり、どこか町工場で作られたような部分があったが、最近の製品はすっかりこなれてきて、非常に完成度の高い、思わず聴き惚れるような、そして永く聴いていても少しも人を疲れさせない、本ものの音楽のエッセンスをたっぷりと響かせる。名作のひとつ、と言っても過言ではないだろう。
     *
 いまも書いたように、私たちが「推選機種」などのタイトルで評価する製品は、すべて、「この価格の中では」という条件がつく。もう少し正確にいえば仮に10万円とすればそれと同じ価格帯の、その時点でのその価格の製品の平均的な水準が、いつでも頭の中に整理してあって、それと照らしあわせた上で、テストした時点でこの価格帯の中では水準以上か、以下か、という観点から推選機種が浮かんでくる。
 したがってたとえば、一方に30万円という価格の割にはやや水準を下まわる、と判断して「推選」にならなかった機種があるとする。そして他方に、10万円という価格帯の中では水準をやや上まわると判断して、「推選」にした機種があるとする。その場合、30万円で推選にならなかった製品が、10万円の推選機種より音が悪いとは限らない。むしろ逆に、価格を考えずに音だけ比較すれば、推選にならなかった30万円の方が、10万円のより音が良いのがふつうだろう。このことがよく誤解されるらしいので、あえて蛇足を加えた次第である。
 そのことを前提として、以下に各価格帯別に推選機種を列挙すると──
■50万円以上では
 JBL L300(もしも4333Aが加わればもちろんこれも推選に入る)
 このほかにテクニクス SB10000が試聴記でも書いたようにかなりの音を聴かせたが、試聴した製品がまだ量産以前のものなので、今の時点では推選はさしひかえたい。量産に移ってからもこの水準が間違いなく保たれれば(あるいは量産に移ってから逆にいっそう性能が向上することもあるが)、問題なく推選機種にあげられる。
■20万円台の中から
 スペンドール BCIII
 JBL L65A
■18万円台の中から
 B&W DM6
 パイオニア CS955
 タンノイ BERKELRY
■10~15万円台まで
 フェログラフ S1
 ゲイル GS401A(専用スタンドと共に)
 ヤマハ NS1000M
■8~10万円まで
 KEF CANTATA
■7万円台では
 デンオン SC107
■6万円台では
 トリオ LS505
■5万円台では
 ビクター SX55N
■4万円台では
 デンオン SC104
(次点ヤマハ NS-L325)
 などがあげられる。

