時代の軽量化(その22)
音楽の知識が豊富な人、オーディオの知識が豊富な人は意外と多かったりする。
キャリアが長いから、知識が豊富とは限らないのだが、それでも豊富な人はけっこういるものだ。
けれどそれらの人全員が、音楽の教養がある、オーディオの教養がある、と感じさせるわけではない。
むしろ教養があるな、と感じさせる人は、かなり少ないと感じている。
知識だけはあるのに教養はない──、とでも言ったらいいのか。
以前どこかで目にしたのは、知識だけではだめで、愛があってこそ教養となる、というものだった。
検索してみると、愛を経てこそ、愛を触媒として、が表示される。
誰が言い出したことなのかは知らない。
それはどうでもいいことで、知識が豊富でも教養がない人は、確かに愛が欠けている人といえよう。
反論があるのはわかっている。
オーディオ愛なんて言っていて恥ずかしくないのか、そんなことを言う人もいる。
オーディオに教養? という人もいよう。
そういう時代なのか。