Date: 11月 19th, 2025
Cate: きく

音楽をきく(その7)

この項では、私が十代だったころの田舎での音楽体験がどんなものだったかを書いている。

その頃、熊本にはFM局はNHKだけだった。
テレビも同じ感じだった。

NHKが総合と教育の2チャンネル、民放は1チャンネルしかなかった。
民放が一局増えたのは、1969年。私が六歳の時で、私が熊本にいた頃は、増えることはなかった。
しかもUHF局だったため、開局したからといってそのままで受信できたわけではなく、
UHFコンバーターを買ってこなければならなかった。

新聞のテレビ欄は、隣の福岡の分も掲載されていた。こんなにテレビのチャンネルの数が違うのか。
その頃の田舎の子供の多くは、そう思っていたはず。

民放局のチャンネルが少ないということは、小学校時代、クラスの皆んなが見ている番組は、ほぼ同じだったということだ。

チャンネルの選択肢、番組の選択肢がほぼないに等しいのだから、そうなってしまう。

このことは、いまふりかえってみると、良かったことなのかも──、と思ったりもする。

Date: 11月 19th, 2025
Cate: 1年の終りに……

2025年をふりかえって(その5)

小林秀雄が「様々な意匠」のなかで語っていた《粉飾した心のみが粉飾に動かされる》、
丸山健二の「新・作庭記」にある《優しさを装って肯定してくれる》、
このことを、オーディオに限ってのことで強く実感した一年でもあった。

具体的なことは書かないけれど、そういうものなのか……としか言いようのないことがあった。

それだけのことだ。

Date: 11月 18th, 2025
Cate: ショウ雑感

2025年ショウ雑感(その19)

インターナショナルオーディオショウが終っても、東京でも大阪でも各地で、オーディオショウが開催されている。
販売店主催のショウも、ずいぶん増えた。

インターナショナルオーディオショウの規模がいちばん大きくても、聴くことができないブランド、製品はけっこうな数になる。

インターナショナルオーディオショウで聴けないモノが、別の所でのショウでは聴けたりする。
いいことだと思う。

全てのオーディオショウとまでいなくても、けっこうな数のオーディオショウに足を運ぶ人はいる。
そうやって、いろんなオーディオ機器に触れ、音を聴く。
けっこうなことだ。

別項で書いているが、オーディオ店、オーディオショウで聴いたオーディオ機器の数をやたら誇る人がいる。

数を聴くことが悪いとは言わないが、それでもオーディオ店やショウで聴ける音は、
あくまでも参考程度に留めておくべきで、そこでの音で評価は、まずできないと思っていた方がいい。

もちろん必ずしも全てがそうだと言わない。
惚れ込める音との出逢いは、それがたとえあまり良くない状態で鳴っていたとしても、
何か感じるものがあるからだ。

2002年のインターナショナルオーディオショウ、タイムロードのブースで鳴っていたジャーマン・フィジックスの音が、
私には、まさしくその音だった。

そんな例もあるが、それでも、そこで聴けた音は、
その製品そのものの音というよりも、
そのブースの鳴らし手の音(実力、感性、情熱)を聴いていると思って、間違いない。

だから、今回のショウでは、これだけの数のオーディオ機器の音を聴いた──は、ほとんど意味を持たない。

ステレオサウンド 97号に海外メーカーのスタッフのインタヴュー記事が載っている。
マイクロメガのダニエル・シャーのインタヴューがある。
     *
最近はよくリファレンスシステムについて訊ねられますが、私はこれを公開することで、オーディオファイルが誤解することを危惧しますね。というのは、それぞれのイクイップメントには長所と短所があり、それらすべてをよく理解できているものが、リファレンスとして、サウンドデザインに使用できるのです。かりに、私がこのメーカーのこれをリファレンスにしていると言ったら、オーディオファイルによってはこれが最高なのかと早とちりしてしまうかもしれないし、またある人はこんな機器を使っているのかと蔑み、私の製品を理解しようとはしないでしょう。このような状況が考えられますから公表したくありません。
     *
ここで述べられている危惧とはまったく同じとは言えないものの、深いところでは同じ危惧と言える。

