Category Archives: JBL

JBL 4350A(組合せ)

瀬川冬樹

「スイングジャーナル」より

 本誌試聴室で鳴ったこの夜の音を、いったいなんと形容したら良いのだろうか。それは、もはや、生々しい、とか、凄味のある、などという範疇を越えた、そう……劇的なひとつの体験とでもしか、いいようのない、怖ろしいような音、だった。
 急いでお断りしておくが、怖ろしい、といっても決して、耳をふさぎたくなるような大きな音がしたわけではない。もちろん、あとでくわしく書くように、マークレビンソンのAクラス・アンプの25Wという出力にしては、信じられないような大きな音量を出すこともできた。しかしその反面、ピアニシモでまさに消え入るほどの小さな音量に絞ったときでさえ、音のあくまでくっきりと、ディテールでも輪郭を失わずにしかも空間の隅々までひろがって溶け合う響きの見事なこと。やはりそれは、繰り返すが劇的な体験、にほかならなかった。
 JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
 初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
 JBLのこの43……ではじまるモニター・スピーカーのうち、4333A、4343のシリーズは、入力端子部の切換えによって低・高2chのマルチ・アンプ(バイ・アンプリファイアー)ドライブができるようになっているが、いうまでもなく4350は、最初からバイ・アンプ・オンリーの設計になっている。だが、この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬は、いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする。菅野沖彦氏は、かってこの中〜高音用にはExclusiveのM−4(旧型)が良いと主張され、実際、彼がM−4で鳴らした4350の中高域は絶妙な音がした。しかし今回は、M−4と同じく純Aクラスの、マークレビンソンML−2Lを使ってみた。問題は低域だが、これは、少し前に、サンスイのショールームで公開実験したときの音に味をしめて、同じML−2Lを2台、ブリッジ接続して使うことにきめた。こうすると、1台のとき25Wの出力がいっきょに100Wに増大する。ことに4350の低音域は4Ωなので、出力はさらに倍の200Wまでとれる。ブリッジ接続したML−2Lは、高音域では持ち前のAクラス特有のおそろしく滑らかな質の良さはやや損なわれる。が、250Hz以下で鳴らす場合の、低域の締りの良いことはちょっと例えようのない素晴らしさだ。ブリッジ接続による十分に余裕ある大出力と、4350をふつうに鳴らした低音を聴き馴れた人にはウソのように思えるおそろしく引き締った、しかし実体感の豊かなというより、もはやナマの楽器の実体感を越えさえする、緻密で質の高い低音は、これ以外のアンプではちょっと考えられない。なおことのついでにつけ加えておくと、ML−2L自体が発表当初にくらべて最近の製品ではまた一段と質感が改良されている。
 低音にくらべて高音の25Wが、あまりにも出力が少なすぎるように思われるかもしれないが、4350の中〜高音域は、すべてきわめて能率の高いユニットで構成されているので、並みのブックシェルフを100Wアンプで鳴らした以上の実力のあることを申し添えておく。実際に、「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」の序曲を耳がしびれるほどのパワーで鳴らしてみたが、アンプもスピーカーも全くビクともせず聴き手を圧倒した。
 ここまでやるのだから、入口以後のすべてをマークレビンソンの最高のシステムでまとめてしまう。ここで特筆したいのは、プリアンプの新型ML−6Lの音の透明感の素晴らしさと質の高さ。完全モノーラル構成で、入力切換とボリュームの二つのツマミだけ。それがしかも独立して、音量調整に2個のツマミを同時にぴったり合わせなくてはならないという操作上では論外といいたいわずらしさだが、それをガマンしても、この音なら仕方ないと思わせるだけのものを持っている。
 もうひとつ、こんなバカげたことは本当のマニアにしかすすめられないが、ヘッドアンプのJC−1ACを、片側を遊ばせてモノーラルで使うというやりかた。結局、2台のヘッドアンプが必要になるのだが、音像のしっかりすること、音の実体感の増すこと、やはりやるだけのことはある。こうなると、今回は試みなかったがエレクトロニック・クロスオーバーLNC−2Lも、本当ならモノーラルで2台使うのがいいだろう。
 プレーヤーはマイクロ精機が新しく発表した糸ドライブ・システムを使う。ある機会に試聴して以来、このターンテーブルとオーディオクラフトのトーンアームの組み合せに、私はもうしびれっ放しのありさまだ。完全に調整したときの音像のクリアーなこと、レコードという枠を一歩踏み越えたドキュメンタルな凄絶さは、こんにちのプレーヤー・システムの頂点といえる。最近になって、これにトリオのターンテーブル・シートを乗せるのがもっと良いことに気づいた。また、もしもオルトフォン系のロー・インピーダンス・カートリッジに限るのなら、アームの出力ケーブルを、サエクのCX5006TYPEBに交換するといっそう良い。この組み合せを聴いて以来いままで愛用してきたEMTのプレーヤーのスイッチを入れる回数が極端に減りはじめた。
 ただし、こういう組み合せになると、パーツを揃えただけではどうしようもない。各コンポーネントの設置の良否、相互関係、そして正しい接続。これだけでも容易ではない。また、パワーアンプだけでも消費電力が常時2.4kW時にのぼるから、AC電源の確保も一般的といえない。そして、これだけの組み合せとなると、ACプラグの差し込みの向き(極性)を変えても音の変るのがはっきりとわかり、全システムを通じて正しい極性に揃えるだけでも相当な時間と狂いのない聴感が要求される。
 これらについて詳細は、RFエンタープライゼスの向井氏、マイクロ精機の長沢氏、オーディオクラフトの花村氏(社長)、山水JBL課の増田氏らが、それぞれ実際上の的確なヒントを与えてくださるだろう。

組合せ価格一覧表
カートリッジ:オルトフォン MC30
¥99.000
トーンアーム:オーディオクラフト AC-4000MC ¥67.000
ターンテーブル:マイクロ RX-5000/RY-5500 ¥430.000
ヘッドアンプ:マーク・レビンソン JC1AC ¥145.000×2
チャンネル・デバイダー:マーク・レビンソン LNC2L ¥630.000
プリアンプ:マーク・レビンソン ML6L ¥980.000
パワーアンプ:マーク・レビンソン ML2L ¥8000.000×6
スピーカー:JBL 4350AWX ¥850.000×2
計¥8.996.000

チューナー セクエラ Model 1 ¥1.480.000
オープン・デッキ マーク・レビンソン ML5 ¥未定
合計¥10.476.000+α

試聴ディスク
「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」
(アルファレコード:A&M AMP-80003〜4)

「ショパン・ノクターン全21曲/クラウディオ・アラウ」
(日本フォノグラム:Phlips X7651〜52) 

JBL 375, 537-500

菅野沖彦

音[オーディオ]の世紀(ステレオサウンド別冊・2000年秋発行)
「心に残るオーディオコンポーネント」より

 JBLの「375」ドライバーに「537−500」ホーンを組み合わせた中音域ユニットは、長い間僕のオーディオ生活の核となってきたものである。これを使い始めたのは1968年の春だから、もう32年以上も経ったことになるがいまなお、現在も僕のレコード演奏には欠かせないスピーカーユニットなのである。製品そのものについては、詳しい説明は避けるが、とにかく素晴らしいコンプレッションドライバーとホーンで、32年間使ったいまでもまったく不満はなく飽きることがない。それどころか、むしろ、まだ未知の可能性さえ感じさせるのだから、底知れない凄さを感じている。いっぽうで、32年も使っていると、僕の触角の一部のようにもなるもので、このユニットが再生する音は僕にとってのオーディオサウンドのリファレンスにもなっている。
 僕の現在のシステムは、この「375+537−500」以外のユニット構成はかなり変則的な5ウェイであって、アンプ構成は4チャンネル・マルチアンプシステムである。当初は、ウーファーが2205A、トゥイーターは075と、JBLユニットだけによる3ウェイ構成の3チャンネル・マルチアンプシステムであったが、この時代に僕の部屋を訪れたJBL社の面々(いまはJBLにいない人たちや、当時すでにJBLをやめていた設計者や首脳達などで、このユニットのことをよく知っている人たちばかりである)は、「JBLのユニットとは思えない音で鳴っている」と感想を漏らしたものである。つまり、このことは「優れたスピーカーが、その優れた性能にふさわしい音を再生するのも個性を発揮するのも当然であるがもっとも素晴らしいことは、使い手の嗜好や要求にも限りなく近づく可能性を持つものである」という僕の考えを実証してくれていると言えるもので、決して、世間一般で考えられているように、スピーカー固有の性格だけで鳴るものではないことを物語っていると言えるだろう。
 じつは、僕の部屋には、このJBLを中心としたシステムのほかに、マッキントッシュXRT20を中心としたもうひとつのシステムがある。興味深いことに、この2系統のシステムに、1台のCDプレーヤーの出力をパラレルで出して入力し、プリアンプ以降を切り替えて鳴らすと、ソースによっては音の区別が付かないという人が多いのである。両方ともに僕の好みで仕上げた音だからバランスは似ているとは言え(決して似せたのではなく、両者をもっともいいと感じるバランスに追い込んだもの)、常識的にはこんなことはあり得ないと思われるのではないか? ご存じのように、この二つのスピーカーはユニットもシステム構成も、基本的な設計思想から結果的な再生音のディスパージョンにいたるまで徹底的な相違があり、アンプ系もまったく違うわけだから、似ても似つかぬ音で鳴っても不思議はないはずである。素人が聴き比べても歴然とした違いがわかって当り前のはずである。それがオーディオファイルや専門家が聴いても、2系統のシステムはときとして区別が付かないほど似ていると言われるのである。つまり、機材の個性を超えて、使い手が音を支配するといえる理由が、ここに見出せるのではないだろうか? 私が「レコード演奏家論」という持論を自信を持って提唱させていただいた理由のひとつともなっている実体験なのである。そうは言っても、オーディオ機器の性能や個性が占める世界も決して少ないとは言えない。
 この375を使い始めて20年経ったころに、あるとき、この375を取り外し、「375」の改良モデル版といってもよい「2445J」に取り換えたことがある。新しいモデルである2445Jは、物理特性では明らかに改良が施されたニューモデルであるから、さぞかしいい音がでるだろう……と、興味を持って換えてみたくなったのだ。しかし、正直なところまったくその期待は裏切られたのである。約三ヵ月後には元の375に戻してしまったのだ。2445Jも実際に何年も鳴らし込んでみなければわからないのかもしれないが、とても、その努力をする気は起きなかったのである。つまり、このことは、いかに使い手次第でアルトは言っても、いっぽうで、たしかに機材の音の個性は無視できないものだということの実体験でもある。いまでは、その2445Jはスピーカーシステムの横の床の上に、何年も置かれたままである。
 たぶん、僕にとって、この「375+537−500」は一生の宝物であり続けるだろう。技術の進歩と音の向上の関係は、じつに複雑なものであるが、これは、そのほんの一例にすぎない事実なのである。

