Category Archives: CDプレーヤー

ソニー SCD-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

世界初のDSD録音方式によるスーパーCD”SACD”を再生するプレーヤーである。開発者らしい力作で、高剛性メカニズムを採用した高級プレーヤーだ。アクセスタイムが少々遅すぎるのが気になるが、それもせっかちな人にとってであって、このくらいのほうがよいとも言える。CDもしっかりした質感で再生する。

マランツ SA1

井上卓也

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

SACDプレーヤーのマランツ第1作。余裕タップリの豊かな情報量を活かした安定した音は、とかく線が細くなりがちの新メディアの音を、ひと味違った角度から聴かせてくれるようだ。CD再生の音も同社CD7系の音楽を楽しく聴かせる魅力を受け継いでいる。また、オーディオ的に聴きこんでも充分に期待に応える。

エソテリック X50w

井上卓也

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

ワディア製DAC採用の2作目。シャープで透明度のあるエソテリック独特の音とは明らかにひと味違ったダイナミックさが最大の魅力。基本的に大変まとまりのよい音を聴かせるが、独自ピンポイント型脚部、置き場所および下に敷く音響ボードの調整で、低音の重心を下げれば、これぞ高級機と実感できる音が楽しめる。

ラックス D-7

菅野沖彦

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

ラックスのD10の弟分で中級CDプレーヤー。20ビット・サインマグニチュード・マルチビット方式DACを搭載している。しっかりした骨格を持ち、しかも肉厚の音触が魅力的である。低音が豊かだが重くなく、よく弾み、高音はしなやかで芯もしっかりしている。HDCDデコーダー内蔵である。

アキュフェーズ DP-75V

菅野沖彦

ステレオサウンド 137号(2000年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング863選」より

アキュフェーズの一体型高級CDプレーヤーだ。V型は最新モデルで1999年発売だが、すでに24ビット/192kHzに対応するDAC部を内蔵する。単体D/Aコンバーターとして独立して使える高性能機。同社らしい高度なディジタル・テクノロジーによる先見性を持つ実力機として高い評価を得るにふさわしい製品である。

ソニー SCD-777ES

井上卓也

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

SACDの歴史に残る第一作、SCD1の弟となる第2弾作品。外観が変更され普遍的な印象になったため、新鮮な印象があり、ディスク読み取りの超低速動作が、心理的に少々解消されるのが面白い。第一作の細身で引締まった緊張感の高い音とは異なる、ほどよく肩の力が抜けた開放感のある音は、デザインとも一致し、実に楽しい。

ボウ・テクノロジーズ ZZ-Eight

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

デンマークの製品。なんといってもデザインと造りが素晴らしい。マニュアル操作性を重視したことからも再生音楽へのこだわりが感じられるであろう。レコード音楽にどれだけの価値感を持っているかが問われるプレーヤーだ。HDCD対応で、音は重厚で陰影の濃い聴き応えのある音楽表現が魅力である。

エソテリック X-10WD

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

アメリカのワディア社とのフレンドシップモデルと称され、ワディア社設計のディジタル・プロセッシング回路を持つ。2系統のディジタル出力端子を装備するほか、ティアック独自のVRDSメカニズムと呼ぶアルミダイキャストのターンテーブル圧着式の安定した回転機構を持つ、一体型の信頼性の高い高級CDプレーヤーである。

アキュフェーズ DP-65V

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

同社のMMB方式4パラレルのDACはジッター軽減のディジタル復調器を持つ。豊富な機能を持ち、一体型だがDACとしても自立し、ディジタル機器とのインターフェイスも装備する。またリアパネルにはスロットが設けられ、オプションボードが豊富に用意されている。アキュフェーズらしい確度の高い実感のある音だ。

ソニー SCD-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

SACDプレーヤーの1号機で、CDプレーヤーとしてもなかなかの力作である。アクセスタイムが長く、慣れないとイライラさせられるかもしれないが、集中して聴くには、これもいいと思う。いかにも新世代のプレーヤーらしい精緻さを感じさせる音だが、柔軟な質感や曖昧模糊とした雰囲気の魅力には欠ける。

ラックス D-7

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

音にこだわるラックスらしいプレーヤーである。HDCDでコーダーを内蔵するのは上級機D10と同じ。DACはマルチビット式の20ビット・サインマグニチュード型。筐体もしっかりできていて12キログラムとどっしりしているので外部振動に強い。力感に富んだ再生音は本格派と言える域に達している。

