リン CD12

黒田恭一

ステレオサウンド 131号(1999年6月発行)
「ようこそ、イゾルデ姫!」より

 きみは、きっと、少し疲れていたぼくを生き返られせるために来てくれんたんだ。最初の音をきいて、思わず、そう呟かないではいられなかった。

 待った。注文してから、ともかく待った。首を長くして、長いこと待った。待ちつづけているときのぼくの気持はイゾルデ姫の到着を待つトリスタンの気持ちに、どことなく似ていなくもなかった。メーカー側にそれなりの事情があってのこととは充分に想像できたが、待てど暮らせど来ぬ人を待ちつづけるのは、やはり、ちと辛かった。
 ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の第3幕は寂寥感ただよう前奏曲が演奏された後に始まる。幕が上がると、菩提樹のそばの寝椅子に深傷う負ったトリスタンが横たわっている。牧童の吹く牧笛が寂しげにひびく。トリスタンの従者クルヴェナールは牧童の問いに答え、「あの女医さんに来てもらわないことには……」とため息まじりに呟く。クルヴェナールはイゾルデだけがトリスタンの傷を癒せるという意味で、イゾルデを「女医さん」といったのである。
 イゾルデは、先刻ご承知のとおり、アイルランドの王女である。しかし、ぼくの持っていたお姫様はアイルランドからではなく、スコットランドから着くはずだった。トリスタンは、哀れ、イゾルデが着く前に息たえてしまうが、ぼくはしぶとく生きていて、スコットランドからはるばるやってきてくれたお姫様との夢のハネムーンを体験することができた。
 ここ数年、むくむくと頭をもたげそうになるオーディオへの興味と関心をぼくは力ずくでおさえこんできた。ぼくが新しいオーディオ機器を導入しなかったことに、特にこれといった理由があったわけではなかった。むろん、語るにたるような心境の変化があったわけでもなければ、身辺に特別の異変が起こったいうことでもなかった。敢えて理由をさがすとすれば、次々に登場する新旧とりまぜてのおびただしい数のさまざまなCDとの対応におわれていて、オーディオ機器への興味と関心をいだく気持のうえでの余裕がなかったことがあげられるかもしれない。
 それに、もうひとつ、これはおずおずと告白することになるが、自分の部屋で普段なっている音にそこそこ満足していた、ということもあったように思う。いかにあたらしく登場してくるCDとの対応におわれていても、音の面で具体的に、どこか不満なところが一ヵ所でもあれば、それなりの養生を試みていたにちがいなかった。これといった不満もなく、それなりに満足していたこともあって、ぼくは音の面でぼくなりに平穏な日々を過ごしていた。
 しかし、『ステレオサウンド』第126号の表紙を目にした途端、ぼくの泰平の夢を一気に破られた。オーディオのハードウェアに関してはいつまでたっても不安内なオーディオ音痴のぼくの、かねてからの、まず容姿に惚れてしまう悪しき習性で、そこに写っていたリンのソンデックCD12のあまりの美しい姿に魅了されてしまい、茫然自失の体だった。そのときのぼくは『トリスタンとイゾルデ』第1幕で愛の妙薬を飲んだ後のトリスタンさながらの状態で、しばしソンデックCD12にうっとりみとれているよりなかった。
 ぼくはそのとき、スチューダーのA730にワディア2000(の内部をアップグレードしてもらったもの)をつないで使っていた。で、発売になってからさほど時間のたっていない時期にA730を使いはじめたので、使用期間はかなりの長さになっていた。おまけに、ほとんど一日中仕事で酷使されつづける運命にあるぼくのところのオーディオ機器は、以前、友人にいわれたことばを借りれば、「タクシーで使われた車」のようなものだから、その段階でA730がかなり疲れていたとしても不思議はなかった。
 しかし、ぼく自身、日夜懸命におのれの使命をはたしつづけてくれているA730に対して感謝こそすれ、その時点で、これといった具体的な不満は感じていなかった。そのうえ、このところしばらく、ちょっとした事情があって、友だちを部屋に呼んで一緒に音楽をきいてすごす機会がほとんどかったこともあって、当然、A730をふくめての現在使っている機器との、ということはそこできこえる音とのまじわりはこれまで以上に親密さをましていた。週に一度や二度、明日の予定を気にしながらも空が白むまでさまざまなCDに耳をすまして陶酔の時をすごすことだってなくもなかった。
 もっとも、至福の時をすごさせてもらっているとはいっても、それまで長いこと馴染んできたオーディオ機器との親密な関係の、つまりそこからきこえる音との「慣れ」がおのずと安心を呼び、ひいてはききての感覚を次第に鈍化させていく危険には、オーディオ音痴はオーディオ音痴なりに、気づいていた。それやこれやで、きわめて漠然としたものではあったものの、A730との別れの時期が近づきつつあることはぼんやりと意識しはじめていた。