Date: 11月 18th, 2025
Cate:

賞からの離脱(その53)

あと一ヵ月足らずで発売になるステレオサウンドの最新号の特集は、毎年恒例のステレオサウンド・グランプリ。

どの製品が選ばれて、ゴールデンサウンド賞はどのモデルなのか。
以前は、書店に本が並ぶまで読者は知りようがなかった。

ある程度の予想はつくものの、実際に選ばられるモデルとそうでないモデルとがあり、
ページをめくりながら、やっぱりか、とか、意外とか、そんなふうに楽しんでいたのが、
いまでは本の発売前に、大半の受賞モデルがわかってしまう。

ソーシャルメディアで、メーカー、輸入元が、受賞しました、と告知するからだ。
ゴールデンサウンド賞も、どのモデルなのかがわかっている。

本を手にしてページをめくっていく楽しみを、ステレオサウンドが損なうことをやっているともいえる。

Date: 11月 17th, 2025
Cate: audio wednesday
1 msg

audio wednesday (next decade) –第二十二夜(番外編として再開)

10月の第二十一夜で一旦終りとなったaudio wednesdayだが、
12月、第二十二夜として行う。

場所も決まっている。
大勢が入れるスペースではないため、今回は再開する、という告知だけになる。

番外編として、まずやってみて、来年以降、どうするのかを含めて考えていきたい。

Date: 11月 16th, 2025
Cate: 1年の終りに……

2025年をふりかえって(その4)

この時期になると、ここ数年、一年をふりかえって、思い出したことを書くようにしている。

この項を書く書かないに関係なく、11月になると、
もう少しで11月7日だ、
今日が11月7日だ、
今年も11月7日が過ぎていった……、とおもう。

来年も再来年も、これから先ずっとそうなのだろう。
呆けてしまわない限り、もしかすると呆けてしまっても、
11月7日がどういう日なのかを思い出せなくなっても、
そろそろ11月7日だなぁ、今日が11月7日だなぁ、
今年も11月7日が過ぎていったなぁ、とひとりごとを言ってるかもしれない。

Date: 11月 15th, 2025
Cate: スピーカーの述懐

スピーカーの述懐(その65)

スピーカーの言うことをよく聴いて鳴らす、それだけ。
最近、そんなふうに思うようになってきた。

スピーカーから鳴ってくる音をよく聴いて、ではない。
スピーカーの言うこと、言ってくることをよく聴くこと。

何の違いがあるのか、と思われるだろう。
うまく説明できないもどかしさがあるが、同じとは感じていないのが、いまの私だ。

Date: 11月 14th, 2025
Cate: 電源

モバイルバッテリーという電源(その27)

エレコムからナトリウムイオンバッテリーが登場した。

詳細はリンク先を読んでほしい。
早速購入しようと思ったら、品切れだった。

リチウムイオンバッテリーと比較して、音はどうなのか。早く手に入れたい。

Date: 11月 13th, 2025
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その48)

JBLの4343をひさしぶりに聴いたのは、2005年ごろだった。数年ぶりに会って頻繁に会うようになった早瀬文雄(舘 一男)さんのリスニングルームだった。

4343は1976年に登場しているから、この時点でほぼ三十年が経っている。

おそらくウーファーの2231Aとミッドバスの2121のエッジは張り替えられていたはず。

舘さんはずっと以前、鳴らされていたはずだが、その時の4343の音は聴いていない。聴いたのは4344だった。
二人して、やっぱり4343ですよね、と語っていた。

別項でも書いているように、あの時代、4343はスターというよりスーパースターだった。
だからアンチもかなりいた。

いかなスーパースターであっても、オーディオ機器はいずれ製造中止になって消えていく。
4343も消えていった(製造中止になった)。
代わりに4344が登場したわけだが、4344から4343に感じていたスーパースターのオーラのようなものは感じ取れなかった。