テクニクス SL-PS770D

菅野沖彦

ステレオサウンド 133号(1999年12月発行)
特集・「ジャンル別・価格帯別 ザ・ベストバイ コンポーネントランキング798選」より

ヴァーチャル・バッテリー・オペレーション、MASH方式クラスAの1ビットD/Aコンバーター、竹繊維のセパレーターを採用した電解コンデンサーなどなど、テクニクスのオーディオ技術をふんだんに盛り込んだプレーヤーだ。透明感とすっきりとしてクリアーな再生音は価格を上回る品位を持っている。

ソニー SCD-1

井上卓也

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「待望のSACDプレーヤー第1号機ソニーSCD1を聴く」より

 現行CDを超える情報量をもつ、いわゆるスーパーCDの登場は待望久しいものがあるが、現在、2つの方式が提唱されているスーパーCDのうち、ソニーとフィリップスがCDに続き、ふたたび共同開発を行なったスーパーオーディオCD(SACD)が、この5月に発売された。
 個人的には、SACDに対しては、82年のCD登場のときと同様に、ピュアオーディオ用の非常に情報量が多いプログラムソースが誕生したという単純な受け止め方をしており、当然のことながら、現行CDに替わるものではなく、CDと共存していく新しいプログラムソースであるはずである。
 80年代初めにCDが誕生したときと同じく、SACD、DVDオーディオを含めて、プログラムソースを作るソフト側にも再生するハード側にも何ら問題はない、との発言を公式の場で聞いたことがあるが、はたしてそのとおりであるのか、少なからず疑問があるようだ。
 原理的な高域再生限界をサンプリング周波数の半分とすれば、リニアPCM方式のDVDオーディオでは、96kHzサンプリングで48kHz、192kHzで96kHz、SACDでは約1・4MHzと想像に絶する値になるわけで、この際だって優れた超高域再生能力を、いかに、より素晴らしい音楽を聴くために活用できるかが重要である。
 そこで、注意しなくてはいけないのは、従来の可聴周波数限界といゎれた20kHzまでを再生するのと同様に、例えば、100kHzまでをフラットに再生しなければならない、と考えることである。
 確かに音楽を、より原音に近似して聴くためには、100kHzあたりまでのレスポンスを考える必要があるという論議は、古くモノーテルLP時代から真面目に行なわれていたことである。次世代のプログラムソースであるSACDとDVDオーディオはともに、フォーマット的には100kHzまでを収録できるだけの器として出来上がったわけで、これは、今世紀末の非常に大きなエポックメイキングなオーディオ史に残る快挙ではある。しかし、可聴周波数限界といわれる20kHz以上の再生は、単純に考えるよりもはかかに多くの問題を含んでいるようである。
 単純に考えても、40kHz付近の帯域では標準電波のデジタル放送が行なわれていることからわかるように、20kHzを大きく超える領域の信号は、例えばスピーカーケーブルから空間に輻射されることになる。また、同じ筐体の内側に2チャンネル再生ぶんの回路を収納すれば、超高域のチャンネルセバレーションに問題が生じることになり、現在のアンプの筐体構造では解決は至難と思われ、将来的にはモノーラル構成アンプのリモートコントロール操作の方向に進み、コスト高につながるであろう。
 とくにパワーアンプは、30kHz以上でも可聴帯域内と同様の定格出力を得ようとすると、出力素子の制約が大きいため、ハイパワー化(数10W以上)の実現は至難だろう。
 20kHzを超える高周波(スピーカーで再生すれば超音波)との付き合いは、オーディオ始まって以来の未体験ゾーンだけに、動植物、酵母菌などの微生物、人間自体への影響も含めて考慮すれば、ある種の帯域コントロールは必要不可欠ではなかろうか。
 幸いなことに、SACD/CDコンパチブルプレーヤーSCD1は、50kHz以上のレベルを抑え、100kHzで−26〜30dB下げるローパスフィルターの付いたスタンダード出力端子と、さらに高域から効くローパスフィルターを備えたカスタム出力端子の2系統を備えている。
 SACDでは超高域のコントロールはフォーマット上で規定されておらず、再生機側でケース・バイ・ケースで高域再生限界を決められるのは、適材適所的な、将来に多くの可能性を秘めた見事な解答と思われる。
 SCD1は、単純に一体型CDプレーヤーとしても、トップランクの実力を備えた見事な新製品である。電気的、機械的にSN比の高い静かな音は、CDに記録されていながら聴きとりにくかった空気感や気配を聴かせながら、従来のソニー製品とは一線を画し、音楽の表現が活き活きと楽しく表情豊かに聴かれるのが楽しい。同社CDP−R10やDAS−R10のような重厚.さはないが、一体型の枠を超えた注目の新製品である。
 SACDの再生では、反応が速く音場感情報が多い点では、ゾニーのフルシステムでの音が新時代のデジタルサウンドの魅力を聴かせる。本誌リファレンスシステムでは、基本的に音像型の音で安定感はあるが、セッティングによっては薄味の音になりやすい。SACDの再生はソースそのものの情報量が多いだけに、機器の設置方法は非常に重要になる。

