audio teach-in
瀬川先生が、熊本のオーディオ店に定期的に来られていた試聴会の名称は、オーディオ・ティーチイン(audio teach-in)だった。
先日、ある方からのメールに、《宮﨑さんのナレッジを基礎的な部分だけでも講義してくれませんか》とあった。
そう思ってくれる人は少数だろうが、来年のaudio wednesdayでは、audio teach-in的なことを含めてやっていければと考えている。
瀬川先生が、熊本のオーディオ店に定期的に来られていた試聴会の名称は、オーディオ・ティーチイン(audio teach-in)だった。
先日、ある方からのメールに、《宮﨑さんのナレッジを基礎的な部分だけでも講義してくれませんか》とあった。
そう思ってくれる人は少数だろうが、来年のaudio wednesdayでは、audio teach-in的なことを含めてやっていければと考えている。
ステレオサウンドのオーディオ評論家で、ホームシアターに積極的に取り組まれていた山中先生。
記憶違いでなければ、ホームシアター用のスピーカーとして、チェロのSTRADIVARI GRAND MASTERを鳴らされていた。
チェロのスピーカーシステムは、ARのLSTをベースにしたAmatiだけしか聴いたことがない。
STRADIVARI GRAND MASTERを始め、STRADIVARIシリーズは、どれも聴いてないのだが、
それでも山中先生が、STRADIVARI GRAND MASTERを選ばれ、そしてホームシアター用のスピーカーとしても鳴らされていたのは、
なんとなくでしかないが、わかる気がする。
ホームシアター用のスピーカーに求めるものは、人によって違ってきて当然だから、このスピーカーこそが最適とは、誰にも言えないはず。
好きなスピーカーでホームシアターを楽しむ。
それでいいと思いながらも、もし私がこれからホームシアターに、のめり込むまではいかなくとも、
ある程度、こだわってみたいとなると、スピーカーはBOSEの901を、まず試してみたい、と考える。
十数年前に書いた「妄想組合せの楽しみ(その16)」。
そこで、DBシステムズのDB1+DB2とパイオニアのExclusive M4の組合せについて触れている。
この組合せは、
瀬川先生の、熊本のオーディオ店での講演のときにリクエストしたものだ。
「なかなか思いつかない面白い組合せだね」と言ってくださった。
別項で書いているスペンドールのBCIIとラックスのLX38、それにピカリングのXUV/4500Q、
この組合せも、瀬川先生に褒められている。
「玄人の組合せだね」と。
当時、高校生だった私は、そのことがすごく嬉しかった。
このことをまた思い出して書いているのは、先日会ったFさんのサブシステムのアンプが、
DB1+DB2とExclusive M4の組合せだということを、Fさんからのメールで知ったばかりだからだ。
わかるなぁ、とメールを読んでいて思う。Fさんのところに行けば、この組合せの音を再び聴けるのか。
自分で程度のいいモノを手に入れない限り、もう聴けないと思っていた組合せを聴ける。
人と会う。
そのことで生じるコト。
今年もそうだった、といえる。
とにかく目の前にあるスピーカーが嘆くことがないように、
スピーカーを泣かせないように、
そうやって鳴らすことを大切に思えるのならば、鳴らし手として大丈夫だ。
(その1)は、十年前の12月に書いている。
公開してすぐに、音影について、中国ではいい意味ではない、という連絡があった。
そういうことがあったので続きを書くことなく、年月だけ経った。
最近の音を聴いて感じることがあって、十年ぶりに書いている。
音像にも音場にも、光が当たるところがあれば影となるところができる。
影がつくことによって、音像も音場も立体感を増していくはずだ。
BOSEの901がやって来て、丸四日。
これまで私が見てきた(聴いてきた)901が置かれていた空間で、私の部屋がいちばん狭い。
そんな空間に置かれた901を見て、家庭用スピーカーとして、なかなかいいモノじゃないかと感じている。
別項でも家庭用スピーカーについて書いているところだが、
家庭用スピーカーの、はっきりした定義のようなものはない。
1970年代のJBLは、家庭用スピーカーとスタジオ用(プロ用)とを、はっきり分けていた。
L200、L300といった家庭用モデルには、4331、4333というスタジオモニターが存在していた。
スピーカーユニットに関しても、家庭用(コンシューマー用)とプロ用とに分かれていた。
とはいえ、そこでなんらかのはっきりとした定義が提示されていたとは言えない。
これらのJBLのモデルと同時期のセレッションのDitton 66は、どう見ても(聴いても)、家庭用スピーカーである。
けれど、Ditton 66の銘板には“Studio Monitor”とある。Ditton 66をスタジオモニターとするのか。