JBLテクノロジーの変遷

井上卓也

JBLモニタースピーカー研究(ステレオサウンド別冊・1998年春発行)
「伝統と革新 JBLテクノロジーの変遷」より

 1946年の創業以来50年以上にわたり、JBLはオーディオ界の第一線で活躍してきた驚異のブランドである。この長きにわたる活躍は、高い技術力なくしては不可能であろう。創業者ジェームズ・バロー・ランシングの設計による卓越した性能のスピーカーユニットは、オーディオ・テクノロジーのいわば源となったウェスタン・エレクトリックの流れをくんだもので、現在にいたるまで、内外のスピーカーに多大な影響を与えた偉大なるユニット群であった。それに加え、エンクロージュア、ネットワークなどを含めた、システムづくりの技術力の高さもJBLの発展を支えてきたといえる。この伝統のうえに立ち、さらに時代とともに技術革新を行なってきたからこそ第一線で活躍できたのであろう。
 ここではJBLのテクノロジーの変遷を、モニター機を中心にたどっていくことにしたい。

コンプレッションドライバー
 それでは、スピーカーユニット/エンクロージュア/クロスオーバー・ネットワークの順でテクノロジーの変遷をたどっていくことにしよう。
 まずユニットであるが、最初はコンプレッションドライバーから。コンプレッションドライバーは、プレッシャードライバー/ホーンドライバーなどとも呼ばれ、振動板に空気制動がかかるようにして振幅を抑え、ホーンにとりつけて使用するユニットのことである。
 コンプレッションドライバーは、振動板(ダイアフラム)の後ろをバックカバーで覆うことで小さなチャンバーをつくり、また振動板前面にはイコライザー(フェイズプラグ)と呼ぶ、一種の圧縮(コンプレッション)経路を設けるのが一般的で、JBLもその例外ではなく、むしろこの形態をつくりだしたのがウェスタン~ランシングなのである。
 さて、JBL最初のコンプレッションドライバーは175の型番を持つモデルで、ダイアフラム径は1・75インチ(44mm)、その素材はアルミ系金属、そしてホーンとの連結部であるスロート開口径は1インチ(25mm)のもの。周知のことであるが、J・B・ランシングはJBL創業前は、アルテック・ランシング社に在籍しており、アルテックでも数多くのユニットを設計している。アルテックには、ランシングが設計した802という175相当のモデルがあるが、この両者を比べてみるとじつに面白い。すなわち、ダイアフラムのエッジ(サラウンド)はタンジュンシヤルエッジといって、円周方向斜めに山谷を設けた構造になっているのは両者共通だが、そのタンジュンシヤルの向きがアルテックとJBLでは逆、ボイスコイルの引き出し線はアルテックは振動板の後側(ダイアフラムがふくらんでいる方向)に出しているのにたいしJBLは前側、そして、極性もアルテックが正相にたいしてJBLは逆相……というように基本設計は同じでも変えられるところはすべてアルテックと変えたところが、JBLの特徴としてまず挙げられる。
 これらは目で見てすぐわかる部分だが、設計上非常に大きく違うのが、ボイスコイルが納まるフェイジングプラグとトッププレートの間隙、つまり磁気ギャップの部分がJBLのほうが狭いということと、磁気回路がより強力になっているということだ。アルテックは業務用途を主とし、ダイアフラム交換を容易にするためギャップを広くとっているのだが、JBLはその部分の精度を上げ、より高域を伸ばす設計に変えたのである。また磁気回路の強力化は、より高感度を求めたものと考えられる。
 この磁気回路を強力にするというのもJBLの大きな特徴で、175をさらに強力にした275、そしてLE85を開発していくことになる。この磁気回路の強力化は高感度化と、後述するホーンの話につながるのだが、磁気制動をかけて、空気の制動が少ない状態でも充分に鳴らせることにつながってくる。
 175~275~LE85は、1インチスロートであるが、4インチ・アルミ系金属ダイアフラム、2インチスロートという大型のコンプレッションドライバーが、有名な375である。375は磁束密度が2万ガウス以上という極めて強力なユニットで、ダイアフラムのエッジはロールエッジである。これらJBLのコンプレッションドライバーはすべてアルニコ磁石を用いており、このアルニコ磁石の積極的な導入は、J・B・ランシングの設計上のポイントでもあったようだ。
 ここまでが、JBLのスタジオモニター開発以前の話である。しかし1971年に登場した4320に搭載されたコンプレッションドライバー2420は、LE85のプロヴァージョンであり、事実上、同じモデルとみなせるものだ。したがってモニタースピーカー登場後しばらくは、これらランシング時代からのドライバーを用いていたのである。しかし、’80年代に入り、変革がおとずれる。それはまず、ダイアフラムのエッジ部分から始まった。それまでのタンジュンシャルエッジ/ロールエッジから、ダイアモンドエッジと呼ばれる、4角錐を組み合せた複雑な形状のものに変化したのである。これは高域特性の向上を目指した改良ということである。
 つぎなる変革は磁性体の変化である。これはウーファーなどコーン型ユニットが先行していたが、アルニコの原料であるコバルトの高騰により、フェライト磁石に移行したのだ。アルニコからフェライトに変れば、当然素材自体の鳴きも変り、磁気回路そのものも変化するためかなりの設計変更が必要となるが、高域ユニットでは低域ユニットに比べ比較的スムーズに移行できたようだ。磁性体材料ではもうひとつ、ネオジウム磁石への変革がある。これはアルニコからフェライトのように全面的な移行ではなく、現在でも限られたユニットだけにネオジウムを搭載しているが、軽量化と高感度/高駆動力を両立させる手法であろう。ユニットが軽量になれば慣性が減るため、より音の止まりが速くなる効果が期待できる。
 ダイアフラムに話を戻すと、アルミからチタンへの変更が’80年代に行なわれた。チタンは音速の速い物質であり、物性値の向上という意味で、技術的に魅力ある素材である。しかし、チタンの固有音のコントロールには苦労したあとがみられ、4インチ振動板モデルでいうと、最初にチタンを搭載した2445ではダイアフラムの頂点に小さな貼り物をしたり、つぎの2450ではリブ(これは軽量化と強度を両立させるためのものでもあったが)を入れたり、475Ndでは一種のダンピング材であるアクアプラスを塗布したりして、現在では固有音を感じさせない見事なコントロールが行なわれているようである。
 イコライザーにも変化があった。当初は環状(同心円状)スリットの、経路が直線で構成されるものであったが、2450/475Ndには、経路が曲線で形成されるサーペンタインと呼ばれる形状が採用されている。この形状にすることで、ダイアフラムの真ん中とその周辺での音の時間差をコントロールして、より自然な音をねらったものと思われる。
 コンプレッションドライバーから発展したものとして、075に代表されるリングラジエーターというホーントゥイーターがある。これはコンプレッションドライバーのダイアフラムをドーナツ型にしたようなもので、リング型の放射部分にあるダイアフラムの裏側に、ちょうどボイスコイルがくるようにして(ボイスコイルの部分がもっとも高城のレスポンスがいいため)、耐入力と高域特性の向上の両立を図ったものだ。モニター機にはもっばら2405が使われたが、基本的には075をベースにイコライザー部分を変えて、高域を伸ばしたものであり、この基本部分を同じくして各種のヴァリエーションをつくるというのも、JBLの大きな特徴である。モニター機では低音が比較的伸びたウーファーを使用するため、バランス上、075では高域が足らず、2405を使ったと思われるが、この低域と高域のレスポンスのバランスはオーディオで非常に大事なことである。なお、リングラジエーターと175/LE85等のボイスコイル径は同一である。

ホーン/音響レンズ
 JBLのホーンでもっとも特徴的なのはショートホーンであるということだ。通常コンプレッションドライバーは、ホーンでの空気制動を見込んで設計するのだが、先ほど述べたように、JBLのドライバーはもともと磁気制動が大きく、あまり長いホーンを必要としない。ホーンが短いメリットは、何といってもホーンの固有音を小さくできるということであるが、そのためには組み合わせるドライバーに物量を投入しなければならず、この方式の追従者は少なかった。強力な磁気ダンピングをかけるもうひとつのメリットとして、ダイアフラムが余計な動きをせず、S/Nがよくなるという点も挙げておきたい。
 しかし、いくらショートホーンといっても固有音がなくなるわけではなく、また、ウーファーと同一のバッフルにマウントしたときに発音源が奥に行き過ぎ、なおかつ平面波に近い状態で音が出てくるために、距離を感じてしまう。そこで考案されたのが音響レンズである。音響レンズによって指向性のコントロールができ、仮想の音源を前に持ってくることも可能となり、さらには、球面波に近い音をつくることが可能になった。たとえばスラントプレートタイプの音響レンズを見ると、真ん中が短く、両端が長い羽根が使われているが、こうすることによって真ん中の音は速く、端の音は遅くと極めてわずかではあるが時間差がついて音が放射されることになり、波の形状が球面になると考えられるのだ。パーフォレーテッドプレートというパンチングメタルを多数重ね合わせたタイプのレンズが、真ん中が薄く、端にいくにしたがって厚くなっているのも、同じ理由によるものと考えられる。
 モニター機にはもっぱらショートホーン+スラントプレートレンズが使われたわけだが、4430/35で突如姿を現わしたのがバイラジアルホーンである。音響レンズにはメリットがあるものの、やはりレンズ自体の固有音があり、ロスも生じる。
 また、ダイアフラムからの音はインダイレクトにしか聴けないわけであり、もう一度原点に戻って、ホーンの形状だけで音をコントロールしようとして出てきたのがバイラジアルホーンだと思う。レンズをなくすことで、ダイアフラムの音をよりダイレクトに聴けるようにして、高域感やS/Nを上げようとしたものであろう。また、通常のホーンは、高域にいくにしたがって指向性が狭くなり、軸をずれると高域がガクッと落ちるのであるが、この形状のホーンでは周波数が上がっても指向性があまり変らず、サービスエリアが広くとれるということである。現在のJBLは、このバイラジアルホーンに加え、スラントプレートタイプのホーンもつくり続けている。

コーン型/ドーム型ユニット
 コーン型ユニットに移るが、ここではウーファーに代表させて話を進めていく。ウーファーの磁気回路の変遷は、コンプレッションドライバーとほぼ同様だが、しかしフェライトへの移行に際し、JBLではウーファー用にSFGという回路を開発し、低歪化にも成功したのである。また、マグネットは過大入力によって磁力が低下(滅磁)する現象が起きることがあり、アルニコのひとつのウイークポイントであったのだが、フェライトには減磁に強いという性格があり、モニタースピーカーのように大パワーで鳴らされるケースでは、ひとつのメリットになると考えられる。
 JBLのウーファーは軽いコーンに強力な磁気回路を組み合わせた高感度の130Aからスタートしたが、最初の変革は1960年ごろに登場したLE15Aでもたらされたと考えられる。LE15Aは磁気回路が130系と異なっているのも特徴であるが、それよりも大きいことは、コーン紙にコルグーションを入れたことである。コルゲーションコーン自体は、その前のD123で始まっているのだが、ウーファーではLE15が初めてで、特性と音質のバランスのとれた画期的な形状であった。ただし、130系に比べてコーンの質量が重くなったため(これはコルゲーションの問題というよりも振動系全体の設計によるもの)感度は低下した。現在でも全世界的に大口径コーン型ユニットの大多数はコルゲーションコーンを持ち、その形状もJBLに近似していることからも、いかに優れたものであったかがわかる。またLE15ではロール型エッジを採用して振幅を大きく取れる構造とし、低域特性を良くしているのも特徴である。
 モニターシステム第一号機の4320には、LE15Aのプロヴァージョン2215が使われたが、以後は、130系の磁気回路にLE15系の振動系を持ったウーファーが使いつづけられていくことになる。また、ボイスコイルの幅が磁気ギャップのプレート厚よりも広いために振幅が稼げる、いわゆるロングボイスコイル方式のウーファーをほとんどのモニター機では採用している。特筆すべきは、ことモニター機に使われた15インチウーファーに関していえば、4344まで130系のフレーム構造が継承されたことで(4344MkIIでようやく変化した)、JBLの特質がよく表われた事象といえよう。
 ロールエッジの材料はLE15の初期にはランサロイというものが使われていたが、ウレタンエッジに変更され、以後連綿とウレタンが使われつづけている。ただし、同じウレタンでも改良が行なわれつづけているようである。スピーカーというものは振動板からだけ音が出るわけではなく、あらゆるところから音が発生し、とくにエッジの総面積は広く、その材質・形状は予想以上に音質に影響することは覚えておきたい。
 コーン紙にはさらにアクアプラストリートメントを施して固有音のコントロールを行なっているのもJBLの特徴である。ただしそのベースとなる素材は、一貫してパルプを使用している。
 S9500/M9500では14インチのウーファー1400Ndが使われたが、これはネオジウム磁石を用い、独自のクーリングシステムを持った、新世代ユニットと呼ぶにふさわしいものであった。またこのユニットは、それまでの逆相ユニットから正相ユニットに変ったこともJBLサウンドの変化に大きく関係している。
 なお、モニター機に搭載されたユニットのなかで、最初にフェライト磁石を採用したのは、コーン型トゥイーターのLE25であるが、SFG回路開発以前のことであり、以後のトゥイーターにも、振幅が小さいためにSFGは採用されていない。
 ドーム型ユニットのモニター機への採用例は少ないが、メタルドームを搭載した4312系の例がある。素材はチタンがおもなものだが、途中リブ入りのものも使われ、最新の4312MkIIではプレーンな形状で、聴感上自然な音をねらつた設計となっている。