ソニー SCD-1

菅野沖彦

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「待望のSACDプレーヤー第1号機ソニーSCD1を聴く」より

 SACDがついに具体的に商品として、その姿を現わした。本誌の発行元であるステレオサウンド社では、オーディオファイルでもある原田社長が、ことのほか熱心に、早くからその誕生を切望されていた。従来のCDの足を引っ張るから、あまり騒がないで欲しいといった批判もあったと聞くが、それはあまりにも近視眼的な意見だと思う。私は、この技術革新の時代を全面的に肯定するものではないが、ここ15年間のデジタル技術の進歩は目覚ましい。現在のCDフォーマットはすでに16年以上も経過している。1982年当時のパソコンと現在のそれを比べてみれば、その差は天と地ほどもある。16ビット/44・1kHzというフォーマットは当時としては精一杯のものであったとしても、決して十全とは言えなかったもので、フォーマットで音の可能性の上限が決まるデジタルにあっては、そのままでよいはずはないだろう。デジタル技術の進歩により、プロ機器の上位フォーマット化やビットストリーム技術が生まれ、それに伴ってより高密度のマスター録音情報を16ビット/44・1kHzの器のなかに収録するマッピング技術なども、CDの音質を向上させてきたことはご存じの通りである。CDも当初からするとたいへん音がよくはなった。しかし、それはあくまでCDの限界のなかでのことで、基本的なブレークスルーを果たすための上位フォーマットの誕生は時間の問題であったと言うべきであろう。
 このような技術的な背景を持つにいたった今日の時点で、CDフォーマットに加え、新たなスーパーCDフォーマットが生まれたのは、自然な流れと受け止めるべきだろう。それがこのSACDの登場であり、やがて発売されるDVDオーディオでもある。
 私は、CDが誕生した1982年秋に、すでにその必要性を感じていたほどだし、1985年夏に上梓した拙著《オーディオ羅針盤》(音楽之友社刊)のP164『CDの完成度』の項のなかで「スーパーCD」の登場を希望的にほのめかしてもいる。
 以上の経緯から、私自身がSACDをどう考えているかがお解りいただけるのではないだろうか。
 しかし、これが即、音の良さや音楽の感動につながるという短絡的思考は危険である。これは、あくまで、メディアの持つ物理的な可能性が拡大したというだけの話であって、よい音、よい録音音楽には、素晴らしい演奏の存在と、高い質とセンスによる録音制作の持つウェイトのほうがはるかに大きいという、いつの時代にも当然の事実の認識こそが大切である。
 今回、SACDプレーヤーの歴史的1号機であるSCD1を聴いたが、時期的に第1回新譜の一部による試聴という限られた条件では、本当の実力は解らないと思う。私の場合、たまたま、自身が制作した北村英治と塚原小太郎のデュオ・アルバム『ドリーム・ダンシング』を、DSD方式のハードディスク録音機からのCDと、ソニーとSMEがテスト・プレスしてくれたSACD(非売品)の2枚を比較できた。プリ・マスタリング工程は違うため、厳密なものではないが、その差をある程度の確度を持って聴けたのは幸いであった。
 結論から言えば、その差は僅差とも大差とも言えるもので、ソニーの出井社長の言葉を借りれば、凡庸なワインと最高のそれとの微妙な味わいの差と言っていいだろう。解る人にはかけがいのない貴重な差であり、解らない人には違うような気がするという程度かもしれない。しかし、長年培った本誌と読者とのコンセンサスからすれば、これは明らかに大差と言っていい。
 わが家ではマッキントッシュのXRT20と私流の4チャンネル・5ウェイシステム、本誌の試聴室ではSCD1と同時発売のソニーのフルシステムで聴いたのだが、いずれのシステムによっても差は歴然であった。しなやかな高音域の質感、透明な空間感、そして、低音の音触、音色感の明確な判別はまさに旬の味わいだ。また、このSCD1のノーマルCDプレーヤーとしての出来栄えも素晴らしいものだと思う。強いて欠点と言えば、アクセスが遅いことで、CDとSACDを切り替えた時には30秒以上もかかる。しかし、実際にわが家で1週間ほど使った現在では、これも必ずしも欠点とは言えないような気がしてきた。つまり、試聴などの場合はともかく、音楽を真摯に聴こうとする者にとっては、この音の出るまでの時間が心の準備につながり、集中につながるからである。あまりにも日常的にイージーになっていたCDプレーヤーが、いつの間にかわれわれから奪っていたサムシングを取り戻してくれることを実感したものである。50万円のCDプレーヤーとして、SACD機能をおまけと考えても、これは高く評価できるプレーヤーであった。