テストの結果から私の推すスピーカー

黒田恭一

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

 せっかくレコードに、ごくこまかいところまで入っているのだから、それをききたいと思う。きかなければ損だと思う。最近のレコードは、細部を拡大してはきかせてくれない。ききたければききなさい──とでもいうかのように、ピアニッシモはまさにピアニッシモのまま、レコードにおさめられている。だからききては、きこえてくるものを待っていられない。みずから求めて、音をつかまえにいかねばならない。そっくりかえってはいられない。
 しかもききては、欲張りだから、そのごくこまかい部分の音が、上質のひびきできこえてほしいと思う。これはつまり、サウンドのクォリティに対しての要求だ。この件に関しては、残念ながらというべきか、価格が関係する。高価なスピーカーシステムは(そのすべてがそうだというわけではないが)、おおむね、それ相応の質で、きかせてくれる。したがって、どうしても上質のひびきで──ということになれば、かなりの出費を覚悟しなければならない。
 しかし、もう少し手前のところで、スピーカーシステムを考えることもできそうだ。質的なことをひとまず棚にあげて、こまかい音への対応のしかたに的をしぼって考えることだ。そこでうかびあがるスピーカーシステムは、新しいレコードの新しいレコードならではの特徴を、一応はあきらかにする。 価格の下の方からあげていけば、デンオンSC104、パイオニアCS755、デンオンSC107、ダイヤトーンDS50CS、KEFカンタータなどが、その範疇に入る。たとえば、デンオンSC104などは、その価格からしても当然というべきかもしれぬが、真に迫力ある音をきこうとしても、それは不可能だ。ただ、ひびきの細部への対応力といったことでは、かなりのものだ。いかにも再生音じみた、ひびきのひろがりのなさは感じられるが、しかし、新しいレコードをきいているよろこびは、ききてに与えてくれる。
 ゲイルGS401Aは、そのいかにも瀟洒な、スピーカーシステムらしからぬ容姿ともども、今回試聴したものの中で、もっとも心ひかれたものだった。これにしたところで、腰のすわった、力強い音をきかせてくれたわけではなかった。だが、こまかいところまでききとろうとする、ききての、視線という言葉にならっていえば、聴線に、充分にこたえていた。そのすっきりしたひびきは、なかなか魅力的だった。
 フェログラフS1についても、ゲイルとほぼ同じようなことがいえるだろう。ただ、ひびきのキメこまかさということでは、こっちの方が一枚上だった。パイオニアCS955のひびきは、キャラクターとして、個人的には特に好きなものとはいいがたかったが、さまざまな音に対してのあぶなげのない対応のしかたで、ひいでていた。こまかい部分も鮮明で、ききてがひびきにでむいていくかぎり、それにこたえてくれた。
 さらに高価なスピーカーシステムでは、スペンドールBCIII、JBLL300、それにテクニクスSB10000をあげておくことにしよう。いずれも、まったく問題がないというわけではないが、新しいレコードの新しいレコードならではの魅力をひきだしてくれた。
 音楽をきく時に、そんな微細なところにこだわってばかりはいないという主張もあろうかと思うが、いずれにしろ、音楽をきくとは、音をきくことから出発せざるをえないわけで、だとすれば、ききては、いかにかすかな音に対してだろうと、貪欲に、おのれの聴線をひびきの森の中ではいずりまわすべきではないか。

