2026年ショウ雑感(その20)
インターナショナルオーディオショウで、いくつかのハイエンドのオーディオ機器を見ていると、これらは現代アートとして認められたいのかな、と思ったりもした。
だからオーディオ機器として理解しよう、とか、スピーカーとして理解しよう、とか、そういうことではなく、現代アートとして接する(眺める)のがいいのでは──、と思っていた。
インターナショナルオーディオショウで、いくつかのハイエンドのオーディオ機器を見ていると、これらは現代アートとして認められたいのかな、と思ったりもした。
だからオーディオ機器として理解しよう、とか、スピーカーとして理解しよう、とか、そういうことではなく、現代アートとして接する(眺める)のがいいのでは──、と思っていた。
「五味オーディオ教室」からオーディオが始まったといえる私にとって、1978年夏に出たステレオサウンド 47号を、書店で手にしてパラパラとページをめくった私は、さすがステレオサウンド!、と心の中で叫んでいた。
五味先生の「オーディオ巡礼」が再開していたからだ。ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌は、田舎の書店で見かけるものは全て目を通していたが、やっぱりステレオサウンドだなぁ、と実感できるほど、私にとって「オーディオ巡礼」がカラーページで読めることは、格の違いのようにも感じていた。
それから月日が随分経って、私のオーディオ歴は五十年、ステレオサウンドは創刊六十年。
ないものねだり。
ステレオサウンド 240号を読んで思うのは、このことだった。
以前、別項でも書いているが、自分にとって、(大袈裟な表現になってしまうが)運命的な存在のスピーカーであれば、どんなにひどい状態で鳴っていたとしても、なんらかを感じるものだ、と瀬川先生が言われていた。
確かにそうである。
今年のインターナショナルオーディオショウでのJBLのSummit K2の音は、私にとってそういう存在とは感じられなかった。
このことは、そのスピーカーの優秀性とはほとんど関係ないところで、聴き手の心に響いてくるのかどうかである。
私にとっては、2002年のインターナショナルオーディオショウでのタイムロードのブースで鳴っていたジャーマン・フィジックスのUnicornが、そうだった。
私は、その時、そう感じた。だからといって、Unicornを聴いた全ての人がそう感じたわけではない。スピーカーとの出逢いは、本来そういうものであるはずだ。
今年のインターナショナルオーディオショウは、初日しか行けないことがわかっていた。だから、全てのブースをまわれないといっても、駆け足でできるだけ多くのブースを、とは考えていなかった。
あらかじめ各ブースの内容はチェックして、ここは行きたいと決めていても、実際にオーディオショウに行って、どこかのブースに入ると、鳴っている音をもっと聴きたいと思って、意外に長くていたりすることがある。
なので、予定通りにはまわれないことはわかっているから、今年は今井商事のヴァイタヴォックスのCN191の音だけはじっくり聴く、それだけは決めていて、後はそれぞれのブースに入ってから、次をどうするかであった。
JBLのSummitシリーズは聴きたかったから、ハーマンインターナショナルのブースには行った。ちょうどK2に入れ替えの時だった。
そこで鳴ってきた音について細かなことは書かないが、よく鳴っている、とは感じながらも、そのままずっと聴いていたい、とまでは感じなかった。
他のブースで聴きたい回の時間があるから、じっくり聴くことなくハーマンインターナショナルのブースを出た。
いままでも、他のブースに行きたいから、デモの途中で出ることはあるが、この時、もっと聴いていたいけど……、と感じながら出ていく場合、すんなり出ていける場合とがある。
今年のハーマンインターナショナルの音は、後ろ髪を引かれる思いは、私にはなかった。
だかといって、Summitシリーズに評価を下そうとはいう気持は全くない。ただ今年のインターナショナルオーディオショウでの音が、ただそうであったというだけのこと。
今年のインターナショナルオーディオショウで、多くの注目を集めていたのは、B&WのD5シリーズとJBLのSummitシリーズだろう。
どちらのブースも当然とはいえ人がいっぱいで、聴いた、とはいえない感じだったので、音について細かなことは書かないが、B&Wの800シリーズは、数年置きに改良モデルが登場してくる。
しかもはっきりと改良されていることを音で感じさせてくれる。すごいことだと思いながら、B&Wのスピーカーを購入しようと考えている人は、このことをどう考えているのか──、そんなことを思ってしまう。
2009年のインターナショナルオーディオショウのマランツのブースで、805で比較試聴を行っていた。アルミダイアフラムとダイアモンドダイアフラムで、ある。