リン CD12

黒田恭一

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「ようこそ、イゾルデ姫!」より

 きみは、きっと、少し疲れていたぼくを生き返られせるために来てくれんたんだ。最初の音をきいて、思わず、そう呟かないではいられなかった。

 待った。注文してから、ともかく待った。首を長くして、長いこと待った。待ちつづけているときのぼくの気持はイゾルデ姫の到着を待つトリスタンの気持ちに、どことなく似ていなくもなかった。メーカー側にそれなりの事情があってのこととは充分に想像できたが、待てど暮らせど来ぬ人を待ちつづけるのは、やはり、ちと辛かった。
 ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の第3幕は寂寥感ただよう前奏曲が演奏された後に始まる。幕が上がると、菩提樹のそばの寝椅子に深傷う負ったトリスタンが横たわっている。牧童の吹く牧笛が寂しげにひびく。トリスタンの従者クルヴェナールは牧童の問いに答え、「あの女医さんに来てもらわないことには……」とため息まじりに呟く。クルヴェナールはイゾルデだけがトリスタンの傷を癒せるという意味で、イゾルデを「女医さん」といったのである。
 イゾルデは、先刻ご承知のとおり、アイルランドの王女である。しかし、ぼくの持っていたお姫様はアイルランドからではなく、スコットランドから着くはずだった。トリスタンは、哀れ、イゾルデが着く前に息たえてしまうが、ぼくはしぶとく生きていて、スコットランドからはるばるやってきてくれたお姫様との夢のハネムーンを体験することができた。
 ここ数年、むくむくと頭をもたげそうになるオーディオへの興味と関心をぼくは力ずくでおさえこんできた。ぼくが新しいオーディオ機器を導入しなかったことに、特にこれといった理由があったわけではなかった。むろん、語るにたるような心境の変化があったわけでもなければ、身辺に特別の異変が起こったいうことでもなかった。敢えて理由をさがすとすれば、次々に登場する新旧とりまぜてのおびただしい数のさまざまなCDとの対応におわれていて、オーディオ機器への興味と関心をいだく気持のうえでの余裕がなかったことがあげられるかもしれない。
 それに、もうひとつ、これはおずおずと告白することになるが、自分の部屋で普段なっている音にそこそこ満足していた、ということもあったように思う。いかにあたらしく登場してくるCDとの対応におわれていても、音の面で具体的に、どこか不満なところが一ヵ所でもあれば、それなりの養生を試みていたにちがいなかった。これといった不満もなく、それなりに満足していたこともあって、ぼくは音の面でぼくなりに平穏な日々を過ごしていた。
 しかし、『ステレオサウンド』第126号の表紙を目にした途端、ぼくの泰平の夢を一気に破られた。オーディオのハードウェアに関してはいつまでたっても不安内なオーディオ音痴のぼくの、かねてからの、まず容姿に惚れてしまう悪しき習性で、そこに写っていたリンのソンデックCD12のあまりの美しい姿に魅了されてしまい、茫然自失の体だった。そのときのぼくは『トリスタンとイゾルデ』第1幕で愛の妙薬を飲んだ後のトリスタンさながらの状態で、しばしソンデックCD12にうっとりみとれているよりなかった。
 ぼくはそのとき、スチューダーのA730にワディア2000(の内部をアップグレードしてもらったもの)をつないで使っていた。で、発売になってからさほど時間のたっていない時期にA730を使いはじめたので、使用期間はかなりの長さになっていた。おまけに、ほとんど一日中仕事で酷使されつづける運命にあるぼくのところのオーディオ機器は、以前、友人にいわれたことばを借りれば、「タクシーで使われた車」のようなものだから、その段階でA730がかなり疲れていたとしても不思議はなかった。
 しかし、ぼく自身、日夜懸命におのれの使命をはたしつづけてくれているA730に対して感謝こそすれ、その時点で、これといった具体的な不満は感じていなかった。そのうえ、このところしばらく、ちょっとした事情があって、友だちを部屋に呼んで一緒に音楽をきいてすごす機会がほとんどかったこともあって、当然、A730をふくめての現在使っている機器との、ということはそこできこえる音とのまじわりはこれまで以上に親密さをましていた。週に一度や二度、明日の予定を気にしながらも空が白むまでさまざまなCDに耳をすまして陶酔の時をすごすことだってなくもなかった。
 もっとも、至福の時をすごさせてもらっているとはいっても、それまで長いこと馴染んできたオーディオ機器との親密な関係の、つまりそこからきこえる音との「慣れ」がおのずと安心を呼び、ひいてはききての感覚を次第に鈍化させていく危険には、オーディオ音痴はオーディオ音痴なりに、気づいていた。それやこれやで、きわめて漠然としたものではあったものの、A730との別れの時期が近づきつつあることはぼんやりと意識しはじめていた。