試聴テストを終えて

黒田恭一

ステレオサウンド 44号(1977年9月発行)
特集・「フロアー型中心の最新スピーカーシステム(上)」より

「試聴」は、いつもながらのことだが、非常に疲れる。ひとことでいえば、はなはだしんどい仕事だ。そんなにつらいのなら、しなければいいじゃないかと、自分でも思う。でも、また、やってしまった。しかも、なんたることだ。しぶしぶいやいやではなく、いそいそと「試聴」にのぞみ、終って、気がついてみたら、疲れはてていた。
 そこで考えてみることになる。なにを「試」しに「聴」こうとして、いそいそとしたのか、つまり、「試聴」の目的は、いったいなんだったのか。いそいそとするからには、なんらかのたのしみが期待できたはずだ。そのたのしみとはどのようなたのしみだったのか。
 ふりかえってみて気づいたのは、この場合の「試聴」のたのしみが、その「試聴」の過程にあったということだ。結果として、どのスピーカーが好ましくて、どのスピーカーが好ましくないというようなことはわかる。しかし、だからといって、その、いわゆるよしあしの判断が、「試聴」の目的ではなかった。よしあしは、特に音に関するものとなれば、すくなからず主観が関係する。AがいいといったものをBがよくないというようなことは、ままある。 どうやら、「試聴」のたのしみは、自分をモルモットにするたのしみだったようだ。モルモットは意見をもちえない。ただ、音に対して反応するだけだ。しかし、その場合、モルモットが、いかなるレコードのいかなる部分をつかって、どのような部分にポイントをおいて反応したのかを、示しておく必要があるだろう。そのようにすることは、自分をモルモットとしておいこむのに有効でもあった。
 モルモットのしたことは、モルモットにできることにおのずと限界があるから当然のことだが、はなはだ単純なことだった。すなわち、モルモットがしたのは、ただ、興味の綱をたぐりよせることだけだった。ヴァイオリンのピッチカートが、ちゃんとピッチカートらしくきこえるかな? 少しぼやけているけれど、きこえた。それでは、月のフルートとオーボエのフレーズはどうかな? オーボエの響きがちょっとききとりにくいが、まあまあだろう──、モルモットの反応のしかたは、ざっとそんな具合だった。
「試聴」にあたってのプログラム、つまり興味の綱は、すでに、「試聴」に先だって、できていた。「試聴」しながら恣意的にあれこれレコードをえらぶということはしなかった。
 しかし、そういう方法が今回にかぎってのものとは、いえない。いつも、「試聴」に先だって、興味の綱はつくっておく。ことさらめかしたいい方になってしまうが、それぞれのレコードのそれぞれの部分で、こことこことここ──といったように、いくつかのチェックすべきポイントをもってきいている。そんなことは、あらためていうべきことではなく、当然のことでしかない。
 今回ちがったのは、おおよそどの部分を注意してきいたのかを示せ──という、編集部からの要請もあって、それをあらかじめ示したことだった。ただ、ここでひとことことわっておきたいのは、それそれのレコードで示したチェックポイントは、書きだしやすいものにかぎって、数も、それぞれのレコードについて5つにおさえたということだ。ちょっとお考えいただけば、すぐにもおわかりになることだが、1分そこそこしかきかなかったレコードと4分32秒もきいたレコードで、ひとしく5つずつのチェックすべきところが示してあることのアンバランスがある。
 だから、それは、モルモットがたぐりよせた興味の綱の一部を示しただけのものだ。全部はとても、繁雑になりすぎて、書ききれない。それに、たしかにその部分を注意してきいたのだが、その部分の音の内容についてうまく言葉にできなかったということもなくはなかった。
 しかし、いずれにしろ、編集部の要請にしたがったがゆえに、モルモットはモルモットに徹することができた。当然、その結果、このモルモットが書きつけた言葉には、抽象的な美辞麗句はありえない。しごく乾いた、味もそっけもない、きこえたとかきこえなかったとか、そんな言葉が、まさにメモ風に書きつらねてあるだけだ。今、ためしに数えてみたら、「試聴」の際にとったメモは、ひとつのスピーカーについて、ほぼ3000字ほどある。
 むろん、いくらなんでも、それをそのまま活字にするわけにはいかない。なぜなら、そこには重複があったり、自分にしかわからない暗号風な言葉があったりするからだ。それを幾分整理したのが、別項の「試聴メモ」ということになる。
 ここがこうなら、次のところはどうか──といったように、ということは、別の言葉でいうと、土竜(もぐら)が土に穴をほるようにということになるだろうが、ききつづけた。疲れは当然というべきかもしれない。しかし、反面、たのしかった。モルモットだか土竜だかしらぬが、ともかく試聴者は、せいいっぱいおのれの耳の視線を、音の群れの中にしのびこませた。疲れたのは、耳と、耳が感じとったものを書きつける手だった。およそ頭は疲れなかった。頭は使いようがなかったからだ。
 たとえばヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」の前奏曲で、低音弦のピッチカートがどうきこえるかは、はなはだ音楽的な問題だが、そのことについてあれこれいうことを、この際、モルモットは、放棄した。
 それでは、モルモットよ、お前は、木をみて、林をみなかったのか?──という質問があるかもしれない。その質問に答えておこう。たしかに、そうだ。モルモットがみたのは、木であって、林ではなかったかもしれない。しかし、ここでモルモットが選んだレコードは、俗にいわれるオーディオチェック用レコードではなかった。たとえ一部に、いわゆるデモ用レコードとしてつかえそうに思えるものもなくはなかったが、大半は、ことさらに響きの部分拡大をしていない、音楽をきくためのレコードだった。そこでモルモットは、木をみとどけるために、みずから、おのれの耳を、木々のたちならぶ、つまり林をかきわけて、中に入りこまざるをえなかった。なるほど、結果としてみたのは木でしかなかったが、林を意識しての木に対しての、モルモットのモルモットなりの視点だったということができる。
 ここがこうきこえて、あそこがああきこえた──という結果をよせ集めれば、たとえば新聞の写真のように、それなりに顔なり景色なりが浮かびあがってくる。しかし、今回のここでのモルモットは、その作業をおこなわなかった。点が黒いか、灰色か、白いかは、できるかぎり明記したが、それが示す顔なり景色なりについては、ふれなかった。顔の写真を好む人もあるだろうし、景色の写真を好む人もあるだろうから、顔の写真がいいという人に、景色の写真のよさを力説することはしなかった。
 しかし、モルモットには、モルモットなりの感想があった。それは、個々の木が十全であって、しかも林の輪郭がぼけたものはなかったということだ。ということは、部分が十全であって、しかも非音楽的にしかきこえなかったスピーカーはなかったということだ。これがもし、部分拡大されたレコードでの、「試聴」だと、そういはいかないのだろうが、最近の、しかもすぐれたレコードは、極端に部分拡大をこばんでいる。モルモットが、できうるかぎり最新のレコードをえらんだ理由は、そこにある。
 最近のレコードは、ほら、おききなさい、これがコントラバスですよ、これがピッコロですよ──といったようには録音されていない。ききての耳が入りこんでくるのを待っていて、そこまで耳がいたれば、それなりにコントラバスの音なり、ピっ子の音なりをきかせてくれる。そういうレコードで、モルモットは、「試聴」した。そして、むきになって穴をほって、むくわれたこともあり、石ころにばかりぶつかって苦労したこともあったが、たのしかった。