私は、この時、後方で聴いていたけれど、違いははっきりと音として出ていた。それから、今年でD5まで来た。
ダイアモンドダイアフラム搭載以前の800シリーズと比較したら、驚くほどの違いなのだろう。そのくらい、B&Wは、世代とともに改良していっている。
となると数年後に登場するD6は、D5よりも改良されたモデルに仕上がっている、と言い切ってもいいだろう。ならばD6まで、待とうという人もいるかもしれない。
二十年ほど前、Macについて相談されることが多かった。そのうちの何割かは、来年になったら、もっと性能がいいMacが出るんでしょ、ならば待った方がいいのでは? と言われたことがある。
確かに一年ほど待てば性能の良いモデルが出るけれど、そんなことを言っていたら、また一年待てば──、ということになり、いつまで経っても買えない(買わない)ことにもなる。
結局、欲しいと思って買えるのであれば買った方がいい、と答えていたが、B&Wのスピーカーに関しては、そのあたりどうなのだろうか。
最新のB&Wが最良のB&Wということで、次のモデルが出たら、その時はその時で、買えるならば買ってしまおう、となるのか。
800Dシリーズも、ずいぶんと高くなってきた。805Dはペアで六十万円ほどだったのが、D5になり二百万円を超える。801D5もかなり高額なスピーカーだし、801D6ともなると、その価格がどこまでになるのか。
私はB&Wのスピーカーの優秀なことは認めても、欲しいと思わないので、どうなんだろうか……とどこまでいっても他人事でしかないから、よけいに知りたい気持がある。
11月のaudio wednesdayはやらずに、12月のどこかで忘年会をかねてやる予定です。
水曜日ではなく、別の曜日かもしれません。
どこかに集まって食事をしながら、オーディオ、音、音楽について話せる場としてのaudio wednesdayです。
参加希望の方は、私宛に連絡ください。この日だったら都合がいいという希望もどうぞ。
2020年は11月8日から、
2021年は11月1日から、
2022年は11月10日から、
2023年は11月1日から、
2024年は11月2日から、
2025年は11月2日から、それぞれこの項を書き始めている。
今年(2026年)は、今日(10月31日)から。
今年も、いろいろあった。残り二ヵ月も、何かありそうな予感だけはある。
別項でも書いているように、五十年前の、ちょうど今頃、私は「五味オーディオ教室」で出逢った。大袈裟でなく、人生を変えた一冊だ。
出逢ってなかったら、どんなオーディオマニアになっていただろうか。どんな人と知りあえただろうか。
「ゴジラ-0.0」は11月3日公開だが、これはIMAXと通常のフォーマットでの公開。
Dolby Cinemaでの公開は11月13日から、である。
映画「クジラに落ちた男」をDolby Cinemaで観終って考えていたのは、11月3日公開の「ゴジラ-0.0」を、IMAXで観るか、Dolby Cinemaで観るか、だった。
昨日まではIMAXで観るつもりだった。日本映画初のFilmed for IMAX認定ということだから、IMAXで観るしかない、と思っていたのが、Dolby Cinemaの「黒」を味わってしまうと、こっちの方が、いいかもしれない──と思い始めた。
だったらIMAXとDolby Cinemaの両方で観れば、となるわけだが、どうしようかと迷っている。
以前、別の映画のところでも書いているが、上映館のフォーマットが映画の評価を少なからず変えてしまうと感じるようになってきた。
「ゴジラ-0.0」、たぶん通常のスクリーンによる上映でも楽しめるだろうが、一つの疑似体験としてとらえるならば、私にとって、よりのめり込めるフォーマットで観たい。
(その11)で、アイレックスのブースでのリニアトラッキング型ターンアームについての説明は、いまなぜか忘れられているとしか思えないことを、きちんと説明していて、わかっている人は、やはりいるんだ、と思えた。
技術的な説明で、まったくその通りとうなずけることは、なかなかない。どこのブースでも、自社で取り扱っている製品にとってのいいこと(都合のいいこと)を言う。
それはアイレックスのブースでもそうなのだが、聞いていると都合のいい解釈だな、と思うことは常にある。それを批判したいわけではない。
オーディオショウとはいえ、いわば商売なのだから、そのへんは受け手がきちんと割り引いていれば済むことでもある。
今年のインターナショナルオーディオショウで、フェーズメーションのブースでのトランスのケーシング(シールド)についての説明も、わかっている人の、それもきちんと音を聴いている人の説明であった。
映画「クジラに落ちた男(原題:Whalefall)を観てきた。