当時のセレッションの人たちに、その理由を訊いてみたい。
こうやって具体例を挙げていくことはできるが、挙げればあげるほど、家庭用スピーカーの定義がはっきりしてくるとは言い難い。
それでも901を数日とはいえ、毎日眺めていると、はっきりと家庭用スピーカーと言いたくなる。
大きさも形もいい。
独自の放射パターンを持つ901は、家庭用スピーカーの理想形を目指した一つの実例と言いたくなってくる。
選択と代償。
どんな選択であれ、代償をともなう。
選択時にわかる代償もあれば、しかるべき年月が経ってからわかる代償もある。
わからないままの代償もあるはず。
代償なしの選択はない。
いまの時代、誰かの訃報はニュースサイトよりも早くソーシャルメディアで知ることの方が多くなった。
オルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)の訃報はニュースサイトでだった。
こんなこともあるのか、このニュースサイトの記者の人の中に、オルネラ・ヴァノーニのファンの人がいたのか。
オルネラ・ヴァノーニは、まさしくイタリアを代表する歌手なのだが、日本ではイタリアでの知名度はない。
オルネラ・ヴァノーニがお好きだった黒田先生。
私などは、オルネラ・ヴァノーニ聴きとは言えないし、たまらなく好きなわけでもない。
それでもTIDALで音楽を聴くようになってからは、割と聴くようになっていた。
新譜も出ていた。90歳をこえていての新譜である。過去の人(歌手)ではない。
HMVで、以前オルネラ・ヴァノーニのCDを購入したことが何度かあるため、
HMVからのメールの中には、オルネラ・ヴァノーニの新譜の案内があったりする。
それでTIDALで検索して聴く。そんなことをここ数年間やっていた。
おそらく、もう新譜は出ないだろう。
昨年12月のaudio wednesdayでは、BOSEの901の上にエラックのリボン型トゥイーター、4PI PLUS.2を置いて鳴らした。
901単体で鳴らしても、もちろん興味深いスピーカーなのだけども、
井上先生もステレオサウンドでの組合せでやられているように、ウーファーとトゥイーターを足すというのもありだ。
井上先生は901の四段スタックの上に、
ウーファーはエレクトロボイスの30W、トゥイーターはピラミッドのリボン型T1を足しての、
相当に大掛かりなシステムをやられている。
901のスタックは私もやってみたいのだが、すでに901は製造中止だし、
同等のコンディションの901を揃えるとこまでは、正直やる気はない。
でもウーファーとトゥイーターに関しては、手持ちのモノでできる。
トゥイーターはエラックがあるし、ウーファーはサーロジックがある。
ここまでやるとなると、901の設置場所をメインスピーカーの場所とするしかないし、
それは大変だなぁ、と思いつつも、もうひとつ考えているのは、
ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40のウーファーとしての試用を考えている。
これで、いい感じの手応えを得られたら、20cm口径のウーファーで、901的スピーカーを作り──、という手がある。
昨年12月のaudio wednesdayで鳴らしたBOSEの901を、今日、狛江から引き上げてきた。
二十二回続けたaudio wednesdayのために、いくつかのオーディオ機器をずっと置いていた。
それらを狛江でのaudio wednesdayの終了に伴い、今日、引き上げてきたわけだ。
その中に901がある、といっても私が所有しているのではなく、昨秋、ある方から借りているモノだ。
901は、これまで何度か書いてきたようにステレオサウンドの試聴室で、井上先生が鳴らされる音を聴いている。
それ以外の場所で聴いた(鳴らした)のは、昨年12月のaudio wednesdayだけだ。
私の部屋は広くない。901以外のスピーカーもある。そういう環境で、どう鳴ってくれるのか、楽しみだ。
すんなり鳴ってくれるのか、少し苦労することになるのか。鳴らしてみないことには、なんとも言えない。
またオーディオ機器全体のセッティングを変えようとも考えているから、実際に音を出すまでには、少しばかりかかる。
年末年始にゆっくり聴くことになりそうだ。
オーディオショウやオーディオ店に頻繁に行き、いろいろな音を聴くことは、
その人の音の聴き方の幅を広げていくのだろうか。
広がっていく人もいるし、まったくそうでない人もいる──、としか言えない。
結局、聴いた数(経験とはあえて書かない)と、音の聴き方の広がりには、比例関係はあってないようなものだろう。
オーディオの雑談をしていると、あゝ、この人は音の聴き方の幅が狭いな、広げようとも思っていないんだろうな、と感じることがある。