「テスト結果から 私の推選するプリメインアンプ」

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 全35機種中、推選機種をあげるとなると難しい。線の引き方で、どうにでもなってしまうからだ。価格とのかね合いで、徹底的に主観的判断をもって音質の好みをとり、客観的に、デザインを含めた商品としての完成度とバランスさせて選んだのが13機種である。視点を変えれば20機種以上を選び出してもおかしくないし、極端に言えば一機種にしぼることもできるというのが、この種の選考である。
 以下簡単に、13機種について推選理由を述べておくことにする。
 ソニーのTA3650は、きわめて手馴れたアンプづくりのキャリアが生きていて使い勝手のいいパネルレイアウトと、万人向きのデザイン、音のよさはこのクラス随一といってよいし各種スペックも控えめながら信頼性が高い。
 サンスイのAU607は、同社のアンプとしては飛躍的な佳作で、DCアンプ構成をとり、操作類は簡略化されながら、よく検討された機能とスムーズな動作で安心感がある。元祖のブラックパネルは現代的で緻密な感覚にあふれたデザインの高品質なアンプである。
 パイオニアのSA8900IIは、IIになってやや音が無性格になったとはいえ、試聴記でも書いたようにあらゆるソースをこなすオールマイティと、よく練られた造形とセンスは第一級の製品だと思う。
 ビクターのJA−S75は、大変オーソドックスで格調の高い音質、ややアンバランスなところはあるが嫌味のないデザインと、がっしり組まれた電源の質の高さなど、プリメインの模範的製品という感じである。
 サンスイのAU707は、AU607をさらに充実させたもので、ここまでくると、あとはファンクションの豊富さと質を落とさずパワーアップという発展を残すのみ。85W×2というパワーと、この音質の両立は文句なく推選に値する。
 ソニーのTA5650はTA3650のパワーアンプ・バージョンと考えるのは間違い。機能をより豊富にして質を上げたもので、私にはDCアンプの同社新製品をしのぐ音の品位が感じられた。
 トリオのKA7700Dは、現在のアンプとしての特性のあらゆる点を盛りこんだ代表的なモダンアンプとでもいえるもので、DCアンプ構成、3電源方式の採用など、豊富なフィーチュアを持ち、それが単なるフィーチュアに止まらず、実質的に中味の濃い製品まで練られた徳用品である。高級プリメインアンプとして充分な質とパワーを備えた信頼度の高い製品だ。
 オンキョー・インテグラA722nIIは、同社としては新しい製品ではないが、充実した内容と、オンキョーらしさをもった佳作である。新シリーズより安心して音楽が楽しめると思う。新しいものにそれなりの良さもあるが、このほうが音の品位、堅実味で好感が持てる。
 ラックスのL309Vも同社の旧シリーズのイメージ・デザインだが、いかにもラックスらしいアピアランスと音の品のよさが魅力だ。マニアックな製品をつくるラックスの体質が感じられる趣味性を評価したい。
 トリオのKA9300は、プリメインアンプとして同社の最高級に位置するのみならず、一般的にいって、代表的プリメインアンプとするに足る。音質については試聴記を参照していただきたいが、質に独特な弾力性のあるのが好みの分れるところだろう。力強く、よく弾む音と、トリオの経験が集積されたアンプ構成・レイアウトは、さすがに完成度が高い。
 ヤマハのCA2000は一口にいって最高の機能と質をかねそなえた一級品だ。使ってみれば、その感触のデリカシーに高級品の味わいを感じであろう。
 パイオニアのSA9900とマランツ1250は20万円近いプリメインの究極的な製品で、パイオニアのヴァーサタイルな信頼性、マランツの個性と風格は、互いに異質ながら、このクラスを求める人に充分な満足感を与えるはずである。
 以上の他、上げればキリがないが、詳しくは試聴記から判断していただければ幸いである。