映画館での予告編をみてから、できれば大きなスクリーンで観たいと思っていたものの、あまり人気がないようで、小さなスクリーンでの上映の方が多くなっている。
今年、大井町にTOHOシネマズができ、Dolby Cinemaが導入された。ここで、「クジラに落ちた男」を観てきた。
本編が始まる前の、Dolby Cinemaのデモが流れる。評判通りの「黒」だった。この時から、Dolby Cinemaと「クジラに落ちた男」の相性はいいのでは、と思い始めていた。
この映画の評価は分かれているようだ。私は面白いと思ったし、なにより後半のシーンで、マッコウクジラが深海に潜ってからは、Dolby Cinemaならではの表現力ではないだろうか、と思うほど美しかった。
ほとんど他の色がない深海でのシーン。他の映画館で観てないのだから比較しているわけではないが、ここまで美しいと感じることはないと思っている。
残念なことに、Dolby Cinemaでの上映は、今日で終了するようだ。
JBLの2220Bの重量は7.7kg。アルテックの604-8Gは15.4kgと、2220Bのほぼ二倍。これだけの違いでもフロントバッフルへの加重、つまりテンション(ストレス)はずいぶん違うのだが、2220Bの奥行きは14.9cm、604-8Gは28.3cmと、これも二倍ほどある。
同じ重量であっても、奥行きの長短でフロントバッフルへの加重は違ってくるのに、重い604-8Gの方が奥行きが長いのだから、フロントバッフルだけで604-8Gを支えるのは、フロントバッフルの響きを相当に殺す(歪める)ことになるだけに、604-8Gの後方を、何らかの方法で支えることで、フロントバッフルへの負担を減らすことが重要となる。
同じことは、ホーンとドライバーの組合せでもいえる。JBLの375+537-500の組合せでは、ドライバーとホーン、金属製の脚を共締めしている。
375+537-500では、この部分の脚と音響レンズ後方の脚とで全体を支えている。375の重量は11kgを超える。これだけの重さのモノが、いわば宙ぶらりんとなっている。
375+537-500は前後の金属製の脚を含めての形に魅力があるとは思っているが、375の重量をなんらかの方法で軽く支えることで、音はずいぶんと変化する。
支えるといっても、強く突っ張ってしまうと必ずしもいい結果にはつながらないから、あくまでも軽く支えるくらいがいい。
四谷三丁目の喫茶茶会記でaudio wednesdayをやっていた時、アルテックのホーンとドライバーは、ここで述べたのと同じ考えで全体の重量を支えていた。
604-8Gでも、そうする。
部屋の影響は、相当に大きいけれど、それ以上に、鳴らす人、であることを、今年のインターナショナルオーディオショウで、やっぱり人なんだよ、と実感できたのは、ノアとアーク・ジョイアの音だった。
別項「インターナショナルオーディオショウの音」で書いているように、アーク・ジョイアの音は、
どのスピーカーも、そのスピーカーらしく鳴っていないし、
どこか拗ねてしまったり、いじいじとしたり、
つまりスピーカーがいきいきと鳴っていない。
暗く俯いている。
なのでアーク・ジョイア取り扱いのエステロンのスピーカーの音を、私は一度もいい音とは感じたことがない。オーディオ雑誌の評価は高い。
そのことを信じているわけではないが、オーディオ雑誌に書かれていることとあまりにも、印象が違いすぎる。
昨年(2025年)、アーク・ジョイアの音は聴いていない。なので昨年からなのか、今年からなのかわからないが、アーク・ジョイアの担当者が別の人になっていた。
そのことに気づく前に、アーク・ジョイアのブースに入った時、エステロンのスピーカーが鳴っていたのだが、これまでと印象が違う。あれっ、と思って見ると、人が違う。
使用機材は、少しは違うのだろうが、アーク・ジョイアでのモノはそう大きくは違わない。
アーク・ジョイアの音の、これまでの音との違いに嬉しくなって、初日の最後の回でのフランコ・セルブリンとセルブリン&サンとの組合せを聴きたくなったほどだ。例年のような音だと、そうはならなかったし、他のブースの音を聴くことを優先していた。
例年とは違うエステロンの音を聴いて、それではノアの音は、どうなんだろう、と思い、隣のノアのブースに入ると、一昨年までアーク・ジョイアのブースを担当されていた人がいた。
人の顔を憶えるのが苦手なので、今年のノアのブースの人が、これまでアーク・ジョイアの人だったのか、100%確信を持っていえるわけではないが、声と話し方は、そうだといえるし、今年のノアの音は、スピーカーやアンプが、アーク・ジョイアとは違うにも関わらず、似た印象だった。
アーク・ジョイアのブースよりもノアのブースはかなり広いだけに、部屋よりも、どこまでいっても、音は人なり。このことを実感していた。
(その10)に、数日前コメントがあった。