エンクロージュア
 JBLのエンクロージュアの特徴は、補強桟や隅木をあまり使わずに、まずは側板/天板/底板の接着を強固にして箱の強度を上げていることが挙げられる。材質はおもにパーティクルボードで、ほとんどが、バスレフ型。バスレフポートは当初はかなり簡易型の設計であった。これは、とくにスタジオモニターの場合、設置条件が非常にまちまちであり、厳密な計算で設計をしても現実には反映されにくいため、聴感を重視した結果であろう。
 エンクロージュアのプロポーションは、比較的奥行きが浅いタイプであるが、一般的に奥行きの浅いエンクロージュアのほうが、反応の速い音が得られるために、こうしたプロポーションを採用しているものと思われる。
 時代とともにエンクロージュアの強度は上がっていき、いわゆるクォリティ指向になっていく。材質は最近MDFを使うようになったが、これはバラツキが少なく、かなり強度のある素材である。JBLがMDFを採用したのには、システムの極性が正相になったことも関係しているだろう。すなわち、逆相システムはエッジのクッキリした音になりやすく、正相システムはナチュラルだが穏やかな音になりやすいため、MDFの明るく張った響きを利用して、正相ながらもそれまでのJBLトーンとの一貫性を持たせたのではないかと推察される。モニタースピーカーは音の基準となるものであるから、この正相システムへの変化は重要なことではあるが、コンシューマーに限れば、どちらでもお好きな音で楽しめばよいように思う。そのためにはスピーカーケーブルのプラスとマイナスを反対につなげばよいだけなのだから。
 エンクロージュアの表面仕上げも重要な問題である。JBLのモニター機は当初グレーの塗装仕上げであったが、これはいわゆるモニターライクな音になる仕上げであったが、途中から木目仕上げも登場した。木目仕上げは見た目からも家庭用にふさわしい雰囲気を持っているが、サウンド面でもモニターの峻厳な音というよりも、もう少しコンシューマー寄りの音になりやすいようだ。M9500ではエンクロージュアの余分な鳴きを止めるためにネクステル塗装が行なわれており、モニターらしい設計がなされているといえる。
 吸音材の材質/量/入れ方も音に大きく 影響するが、とくに’70年代に多用されたアメリカ製のグラスウールは、JBLサウンドの一端を大きく担っていたのである。

クロスオーバー・ネットワーク
 JBLのネットワークはもともと非常にシンプルなものであったが、年とともにコンデンサーや抵抗などのパラレル使用が増えてくる。これはフラットレスポンスをねらったものであるが、同時に、音色のコントロールも行なっているのである。たとえば、大容量コンデンサーに小容量のコンデンサーをパラレルに接続する手法を多用しているが、この程度の容量の変化は、特性的にはなんらの変化ももたらさない。しかし音色は確実に変化するのである。また、スピーカーユニットという動作時に複雑に特性が変化するものを相手にした場合、ネットワークはまず計算どおりには成り立たないもので、JBLの聴感上のチューニングのうまさが聴けるのが、このネットワークである。ネットワークの変化にともなって、音はよりスムーズで柔らかくなってきている。
 こうして非常に駆け足でテクノロジーの変遷をたどってきたわけだが、JBLがさまざまな変革を試みてきたことだけはおわかりいただけたのではないだろうか。そしてその革新にもかかわらず、JBLトーンを保ちつづけることが可能だったのは、ランシング以来の50年以上にわたる伝統があったからではないだろうか。