『ステレオサウンド』第126号の表紙でソンデックCD12の姿を目にしたのは、ちょうどそんな時期だった。表紙でとりあげられているとなれば、当然、次号では紹介記事が掲載されるにちがいないと考えて、第127号を待った。はたせるかな、第127号では菅野沖彦さんがソンデックCD12について「クルマ」にたとえて巧みに書かれた文章を読むことができた。自動車の運転の出来ない不調法者にも、菅野さんのかかれていることの意味がよくわかった。
 それからしばらくして、おそらく、ぼくはなにかの機会にソンデックCD12についてはなしていたのであろう、畏友HNさんから電話をもらった。その音に対するストイシズムに裏うちされたきわめて高尚な好みと、オーディオに対しての徹底した姿勢のとり方から、ぼくがひそかに、これぞオーディオ貴族と考えているのがHNさんである。このことは自信をもっていえるが、以前、HNさんの部屋できかせていただいた音は、ぼくがこれまでに実際に耳にしたもっともゆたかで、気品の感じられる音だった。それだけに、HNさんが電話口でソンデックCD12についてはなしてくれたことばはきわめて説得力があった。
 ぼくがソンデックCD12の導入を決意しかかっているときに、あたかもだめ押しをするかのように、もうひとり、ぼくの背中を押してくれた友人がいた。耳のよさと感性の鋭さではいつも敬服しているKGさんである。KGさんもまた、きいた条件が充分ではなかったがといいつつも、ソンデックCD12の素晴らしさをことば巧みに語ってくれた。
 実際に自分の耳で音を確かめもしないで、『ステレオサウンド』第126号の表紙で見せられ、菅野さんの記事とHNさんやKGさんからの電話でソンデックCD12の導入を決意したぼくは、お見合い写真と仲人口だけでお嫁さんを決めたようなもだった。しかし、今思うと、ちょっと不思議な気がしなくもないが、ぼくはソンデックCD12に結婚の申し込みをすることにいささかの不安も感じていなかった。
 ソンデックCD12とのお床入りはチェチーリア・バルトリがヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコで録音したアルバム『ライヴ・イン・イタリー』(ロンドンPOCL1853)の21曲目、ジャン=イヴ・ティボーデのピアノでうたっているロッシーニの「スペインのカンツォネッタ」を選んだ。テアトロ・オリンピコは、ルネッサンス様式とでもいうのか、なんとも興味深い建てられ方をした劇場で、以前、一度、いったことがある。そのテアトロ・オリンピコでライヴ録音されたリサイタル番はバルトリの本領が遺憾なく発揮されていることもあって、大好きなアルバムである。そのうちから「スペインのカンツォネッタ」を選んだのは、歌も歌唱も好きだったからではあるが、むろん、それだけが理由のはずもなかった。
 チェチーリア・バルトリはリズムをきざむピアノにのって、まずメッツァ・ヴォーチェで、いくぶん艶めかしくうたいはじめる。しかし、音楽は次第にテンポをはやめていって熱気をおび、もりあがるにつれて、バルトリの声も引きしばられる弓さながらに、はりをましていく。バルトリはメゾ・ソプラノといっても、『アイーダ』に登場するドラマティックな表現力を要求されるアムネリスのようなタイプの役柄を持役にできるような声ではなく、ロッシーニの『セビリャの理髪師』のロジーナやモーツァルトのオペラのスーブレット役を得意にしている抒情的な声のメゾ・ソプラノである。
 リリックな声のメゾ・ソプラノにもかかわらず、はったときに独特の強さをあきらかにできるところにチェチーリア・バルトリの素晴らしさがある。「スペインのカンツォネッタ」ではそのあたりの声のうつり変わりが端的に示されている。ソンデックCD12とのお床入りで「スペインのカンツォネッタ」を選んだのは、なによりもまずそこをきいてみたかったからだ。
 南の国イタリアが実らせることができる果実を思わせるチェチーリア・バルトリの瑞々しい声がふたつのスピーカーの間からすーとのびてくるのをきいて、ぼくは久しぶりにきれいな空気を胸いっぱい吸いこんだような気持になった。バルトリがメッツァ・ヴォーチェでうたう声からはった声に次第に変えていく、その変化をソンデックCD12はこれまで以上に自然に、無理なく感じとらせてくれて、ぼくを驚かせた。A730できいていたときには、はった声がいくぶん硬く感じられなくもなかったが、ソンデックCD12できく変化はより納得できるものだった。
 強い声と硬い声では、当然のことながら、似て非なるものである。しかし、硬くひびく声はともすると強い声とききとられがちである。「スペインのカンツォネッタ」をうたうチェチーリア・バルトリがその後半できかせている声は強い声であっても、硬い声ではありえない。そこで声が硬くひびいてしまったら、バルトリの誇るべきもっとも大切な部分が、つまりバルトリならではの魅力が感じとりにくくなる。
 ぼくはバルトリの声が考えていたとおりにきこえて大いに納得し、お見合い写真と仲人口だけでお嫁さんを決めた自分がまちがっていなかったことを知ってうれしくもあった。しかし、ソンデックCD12とお床入りをして知ったのは、むろん、それだけではなかった。ぼく普段、アポジーのディーヴァからほぼ3メートル40センチほどのところできいているが、それまでのきこえ方は、敢えてたとえるとコンサートホールの1階席でのきこえ方に近かった。しかし、ソンデックCD12にしてからは音像がいくぶん低くなって、2階席できいているような感じになった。いかなる理由でそのようなことになったのか、ぼくに理解できるはずもなかったが、2階席的なきこえか方になった、その変化はぼくにとって大いに好ましかった。
 当然、ソンデックCD12とのお床入りがバルトリの「スペインのカンツォネッタ」だけですむはずもなく、アッカルドのひいているロッシーニの弦楽ソナタのアルバム(フィリップスPHCP24024~5)とか、大好きなイタリアの歌い手オルネラ・ヴァノーニの新旧さまざまなアルバムとか、あるいはこのところきく頻度がきわめて高いキップ・ハンラハンのCDといったように、思いつくままにCDをとりだし、手当たり次第にききまくって、スコットランドのイゾルデ姫へのご挨拶をつづけた。
 嬉々としてソンデックCD12へのご挨拶をつづけながらも、ぼくのところにお輿入れしたイゾルデ姫に耳をすますぼくには若干の探るような気持もなくはなかった。鼻をクンクンさせて相手を嗅ぎあう散歩の途中に出会った2匹の犬さながらに、ぼくはさまざまな、すでにきき馴染み、そこできける音楽を熟知しているCDをかけながら、ソンデックCD12の出方をうかがった。
 いずれのCDも、それまでとは,特に音のきめ細かさと腰のすわりといった点で微妙にちがうきこえ方をして、なるほどと膝をうったり、へえ! と目を丸くしたりした。これがこうなら、あれはどうなるんだと、傍目にはなんのとりとめもないように思われるにちがいないCDのしり取りぎきをしていて、ソンデックCD12とのお床入りの夜に、結果として、もっとも時間をかけてきいたのがキップ・ハンラハンのCDだった。
 キップ・ハンラハンのCDできける、特に『ALL ROADS ARE MADE OF THE FLESH』の4曲目「the September dawn shows itself toElizabeth……」できわだっている「妖しい」ともいえるし、「危うい」ともいえる音楽このところずっと気になっていることもあって、ほかのアルバムの気に入りのトラックをとっかけひっかえきいた。「the September dawn shows itself toElizabeth……」でもうたっているジャック・ブルースの嗄れ声のただよわす妖しくて危うい雰囲気の影響も小さくないと思われるが、キップ・ハンラハンの音楽をつつんでいるのは深夜の大都会の陰りの濃い抒情である。
 少なくともぼくには、キップ・ハンラハンのアルバムのことごとくが、音楽的な興味のみならず、オーディオ的な冒険にみちみちているように思われていたので、そのようなCDがソンデックCD12でどのようにきこえるのか、とても興味があった。それだけに、そこできける音に納得できなかったら困るなと思う気持もあったが、むろん、きいてみないことにはおさまりがつくはずもなく、ソンデックCD12でききはじめてから5、6時間もたったころからききはじめた。ソンデックCD12は重層的にいりまじるキップ・ハンラハンの音楽の特質を見事にあきらかにしつつ、おそらく音のきめが細くなったことが微妙に関係しているのであろう、深夜の大都会の陰りのある抒情の陰影をより濃くしてくれていた。