大前徳宏さんというかたからで、《一通り聴いて回りましたが、ほとんどの部屋で、低音域がブーミーで不明瞭に感じられました》とあった。
ここのところを読みながら、早瀬文雄(舘
一男)さんのことを思い出していた。舘さんも、同じことをよく言われていた。
この低音域のブーミーさは、人によってずいぶん感じ方が違うようにも感じている。舘さんの場合、少しでも低音域がブーミーに鳴ると、ある種の圧迫感になってしまうようだった。
それもあって、どうして、あんなブーミーな鳴り方で音が判断できるのか──、そういうことへ話が発展していくこともあった。
同じ部屋で同じ音を聴いて、低音がブーミーだな、と感じても、そこから先は人それぞれでもある。舘さんのように圧迫感を感じ耐えられないという人もいれば、ブーミーではあるけども……、という感じ方の人もいる。
これに関しては、その人の耳の特性のようなもので、どちらが正しいとか、そういうことではない。
低音域のコントロールをどうするか。ここでのテーマから外れてしまうから、ここでは述べないがグラフィックイコライザーの活用は有用であることは確かだ。
コメントには《オーディオは、機器ではなくて、部屋が支配的なのかもしれません》ともある。これもその通りであって、いい部屋があれば、それに越したことはない。
そのため、オーディオは最終的に部屋だよ、と言われているけど、最初から部屋だよ、とオーディオに関心を持ち始めたばかりの若い人に、アドバイスをしていた人を見たことがある。
間違っているとは言わないが、そんなことをオーディオの入り口に立ったばかりの人に言って、何になるのか、この人は、何を伝えたいのか。
いい部屋を持ってなければ、いい音は望めない、と言いたいのか。その人と面識はないから、どういう人なのかはわからないが、自慢したいだけだったのか、自分は、いい部屋を持っている、と。
部屋の重要性は大きい。それでも同じ空間で、違う人が鳴らすと、やはり音は違ってくる。
だから、最終的には人、である。どこまでいっても、音は人であり、そこから逃れることはできない。
サンスイのEC10とともにやって来たJBLの2220Bを眺めていて思い出したことがある。
ステレオサウンドで働き出したころ、Nさんのところに何度か行って、その音を聴かせてもらっていた。Nさんといっても、いまも編集部にいる同姓のNさんではなく、私よりも七つ上のNさんである。
このころ、NさんはJBLの2220Bをジェンセンのウルトラバスレフレックス型エンクロージュアに入れ、上の帯域は2397に2440か2441という2ウェイで、アンプはマッキントッシュのMC2300、コントロールアンプはなしで、EMTの927Dstの出力を、エッグミラーのアッテネーターW85で受けて、というシステムだった。
Nさんは根っからのジャズの聴き手だった。私がArt Ensemble Of Chicagoを初めて聴いたのは、このシステム、Nさんのところでだった。
ここで、カルロス・クライバーのブラームスの四番も聴いているが、クラシックを鳴らすのは無理があるシステムとも感じていた。
しばらくしてNさんは引っ越しして、そこでウェスターン・エレクトリックの350Bのプッシュプルと349Aのプッシュプルを持ち込んで聴いている。台風直撃の日にアンプをタクシーで運んだ。
350B、349A、どちらもウエストレックスのA10をベースとしている。350Bの方はある方の自作で、349Aは伊藤先生が作られたそのものだった。
Nさんは350Bのプッシュプルの音に昂奮されていた。MC 2300よりも、ずっとしなやかで熱い感じの音だった。MC 2300の出力は300W、350Bプッシュプルの方は20Wほど。
それでもスピーカーの出力音圧レベルが100dB超えだから、20Wでも十分すぎるほどだ。
最後になって伊藤先生の349Aにした時の音を聴いた瞬間、私は、当時鳴らしていたロジャースのPM510には、このアンプしかないと直感したほど、素晴らしかった。
ジャス向きとしか思えないJBLの2ウェイから、クラシックが澄んだ音、しなやかな音で響いてくれるだけでなく、音の消え際の美しさと自然さは、どんなアンプでも聴いたことがない。
Nさんは、この日の試聴で350B熱が高まっていったが、私は349Aに惹かれてしまった。
エンクロージュアは違うけれど、この時のJBLの2ウェイは、私のところにあるモノで構成できる。
2220BにEC10があり、2397+2441がある。
349Aは、そのころは一本五千円ほどだったのが、いつの間にか、かなり高価な真空管になってしまった。これから、また、あのころ、揃えたのと同じ349Aを──、ということは考えていない。
それでも代わりに、あの五極管ならば──、ということを、ちょっと考えている。
時間をかけて集まってきたモノを眺めていて、あの日、聴いた音を思い出した。