モニタースピーカー論

菅野沖彦

JBLモニタースピーカー研究(ステレオサウンド別冊・1998年春発行)
「モニタースピーカー論」より

「モニタースピーカーとは何か?」というテーマは、オーディオの好きなアマチュアなら誰もが興味を持っている問題であろう。また、プロの録音の世界でも、専門家達によってつねに議論されているテーマでもある。私も長年の録音制作の仕事の経験と、半世紀以上の私的レコード音楽鑑賞生活を通じて、つねにこの問題にぶつかり、考え続けてきているが、録音再生の実体を知れば知るほど、一言で定義できない複雑な命題だと思わざるをえない。モニタースピーカーをテーマにして書いたことや、話をしたことは、過去にも数え切れないほど多くあったが、そのたびに明解な答えが得られない焦燥感を味わうのが常であった。モニタースピーカーの定義は、オーディオとは何か? の問題そのものに深く関わらざるを得ないものだからだと思っている。つまり、オーディオの代表と言ってよい、変換器コンポーネントであるスピーカーと、それが置かれる再生空間(ホール、スタジオ、モニタールーム、家庭のリスニングルームなど)の持つアコースティックの諸問題、さらには、各人の技術思想や音と音楽の感覚的嗜好の違いなどに密接に関係することを考えれば、その複雑さを理解していただけるのではないだろうか。いまや、モニタースピーカーを、単純に変換器としての物理特性の定量的な条件だけで定義することはできないという認識の時代になったと思う。
 モニタースピーカーには目的用途によって望ましい条件が異なる。本来は、再生の代表であるから、そのプログラムが聴かれる再生スピーカーに近いものであることが望ましい。しかし現在では、5cm口径の全帯域型からオールホーンの大型4ウェイ、5ウェイシステムなどといった多くのスピーカーシステムがあるわけだから、このどれを特定するかが問題である。AMラジオやカーオーディオからラジカセ、ミニコン、本格オーディオまでのすべてをひとまとめにするというのも無茶な話ではある。つまり、特定することは不可能であり、現実はかなりの大型モニターをメイン・モニタースピーカーとし、それと小型のニア・フィールド・モニターを併用し、この2機種に代表させているのが一般的であるのはご存じの通りである。また、各種の編集用やマスタリングなどのそれぞれに、最適のモニターのあり方は複雑である。厳密に言えば制作者のためのコントロールルーム・モニタースピーカーと、演奏者のためのプレイバック・モニターでも異なる必要がある場合もある。通常はスタジオ・ホールドバックはメインモニターと共通のものが多いようだ。演奏者のためのキューイング用ヘッドフォンやスピーカーも一種のモニターとして重要であるがこうなると切りがない。これは録音のための詳しい記事ではないのでこうした具体的な詳細については省略するが、とにかく、モニタースピーカーシステムの概念は単純に考えられるものではないことだけは強調しておきたい。
 モニタースピーカーだからといって、基本的には、観賞用スピーカーシステムと変るところがあるわけではないが、鍛えられたプロの耳にかなうべく、音響的にその時代の水準で最高度の性能を持つものであることが望まれると同時に、なによりも少々のことでは壊れないタフネスと制作者が音楽的判断がしやすく、長時間聴いても疲れない、好ましいバランスと質感のサウンドを兼ね備えるものであることが望ましい。周波数的にワイドレンジであり、リニアリティに優れ、歪みが少なく、全帯域にわたる位相特性が重視されるなどといった基本的な物理特性は、モニタースピーカーだけに特に要求される条件ではないわけだから、そんなことを、あらためて条件として述べる必要はないだろう。指向特性や放射波パターンは現在のところでは特定されていない。当然のことだが、理屈を言えば、肝心のモニターする部屋の問題はさらに重要である。かといって、特に音響設計をした部屋であらゆる音楽制作の仕事ができるわけでもないし、だいいち、モニタールームの理想的音響特性というものにも見解は不統一である。当然これに関しても、世界各国の多くの機関が推奨特性を提案してはいるが、世界中の録音スタジオのコントロールルームを同じ特性に統一できるはずはないし、コンサートホールの録音に部屋を担いでいくわけにはいかない。案外、放送局が使っている中継車が使いなれていれば、正解かもしれない。
 私個人のモニタースピーカーとしての条件をあえて言えば、「当人が好きで、聴きなれたスピーカーシステム」としか言えない。しかし、そう言っては元も子もなく、「多くの人間が共通して使える普遍性」というスピーカーシステムの本質にとってもっとも困難な問題こそがモニタースピーカーの条件なのである。
 過去には、ラジオ放送局や電気音響機器に関する各種の技術基準を定める関連団体が、サウンドのリファレンスとしてのモニタースピーカー規格を作成し、少なくとも単一団体やネットワークの中での共通項として定め、仕事の質的向上と組織化や円滑化に役立てられてきたのがモニタースピーカーと言われるものであった。そして、その機関は専門家の集団であり、放送局のように公共性を持つものだったことから、そこが定める規格は、それなりの権威とされたのはご存じの通りである。その代表的なものが海外にあってはRCAやBBCのモニタースピーカー規格であり、内にあってはNHKのBTSモニタースピーカー規格などである。この規格に準じた製品はメーカーが共同開発、あるいは設計、仕様書に基づいて製品を受注生産することになる。さらに一般マーケットでの販売に拡大し、一定の生産量を確保してコストの低下を図ることになる。そうなれば、そのような、ある種の権威ある機関が定めた規格を売り物にするという商業的傾向も生まれて当然であろう。その制定機関の承認を得て名称を使い、一般コンシューマー市場で、モニタースピーカーとししてのお墨付を優れた音の信頼の証しとするようになったのである。かくしてオーディオファイルの間でも、プロのモニターという存在が盲目的信仰の対象に近い存在になっていったと思われる。当時の技術水準とオーディオマインドのステージにあっては、こうしたお墨付が大きな意味があったのは、やむを得ないであろう。オーディオの文化水準もいまのようではなかったし、つねに自分の再生音に不安を持つのがアマチュア共通の心理である。プロのモニターというお墨付は、何よりの安心と保証である。
 この状況は、いまもオーディオファイル
に根強く残っているようではあるが、大きく変りつつある面もあり、実際に、そうしたお墨付の製品は少なくなっているようだ。それは、時代とともに(特に1960年代以後)、レコード産業や文化が発展し、オーディオ産業がより大きく多彩な世界に成長したことが要因と思われる。電気音響技術と教育の普及と向上も、放送局のような特定の公的機関や団体に集中していた技術や人材を分散させ、オーディオは広範囲に拡大化した。モニタースピーカーにも多様な用途が生まれてきたし、変換器としてプロ機器とコンシューマー機器をかならずしも共通に扱えないという認識も生まれてきた。また、技術レベルの格差も縮まり、物によっては逆転と言える傾向さえ見られるようになったのが現状である。一般にオーディオと呼ばれるレコード音楽の録音再生分野に限ってもモニタースピーカーの設計製作をする側も、仕事や趣味でそれを使う側でも、音への認識が高まり、スピーカーや室内音響の実体と本質への理解が深くなったことで、スピーカーを一元論的に定義する単純な考えは通用しない時代になったと思われる。
 このように、モニタースピーカーは、より多元的に論じられる時代になったと言えるだろうし、現に録音現場で採用されているプロのモニタースピーカーも、むかしとは比較にならないほど多種多彩で種類が多い。同じ企業の中で数種類のモニターが使われている例も珍しくはなく、同じ放送局内でさえ、ブランドはもちろんのこと、まったく異なる設計思想や構造によるスピーカーが、メインモニターとしてスタジオ別に設置されている例が見られるようになった。局が違いレコード会社が違えば、もはや、ある基準値による音の客観的標準化(本来有り得ないものだが)や、規格統一による互換性などは、ほとんど希薄になっていると言わざるを得ないであろう。多様化、個性化といった時代を反映しているのだろうが、これもまた、少々行き過ぎのように思われる面もある。
 私は、1971年のアメリカのJBL社のモニタースピーカー市場への参入を、このような、言わば「モニタースピーカー・ルネッサンス」と呼んでよいエポック・メイキングな動きの一つとして捉えている。
 そしてその後、中高域にホーンドライバーを持つ4ウェイという大がかりなシステムでありながら、JBL4343というスピーカーシステムが、プロのモニタースピーカーとしてではなく、日本のコンシューマー市場で空前のベストセラーとなった現象は、わが国の20世紀後半のオーディオ文化を分析する、歴史的、文化的、そして商業的に重要な材料だと思っている。ここでは本論から外れるから詳しくは触れないが、この問題を多面的に正確に把握することは、現在から近未来にかけてのオーディオ界の分析と展望に大いに役立つはずである。
 いまの若い方達はたぶん意外に感じられると思うのだが、JBLはもともとプロ用モニタースピーカーの専門メーカーではなかった。プロ機器(劇場用とモニター)の専門メーカーであったアルテック・ランシング社を離れ、1946年創立されたJBL社は、高級な家具調のエンクロージュアに入ったワイドレンジ・スピーカーシステムに多くの傑作を生み出している。ハーツフィールド、パラゴン、オリンパス、ランサーなどのシリーズがそれらである。これは、マーケットでのアルテック社の製品群との重複を避けたためもあるらしい。(実際、JBLの創設者J・B・ランシング氏は、アルテックの副社長兼技術部長時代に、アルテックのほとんどの主要製品、288、515、604、A4などを設計開発していた!)
 JBLがモニタースピーカーと銘打って登場させた最初のスピーカーシステムは、一般には1971年の4320だとみなされている。実際には、1962年にC50SM(スタジオ・モニター)というモデルが発表されているが、広く使われたものではなかったようであり、また4310というシステムが4320とほぼ同時に発売されているが、このモデルは、30cmウーファーをベースにした、オール・コーン型のダイレクトラジエーターによる3ウェイシステムだから、その後同社モニタースピーカーとして大発展をとげるシリーズがすべて、高城にホーンドライバーを持つシステムであることからすれば、4320を持ってその開祖とするのも間違いではない。4320は2215型38cmウーファーをベースに、2420+2307/2308のドライバー+ホーン/音響レンズで構成される2ウェイシステムである。
 1972年にはヴァリエーション機の4325も登場するが、同時にこの年、38cmウーファー2230A2基をベースとした4ウェイ5ユニット構成の大型スタジオモニターシステム、4350が発表となるのである。これは従来、モニタースピーカーはシングルコーン型か同軸型、せいぜいが2ウェイシステムと言われていた定説に真っ向から挑むものとしてエポック・メイキングな製品と言えるもので、その後の、世界中のスタジオモニターのあり方に大きな影響を与えたものであったと同時に、一足先に3ウェイ以上のマルチウェイ・システムに踏み込んでいたオーディオファイルの世界に、喜ばしい衝撃となったことは重大な意味を持っていると、私は考える。マルチウェイでもプロのモニターができたのか! という我が意を得たりと感じたファンも多かったと思う。かつての放送局規格のモニタースピーカーとはまったくの別物であった。私の知る限りでは、これらJBLのプロ・モニターは自称であり、どこかの機関の定めた規格に準拠するものではないと思う。
 アメリカでは歴史上の必然からウェスタン・エレクトリックとアルテック・ランシングがプロ用スピーカーシステムの標準のようなポジションを占めてきた。特にスタジオモニターとして、当時、独占的な地位とシェアを誇っていたのが、38cm同軸型ユニットの604Eを銀箱という愛称のエンクロージュアに納めたアルテックの612Aであったが、このJBLのプロ市場参入をきっかけとして、落日のように消えていったのである。既成概念の崩壊は雪崩のごとくプロ市場を襲い、その頃から多くのカスタムメイドのモニタースピーカーメーカーも登場したのである。ウーレイ、ウェストレイクなどがなかでも有名になったメーカーだ。
 さて、そうしたモニター・ルネッサンスを生み出したJBLの製品は、4320、4325、4331、4333、4341と続き、’76年に発表され大ヒットとなった4343、4343WXで、最初の絶頂期を迎えることになるわけだ。4343は、
2231Aウーファー、2121ミッドバス、2420+2307/2308ミッドハイ、2405トゥイーターという4ウェイ4ユニットが、4面仕上げの大型ブックシェルフ(?)タイプのエンクロージュアに納められた、以後お馴染みになる4ウェイシステムの原器である。その後、改良型の4343Bとなり、1982年には4344、さらにダブルウーファーモデルとして1983年には4355と発展したのである。
 しかし、その発展は、モニター・ルネッサンスというプロ業界での尖兵としての健闘もさることながら、JBLを商業的に支えたのは、むしろ、これが援兵となったコンシューマー・マーケットでの尖兵達の敢闘であった。特に日本のオーディオファイルはこれをハイファイのスタンダードという認識を待ったようである。ペアで100万円以上もするシステムが売れに売れたという1970年〜1980年のわが国のオーディオ界であった。4344は、1996年に4344MkIIが発売された時点でも残っているという人気ぶりで、ロングライフの名機となったのである。
 プロとコンシューマーの別はこうして取り除かれた。そしてたしかに、JBLによって’70年代から’80年代にかけて日本のオーディオ文化は円熟の時を迎えた。その結果、爛熟がカオスを招いたことも事実である。したがって、モニタースピーカーとは何か? という進路をも不透明にしてしまったように思える。その後JBLはバイラジアル・ホーンを持つモニターを発表し、さらにはプロジェクト・シリーズで気を吐くが、自らの進路を定めていない。むしろ、個々に鑑賞用として優れた魅力的なシステム群である。
 モニタースピーカーは録音再生の、いわば「音の羅針盤」だ。JBLが創り出したといってよい世界の現代モニタースピーカーのカオスから、なんらかの方向が定まることを期待したい。まさに群雄闊歩の時代なのである。

JBL 4344MkII

菅野沖彦

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 4344の最新モデルだが、内容には見た目以上の新しい技術によるリファインが感じられる。ユニット、ネットワークからターミナル、線材などなど、あらゆる箇所が見直されている。しかし全体の形状、4ウェイ4ユニットの基本は変らず、さすがに原器の持つ良さを残し、より洗練した音に仕上がっている。

JBL 4344MkII

井上卓也

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
「エキサイティングコンポーネント」より

 JBLの超ロングセラーを誇るプロフェッショナルモニターの4344が、同社最新の技術が投入された新ユニットを採用し、4344MkIIとして発売された。
 基本的に、ホーン型とコーン型を組み合わせた2ウェイ構成システムをプロフェッショナルモニターとして開発するJBLのラインナップのなかで、4344のような4ウェイ構成のシステムは例外的な存在のようだ。かつては38cm口径ダブルウーファー仕様の4350/4355、46cmウーファー採用の4345も存在はしたが、現在残っている4ウェイ構成のモデルは、この4344MkIIのみである。
 4344の系譜は、プロフェッショナルモニター・シリーズの初期の4341に始まり、ユニット構成はそのままにエンクロージュアを大型化した名作4343が第2世代の製品である。本機は、ハイエンドオーディオのリファレンススピーカーとして最高の評価が与えられ、これほど数多くの愛用者を獲得したスピーカーシステムはないといっても過言ではない。内容の濃い製品であった。
 この4343の後継機として’82年に登場したモデルが4344で、それ以後、すでに14年の歳月が経過したことになる。
 4ウェイ構成のシステムは、ユニットが多いだけに、そのシステムプランにはほぼ無限の組合せが存在することになるが、平均的には3ウェイ構成のシステムをベースに、最低域を加えたサブウーファー型や、その逆に最高域を加えたスーパートゥイーター型の構想が多く採用されている。とくにプログラムソース──SPからLP、LPからステレオLP、そしてCD、さらには現在のようにハイサンプリングDATやDVDなど──の進化に伴って、高域再生周波数が改善されるようになると、その高域を再生可能とするために、高域レスポンスに優れたユニットを従来のシステムに追加するという、システムプランが考えられるようである。
 4ウェイ構成は、100Hz〜10kHzを2ウェイ構成でカバーし、それに最低域と最高域を加えるシステムプランが理想的だが、指向周波数特性、歪率などを考えると、予想外にその実現はむずかしいものがある。
 JBLの4ウェイ構成は、基本的には低域と中域のクロスオーバー周波数を、比較的近い周波数に設定可能な大口径を採用し、その高域にドライバーユニットとホーンを組み合わせたユニットを使い、これにスーパートゥイーターを加える、といったシステムプランによるものだ。
 したがって、中域(結果としては中低域になる)にはコーン型が採用されており、かつての38cm口径ダブルウーファー仕様の4350/4355では30cmユニットが、38cm口径シングル仕様の4341/4343/4344では25cmユニットが、伝統的に用いられている。
 ちなみに、同様な構想になるシステムのウェストレイクBBSM15(これは3ウェイ構成だが)では、低域が38cm口径のダブルウーファー仕様、中域が25cmコーン型、高域がトム・ヒドレーホーン採用のドライバーユニットで、すべてJBLユニットで構成されている。これに、スーパートゥイーターを加えれば4ウェイ構成となるが、エネルギーバランス的には、中域(中低域)を30cm口径ユニットにサイズアップしなければならないだろう、というのがスピーカーの面白いところである。
 最新の4344MkIIは、前作の開発以来14年を経ているだけに、外観上印象や外形寸法こそ前作を受け継いではいるが、その内容は完全に基本からの新設計によるもので、前作を受け継ぐのは高域の2405Hだけといってもよいほどの全面的な改良が施されている。
 バッフル面のユニットレイアウトの基本はほぼ同一で、JBLのいうミラーイメージ構成によるものだが、低域用のバスレフ円筒型ポートの位置が、4343のように再び左右に振り分けられ、上下方向の位置も低域と中低域ユニットの間になった。この変更に伴って、ウーファー取付け用金具MA15が、前作の4個から5個に増加している。
 中高域ユニットのスラント型ディフューザーは、型名の2308に変更はないようだが、フィンが11枚から12枚となり、取付け方法もマジッククロスから、ディフューザーに取り付けられた4個のダボをエンクロージュアのキャッチで受けるタイプに変更された。これにより、使用中に脱落することはなくなったが、注意しながら脱着しないとダボが破損しやすいようである。また、ディフューザーを取り外してみると、エンクロージュア側に八方ウレタンCとが取り付けてあり、振動の防止と、エンクロージュアのバッフル面からの2次放射を防ぐキメ細かな設計が見受けられる。
 アッテネーターパネルは、外観上ではさほど変化はないが、中低域・中高域・高域の各レベル調整はすべて+側が1・5dBと、同じ変化量に変更されている。とくに感度の高い中高域では20dB程度のアッテネーションが必要なだけに、プリアッテネーターとしてのネットワーク内での減衰方法は不明だが、連続可変型アッテネーターでの減衰量が少なくなったと考えれば、音質改善効果が期待できるかもしれない。
 使用ユニットは、低域が従来の2235HからS3100システムに搭載されている大入力対応VGC(ヴェンテッド・ギャップ・クーリング)機構採用のME150HSに、中低域が2122Hから振動系が強化された2133Hに、それぞれ変更されている。また、中高域のドライバーユニットは、S5500システムに使われている、ダイアモンドエッジをはじめ、0・05mm厚50mm口径のチタンダイアフラム、25mm径スロート、ネオジウムマグネット搭載磁気回路などを採用した、275Ndに替えられている。
 さらに、外観上ではわかりにくいが、4344MkIIで最も大きく変更された点は、創業以来貫いてきたシステムのアブソリュートフェイズが、一般のスピーカーシステムと同様、正相となったことである。これは、JBLではK2システム以来の仕様変更だ。つまり、従来のほとんどのJBLシステムは、+側を意味する赤マーク付端子に電池の+側を接続したときにコーンが引っ込む、逆相仕様が標準だったのだが、本機では端子の+側に電池の+側を接続したときにコーンが前に出る、他者のほとんどのスピーカーと同じ正相仕様に変更されたのである。
 このアブソリュートフェイズの正相/逆相は、とくに音色面と音場感に違いが出てくるが、古くからカートリッジやスピーカー等の変換器で、よく使われている設計手法である

