相性テストの結果から選ぶコントロールアンプとパワーアンプのベストマッチ例

菅野沖彦

ステレオサウンド 65号(1982年12月発行)
特集・「高級コントロールアンプVSパワーアンプ72通りの相性テスト」より

 セパレートアンプ、つまり、独立したプリアンプ(コントロールアンプ)とパワーアンプの世界は、コンポーネントの組合せによる音のバリエーションをさらに細分化するものである。プリアンプとパワーアンプが、アンプとしての動作に本質的な違いがあることはいうまでもない。それは、電気的にも機能的にもいえることであって、むしろ、セパレートされていることのほうが自然の形ともいい得るかもしれない。解り易く整理した表現をすれば、プリアンプは、プログラムソース(レコードやテープなど)の変換器(プレーヤーといってもよい)を動作的に完成させるものであり、これに対して、パワーアンプはスピーカーの動作を完成させるものだ。したがって、同じような電子回路をもっているように見えても、この二つのアンプは、ただ、その回路を二分したという意味以上の必然性を持っているといえる。さらに敷衍するならば、プリアンプの設計・製造には、プレーヤーなどのインプット側の変換器の特質の理解が絶対に必要であるのに対し、パワーアンプのそれは、スピーカーの特質への対応性が条件となってくる。プリアンプは受動的要素が強く、パワーアンプは能動的要素が強いといってもよいであろう。こう考えてくると、このプリとパワーを一つにまとめたインテグレーテッドアンプ(プリメイン型)をユニットして考えるより、セパレートアンプとして、これを二分された個々のものとして考えるほうが自然であり、また、その相互のもっている音の個性を組合せによって厳密に選択追求していくことのほうが、より精緻な音質追求の方法として精巧な手段だということになるだろう。裏返していえば、セパレートアンプの世界は、まことに複雑精妙で、厄介で難しく、より高度な知識と熟練、そして時間と経費と努力を、使用者に強要することになるのは当然だ。
 しかし、音楽が複雑精妙なニュアンスに満ちた楽音を、人間の感性、情緒の洗練の極といってよい美学と、細やかな心の襞と肉体の力によって織りつめられた綾であり、聴き手は、表現する側に優るとも劣らぬ豊かな感性と、個々の資質や嗜好によってこれを受け取り、自身を満す喜びを求めるものである以上、そこに介在するメカニズムには寸分の隙をも許さない厳格さで対することは、むしろ当然であろう。だから、一度、この微妙な音色、音質の違いに心眼が開けたら最後、セパレートアンプによる精緻な音質追求こそ、汲めども尽きぬオーディオの楽しさとして感じられることになるだろう。周知のように、カートリッジ、トーンアーム、ターンテーブル、スピーカー、そしてアンプ系と、コンポーネントシステムの相互的な組合せと、その使いこなしの技術と努力によって、ありとあらゆる音の違いが存在するオーディオの世界であるが、セパレートアンプはそこに、さらに選択度と自由度と、高い可能性をもたらすのである。
 そしてもう一つの大きなポイントは、原則的にセパレートアンプは、プリメインアンプの水準を超えたパフォーマンスとクォリティをもったものであるということだ。多くの製品の中には、プリメインアンプに劣るようなセパレートアンプ、あるいは、セパレートアンプに優るプリメインアンプの存在も認められるが、私個人としては、それは正しい姿だと思わない。セパレートやブリメインを、単なるスタイル上の違いとして捉えることには賛成できない。セパレートアンプは、プリメイン型のプリアンプ部とパワーアンプの水準を、常にその時点での技術水準で凌駕しているものでなければ、存在の必然性がないという考え方である。この本質を持たない商業的商品を私は認めたくないのである。この考え方で厳格に判断すると、残念ながら、納得のできるセパレートアンプはそそう多くは存在しない。今回取り上げられたものの中にも、首をひねりたくなるものもなくはない。
 しかし、先述したように、音のバリエーションの選択度、自由度を考慮に入れると、ことは複雑になるわけで、オーディオの客観性と主観性の入り乱れた難しさ、面白さを思いしらさせるのである。例えば、ある種の管球式プリアンプのように、S/N比が決してよいとはいえないような製品は、技術的には全く問題にしたくない。製品の完成度の点では明らかに落第である。今時、プリメインアンプの安物でも、もっとS/N比は優れたものばかりだ。しかし、そのプリアンプのもつ音の魅力を個性的に好むなら、そしてそれがプリメインアンプでは得られない質だと判断するのなら、その存在を頭から否定できないのである。たとえS/N比が現在の水準で決してほめられたものではなくても、音の魅力と天秤にかけて、我慢できる範囲なら、存在の必然性を認めるべきだという気もする。メーカーには徹底的に客観性、つまり技術の正しさと高さを要求しても、これを使い楽しむ側にとっては、主観性、つまり好きか嫌いかという嗜好性が最も重要な条件となるからだ。