このことは舘さんも同じだったはず。だからこそ2005年に再び4343を、中古で手に入れられている。
4344を中古で買うことは頭になかったはずだ。

それから数年して、舘さんは京都に開業するために引っ越された。その京都ではDD66000を鳴らされていた。

京都のあと、ほんのわずな期間、東京に戻って、また、京都。それから沖縄。

沖縄でも4343を手に入れて鳴らされていた。沖縄は遠い。
遊びに来ませんか、と誘われていたけど、行くことはなかった。

Date: 11月 12th, 2025
Cate: 1年の終りに……

2025年をふりかえって(その3)

2008年9月から書き始めた、このブログ。
書き続けているから出会える人がいる。

今年も何人の方と出会えた。
つい先日(11月10日)も会っていた。

六年ほど前からメールをくださっている方なのだが、なかなか会う機会がなかった。
audio wednesdayに機会をつくって行きたいです、と連絡があったのに、
audio wednesdayが終りになってしまった。

そうやって会える人もいれば、疎遠になっていく人もいる。
それでいい、と思っている。

Date: 11月 11th, 2025
Cate: ディスク/ブック

Die Meistersinger von Nürnberg

Die Meistersinger von Nürnberg(ニュルンベルクのマイスタージンガー)を初めて聴いたのは、
ワーグナーの前奏曲集だった。いきなり全曲盤を聴いたわけではなかった。

何人かの指揮者で、前奏曲を聴いてからの全曲盤は、EMI録音のカラヤン/ドレスデン・シュターツカペレによる演奏だった。

全曲盤を聴いて、とにかく驚いたのは前奏曲が、前奏曲集で聴いた終り方でなく、
続けて第一幕の冒頭のコラールへと続いていること、そしてそれがたまらなく美しかったことに、驚いた。

だから、その後、いくつかの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を聴いているけど、
ここのところ、前奏曲から第一幕へと繋いでいく美しさが、どうなのか。

初めての全曲盤のカラヤン/ドレスデン・シュターツカペレの美しさが基準となってしまったから、どうしても比較してしまう。
このこともあって、できればステレオ録音で聴きたい。

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲盤も全てを聴いているわけではない。
聴いていない録音もある。ショルティ盤は旧録音も新録音も聴いていない。

先日、ショルティ盤を初めて聴いた。旧・新録音、どちらも聴いた。
旧録音(ウィーン・フィルハーモニー)に惹かれた。

Date: 11月 10th, 2025
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その29)

ベーゼンドルファーのスピーカーシステムは、ベーゼンドルファーがヤマハに買収されたことで、
いまではBrodmann Acousticsとなり、日本ではフューレンコーディネイトが取り扱うようになり、十二年ほどになる。

インターナショナルオーディオショウのフューレンコーディネイトのブースには、ほぼ毎年足を運んでいるが、
タイミングが悪いこともあって、一度も聴くことが叶わずなのだが、
最近ではBrodmann Acousticsのスピーカーシステムを見る目に、私の中で変化が起きている。

スピーカーシステムとしても魅力的に感じていることに変りはないが、
ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40と組み合わせるウーファーとしても見るようになってきた。

まだ誰も組み合わせたことはないと思っている。

Date: 11月 9th, 2025
Cate: 映画

映画の音、ホームシアターの音(その2)

ホームシアターに熱心に取り組まれている方のところに行くことが、たまにある。
100インチぐらいのスクリーンを近距離で観るホームシアター。
ニアフィールドホームシアターの世界は、そういうところで体験すると、いいなぁと思う。

家庭で映画を観る、
家庭で音楽ものを観る。
私の場合、クラシックでそれもオペラを観たいと思うわけだが、
その場合、ホームシアター用のスピーカーは、どうなるのか。

予算も時間もたっぷりと余裕があれば二部屋用意して、
一部屋は映画用、もう一部屋は音楽(オペラ)用とすることを夢想するけれど、
そんなことをも実現できたとしても、観たいものによって、二つのホームシアター部屋を行ったり来たりするだろうか。