JBL 4312MKII

井上卓也

ステレオサウンド 121号(1996年12月発行)
特集・「ザ・ベストバイ コンポーネントランキング710選」より

 プロ用モニターとして最初に登場した4300シリーズ中で現在残る唯一の製品。懐かしいコーン型高域はドーム型に変ったが、闊達に弾み、よく鳴る30cm低域ベースの音は、さすがに大口径バスレフ型ならでは。ドラムスの風圧を感じさせる低域再生能力は真の低音であり、小型ウーファーの単なる低音感とは異質の見事さ。

JBL S3100

JBLのスピーカーシステムS3100の広告(輸入元:ハーマンインターナショナル)
(サウンドステージ 26号掲載)

JBL

JBL music 2

JBLのシステムコンポーネントmusic2の広告(輸入元:ハーマンインターナショナル)
(サウンドレコパル 1994年夏号掲載)

JBLmusic2

JBL 4344

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド別冊・1994年春発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 JBLの3文字ほど説得力の強いスピーカーもあるまい。ジェームス・バロー・ランシングという人の名前のイニシャルであることはいうまでもない。イタリア系移民の子として生まれた彼だが、名前を変えたらしい。ジェネレーションからして、オーディオの創成期から発達〜円熟期にかけて生きて、この名門の基礎を作った天才的な人物であった。
 JBLの商標は1950年代中頃に有名になったものだが、それを生み出したランシング・サウンド・コーポレーテッドという会社の創立は1946年だ。1902年生まれの彼だから44歳の時ということになる。もっとも、それ以前に彼はランシング・マニファクチェアリングという会社を創立し、すでにスピーカー作りに手を染めていた。1927年のこと、彼が25歳の頃だ。
 このJBL初の会社が後年、ウェスタン・エレクトリックから別れて出来たオール・テクニカル…つまりアルテック・サービス・コーポレーションと一緒になり、アルテック・ランシング・コーポレーションとなったわけで、ここから、さらにJBL・サウンド・インコーボレーテッドとして独立したのが、現在のJBL社の始まりなのである。したがって、そのルーツは1927年にまで遡ることができるから、実に67年もの歴史を持つメーカーだ。その彼も1949年に47歳で死んでいるが、その後今日まで45年間も彼の技術を基本としたスピーカー、アメリカを代表するスピーカーとして生き続ける。
 4344は、JBL全盛期を作った傑作モニターシステムで、わが国ではベストセラーを記録した。現在でも、このユーザーはJBL愛好者の中で最も多いのではないだろうか。4ウェイ4ユニット構成で、中高域にJBLらしいコンプレッション・ドライバーを持つ代表作。
 現在も現行製品としてカタログにあることは心強く、この製品へのユーザーの支持が強いことを証明している。素晴らしい製品だ。

ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する」より

 当初のセッティング、部屋の音響的処理、試聴などの全プロセスを加えると、ほぼ24時間ほどS9500を聴いたが、デザイン的な制約のある独自な構成の2ウェイシステムとしては使いやすく、モニター的に前に出るJBLの音に、奥深い音場感のプレゼンスと素直に立つ音像などの新しい魅力を加えた、見事なシステムであることを実感できた。
 プロトタイプで聴いた時の、必要帯域内のエネルギーをビシッと聴かせたナローレンジ型の音が印象に鮮明に残るが、最新モデルでは、やや低域の量感重視型と変り、量感はあるが音の芯が甘く、軟調な低域となり、この部分をいかに制御するかがポイントで、ここが使い難いシステムという印象につながっているようだ。しかし、駆動側のアンプを、今回聴くことができたグレードのモデルとすれば、極限を望まなければ、この試聴条件でも、すべて調整範囲にある。
 スピーカーシステムとしては、公称インピーダンスが3Ωであるため、駆動するアンプは低負荷時のパワーリニアリティが要求され、今回の試聴でもアンプとスピーカー間が有機的に結合した音を望むと、8Ω負荷時のパワーが200Wは必要である。また、TV電波の外乱が少ない平均的な場所での條用では、高域のクォリティは明らかに1ランク高くなり、8Ω負荷時100Wあれば、本誌試聴室の200W級よりは、明らかに優れた結果が得られると思う。
 TV電波の外乱による音の劣化は、単一の症状として表われるものではないが、全般的に、電波障害が少ない環境の良い地区で作られる海外製品は、電波対策が施されていないのが普通のようで、かなり中高域以上が乱れ、高域が遮断されたナロ−レンジ型の音となることがほとんどである。
 国内製品は、電波対策は必須条件として設計されるが、非常に強力な電界下では、当然影響は避けられず、音の透明感、鮮度惑をはじめ、音の表情が抑えられ、マットになるのは止むをえないことであろう。
 高級アンプにとり、ウォームアップによる音質、音色などの変化は、現状では必要悪して悠然と存在する事実で、これを避けて通ることは不可能なことと考えたい。
 このウォームアップ期間の変化を、どのようにし、どのように抑えるかは、まったく無関心のメーカーもあり、今後の問題といわざるをえないが、アンプを選択する使用者側でも、どの状態で今アンプが鳴っているかについて無関心であることは、寒心にたえないことである。
 今回は、各アンプとも、試聴数時間以上前に電源を入れプリヒートを行ない、試聴時間はそれぞれ2時間程度を要している。
 各試聴アンプの設置場所、AC100V系の電源の取り方、などの基本的な部分はステレオサウンド試聴室の標準仕様ともいうべきもので、同誌連載中のトリヴィアのリポートとして掲載したものを参照していただきたい。
 接続用ケーブルは、トーレンスCE100スピーカーケーブル、平衡/不平衡(バランス/アンバランス)ケーブルは、オルトフォンの7Nケーブルであり、すべて試聴室常用のケーブルである。
 CDプレーヤーは、アキュフェーズの新製品DP90とDC91の組合せで、これはすべてのアンプに共通に使用したが、出力系の平衡/不平衡は適宜、そのたびにケーブルを差し替えて使い、平衡/不平衡間の干渉を避けている。
 プログラムソースは、1960年代の録音から最新録音にいたる、各ジャンルを用意した。

JBL 4344(組合せ)

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「4344 ベストアンプセレクション」より

 JBLの4344は、’82年に発売されて以来ずっと、わが国において、スピーカーの第一線の座を守り続けている製品であると同時に、わが国のオーディオを語るうえでも決して忘れてはならないきわめて存在意義の大きな製品である。本機は、4ウェイシステムならではのエネルギー感溢れる音が魅力であり、機器をチェックする際のリファレンススピーカーとして、いまでも数多くのオーディオメーカーやオーディオ関連の雑誌社が使用している事実は、このスピーカーの実力のすべてを物語っているともいえよう。4344はJBLを代表するスタジオモニターであるばかりでなく、スピーカーのなかのスピーカーとして位置づけられるきわめて重要な製品である。
     *
 JBLの4344は、スタジオモニターシリーズとして、’82年に発売されて以来、JBLを代表する製品であるのはもちろんのこと、日本におけるあらゆるオーディオ製品の基準(リファレンス)として、このスピーカーが果たしてきた役割と実績は、もはやここでは語り尽くせないほど大きい。10年以上のロングランを続けているということは、初期の生産ラインと比べて、いまの生産技術は格段に向上しているため、特性面では確実にクォリティアップしている。実際それは音の面に現われおり、現在の4344は、ざっくりとしたダイナミックな表現力を基盤とする、メリハリの利いた音が特徴であり、モニターライクにディテールを描きわける、使いやすいスピーカーとなっている。
 4344をこれまで何百種類のアンプで鳴らしてきたかは定かではないが、ここでは、3種類のアンプを選択し、その音の表情の違いをリポートしようというものである。

アキュフェーズ C280V+P500L
 まず最初に聴いたのは、アキュフェーズのC280VとP500Lという組合せである。アキュフェーズのアンプは、私自身、国内製品のリファレンスのひとつとして捉えている。リファレンスの定義づけは、まず第一に安定した動作を示すこと、第二にあまりでしゃばらないニュートラルな性格をもっていることである。このふたつの要素を兼ね備えた製品が国内アンプでは、アキュフェーズであると思う。そのなかでもこのペアは、いつ聴いても安定感のある信頼性の高いものだ。このペアと4344の組合せというのは、ステレオサウンドの試聴室のみならず、あらゆる場所でのリファレンスとして私が考える組合せである。