 セパレートアンプを使うというくらいのユーザーなら、当然、技術的に水準以上の再生音を要求する人にちがいない。つまり、再生音としてのプログラムソースへの忠実度、正確さを求める人達だろう。しかし、そうした物理的条件を満たしただけでは完成しないところが、オーディオの、レコード音楽の実態である。いやむしろ現実は、自身の好みの音を、より強く求めているようだ。好みの中に、物理的忠実度、正確さをもが含まれているというべきかもしれない。レコード音楽鑑賞という個性的音楽再創造行為として、複雑微妙な音色、音質への個人的要求の、きわめて強い人たちであろうと思う。したがって、セパレートアンプの選択は、知的に性能を判断すると同時に、情緒的に個々の感性で音を聴きとらなければならない。もちろん、これはセパレートアンプに限ったことではないが、他のものの選択より高度な判断力を必要とすると思う。また、すべてのものについていえることだが、機械は優秀な動作さえすればよいというものではないだろう。その優秀な能力にバランスした製品としての魅力が、視覚的にも触覚的にも味わえるものであってほしい。セパレートアンプは、その方式からして高級アンプであり、高級商品である。そして、それを手段として得ようとする音楽の世界は、当然並の水準よりはるかに高いものだろう。高度な音楽的欲求にふさわしい雰囲気を、使う人に感じさせてほしいと思うのは私ばかりではあるまい……。機械の品位は、材質の質的高さと、加工精度、その機械としての必然をもった形態、そして、色彩を含めたデザイン感覚の順で決まると私は考えている。つまり、どんなに洒落た色合いやスタイルでも、材質が安物では全く駄目だ。材質の品位が高ければ、それ自体でも品位が感じられるということだ。アメリカ人は、オーディオ機器についても、よくコスメティックという言葉を使う。いうまでもなく化粧である。どうも、この言葉の使われ方に私は良い印象を受けない。なんとなく、材質の品位や、工作精度といった本質的な意味とは遠い、ごまかし的イメージを受けるからである。日本ではデザインといわれるが、デザインというとむしろ中味の設計を意味するので、外観のフィニッシュはコスメティックといって区別しているのだろう。言葉の使い方の問題ではあるが、コスメティックという言葉から私が受けるようなニュアンス、イメージをもって、機械を仕上げるのを私は好まないのである。少なくとも、セパレートアンプのような高級製品には、あって欲しくない事だ。自動車のボディのように形態が、そのまま、性能や機能に影響を及ぼすものでさえ、千差万別の外観があり、品位の落差がある。本当に高級な車のボディは、例え全体のスタイルを見なくとも、せいぜい、10cm四方の部分だけをとっても、品位が解る。つまり、材質の品位と加工精度が違うのだ。また、このことは、いかなる部分といえども、ごまかしや手抜きがあってはいけないということにも通じる。昔とちがって、今は、車もオーディオも、こうした点では一抹の淋しさを禁じ得ない。
 今回、私が試聴したセパレートアンプは、海外製の7機種のプリアンプに、それぞれ4機種のパワーアンプを組み合わせるというものだった。この組合せは、考え得る組合せの、ごく一部にしか過ぎないが、それでも合計28種類の組合せである。千変万化とはいえないが、おおよその見当はつくかもしれない。7機種のブリアンプが、だいたいどういう傾向のものか、パワーアンプが同メーカーのものである場合、それを規準にして、他のアンプではどう変化するか、組合せとしてどれが最も好ましいか、といったことをさぐってみたわけだ。同メーカーにパワーアンプのないものもあるが、これは異質なパワーアンプの組合せの変化の中から、そのプリアンプ共通の個性をさぐるよう試みたつもりだ。しかし、この程度のことでは、決して明確に素姓を知ることにはならないので、他のパワーアンプとの組合せについては、知識と体験により類推していただく他はない。いわば、きわめて曖昧なテスト方法といわざるを得ないであろう。したがって、むしろ、今回の28種の組合せの試聴という限定の中で、個々の音のリポートとして受け取っていただくほうが無難である。テスト後の心境としては、テスターとして、まことにすっきりしないというのが偽らざるところであるが、今回は諸般の事情により、このような形をとらざるを得なかったようだ。また、この種のセパレートアンプでドライヴするスピーカーは、これまた個性の強い高級スピーカーが多いはずだが、これをJBL4344に限定しておこなったことも批判があるだろう。しかし現実に同じようなテストを数種のスピーカーについてやるとなると、なおさら大変なことになるわけで、一つの記事の中で、やりおおせることではない。したがって、ステレオサウンド本誌、別冊の総合的な企画の中での一つの角度からのリボートとして、このテストを受け取っていただくようにお願いする次第である。
 最後に、御参考まで、今回の28種の組合せの中で、特に好ましかった組合せをあげてみたいと思う。7機種のプリアンプの中で、私が素晴らしいと思ったものは、三つ。マッキントッシュのC33、クレルのPAM2、そしてマーク・レビンソンのML7Lであった。あとは、どこかに良さはあっても、それを相殺してしまう不満があって、総合的に価値を認め難かった。
 3機種のプリアンプは、いずれも同メーカーのパワーアンプとの組合せが規準というに足る良い結果であったが、ここで、他メーカーのアンプとの組合せで好結果の得られた3種をあげておくことにする。
①マッキントッシュC33+サンスイB2301
 テスト時には、やや低域過大であったけれど、この弾力性のある楽音の質感と、豊かなプレゼンスは素晴らしいものだと思う。
②マーク・レビンリンML7L+エクスクルーシヴM5
 この明晰な響き、透徹で精緻な音は魅力であった。難がないわけではないが、これは高く評価したい組合せである。
③クレルPAM2+エクスクルーシヴM5
 これも、同じM5との組合せだが、ML7Lの時より暖かい。そして鮮明である。重厚さではML7Lに歩があるが、これは、それを上廻る爽やかさであった。

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