菅野沖彦
ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より
これまで、ニュージェネレーション・スピーカーの技術の指向するポイントが、エネルギー変換器としてのスピーカーから音場変換器としてのスピーカーへ移行しつつあるということをずっと述べてきたわけです。そのためには、様々なアプローチと音場の聴かせ方があって、単に指向性を改善するもの、あるいはユニットのレイアウトを工夫するもの、あるいはバッフル効果によって自律的な音場を作るもの、あるいは、レコードにおいて人工的に強調され過ぎた音をスピーカーの側で少しコントロールし、生のイリュージョンを雰囲気として聴かせようとするものなどがあり、かなりバリエーション豊かな新世代が、いかにもアメリカらしくいっせいに開花しつつあるわけですね。
そういう中で、dbxのSF1というスピーカーは、それだけでは足りない、むしろ積極的に音場を創成してゆこうというアプローチに基づいたスピーカーです。
具体的にどうなっているのかというと、スピーカーエンクロージュアの四面にウーファーとスコーカー、そして項部に6個のトゥイーターがぐるりと取りつけられていて、一見無指向性のように見えるのですがそうじゃないんですね。エネルギーのラジエーションパターンが、卵型の楕円を描き、しかも音圧の一番強い方向が、左右スピーカーの向い合う内側なんです。逆に、左右スピーカーの外側、つまり壁に向かう方向が音圧は最も低い。そして、単に音圧レベルを変えてあるだけではなく、左右スピーカーの対向方向から外側にかけて、ネットワーク内部でタイムディレイがかけられているんです。従来のスピーカーというのは、どんな形式をとるにしても、リスナー方向に音軸が定められ、f特も指向特性も、そこを規準に考えられてきたわけです。ところが、このSF1は、左右スピーカーの作り出すトータルな音場、つまりリスニングルーム内にどういうパターンでエネルギーが分布すればもっとも豊かな立体音を形成するのか、そして2本のスピーカーからできるだけ複雑な位相成分を出そうということを、人間の音響心理、音響生理学的な見方も加えて考案されて
設計されているんじゃないかな。ですから、最初から音場の変換器としてペアスピーカーを考えるという徹底したアプローチでしある点が、これまで聴いてきたどのニュージェネレーションのスピーカーと比べても、なお斬新なところなんですね。
プログラムソースに入っているものをそのまま忠実に、という発想ではなく、むしろ積極的に音場を創成してゆこうという姿勢ですね。もともとdbxというメーカーは、その名の通り、デシベルをエクスバンドにするという、いわゆるノイズリダクションシステムで、プロの分野で70年代に一躍脚光を浴びたメーカーです。その後、エレクトロニクステクノロジーをどんどん積極的にソフトウェア化する方向に向かい、サブ・ハーモニックシンセサイザーや、帯域別にダイナミックレンジを拡大するエクスバンダーを、コンシュマー化し、近年はさらにもう一歩進んで、20/20という音場補正用のイコライザーを手がけたわけです。
おそらく、その時点から、dbxにおいて、音場というものに対する関心が、にわかに高まったのではないかと想像します。端的に言えば、dbxにとって、「SNから音場へ」というセカンドステップを実現したのが、このSF1なんです。
20/20の開発において、音場のエネルギー特性を補正するプロセスを経験するうちに、dbxは極めて好奇心の強い会社で、しかも天才的な発想、自由な発想を待った会社ですから、エレクトロニクスでは伝送系の一部をコントロールできるにすぎないことから、アコースティックに直接タッチせざるをえないようになったんだと思います。
エレクトロニクス技術で、アコースティックな変換系をコントロールするとすれば、ひとつには先に言ったイコライザーであり、もうひとつは位相のコントロールがあります。つまり、部屋の中に展開する音の運動波、波状をエレクトロニクスでコントロールできるのは、位相、時間特性の変化なんですね。
このSF1には、SFC1というプロセッサーユニットが付属し、その特徴的なフィーチェアが、その位相成分のコントロール機能に当てられ、スピーカーの独特なエネルギーラジェーションに相乗効果として働くよう設計されています。
中域の和信号(L+R)をプロセッサー内で加え、たとえばヴォーカリストの中央定位をより明快にしたり、ソロを際立たせるという使い方や、逆に差信号である逆相成分を元の信号に加えて、左右の広がりをスピーカーの外側にまでイメージさせようという内容で、おそらくプログラムソースの内容により使いわけるということが、原則としては考えられるでしょう。