ラックスマン C06α+M06α
 次に4344を鳴らすアンプは、ややゴリッとしてエッジの立ったきつい音をもつこのスピーカーの特徴を少し抑え、音楽を雰囲気良く聴く方向で選択した。アキュフェーズとの組合せの場合は、リファレンスシステムという色合いが濃いために、音楽が生々しく聴こえすぎて疲れるため、あまりゆったりと音楽を楽しむことができない。しかし、これはあくまでもアキュフェーズのアンプを私がリファレンスアンプとして捉えているために、ここではこういう言い方になるのであり、決してアキュフェーズのアンプがオーディオ・オーディオした音楽性に乏しいアンプであるようなイメージを抱かないでほしい。アキュフェーズのアンプは、リファレンスアンプであるという、確固たる存在として認めたうえでの話である。そこで、肩肘はらずに音楽を楽しもうというのがここでのプランである。
 この狙いに相応しいアンプとして、ラックスマンのC06α+M06αを選択した。このペアの音は、穏やかでしなやかな感触のなかに、鮮度感の高いフレッシュな響きを聴かせるラックスマン独特のものである。4344との組合せでは、この特徴がストレートに現われた、いい意味でのフィルター効果を伴った音を聴くことができた。国産アンプならではのディテール描写に優れた面と4344の音の輪郭をがっちりと出す面が見事にバランスした音は、単に音楽をゆったりと聴かせてくれるだけでなく、細かい音楽のニュアンスさえ再現してくれた。

マランツ PM99SE
 最後は、4344をセパレートアンプではなく、よりシンプルな形で鳴らしてみたいというのが狙いである。これは、使いこなしの面を含めた意味で一体型のプリメインアンプがセパレートアンプの場合ほど、気を使わずに音楽を楽しむことができるというメリットを優先したプランだ。
 ここで選択したプリメインアンプは、マランツのPM99SEだが、この選択にはそれなりに理由がある。それは、かつて4344の前作である4343を納得できる範囲で鳴らしてくれたプリメインアンプが同じマランツのモデル1250(130W+130W)であり、このPM99SEはその1250の現代版であると私が認識しているからだ。現代のようにドライヴ能力の高いプリメインアンプが数多く揃っていなかった時代の話である。
 前記のように、現在市場に出回っている4344は、非常に鳴らしやすいスピーカーとして生まれ変っているため、わざわざセパレートアンプを使ってラインケーブルや電源ケーブルを引き回したり、いい加減にセッティングして鳴らすよりは、プリメインアンプ一台でシンプルにドライヴした方が好結果を引き出しやすいはずだ。
 その結果は、当然のことながらセパレートアンプで鳴らしたときと比べれば、聴感上の拡がりや奥行き感は一歩譲るものの、一体型アンプならではのまとまりの良さのなかで、安定感のある再現を示してくれた。この一体型というプリメインアンプの良さは、一体型CDプレーヤーにも共通するものだが、安定感という点に関しては、セパレートアンプでは決して得られない世界なのだ。
 また、もうひとつプリメインアンプのメリットとして挙げられるのは、ウォームアップの速さである。現代の大型パワーアンプの場合は、パワースイッチをONにしてから、アンプ本来の音を引き出すために何時間ものウォームアップが必要であることは、ご承知の通りである。このPM99SEは、最初にA級で鳴らしてどんどん発熱させられるため、他のプリメインアンプよりウォームアップタイムがさらに速い。この点も、このアンプを選択した理由のひとつだ。

 現在の時点で、この4344ほど、さまざまなアンプと組み合され、また、オーディオ機器の各々の個性を引き出してくれるスピーカーもないだ

JBL S5500(組合せ)

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「Project K2 S5500 ベストアンプセレクション」より

 旧来のJBLを象徴する製品が43、44のモニターシリーズならば、現代の同社を象徴するのは、コンシューマーモデルであるプロジェクトK2シリーズだ。S5500は、このプロジェクトK2シリーズの最新作で、4ピース構造の上級機S9500の設計思想を受け継ぎワンピース構造とした製品である。この結果、セッティングやハンドリングがよりしやすくなったのは当然だが、使用機器の特徴をあかちさまに出すという点では、本機も決して扱いやすい製品ではない。エンクロージュアや使用ユニットこそ小型化されたものの、S9500の魅力を継承しながらも、より音楽に寄り添った、音楽を楽しむ方向で開発された本機の魅力は大きい。
     *
 JBLが’92年の末に発表したプロジェクトK2シリーズの最新作が、S5500である。プロジェクトK2とは、’89年にセンセーショナルなデビューを飾ったS9500 (7500)に始まる同社のコンシューマー向けの最高峰シリーズで、本機は、上級機S9500の設計思想を受け継いだワンピース構造のシステムである。S9500が35cmウーファーと4インチダイアフラム・ドライバーを搭載していたのに対し、本機は30cmウーファーと1・75インチドライバーを搭載しているのが特徴である。また、S9500で同一だったウーファーボックスの内容積が、本機では、下部のそれの内容積がやや大きい。ここに、IETと呼ばれる新方式を採用することで、反応の速い位相特性の優れた低域再生を実現している。また、チャージドカップルド・リニア・デフィニションと呼ばれる新開発のネットワークの採用にも注目したい。ネットワークのコンデンサーには、9Vバッテリーでバイアス電圧を与え、過渡特性の改善を図っている。
 本機は、S9500譲りの姿形はしているものの、実際に聴かせる音の傾向はかなり異なり、アンプによって送りこまれたエネルギーをすべて音に変換するのではなく、どちらかというと気持ち良く鳴らすという方向のスピーカーである。
 こうした音質傾向を踏まえたうえで、ここでは、ホーン型スピーカーならではのダイナミックな表現と仮想同軸型ならではの解像度の高い音場再現をスポイルせずに最大限引き出すためのアンプを3ペア選択した。

マッキントッシュ C40+MC7300
 まず最初に聴いたのは、マッキントッシュのC40+MC7300の組合せである。C40は、C34Vの後継機として発売されたマッキントッシュの最新プリアンプで、C34VのAV対応機能を廃したピュアオーディオ機である。サイズもフルサイズとなり、同社のプリアンプとしては初のバランス端子を装備している。これとMC7300といういわばスタンダードな組合せで、S5500のキャラクターを探りながら、可能性を見出すのが狙いだ。
 可能性を見出すというのは、C40に付属する5バンド・イコライザーやラウドネス、エキスパンダー、コンプレッサー機能などを使用して、スピーカーのパワーハンドリングの力量を知ることである(現在、マッキントッシュのプリアンプほどコントロール機能を装備したモデルはきわめて少ない)。また、マッキントッシュの音は、いわゆるハイファイサウンドとは異なる次元で、音楽を楽しく聴かせようという傾向があるが、この傾向はS5500と共通のものに感じられたためこのアンプを選択した。
 S5500+マッキントッシュの音は、安定感のある、非常に明るく伸びやかなものである。古い録音はあまり古く感じさせず、最新録音に多い無機的な響きをそれなりに再現するのは、マッキントッシュならではの魅力だ。これは、ピュアオーディオ路線からは若干ずれるが、多彩なコントロール機能を自分なりに使いこなせば、その世界はさらに広がる。
 その意味で、このアンプが聴かせてくれた音は、ユーザーがいかようにもコントロール可能な中庸を得たものである。ウォームアップには比較的左右されずに、いつでも安心して音楽が楽しめ、オーディオをオーディオ・オーディオしないで楽しませてくれる点では、私自身も非常に好きなアンプである。

カウンターポイント SA5000+SA220
 S5500のみならずJBLのスピーカーが本来目指しているのは、重厚な音ではなく一種のさわやかな響きと軽くて反応の速い音だと思う。この線をS5500から引き出すのが、このカウンターポイントSA5000+SA220である。
 結果は、音楽に対して非常にフレキシビリティのある、小気味よい再生音だった。カウンターポイントの良さは、それらの良さをあからさまに出さずに、品良く聴かせてくれることで、音場感的には、先のマッキントッシュに比べて、やや引きを伴った佇まいである。美化された音楽でありながら、機敏さもあり、非常に魅力的である。たとえるなら、マッキントッシュの濃厚な響きは、秋向きで、このカウンターポイントのさわやかな響きは、春から夏にかけて付き合いたい。

ゴールドムンド ミメイシス2a+ミメイシス8・2
 次は、S5500をオーディオ的に突きつめて、そのポテンシャルを最大限引き出すためには、このあたりのアンプが最低限必要であるという考えの基に選択したのが、ゴールドムンドのミメイシス2a+ミメイシス8・2である。
 結果は、ゴールドムンドならではの品位の高い響きのなかで、ある種の硬質な音の魅力を聴かせる見事なものであった。
 モノーラルアンプならではの拡がりあるプレゼンス感も、圧倒的である。オーディオ的快感の味わえるきわめて心地の良い音ではあるが、反面、アンプなどのセッティングで、音は千変万化するため使いこなしの高度なテクニックを要するであろう。ここをつめていく過程は、まさにオーディオの醍醐味だろう。

 S5500がバッシヴで穏やかな性格をもった、音楽を気持ちよく鳴らそうという方向の製品であることは、前記した通りである。しかし、これは、本機が決して〝取り組みがい〟のない製品であることを示すものではない。一言〝取り組みがい〟といってもランクがあり、手に負えないほどのものと、比較的扱いやすい程度のものと2タイプあるのだ。本機は、後者のタイプで、そのポテンシャルをどう引き出すかは、使い手の腕次第であることを意味している

ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「ハイエンドアンプでProject K2 S9500を堪能する」より

 この企画のタイトルは「ハイエンドアンプでプロジェクトK2/S9500を堪能する」となっているが、オーディオシステムはスピーカーがその頂点に立つものであって、この意味からは、「S9500はハイエンドアンプの音をどのように聴かせたか」となるはずである。
 ここで少しばかりこだわった理由は、試聴に使ったステレオサウンド試聴室は、リファレンススピーカーシステムに、JBL4344を使っており、ほぼ10年の歳月を通して部屋とスピーカーがなじみ、経時変化に合せて、それなりの音響処理を施しながら部屋のチューニングをしきているからである。つまり、今回のように、S9500をリアァレンススピーカーシステムとする場合には、現在のチューニングに関係なく、最初から部屋をS9500の専用チューニングとしなければ、超弩級アンプの音を聴くことにはならないであろう。
 今回の試聴は、辛か不幸か、編集部で前もって4344用に位置決めしてあった位置に、S9500のベースのフロント面と4344のフロントバッフル面が等しくなる位置にセッティングされていた。
 ご存じのように、基本的に4ブロック構成になっているS9500は、一度セッティングをしてしまうと、位置の移動はもとより、聴取位置に対する角度の付け方といった、スピーカーシステムに必須のコントロールが非常に困難であり、これが使いこなしの上で大きな制約になっでいくるのである。結局、今回の試聴はスピーカーのセッティング位置は変更しないこととした。また、組み合されていた最初のアンプがマッキントッシュのペアとなっていたために、この個性的なアンプを通しての使いこなしは、想像を超えて大変なことになった次第である。
 ちなみに、アンプに信号を通してからのウォームアップによる音の変化を確かめながら聴きとった、おおよそのこの試聴室におけるS9500の音の印象は、必要帯域内のエネルギーを十分に聴かせる2ウェイシステムらしいものであった。そしてその特徴をベースに、柔らかく豊かで、JBLモニター系とは対照的な低音と、ホーン特有のメガフォン的な固有吾が少なく、やや粗粒子型で、ゆるやかに穏やかにロールオフする高域がバランスした、おっとりとした大人っぽい、細部にこだわらぬ音だ。同社のモニター系の音の明るさとは逆に、やや抑制の効いた穏やかな喜色が特徴である。したがって音の反応も穏やかで、ふところの深い、ゆったりとしたキャラクターが、このシステムの本質であろう。
 ただし、この状態では、スピーカーが各アンプの個性をすべて受け止め、S9500の音として聴かせることになり、一段とスピーカーシステムの反応を速め、的確にアンプの音を聴かせるようにする必要がある。
 そこで、再生の基盤に戻り、部屋の音響コントロールで、目的であるアンプ試聴用というべき音にすることとした。
 S9500は、仮想同軸型といわれる、上下の低域ユニットが高域ユニットを挟みこむ方式を採用している。システムはモジュールで構成されており、下から、コンクリート台座、下部低域用エンクロージュア、ホーンブロック、上部低域用エンクロージュアと積み重ねる。各モジュールの接触部は、軽金属製の先端が尖った円錐形コーンの頂部を下側の軽金属製カップで受ける構造である。上下低域用エンクロージュアは、同じ内容積ではあるが、下側はホーンブロックと上側低域用エンクロージュアの重量で抑えられていることに比べ、上側低域エンクロージュアは、単にホーンブロックの上に乗っているだけで、非常にフリーな状態にあり、位置的にもかなり高い位置に置かれることとが特徴である。
 S9500の場合、上側低域ユニットの直接音、反射音を基準に、部屋の壁、コーナー、天井部分の反射と固有音の発生を総合的に、いかにコントロールするかが使いこなしのキーポイントとなる。このことは上側低域エンクロージュアを取り外し、シングルウーファーシステム(S7500)として使えば、使いこなしの要素が少なくなり、かなり簡単になることからも証明できる。
 部屋のコントロール用の材料は、試聴室常用の2個の中型QRDと、円形と半円形のチューブトラップの各種組合せである。基本的には柔らかく、ソフト側に偏る音質傾向はあるものの、かなり明解な準モニターサウンドから、ホームユースに相応しい、かなり陰影の色濃い音にいたる音質・音色の変化を示し、2時間あまりの時間でS9500は使いやすく親しみのもてる2ウェイシステムとしての性格を見せ、造型的に見事なデザインと、ホームユースに相応しいマイルドな音をもった素晴らしいシステムであることが実感できた。