『ステレオサウンド』第126号の表紙でソンデックCD12の姿を目にしたのは、ちょうどそんな時期だった。表紙でとりあげられているとなれば、当然、次号では紹介記事が掲載されるにちがいないと考えて、第127号を待った。はたせるかな、第127号では菅野沖彦さんがソンデックCD12について「クルマ」にたとえて巧みに書かれた文章を読むことができた。自動車の運転の出来ない不調法者にも、菅野さんのかかれていることの意味がよくわかった。
 それからしばらくして、おそらく、ぼくはなにかの機会にソンデックCD12についてはなしていたのであろう、畏友HNさんから電話をもらった。その音に対するストイシズムに裏うちされたきわめて高尚な好みと、オーディオに対しての徹底した姿勢のとり方から、ぼくがひそかに、これぞオーディオ貴族と考えているのがHNさんである。このことは自信をもっていえるが、以前、HNさんの部屋できかせていただいた音は、ぼくがこれまでに実際に耳にしたもっともゆたかで、気品の感じられる音だった。それだけに、HNさんが電話口でソンデックCD12についてはなしてくれたことばはきわめて説得力があった。
 ぼくがソンデックCD12の導入を決意しかかっているときに、あたかもだめ押しをするかのように、もうひとり、ぼくの背中を押してくれた友人がいた。耳のよさと感性の鋭さではいつも敬服しているKGさんである。KGさんもまた、きいた条件が充分ではなかったがといいつつも、ソンデックCD12の素晴らしさをことば巧みに語ってくれた。
 実際に自分の耳で音を確かめもしないで、『ステレオサウンド』第126号の表紙で見せられ、菅野さんの記事とHNさんやKGさんからの電話でソンデックCD12の導入を決意したぼくは、お見合い写真と仲人口だけでお嫁さんを決めたようなもだった。しかし、今思うと、ちょっと不思議な気がしなくもないが、ぼくはソンデックCD12に結婚の申し込みをすることにいささかの不安も感じていなかった。
 ソンデックCD12とのお床入りはチェチーリア・バルトリがヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコで録音したアルバム『ライヴ・イン・イタリー』(ロンドンPOCL1853)の21曲目、ジャン=イヴ・ティボーデのピアノでうたっているロッシーニの「スペインのカンツォネッタ」を選んだ。テアトロ・オリンピコは、ルネッサンス様式とでもいうのか、なんとも興味深い建てられ方をした劇場で、以前、一度、いったことがある。そのテアトロ・オリンピコでライヴ録音されたリサイタル番はバルトリの本領が遺憾なく発揮されていることもあって、大好きなアルバムである。そのうちから「スペインのカンツォネッタ」を選んだのは、歌も歌唱も好きだったからではあるが、むろん、それだけが理由のはずもなかった。
 チェチーリア・バルトリはリズムをきざむピアノにのって、まずメッツァ・ヴォーチェで、いくぶん艶めかしくうたいはじめる。しかし、音楽は次第にテンポをはやめていって熱気をおび、もりあがるにつれて、バルトリの声も引きしばられる弓さながらに、はりをましていく。バルトリはメゾ・ソプラノといっても、『アイーダ』に登場するドラマティックな表現力を要求されるアムネリスのようなタイプの役柄を持役にできるような声ではなく、ロッシーニの『セビリャの理髪師』のロジーナやモーツァルトのオペラのスーブレット役を得意にしている抒情的な声のメゾ・ソプラノである。
 リリックな声のメゾ・ソプラノにもかかわらず、はったときに独特の強さをあきらかにできるところにチェチーリア・バルトリの素晴らしさがある。「スペインのカンツォネッタ」ではそのあたりの声のうつり変わりが端的に示されている。ソンデックCD12とのお床入りで「スペインのカンツォネッタ」を選んだのは、なによりもまずそこをきいてみたかったからだ。
 南の国イタリアが実らせることができる果実を思わせるチェチーリア・バルトリの瑞々しい声がふたつのスピーカーの間からすーとのびてくるのをきいて、ぼくは久しぶりにきれいな空気を胸いっぱい吸いこんだような気持になった。バルトリがメッツァ・ヴォーチェでうたう声からはった声に次第に変えていく、その変化をソンデックCD12はこれまで以上に自然に、無理なく感じとらせてくれて、ぼくを驚かせた。A730できいていたときには、はった声がいくぶん硬く感じられなくもなかったが、ソンデックCD12できく変化はより納得できるものだった。
 強い声と硬い声では、当然のことながら、似て非なるものである。しかし、硬くひびく声はともすると強い声とききとられがちである。「スペインのカンツォネッタ」をうたうチェチーリア・バルトリがその後半できかせている声は強い声であっても、硬い声ではありえない。そこで声が硬くひびいてしまったら、バルトリの誇るべきもっとも大切な部分が、つまりバルトリならではの魅力が感じとりにくくなる。
 ぼくはバルトリの声が考えていたとおりにきこえて大いに納得し、お見合い写真と仲人口だけでお嫁さんを決めた自分がまちがっていなかったことを知ってうれしくもあった。しかし、ソンデックCD12とお床入りをして知ったのは、むろん、それだけではなかった。ぼく普段、アポジーのディーヴァからほぼ3メートル40センチほどのところできいているが、それまでのきこえ方は、敢えてたとえるとコンサートホールの1階席でのきこえ方に近かった。しかし、ソンデックCD12にしてからは音像がいくぶん低くなって、2階席できいているような感じになった。いかなる理由でそのようなことになったのか、ぼくに理解できるはずもなかったが、2階席的なきこえか方になった、その変化はぼくにとって大いに好ましかった。
 当然、ソンデックCD12とのお床入りがバルトリの「スペインのカンツォネッタ」だけですむはずもなく、アッカルドのひいているロッシーニの弦楽ソナタのアルバム(フィリップスPHCP24024~5)とか、大好きなイタリアの歌い手オルネラ・ヴァノーニの新旧さまざまなアルバムとか、あるいはこのところきく頻度がきわめて高いキップ・ハンラハンのCDといったように、思いつくままにCDをとりだし、手当たり次第にききまくって、スコットランドのイゾルデ姫へのご挨拶をつづけた。
 嬉々としてソンデックCD12へのご挨拶をつづけながらも、ぼくのところにお輿入れしたイゾルデ姫に耳をすますぼくには若干の探るような気持もなくはなかった。鼻をクンクンさせて相手を嗅ぎあう散歩の途中に出会った2匹の犬さながらに、ぼくはさまざまな、すでにきき馴染み、そこできける音楽を熟知しているCDをかけながら、ソンデックCD12の出方をうかがった。
 いずれのCDも、それまでとは,特に音のきめ細かさと腰のすわりといった点で微妙にちがうきこえ方をして、なるほどと膝をうったり、へえ! と目を丸くしたりした。これがこうなら、あれはどうなるんだと、傍目にはなんのとりとめもないように思われるにちがいないCDのしり取りぎきをしていて、ソンデックCD12とのお床入りの夜に、結果として、もっとも時間をかけてきいたのがキップ・ハンラハンのCDだった。
 キップ・ハンラハンのCDできける、特に『ALL ROADS ARE MADE OF THE FLESH』の4曲目「the September dawn shows itself toElizabeth……」できわだっている「妖しい」ともいえるし、「危うい」ともいえる音楽このところずっと気になっていることもあって、ほかのアルバムの気に入りのトラックをとっかけひっかえきいた。「the September dawn shows itself toElizabeth……」でもうたっているジャック・ブルースの嗄れ声のただよわす妖しくて危うい雰囲気の影響も小さくないと思われるが、キップ・ハンラハンの音楽をつつんでいるのは深夜の大都会の陰りの濃い抒情である。
 少なくともぼくには、キップ・ハンラハンのアルバムのことごとくが、音楽的な興味のみならず、オーディオ的な冒険にみちみちているように思われていたので、そのようなCDがソンデックCD12でどのようにきこえるのか、とても興味があった。それだけに、そこできける音に納得できなかったら困るなと思う気持もあったが、むろん、きいてみないことにはおさまりがつくはずもなく、ソンデックCD12でききはじめてから5、6時間もたったころからききはじめた。ソンデックCD12は重層的にいりまじるキップ・ハンラハンの音楽の特質を見事にあきらかにしつつ、おそらく音のきめが細くなったことが微妙に関係しているのであろう、深夜の大都会の陰りのある抒情の陰影をより濃くしてくれていた。