「最新プリメインアンプ35機種の試聴テストを終えて」

瀬川冬樹

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 前回のプリメイン総合テスト(33〜34号)のとき参加できなかったので、私にとっては27号以来約四年ぶりの集中テストであった。27号のテストで個人的に印象の強く残った製品は、デンオンPMA700、500、300Z、トリオKA8004、ヤマハCA1000、ラックスSQ38FD、などだった。あれから四年のあいだに、生き残っている製品はひとつもなくなってしまった。が、それならいまあげたアンプを、現在、という時点で聴き直してみたら、はたしてどう聴こえるだろうか。新製品あるいは改良型というものが、ほんとうに必然性を持って生まれてくるものなのだろうか。
 たとえば音楽的なバランスの良さ、とか、音の魅力、といった面では、右にあげた製品はいまでも立派に通用すると思う。しかし最近の良くできた製品からみれば、音の充実感あるいは緻密さ、音の鮮度の高さ、などの点で少しずつ劣る部分はある。製品によってはパワーが少々不足するものもある。ただ、そうした面が、それぞれのメーカーの改良型や新製品ですべて良くなっているか、となると、必ずしもそうではない。改良または新型になって弱点を改良した反面、以前の製品の持っていた音の独特の魅力の方を薄れさせ或いは失ってしまった製品もある。
 細かくいえば、いまの時点でも十分に魅力を聴かせるのはデンオンのPMA500と300Z、それにトリオのKA8002だ。言いかえれば、それらの改良型または新型が、軌道修正をはかった結果、プロトタイプの持っていた音の魅力を失ってしまったと私は思う。
 デンオンのPMA700はZになって、またヤマハCA1000とラックス38FDはともにマークIIになって、プロトタイプの良さを失わずに改良に成功し、た方の例だと思う。ところがヤマハはさらにマークIIIを出したが、これは必ずしも改良とは言いきれない。というよりその直後に出たCA2000の方が出来栄えが良いために、この方がむしろCA1000のマークIII的な性格を素直に受け次いでいて、かえってオリジナルのマークIIIのかげが薄くなってしまったように思える。製品の練り上げとは、ほんとうに微妙で難しいものだと思う。
 どんなに良い製品でも、完璧ということはありえないし、時の流れとともに変化する周囲の情勢の変化に応じて、少しずつであっても改良を加えなくては生き残ってゆくことはできない。しかしアンプに限っても、改良のサイクル(周期)が、少し短すぎるのではないか。新製品あるいはモデルチェンジが、頻繁におこなわれすぎるのではないか。アンプテストをふりかえってみると、いつもそう思う。研究し比較し、貯金して、買おうと思うアンプに焦点を絞ったところで、また新型が出る。やっと念願かなって一台のアンプを購入したと思った途端に新型が出て裏切られたような口惜しい思いをする。
 改良は必要なことだ。製品がより良くなるのは嬉しいことだ。けれど、いまのように、一年やそこいらで全面モデルチェンジなどという必然性があるとは、私にはとても思えない。たしかに素材や技術の進歩・改良のテンポは早い。だが、それをとり入れて十分に消化し熟成させて製品化するのに、半年や一年でできるわけがない。少なくとも、春と秋に各メーカーが一せいに歩調を合わせてニューモデルの発表をするというような現状は、少々狂っているとしか言いようがない。
 たしかにここ数年来、レコードプレーヤーやカートリッジや、テープデッキや、チューナー等、プログラムソース側の機材の進歩はいちじるしい。スピーカーもまた、急速に改良されはじめている。そうした周辺機器ばかりでなく、レコードの録音の技術的あるいは芸術的な変遷や、音画の作品や演奏や聴き手を含めての時代感覚の変容を、本質のところで深く鋭く掴え性格に敏速に反応してゆくことが、ンアプには要求されている。そうした本質を正しく掴えた改良であるか、それとも単にマーケットの表面的な動勢に振り回されての主体性を失ったモデル珍事であるか、が、新製品の存在理由を明らかにする、と私は思う。