かつて、「4チャンネル」が流行したときに、マトリックス再生という方法があったんですが、そういうプロセッサーを作ることはdbxにとっては、いたって簡単なことだったろうし、それに対するソフトウェアを彼等はものすごく実験しているはずです。おそらく、様々なリスニングルームの特性をデータ化し、分析するということを前提としてやっていると思います。
これまでのスピーカーが、レコード再生における新しいクォリティの発見として音場をとらえているとすれば、このSF1はさらにそこから一歩進んで音場の創成に向かっているということですね。
実際に音を聴いてみて、興味深いのは、たとえば、ステージ中央で歌っている歌手の位置が、リスニングポイントを左右に大きく動いても、空間のある一点に定位したまま動かないということです。これは考えてみれば当然で、もしリスニングポイントが右へ移動すれば、左側のスピーカーのエネルギーの強い射程に入り、かつ右チャンネルは、音圧の低くなる方向となるわけですから、単純に言ってしまうとコントロールアンプのバランスコントロールを左チャンネル側へ回したようなことになるわけです。おそらく、SF1というスピーカーシステムは、リスニングエリアを広くとりたい、あるいはどこで聴いても、音像が動かないことを狙ったんでしょうね、その効果は、明瞭に聴きとれる。しかし、そういうモノ的な定位だけではなく、位相差成分を活かした、もっと効果的なステレオエフェクトも積極的に作りだせるはずで、逆相成分をコントロールした音場の楽しみ方も可能でしょう。
もし、これが単純な無指向性スピーカーにすぎないとすると、左右のレベル差だけで定位している音像というのは、無指向性であるが故に、リスニングポイントが移動したときに定位も移動してしまうんですね。SF1のラジェーションパターンを見れば理解されると思いますが、リスナーがどちらかへ寄った場合、寄ったほうのスピーカーのエネルギーが弱くなる設計で、しかも、ディレイが入るという、非常に凝った設計になっています。
SFC1というコントローラーは、SF1から出るそうした音の波の状態を積極的に変化させようというものであって、20/20のような補正的な考え方ではない。やっぱり創があるんですね。
さらに考えられることは、たとえばスピーカーの間にビデオプロジェクターなりモニターテレビを置いて、そのプログラムソースが、ボーカリストを中心にしたものであった場合、複数の人間が観賞するときにも、音像が移動しないというのは大きなメリットになります。両端で聴いている人にとっても、歌手がブラウン管の位置から聴こえてくるという、音像と映像の定位の一致という点で、ぼくはとても興味深いスピーカーであると思います。
このスピーカーシステムの一番のポイントというのは、一言ではいい言葉がないんですが、プログラムソースというものを一つの素材として、それをより立体的な生演奏のイメージに近づけようという発想にあり、ハイフィデリティというよりも、ハイクリエイティヴィテイという姿勢に近いと思います。ですから、ナイーブリアリズムの対極にあるという見方もできると思いますよ。アメリカの経験主義的な合理精神というか、プラグマティズムを感じますね。
過去のオーディオの歴史において、様々な考え方が流行しましたが、かつては、忠実なプログラムソースの再生にはデッドな部屋のほうがいいという考え方があって、極端に言えば、現実無視の無響室のような部屋が、ハイファイに適しているという理想論だったんですね。しかし、現在では逆にある程度、ライブネスを待った部屋の中で聴いたほうが、より自然であり、より美しい音が聴けるという方向へ変わってきいます。
つまり、すでに、なにがなんでもプログラムソースに忠実でなければならないという発想が、現実を前にして破綻しているんですよ。その方向をぐうーんと押し進めてゆくと、スピーカー設計の最初の段階から音場創成を前提にするというコンセプトは、さして驚くべきことでもないとも言えるんです。このシステムを、エキセントリックな見方でとらえることは誤りでしょう。
今回聴いたニュージェネレーションのスピーカーの中では、ある意味では一番進歩的な発想で作られているということが言えるかもしれない。音場型の典型的なスピーカーであると言っていいと思うんです。やはり、テクノロジーのソフトウェア化に長けたdbxならではのスピーカーシステムだと思います。
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