 そうやってソンデックCD12でさまざまなCDをきいているときのぼくは、どことなく弟の嫁となった若い娘の立ち居振る舞いを尖った目で見る小姑に似ていなくもなかった。しかし、なんともうれしいことであるが、ぼくのところに嫁入りしてきたスコットランドのイゾルデ姫はいかなる局面でも粗相することなく、鬼千匹の小姑をもすっかり魅了して、夜が更けた頃にはぼくに小姑の尖った目で見ることを忘れさせてくれた。
 さらに、ソンデックCD12はその使い勝手の面でも、思いもかけない素晴らしさでぼくう感動させてくれた。このCDプレーヤーでは指先でトレーを押すと閉まってプレイ状態になるが、その状態のままさらに指先でトレーを押すと、押した回数によってききたいトラックを選ぶことができる。つまり、3回トレーを押せばトラック3、5回押せばトラック5がきけるといったように、である。これを作った人のお母さんが高齢のために、ほとんどのCDプレイヤーについている操作キーをあつかうのが辛く、お母さんの頼みで考案された昨日だと教えられた。使っているうちにますます、この昨日のありがたみがわかるようになった。
 そして、ソンデックCD12には使い勝手の面でもうひとつ、使い手に対するさりげない親切な思いやりがほどこされていた。トレーを開けたまま2分たつと、自動的にトレーが閉まる機能である。埃が機器の内部に進入するのをふせぐための機能と思われるが、次のCDを選ぶのに時間がかかり、うっかりトレーを開いたままにしてしまうこともときにはなくはないずぼらな男にとってはなんとも親切な配慮である。あらためて書きそえるまでもないが、使い手が望みさえすれば、さらに細かい指示は心地よい重さのリモコンですることも可能である。