私とJBL

菅野沖彦

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「私とJBL」より

 僕のオーディオライフにとってJBLはきわめて大きな存在だ。どう大きいのかとなると一口にはいえない……。まず、僕の人生の一大転換期と、僕がJBLを使い始めた時期が一致しているということは忘れ難い。
 それは1967年に遡る。もう26年も前で、今も使っている375ドライバーと537−500ホーン、そして075トゥイーターを手に入れたのがその年であった。この年まで僕は録音制作の仕事をサラリーマンとしてやっていた。独立を考え始めたのは’66年頃からだったが、その考えがいよいよ固まってきたのは,’67年後半。そして実際に会社を辞めて独立したのが翌’68年であったと思う。録音制作の仕事で独立するとなると、プロとして最低限の録音機械が必要だった。身一つでフリーになって、仕事は貸スタジオでやるか、必要な機械はレンタルで……というような考えは今の話で、当時はそんな世の中ではなかった。特に僕の場合、スタジオ録音をサラリーマンとしてやり続けてきた揚句、自分が本当にやりたい仕事は、対象となる音楽にふさわしい自然な音響環境を得ることからスタートするものだったから、録音機械は持ち込むのが原則。しかも、僕は子供の頃からのオーディオマニアであったから、機器への愛着が強く、自分の触角としての使い馴れた機械でこそ、自分の納得のいく仕事が出来るという考えを強く持っていた。そんなわけで、その都度レンタルで機器を調達する方法や、貸スタジオでの録音だけに依存して独立することは考えられなかったのである。当時、プロのカメラマンとして独立するのに必要最低限の機械購入にはどのぐらいの金額が必要かは、仕事のつき合いのある親しいカメラマン達から約100万円と聞いていた。ところが、録音となるとフリーの仕事としては全く前例がなかったので、自分で判断する以外になかった。絶対必要なテープレコーダーだけでも150万円はしたし、マイクロフォンも10万〜15万円はした。正確な記憶はないが、当時の僕としては相当な額の借金をしたのである。また録音機械もさることながら、自分の再生装置も趣味と仕事の両方にかなうものにしておくことが必要と考えていた。つまり、録音制作の仕事に加えて20歳代の頃からやっていたオーディオやレコードに関する評論も本格的に始めるつもりであったから、自分の音の基準として納得が出来る再生装置を整えることも仕事上の責任と考えていたのである。
 こんなわけで当時の僕の再生装置であったワーフェデールの3ウェイマルチアンプシステムをJBLのホーンドライバーによるものに変更し、客観的にも、より説得力のあるものにしようと思ったわけだ。ずっと、僕の自作システムは、コーン型のスピーカーユニットでマルチウェイを構成してきたのだが、その間、いつも一度は外国製のコンプレッションドライバーとホーンを使ってみたいものだと憧れ続けていたのである。
 ところで、こうしてJBLを自分で使い始める時期より前に、僕は375+537−500と075の組合せが聴かせる音に圧倒的ショックを受けた経験がある。それは、後に山水電気の社長になられた伊藤瞭介氏が、新宿ショールームの所長時代のことで、伊藤氏が当時ぞっこんほれ込んでJBLの代理権を取った直後のことである。ドラムスのスネアーの響き、タムの鳴り、ジルジャンのシンバルの倍音、ピアノのリアルなタッチ、そしてヴァイオリンの艶っぼく、ぬれたような擦過音の魅力に大ショックを受けた。その音は今でも思い出せるほどだ。それまで、その癖のために、ホーン嫌いで通してきた僕だったが、この体験で僕は目が覚めた。JBLは明らかに僕の耳を開き、オーディオの可能性についての認識を改める大きな役割を演じてくれたのだった。それ以前にもハーツフィールドやパラゴンなどの、あまりにも美しく立派なJBLの姿は知っていたけれど、その立派さ故に、若い僕には無縁の存在だと決め込んでいた。それに自作時代でもあったから、メーカー製のシステムには、ユニットに対するほど興味と関心がなかったのかもしれない。しかし、よく考えてみると、あの美しいデザインのエンクロージュアにはやはり畏敬の憧れは持っていたようだ。20歳の僕にとって、あの家具のような立派な装飾品は自分の所有物の範疇にはなく、社長さんや重役さん、あるいは大臣のような偉い人のものだという感覚があったのかもしれない。今のオーディオにはどうしてそんな風格のものがないのだろう? 今は、子供でも好きならJBLの3文字のついた商品を買える。コントロールマイクロでもJBLはJBL。ペアで3万6千円で買えるというのは羨ましいような、可哀相なような……。
 僕にはJBLの3文字は尊い尊いものである。異国文化の豊かな香りが馥郁と漂い、手の届かぬ神秘のようなテクノロジーへの憧れの象徴である。

私とJBL

井上卓也

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」(1993年3月発行)
「私とJBL」より

 JBL、ジェームズ・B・ランシングの名称を知ったのは1940年代の後半であったと思う。おそらく『無線と実験』誌であったかと記憶しているが、海外オーディオ製品の紹介記事を、現在の河村電気研究所の社長、河村信之氏がアームストロング信之という名前で執筆していた。ここでD130の紹介を目にしたのが最初だった。D130は15インチ全域型ユニットで、マキシマムエフィシェンシーシリーズの名称をもち、確か、0・008MWの入力が再生できることを特徴として謳っていた。
 もともと、私のオーディオ趣味は父親譲りの門前の小僧的なものであった。2A3は245のプレートを並列にしたタイプより、シングルプレートで脚部が白い、今で言えばセラミック的な材料のタイプが本当は音が良いとか、スピーカーは英国のローラーが、亜酸化銅整流器がついていて柔らかく豊かな音、これに対して米国ジェンセンは明るく歯切れが良い音、米国ウェスタンの陣傘スピーカーは箱がなくても立派な晋がする……などのことを、子供の頃から父を手伝いながら覚えた。
 当時スピーカーユニットは、フィールドコイルを使い電磁石を磁気回路に使う方式から、パーマネントマグネット方式への転換期にあり、AC電源なしに使えるようになったのは便利ではあったが、如何とも迫力がなく、実体感のない音に変りつつあった。国内製品のダイナックスHDSシリーズのユニットに慣れかかった耳には、フィリップスの特殊磁石を使った全域型や、化物のように巨大な永久磁石を組み合せた英フェランティのM1などの超高能率フルレンジユニット登場のニュースは、正に夢のごときもので、良いユニットほど高能率で音のディテールを聴かせると確信していた私は、まさにドリーム・カム・トゥルーの想いがしたのである。
 オーディオに限らずレコードも、親のストックを勝手に使えた高校生までは良かったが、大学に入り一人で生活するようになると、音楽のプログラムソースは、海外放送を聴くための短波受信機と、当時の巷の音楽が聴ける名曲喫茶がよりどころとなるだけだった。革新的技術といわれたLPが登場しても、ディスクが非常に高価格なうえに、それを演奏する装置として、サファイア針付のバリアブルレラクタンス型カートリッジとオイルダンプのトーンアーム、それに最低限の性能をもつターンテーブルを組み合せると、少なくとも2ヵ月分の生活費に相当したのである。もちろんJBL・D130など、単なる幻のフルレンジユニットに過ぎないものであった。
 その後、ジェンセンA12全域型、ユニバーシティQJYフルレンジユニットが海外製品として使った最後で、しばらくはYL製ホーンを、幻の加藤ホーンシステムに如何にして近づけ、自分の部屋で鳴らすかが最大の目的であった。
 ステレオ時代に入り、マランツ#7、サイテーションIV、これにジョーダンワッツA12を組み合せて、サブシステムとして使ったのが海外製品との再会であった。これが、ステレオサウンド3号の頃の話である。
 奇しくもJBLのC34を聴いたのは、飛行館スタジオに近い当時のコロムビア・大蔵スタジオのモニタールームである。作曲家の古賀先生を拝見したのも記憶に新しいが、そのときの録音は、もっとも嫌いな歌謡曲、それも島倉千代子であった。しかしマイクを通しJBLから聴かれた音は、得も言われぬ見事なもので、嫌いな歌手の声が天の声にも増して素晴らしかったことに驚嘆したのである。
 しかし、自らのJBLへの道は夜空の星よりもはるかに遠く、かなりの歳月を経て、175DLH、130A、N1200、国産C36で音を出したのが、私にとって最初のJBLであった。しかし、かつてのあの感激は再現せず、音そのものが一期一会であることを思い知らされたものである。
 そうして、JBLは素晴らしいが私にとって緑なき存在と割り切っていた頃、本格派のスタジオモニターJBL4320が登場する。C34を超えた、現代モニターらしいフレッシュでエネルギッシュな音を聴かされ、再び新しい魅力に感激したのである。その後JBL4341、4320が入手でき、一時は4チャンネル再生に使用したこともある。
 4320はJBLファンの知人に寄贈、4341をはじめ、ユニットの175DLH、130ALE30、LE10A、LE8T、2405、LE85などが、見果てぬ夢のシステム用として保存してある。実はその他にも理想の4ウェイシステム用ミッドバスユニットとするため、D131、D208などが複数個残してある。ただし、これらはいま現在、現実のシステムになっているわけではなく、何時の日に実現するかも全然予定にないだけに、JBLサウンドに対する私の憧れは、夢のまた夢で果てることがないようだ。