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 今回のテストは、たまたま、昨年発売された本誌別冊「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」でのセパレートアンプ・テストから一年を経ていなかったため、セパレート型の上級機での素晴らしい音質が、どうしても頭の隅にこびりついていて困った。けれど、そのことは逆に、プリメインタイプのアンプのありかたについて、改めて考えさせてくれた。
 ほんらいセパレートにしてまで追求しなくては得られない音質を、プリメインの中級以下の機種に求めることがはじめから無理な相談であることは言うまでもないが、どうやらこの自明の理を、メーカーの中には少々誤解している向きもあるのではないか。その点、はじめにあげた、PMA500やKA8004やSQ38FDなどは、プリメインという枠の中で、ひとつの定着した世界を築き上げた名作だと私は思う。
 アンプの大きさや重さや、操作上必要なコントロールファンクションなどのあらゆる面から、もう少し機能に徹して、必要かつ十分のファンクションというものを洗い直して、そこにプリメインならではの音の魅力をあわせ持った、ピリッと小味の利いた名作を、どこかで作ってくれないものだろうか。そういう意味で、現代のプリメインのありかたというものを、製作者もユーザーもジャーナリズムも流通経路にたずさわる方々も、皆で改めて考え直してみる時期にさしかかっているではないだろうか。
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 テスト中にとくに操作面で気になったいくつかの事項を書き加えておきたい。
 国産のアンプのほとんどが、VOLUMEのつまみを大型にして他の機能と区別し扱いやすくしていることはよいが、半数以上の製品は、つまみを廻すにともなってシャーシ内部でコチコチとクリック音がする。これは、高級機で採用されたアッテネータータイプとその簡易型の変種であるディテント型(dB目盛りで音量を絞るタイプ)が、目盛りをはっきりさせるためにつけているクリックだが、このクリックストップは、そろそろやめにしてもらいたい。つまみが階段状に廻るのでこまかな音量調整がしにくいし、レコードの終ったところで手早く絞ろうとすると、コリコリコリ……と余分な機械音が、音楽を聴き終って良い気持になっている聴き手の気分のじゃまをする。この点、テクニクス80Aのボリュウムのつまみのしっとりした感触はとてもよかった。
 もうひとつ気になることは、これはずいぶん前から本誌のテストでたびたび指摘されていることだが、トーンコントロールのONによって音質の劣化するアンプがまだかなり多いこと。トーンディフィートの状態ではとても新鮮な良い音がするのに、ちょっと低音を補整したいと思ってトーンをONにすると、とたんに音が曇る、というのが多い。どうも製作者側が、トーンコントロールの活用を軽んじて、回路設計に手を抜く傾向があるようだ。フィルターのON−OFFでも音質の劣化する傾向のあるアンプがいくつかあった。
 レバースイッチ類の操作にともなうシャーシ内での機械音・共鳴音の大きいアンプも気分を害する。ボリュウムのクリックと同様にいえることだが、アンプとして必要なのは良い音を聴かせてくれることで、音楽の音以外の機械的な共鳴音は、できるかぎりおさえるべきだと思う。機械音ばかりでない。スイッチの操作にともなってスピーカーから出るノイズは、皆無にするべきだが、この点案外ルーズな製品がまだ意外にあった。残留雑音もしかり。スピーカーが一時よりも能率を高める傾向があるのだから、静かな住宅地で、深夜、ボリュウムを絞りきったときに聴取位置でノイズの聴こえるようなアンプは困る。
 もうひとつ、出力表示のためのメーターをつけたアンプの場合、ピーク指示またはVU指示のどちらでもなく、単に飾りとしか思えないような針のふれ方を示すものがあった。聴感と対応しないようなメーターはやめにしてもらいたい。この面では、ヤマハCA2000等のピーク指示計が非常に正確な反応を示したが、ラックス5L15のメーターのふれかたは、どうもよく理解できなかった。