 かくして、ぼくのところのCDプレーヤーの定位置に、それまでのA730をしりぞけて、ソンデックCD12がおさまった。そこで、あらたな悩みができた。これまでお世話になっていたA730の、その後の処遇である。この悩みは今回に限ってのことではなく、機器をとりかえたときにつきものである。
 長年使ってきて、これといった欠点があったわけでもないのにコードをはずした機器にはそれなりの冠者の気持もあって、冷たく引導をわたし、すげなく扱うのも気がひける。かといって、使わなくなった機器をかかえこんでおけるほどぼくの部屋は広くないから、やはり、手放さなければならなくなることが多い。しかし、今回のA730の処遇については前もって一応の心づもりができていた。ぼくは机のそばに、放送に使うCDのタイミングを確かめたりするために使う、つまり一種のオーディション用の小さな装置をおいているが、そこで、つまりフォームではたらいてもらうことにしていた。そんなこともあって、長年の友との辛い別れが回避できて、いくぶん気が楽だった。

 リンのソンデックCD12との新しい生活がはじまって1ヵ月ほどがたった。CDプレーヤーにもエージングといったようなことがあるのであろうか、スコットランドからぼくのところに嫁いできたイゾルデ姫は日々、その美しさをましているように思われる。菩提樹のそばの寝椅子に横たわって、牧童の吹く寂しい牧笛をきいていたはずのトリスタンではあったが、現金なもので、最近はCDをきく時間も以前以上にふえ、自分ではそのきき方さえいくぶんかは鋭くなれたようにさえ思っている。
 オーディオ機器の一部をとりかえることによって、しばしば、使い手の意志とは関係なく、好んできくCDが変わってしまうということが起こる。ずいぶん前のことになるが、スピーカーをとりかえただけで、それまでのピアノのLPを好んできいていたにもかかわらず、気がついたら、ヴァイオリンのLPをきく機会がふえていたといったようなことさえ経験したことがある。スコットランドのイゾルデ姫もまた、そのようなかたちでぼくの音楽の楽しみ方に踏みこんでくるようなことがあるのかどうか、今のところ、まだ新しい生活をはじめて間もないこともあって、わからない。