 そうやってソンデックCD12でさまざまなCDをきいているときのぼくは、どことなく弟の嫁となった若い娘の立ち居振る舞いを尖った目で見る小姑に似ていなくもなかった。しかし、なんともうれしいことであるが、ぼくのところに嫁入りしてきたスコットランドのイゾルデ姫はいかなる局面でも粗相することなく、鬼千匹の小姑をもすっかり魅了して、夜が更けた頃にはぼくに小姑の尖った目で見ることを忘れさせてくれた。
 さらに、ソンデックCD12はその使い勝手の面でも、思いもかけない素晴らしさでぼくう感動させてくれた。このCDプレーヤーでは指先でトレーを押すと閉まってプレイ状態になるが、その状態のままさらに指先でトレーを押すと、押した回数によってききたいトラックを選ぶことができる。つまり、3回トレーを押せばトラック3、5回押せばトラック5がきけるといったように、である。これを作った人のお母さんが高齢のために、ほとんどのCDプレイヤーについている操作キーをあつかうのが辛く、お母さんの頼みで考案された昨日だと教えられた。使っているうちにますます、この昨日のありがたみがわかるようになった。
 そして、ソンデックCD12には使い勝手の面でもうひとつ、使い手に対するさりげない親切な思いやりがほどこされていた。トレーを開けたまま2分たつと、自動的にトレーが閉まる機能である。埃が機器の内部に進入するのをふせぐための機能と思われるが、次のCDを選ぶのに時間がかかり、うっかりトレーを開いたままにしてしまうこともときにはなくはないずぼらな男にとってはなんとも親切な配慮である。あらためて書きそえるまでもないが、使い手が望みさえすれば、さらに細かい指示は心地よい重さのリモコンですることも可能である。