「最新プリメインアンプ35機種の試聴テストを終えて」

菅野沖彦

ステレオサウンド 42号(1977年3月発行)
特集・「プリメインアンプは何を選ぶか最新35機種の総テスト」より

 プリメインアンプ35機種のヒアリングテストを終えた。5万円台から10万円台まで17社の製品であった。おそらくオーディオ・コンポーネントシステムの構成に、このクラスのアンプは、最も多く使われるものだろうし、メーカーにとってもユーザーにとっても、一番重要な主力製品といえるだろう。本誌がまとめた本年の1月10日現在のプリメインアンプ価格分布表を見てもその機種数は、3万円台に次いで、5、8、6万円台がそれぞれ多い。3万円台はいわゆるシスコン風のプリメインアンプとみてもよいだろうから、本格的なコンポーネントとしてのプリメインアンプは5万円台から10万円台に分布していると見てよいだろう。ごく少数、20万円台以上の製品もあるが、そのぐらいの値段になると、セパレートアンプとオーバーラップして、むしろセパレートの価格帯域と考えてよい領域に入るであろう。したがって、今回の本誌のプリメインアンプのテストは、文字通りプリメインアンプのすべてといってもよいものだし、それだけにテストに加わった一員として、その任の重さを感ぜずにはいられなかった。
 そもそも、アンプによる音質の変化というものは、その表現が大変に難しい。私の役目は、その音質の試聴感にのみ限られていて、アンプとしての操作性や、動作、総合的なデザインや完成度などといった視点からの判断は除外されているのであるが、だからといって、そうした要素を全く切り離してアンプの音だけが純粋に評価し得たとも思わない。できるだけ、そうするように努力はしたが、人間の総合感覚として、どうしても視覚的、触覚的要素を完全に切り離すことは困難であるし、また、そうすることは不自然である。ブラインド・テストという方法は、目に見える部分を無視するか、共通・同一の条件と仮定してなら意味があっても、きわめて非現実的であって、特に私個人のオーディオ感からは全く無意味である。これについて詳しく書いているスペースはないが、要は、人間を基本に考えた、生きた評価が重要で、それ以外の定量、定性的評価は測定に頼る他はない。そして、その測定の満たせない部分を、人間的に判断する意味があるからこそ、こうしたテストがおこなわれるものだと思うのである。
そんなわけで、私のテスト記は、決して機械的正確さはないことを、はっきりお断りしておきたいのである。したがって、少々極端な表現が出て支障があるかもしれないが、それは私の性質であり、癖であるとお考え願えれば幸せである。思ったことを率直に述べるのが、私の性分なので、何とぞ御寛容のほどをお願いする次第である。この種のテスト記は、筆者が、いかなる人間であるかという理解が前提になってこそ、意味があると私は思っている。狭くは、その音と音楽への思考や思想であろうけれど、本当は、人となりすべてが大きく影響するはずだ。また、それが重要だからこそ、本誌でも一人のテスターではなく、数人のテスターにやらせているだと思う。だから、テスターによって評価が異なることは至極当然であろう。ただし、大筋において、評価が一致することも当然であろう。このことに感心をもたれ、各テスターの評価を、読者諸兄なりに総合して判断されれば、参考になるではないかと思う。よくAという人とBという人の評価が全く違うから、この種のテストは信用できない、でたらめだという批判を聞くが、それはあまりにも単純だし、音や音楽と人間との関係を無視しすぎる考えだと思う。そういう考え方では、オーディオのすべてが不信の対象になってしまうだろう。本誌の愛読者ならば、そんな考えをもっておられるはずはないとは思うが、どうしても、今一度お断りしておきたい問題なのである。
 私のテストは、瀬川冬樹氏と同時におこなわれた。二人で、同時にレコードを機器、一台一台、その場で試聴記を書いて編集部に渡すという方法であった。このほうが印象が新鮮だし、あとで現行をまとめるより、率直でいろいろな思惑に悩まされることがなく、私には好ましい方法だと考えたからだ。それも、先に述べたような考えが私にはあるからであって、もっと、総合的に、それぞれのアンプに対する評価を述べるとなったら、とてもこの方法では無理であったと思われる。他の専門家による測定その他の客観的な評価と合わせて、一つの完成した評価が、それそれの読者のイメージとして把んでいただけるのではないだろう。