オーディオは趣味だから、それでいいだろう。
そんな返事がかえってくることがわかっているから、そんな指摘はしない。
この項では、私が十代だったころの田舎での音楽体験がどんなものだったかを書いている。
その頃、熊本にはFM局はNHKだけだった。
テレビも同じ感じだった。
NHKが総合と教育の2チャンネル、民放は1チャンネルしかなかった。
民放が一局増えたのは、1969年。私が六歳の時で、私が熊本にいた頃は、増えることはなかった。
しかもUHF局だったため、開局したからといってそのままで受信できたわけではなく、
UHFコンバーターを買ってこなければならなかった。
新聞のテレビ欄は、隣の福岡の分も掲載されていた。こんなにテレビのチャンネルの数が違うのか。
その頃の田舎の子供の多くは、そう思っていたはず。
民放局のチャンネルが少ないということは、小学校時代、クラスの皆んなが見ている番組は、ほぼ同じだったということだ。
チャンネルの選択肢、番組の選択肢がほぼないに等しいのだから、そうなってしまう。
このことは、いまふりかえってみると、良かったことなのかも──、と思ったりもする。
小林秀雄が「様々な意匠」のなかで語っていた《粉飾した心のみが粉飾に動かされる》、
丸山健二の「新・作庭記」にある《優しさを装って肯定してくれる》、
このことを、オーディオに限ってのことで強く実感した一年でもあった。
具体的なことは書かないけれど、そういうものなのか……としか言いようのないことがあった。
それだけのことだ。
インターナショナルオーディオショウが終っても、東京でも大阪でも各地で、オーディオショウが開催されている。
販売店主催のショウも、ずいぶん増えた。
インターナショナルオーディオショウの規模がいちばん大きくても、聴くことができないブランド、製品はけっこうな数になる。
インターナショナルオーディオショウで聴けないモノが、別の所でのショウでは聴けたりする。
いいことだと思う。
全てのオーディオショウとまでいなくても、けっこうな数のオーディオショウに足を運ぶ人はいる。
そうやって、いろんなオーディオ機器に触れ、音を聴く。
けっこうなことだ。
別項で書いているが、オーディオ店、オーディオショウで聴いたオーディオ機器の数をやたら誇る人がいる。
数を聴くことが悪いとは言わないが、それでもオーディオ店やショウで聴ける音は、
あくまでも参考程度に留めておくべきで、そこでの音で評価は、まずできないと思っていた方がいい。
もちろん必ずしも全てがそうだと言わない。
惚れ込める音との出逢いは、それがたとえあまり良くない状態で鳴っていたとしても、
何か感じるものがあるからだ。
2002年のインターナショナルオーディオショウ、タイムロードのブースで鳴っていたジャーマン・フィジックスの音が、
私には、まさしくその音だった。
そんな例もあるが、それでも、そこで聴けた音は、
その製品そのものの音というよりも、
そのブースの鳴らし手の音(実力、感性、情熱)を聴いていると思って、間違いない。
だから、今回のショウでは、これだけの数のオーディオ機器の音を聴いた──は、ほとんど意味を持たない。
ステレオサウンド 97号に海外メーカーのスタッフのインタヴュー記事が載っている。
マイクロメガのダニエル・シャーのインタヴューがある。
*
最近はよくリファレンスシステムについて訊ねられますが、私はこれを公開することで、オーディオファイルが誤解することを危惧しますね。というのは、それぞれのイクイップメントには長所と短所があり、それらすべてをよく理解できているものが、リファレンスとして、サウンドデザインに使用できるのです。かりに、私がこのメーカーのこれをリファレンスにしていると言ったら、オーディオファイルによってはこれが最高なのかと早とちりしてしまうかもしれないし、またある人はこんな機器を使っているのかと蔑み、私の製品を理解しようとはしないでしょう。このような状況が考えられますから公表したくありません。
*
ここで述べられている危惧とはまったく同じとは言えないものの、深いところでは同じ危惧と言える。
あと一ヵ月足らずで発売になるステレオサウンドの最新号の特集は、毎年恒例のステレオサウンド・グランプリ。
どの製品が選ばれて、ゴールデンサウンド賞はどのモデルなのか。
以前は、書店に本が並ぶまで読者は知りようがなかった。
ある程度の予想はつくものの、実際に選ばられるモデルとそうでないモデルとがあり、
ページをめくりながら、やっぱりか、とか、意外とか、そんなふうに楽しんでいたのが、
いまでは本の発売前に、大半の受賞モデルがわかってしまう。
ソーシャルメディアで、メーカー、輸入元が、受賞しました、と告知するからだ。
ゴールデンサウンド賞も、どのモデルなのかがわかっている。
本を手にしてページをめくっていく楽しみを、ステレオサウンドが損なうことをやっているともいえる。