最初のうちは面白がって、そんなことを楽しむだろうが途中からは、どちらかがメインになっていきそうな気がする。

これは実際にホームシアターに取り組んでいない私の妄想でしかないのだが、
ホームシアターって、いいなと思いながらも、積極的に取り組もうという気にならないのは、どうしてなのか。

Date: 11月 8th, 2025
Cate: ショウ雑感

2025年ショウ雑感(その18)

今年のインターナショナルオーディオショウは初日の午後だけだったので、回れなかったブースの方が多い。

別項「インターナショナルオーディオショウの音」で取り上げたエソテリックのブースには行けなかった。

それからフランコ・セルブリンのKtêmaの項で触れているアーク・ジョイアのブースも行けなかった。

この二つのブースの今年の音は、どうだったのだろうか。

インターナショナルオーディオショウは三日間の開催なのだが、じっくりそれぞれのブースの音を聴いていこうとすると、
開催期間があと二日長ければ、と思う。

インターナショナルオーディオショウなんて、半日で回れるとか、
それ以上長くいる価値はない、とか、そんなことを言う人は昔からいる。
おそらく今年もいただろう。

そんな人たちは、オーディオショウを楽しもうと思わないのか。

こんなことを書くと、どこもまともな音で鳴っていないし、
あんなに人がいる環境で聴いても音の評価はできない、という声が返ってくる。
一方では、音はほんの十秒ほど聴けばわかるから、長居する必要はない、と言う人もいる。
オーディオ評論家の話なんて面白くない、せっかく海外からメーカーの人が来ているのだから、
その人たちの話を聞きたい──、
そういう声があるのは知っている。

ひどい音で鳴っているブースはある。それでも、なんらかの音の片鱗は聴きとれるものだ。

行くだけ無意味無価値と言う人は、自らが無意味無価値にしているだけでしかない。

Date: 11月 7th, 2025
Cate: ショウ雑感

2025年ショウ雑感(その17)

インターナショナルオーディオショウで聴けたdCSのVarèse
の音は、いろんなことを考えさせるし、
これまで読んできた文章もいくつかが頭に浮かんでくる。

瀬川先生はステレオサウンド 45号のスピーカー特集で、タンノイのArdenについて書かれている。
     *
たとえばKEFの105のあとでこれを鳴らすと、全域での音の自然さで105に一歩譲る反面、中低域の腰の強い、音像のしっかりした表現は、タンノイの音を「実」とすればKEFは「虚」とでも口走りたくなるような味の濃さで満足させる。いわゆる誇張のない自然さでなく、作られた自然さ、とでもいうべきなのだろうが、その完成度の高さゆえに音に説得力が生じる。
     *
Varèseの音は、おそらく誰が聴いても誇張のない自然と感じるだろう。作られた自然さと感じる人は、いるだろうか。

この瀬川先生のArdenの試聴記を読んで、作られた自然さなんて、そもそもおかしいだろう、と思う人はいると断言してもいい。

でも、私は高校生だった時、すんなり受け入れて読んでいた。
そして、Varèseの音を聴いた後思うのは、美しいのはどちらか、なのか。

そんなの誇張のない自然さに決まっている──。本当にそうだろうか。
Varèseは、完璧に、はっきりと近づきつつある。でも、その音は美しいのか。
完璧に近づいているという意味で、綺麗な音とは思う。それでも、美しい音なのか、という疑問は残る。

インターナショナルオーディオショウという環境で、たった一曲だけしか聴いていないので、ここまでしか書けないが、同時に五味先生の文章も思い出していた。
     *
今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
美しい音と綺麗な音。
五味先生は、《タンノイのほんとうの音を聴き出すまで》と書かれている。

このことは別項で書いていく。