 次に、35機種のプリメインアンプを試聴した全体的な印象について、個々の試聴記で述べられなかったこと幾つかを、ここに記すことにしよう。
 まず強く印象に残ったことは、アンプがよくなったということである。データを見てもわかるように、諸歪率は、ほとんどのアンプが、コンマ・ゼロ何%以下という値であり、SN比も最低70dBを越えている。こうしたデータと音質の関係は、ほとんど耳で聴いて判断は不可能であるから、これをもって、アンプがよくなったと断じるのは早計かもしれないが、計測し得るデータはよいほどよいというのが私の持論だし、音質や音色の魅力は、その上でのことだと思っている。事実、ほとんどテータに変わりのない二つのアンプが、音では全く異なった印象をもつものが珍しくないのであった。アンプの音質の差というものは、たとえていうなら、人間の体質のようなもので、スピーカーやカートリッジが、人間の顔を中心とした、体形などの造形的違いとすれば、アンプのほうは、肌のキメの違い、肉のしまり具合の違い、体温の違いとでもいった印象の差として現われる場合が多い。したがって
、こうした細かい点に注意しなければ、どんなアンプでも、美人ぞろいであって、プログラムソースや、スピーカーの造形を変えてしまうようなひどいものは、今や見当らなくなったのである。そのわかり、ひと度、そうした質に感じる感性を養った人にとっては、きわめて重要な本質的な品位と性格を決定するのがアンプの音だといってもよかろう。データが一様に向上した現在も、こうした質的な違いは、すべてのアンプに残されていたのである。今や、回路図とデータを見ても、そのアンプを知ることはできない。アンプに関するそれらの資料は、見合いの相手に関する履歴書と、慰藉の診断書みたいなものだ。高調波歪0・01%とか、周波数帯域DC〜500kHzなどというデータは、見合い写真に、胃袋のレントゲン写真を見せられたようなものだ。会ってみなければわからない。聴いてみなければわからないのである。いいアンプづくりのノウハウは「優れた回路設計と同様に、部品の選び方や、シャーシを含めたコンストラクションなどの現実の工法にウェイトがある」と語った、あるアメリカの私の友人の言葉が思い出される。設計だけでは、いいアンプは出来ないというのは当り前のようであるが、従来のアンプ製造は、どちらかといえば設計に80%以上のウェイトがおかれていたのではあるまいか。建築設計というものは、工事の現場からのフィードバックが重要なプログラムであるらしい。アンプづくりと家づくりはちょうど逆の性格をもっているのではないか。設計図なしで、立派な家を建てたのが昔の大工である。現場を知らずに精密な設計図を書くのが今の建築師である。アンプでは、今までは設計図重視であった。そして、その結果の確認は、測定データであって音ではなかった。今、現場の工事が、唯一の目的である音に大きく影響を与えることが認識されはじめたのであろう。これだけ多くの大同小異のデータをもったアンプが、それぞれ異なったニュアンスで音楽を鳴らすのを聴くにつけ、アンプがよくなったという実感とともに、面白くなった、難しくなったという感慨を持ったのである。
 もうひとつ、書き落としてならないことは、新しいものが必ずしも古いものより優れていなかったということである。もちろん、なんらかの点で、より優れたものが出来たからこそ、新シリーズとして誕生するのであろうが、実際に音楽を聴いてみて、明らかに旧シリーズのほうが勝っていたと思われるものが少なくなかったのである。データ上では、新しいものは必ず改良されているのを見るとき、何か見落としてはならない大切な問題の存在を感じるのである。
 音というものは、本当に難しい。しかし、味なものである。エレクトロニクスの粋であるアンプが、こんなに音のニュアンスに噛み合ってくる事実を知るとき、電子の存在に、一段と親しみを感じるのを覚えた次第である。