 気がついたら、窓の外がかすかに白みかけていた。テーブルには棚からとりだしてききあさったCDの山がいくつもできていた。しめくくりに、もう一度、チェチーリア・バルトリのうたう「スペインのカンツォネッタ」をきいた。長い時間、緊張してきいてきたのでかなり疲れていたはずだったが、ぼくはとてもハッピーだった。
 きみのおかげで、ぼくは生き返ったよ。そう呟いて、ソンデックCD12との最初の日を終えた。

マークレビンソン No.39L

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 このメーカー初の一体型CDプレーヤーで、同ブランドらしい高品位なブラック・フィニッシュとサウンドが魅力的である。分厚い音の質感が力強く、音場感も豊かだ。メカニズムはNo.31系のトップローディングは採用されずトレイタイプだ。No.37Lにボリュウム付きのNo.36Lを組み合わせたものだ。

ボウ・テクノロジーズ ZZ-Eight

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 デンマークの新しいメーカーであるが、素晴らしいセンスとこだわりの情熱を感じる逸品である。外観と音がこれほど高い次元で一致しているCDプレーヤーは少なかろう。さらに、手にずっしりとした重さを感じれば、これがただものではないと悟るはずだ。陰影に富んだ隈取りの濃い、艶のあるサウンドである。

アキュフェーズ DP-75

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 同社一体型CDプレーヤーの最高級モデル。セパレート型に準じるもので、ディジタル回路には共通の特徴であるSFC、MMB方式を採用している。豊富な入出力機能はディジタル・コントロール・センターとして新時代へのコンセプトをも明確に具現化している。精緻な音はCDプレーヤーのリファレンスともいえる。

ラックス D-700s

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 ラックス久々のCDプレーヤーの新製品だ。従来のアイデンティティであったトップローディングではなく、平凡なフロントローディングになったが、音はラックスらしい柔軟性と弾力性に富んだもの。明晰な解像力を誇示するようなところがなく、楽器の有機的な音触が楽しめる。広く薦められる中級機である。

デンオン DCD-S10

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 Sシリーズの普及型だが、実に素晴らしい出来栄えのCDプレーヤー。発音に独特の解放感と拡散性があり、実に朗々と屈託なく鳴るのが特徴だ。それでいてデリカシーや柔軟性にも不満がない。ALPHAプロセッサーがデンオン独自の技術である。発売以来2年以上経過するが、今もまったく同じ音であることを祈る。

ケンウッド DPF-5002

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 ケンウッドのシステム・シリーズの一つで27cm幅のCDプレーヤー。下に5002もある。このメーカーの製品はターゲットとする対象がマニア層であるように、よく練られているもので、商品の性格や価格に比して音質がいい。ディジタル回路も機構も入念なもので、量産機らしからぬこだわりがあるお買得なものだ。

ソニー CDP-XA50ES

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 好評だったXA5ESに代わる今年の新製品である。光学系固定式メカニズムなど、前作の基本的特質は踏襲しているが、ユニークなのは高域のフィルターの切替えが出来るようになったこと。これはCDの画一性が失った趣味性の埋め合わせ的な発想であろう。それはともかく基本性能の優れた聴き応えのある音だ。

ワディア Wadia 16

井上卓也

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 力強く、ダイナミックで、躍動感のタップリとしたワディアならではの魅力が、一体型CDプレーヤーのなかに濃密に凝縮したような実感があるモデル。価格対満足度の高さでも同社製品中では抜群であり、それも一体型ならではの魅力を備えている点が素晴らしい。実感的に音楽を聴く人にベスト。

アキュフェーズ DP-65

井上卓也

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 安定感があり、一体型CDプレーヤーとしては常にリファレンス機として絶大な信頼感をもつDP75の弟分である本機は、反応が早く、キビキビとした闊達な音を聴かせる音を聴かせる会心作である。昨年来、同社伝統のオーディオ的にクォリティの高い音に、伸びやかさとしなやかさが加わり、さらに音楽性の豊かさが加わっているが、その見事な証しがこのモデルだ。

ティアック VRDS-25

井上卓也

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 いささか超個性的過ぎた印象のVRDSシリーズに、安定感のある大人の雰囲気が感じられるようになった注目作。VRDSならではのメカニズム的なSN比が高く、暗騒音レベルに安定感がある。また独自のジッター低減回路と相乗効果的に働き、静かであり、かつダイナミックな音として完成した内容は大変に濃い。