 かくして、ぼくのところのCDプレーヤーの定位置に、それまでのA730をしりぞけて、ソンデックCD12がおさまった。そこで、あらたな悩みができた。これまでお世話になっていたA730の、その後の処遇である。この悩みは今回に限ってのことではなく、機器をとりかえたときにつきものである。
 長年使ってきて、これといった欠点があったわけでもないのにコードをはずした機器にはそれなりの冠者の気持もあって、冷たく引導をわたし、すげなく扱うのも気がひける。かといって、使わなくなった機器をかかえこんでおけるほどぼくの部屋は広くないから、やはり、手放さなければならなくなることが多い。しかし、今回のA730の処遇については前もって一応の心づもりができていた。ぼくは机のそばに、放送に使うCDのタイミングを確かめたりするために使う、つまり一種のオーディション用の小さな装置をおいているが、そこで、つまりフォームではたらいてもらうことにしていた。そんなこともあって、長年の友との辛い別れが回避できて、いくぶん気が楽だった。

 リンのソンデックCD12との新しい生活がはじまって1ヵ月ほどがたった。CDプレーヤーにもエージングといったようなことがあるのであろうか、スコットランドからぼくのところに嫁いできたイゾルデ姫は日々、その美しさをましているように思われる。菩提樹のそばの寝椅子に横たわって、牧童の吹く寂しい牧笛をきいていたはずのトリスタンではあったが、現金なもので、最近はCDをきく時間も以前以上にふえ、自分ではそのきき方さえいくぶんかは鋭くなれたようにさえ思っている。
 オーディオ機器の一部をとりかえることによって、しばしば、使い手の意志とは関係なく、好んできくCDが変わってしまうということが起こる。ずいぶん前のことになるが、スピーカーをとりかえただけで、それまでのピアノのLPを好んできいていたにもかかわらず、気がついたら、ヴァイオリンのLPをきく機会がふえていたといったようなことさえ経験したことがある。スコットランドのイゾルデ姫もまた、そのようなかたちでぼくの音楽の楽しみ方に踏みこんでくるようなことがあるのかどうか、今のところ、まだ新しい生活をはじめて間もないこともあって、わからない。

 気がついたら、窓の外がかすかに白みかけていた。テーブルには棚からとりだしてききあさったCDの山がいくつもできていた。しめくくりに、もう一度、チェチーリア・バルトリのうたう「スペインのカンツォネッタ」をきいた。長い時間、緊張してきいてきたのでかなり疲れていたはずだったが、ぼくはとてもハッピーだった。
 きみのおかげで、ぼくは生き返ったよ。そう呟いて、ソンデックCD12との最初の日を終えた。

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