JBL DD55000

菅野沖彦

オーディオ世界の一流品(ステレオサウンド創刊100号記念別冊・1991年秋発行)
「世界の一流品 スピーカーシステム篇」より

 アメリカのJBLといえば、オーディオに関心のある人で知らない人はいない代表的なメーカーだ。ジェイムス・B・ランシングという創業者がこのメーカーを設立したのは、プロ用スピーカーの技術の水準を使って、家庭用の優れたシステムを作りたいという欲求からであったと伝えられている。それまでアルテック・ランシングというプロ用のスピーカーメーカーで仕事をしていたランシング氏は、独立して、より緻密で精度の高いプレシジョン・ドライバーと美しいエンクロージュアの組合せを夢見たのであろう。以来半世紀、ランシング氏亡き後、JBLは数々の銘器と呼ばれるにふさわしい製品を生んできた。ハーツフィールド、パラゴン、オリンパスなど、美しい家庭用の高級システムは今でも大切に使われている現役の高級機である。そして、70年代からプロ用のモニターシステムの領域に踏み込んだJBLは、4300シリーズで人気を得て、わが国においてもブームをつくつた。そのシャープな輪郭の音像の精緻さと、ワイドレンジのさわやかさ、強烈なパルスへの安定したレスポンスとリニアリティという、物理特性の高い水準に裏付けられたスマートで恰好いい鳴りっぷり、鋭敏な感覚による他のコンポーネントとの組合せの明確なレスポンスがオーディオの趣味性にピッタリであった。
 4343、4344を筆頭とする4300シリーズ全盛のディケイドの跡を継いだのがこのDD55000〝エベレスト〟である。完全にコントロールされた指向性をもつ大型ホーンが特徴で、このシステムは家庭用の最高級機としてリスニングエリアの拡大を狙ったものだ。JBLらしい精緻なピントの定まった音像定位と空間性を複数のリスナーに同時に伝えられることがこのシステムの特徴である。3ウェイ3ユニットの本格的コンプレッションドライバーシステムとして、鮮やかで緻密な再生音が他の追従を許さない次元の高さを可能にする。

JBL S119WX

井上卓也

ステレオサウンド 88号(1988年9月発行)

「BEST PRODUCTS」より

 JBLのスピーカーシステムといえば、伝統的に高い定評があるスタジオモニターなどの業務用システムが印象強いが、このところ、一般的なコンシュマー用の製品開発にも、かなりの力を注いでいるようだ。
 今年のコンシュマーエレクトロニクスショウに展示されていたという、14インチ・ウーファーをベースに、4インチ口径のメタルダイアフラムを使うハードドーム型ユニットを4個、1インチ口径ハードドーム型ユニットを組み合わせたトールボーイ型システムや、ピアノ仕上げ調のエンクロージュアを採用した一連のシステムなどが、その例である。今回、新製品として発表されたS119WXは、それらとは異なった音場再生型といわれるトールボーイ型のシステムである。
 JBLには、かつてアクエリアスシリーズという、ユニークな構成の音場再生型システムが、中級機から超高級機にわたる幅広いラインナップで展開されたことがある。いわば、それ以来のひさかたぶりの音場再生型システムの開発である。
 基本構成は、いわば定石どおりのオーソドックスな設計である。
 正方形断面の角柱型エンクロージュアは、約100cmの高さがあり、上部から20cmくらい下がった位置に全周にわたりスリットが設けられている。表面はパンチングメタルで覆われているが、ここが、このシステムの音の出口である。
 スリット下側部分には、20cm口径ウーファーがコーンを上にして取りつけてあり、4つのコーナー部分には、25mm口径のハードドーム型トゥイーターが4個、外側を向いて取りつけられている。システムとしては、4個のトゥイ一ターを使った、2ウェイ5スピーカー構成である。
 クロスオーバー周波数は、3kHzと発表されており、許容入力は100W、ピーク400W。各ユニットは、AVシステムやサラウンドシステムに最適な防磁設計であるとのことだ。
 このシステムは、周りに壁などの障害物がない自由空間に設置したときに、360度(水平)の音場再生ができるタイプである。そのため、試聴時の部屋の条件が、ダイレクトにシステムの音となり、一般的なシステムを聴くことを目的とした試聴室では、設置する場所選びが、第一の難関である。
 標準的スピーカーの位置より部屋の中央近く位置決めをして音を出す。おだやかながらも、柔らかく、ゆったりとした低域と、輝かしさがあり、シャープに音のエッジを聴かせる中高域に特徴がある音だ。高域のエネルギー分布は、システムを回転すれば、トゥイーターの位置が変わり調整可能である。基本的には、ライブネスがたっぷりとした部屋で、さりげなく音を楽しむために相応しいシステムであろう。

JBL 4425

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
「SS HOT NEWS」より

 JBLから、新しいモニタースピーカーシステム4425が発表された。この3月、ノースリッジのJBLの工場を訪れ、これを試聴する機会をもったが、その後、私の帰国と同時に日本に送られてきた製品を自宅で聴く機会も持てたので、簡単に御紹介してみたい。
 4425は、そのモデルナンバーからしても明らかなように、4435、4430のシリーズとして開発されたものであり、バイラジアルホーンと呼ぼれる垂直・水平方向の指向性を100度×100度でカバーする(コンスタントダイレクティヴィティ)高性能ホーンをもつ高域ドライバーを特徴としている。4425に使用されているバイラジアルホーン2342は、4435、4430に使われでいる2344ホーンのスケールダウンモデルであるが、その性能は、クロスオーバーの1・2kHzに至るまで平均した指向性パターンであることに変りはない。ドライバーは2416という新設計のもので、チタンダイアフラムにダイアモンドエッジ構造をもつなど、JBLのニューテクノロジーが生かされている。低域のユニットも、2214Hという新設計のもので、口径は30cm、ボイスコイル径は7・6cmの強力なものだ。バスレフタイプのエンクロージュアは40・6cm×63・5cm×31・1cmと、大型のブックシェルフサイズといってよいものである。ネットワークは2ウェイではあるが高域のパワーレスポンスを、絶対レベルとは別に調整でき、12dB/octのものだ。
 4400シリーズのバイラジアルホーンは、その奇異な外観のためか、わが国における人気は今一つ……の印象を受けるが、その性能の高さは、さすがにJBLらしいもので、その優れた放射パターンによる音色の自然さと音場の豊かさは、もっともっと高く評価されて然るべきものだと思う。この製品では、小型化されているので、それほど奇異な感じも受けないし、チタンダイアフラムのコンプレッションドライバーとの組合せで、きわめて精度の高い緻密な音を再生する。しかも、たいへん滑らかなレスポンスのため、質感の品位も高い。そして、新しい2214Hウーファーがエネルギッシュな面からも、質的違和感がなく、よくつながっていて、全体のバランスは4430、4435をも上廻る完成度をもっている。200ワットの連続プログラムに対応するパワーキャパシティをもつ、このシステムの音は、JBLのコンプレッションドライバーシステムらしい安定性と、タフネスにより圧倒的な迫力が得られるし、音の質感は明らかに、新世代の製品らしい品位の向上が認められるものである。一般家庭用としても手頃なサイズでありながら、本格的な再生音は並のスピーカーとは異次元だ。

JBL 18Ti(組合せ)

菅野沖彦

ステレオサウンド 75号(1985年6月発行)
特集・「CDで聴く海外小型スピーカー中心の組合せに挑戦」より

 JBLの18Tiというのは、同社の新しいTiシリーズの中の一番小さいモデルです。JBLにはコンプレッションドライバーを使ったシステムが上級機種にあって、そのJBLのコンプレッションドライバーのすばらしさが、多くのファンをつくってきて、JBLサウンドを確立したきたわけですが、JBLは同時に、ダイレクトラジェーターの持っている能力も追求しようということで、コーン型ウーファーにドーム型のユニットを加えたブックシェルフ型のスピーカーも、かなり長い間、手がけています。
 Tiシリーズというのは、Tiという言葉が示しているように、チタンのダイアフラムを待ったドームトゥイーターを開発して、それを採用したシリーズなんです。18Tiは、いちばんローコストのモデルなんですけど、JBLの、ダイレクトラジェーターを使ったスピーカーで一つの完成度を見たシステムではないかと思います。
 小型ではありますけれども、JBL伝統の非常に力のある、エネルギッシュな、そして音像の輪郭の明快なサウンドというのは、依然として持っている。さらに、新しいドームトゥイーターのおかげでしょうか、高域が非常にスムースになってきています。これは、物理特性を追求していくと、どうしてもこういう傾向になるわけで、高域のスムースさは、明らかに特性の改善なんです。そのスムースさゆえに、古いJBLのスピーカーの、言うならば毒が薬になっている個性が、やや丸められ薄まったと言う人もいますけれども、音の個性というのはどんなに物理特性を追求していってもなくなるものではないと思いますし、毒として残っている部分を、特性をよくしてなくしていくということは、オーディオが科学技術の産物である以上、必要なことだと思います。ぼくは、いささかもTiシリーズが、JBLのサウンドを損なってはいないと思います。むしろ、JBLサウンドの本質を理解すれば、これは明らかにJBLの音を保っているものだと思います。ただ、表面的な、外面的なところでJBLサウンドをとらえると、変わったとか、角が矯められたとかいう受けとり方になるかもしれませんが、JBLの音というのは、そういう外面的なところで理解すべきものではないと思っているんです。
 18Tiの音も、いかにもアメリカ的で、そこには、アメリカ文化の独自性がありますが、そのアメリカ文化というのは、異質な文化のまじり合った、ある意味では非常にコスモポリタンな文化だと思うんです。ですから、JBLのサウンドは、確かにアメリカ的なサウンドですけれども、しかし、それは非常にコスモポリタンなミックスされた文化から生まれてきているだけあって、ある種のプログラムソースにしか向かないというようなことはないと思うんです。実際、この18Tiを聴いてみても、こちらの狙いによっていろいろと変化してくれます。つまり、このスピーカーをアメリカ的な、かなりギラッとした音で鳴らして、例えばショルティのマーラーの録音の音を生かしていこうとすれば、その方向で鳴りますし、それからハイティンク、コンセルトヘボウのようなヨーロピアンサウンドのしなやかさと、ややベールをかぶったようなニュアンスというものを求めようとすれば、そのようにちやんと鳴るんです。これは、やはりJBLスピーカーの持っている能力の高さだというふうに、ぼくは解釈します。
 組合せは三例つくるわけですが、それぞれニュアンスの異なった音で鳴る組合せになったと思うんです。最も安いトータル金額にまとまったのが、ヤマハのA550というプリメインアンプと、マランツのCDプレーヤーCD34の組合せです。マランツのCD34を使ったというところから推測できると思いますけれども、このスピーカーから、ヨーロピアンサウンド的な特徴を、ちゃんと鳴らせるかどうかを試してみたわけです。
 その結果は、A550の持っている素直さが大きく作用したと思いますが、CD34の持っているヨーロッパ的雰囲気が非常に生きてきて、ヨーロッパ録音のヨーロッパサウンドというものが、ちゃんと出てきました。この組合せは比較的コストを安くしようという目的だけではなくて、18Tiから、ヨーロッパの伝統的な音楽を違和感なく聴こうと思うときの組合せとしても成功したと思います。
 この組合せで、音源主義的な、ショルティのマーラーを聴きますと、ギラギラとした録音の本質は変わらないけれども、そこに雰囲気が出てきますね。木管が非常にフッと脹らむような音になってきますし、弦の鋭さもやや角が取れて、しなやかさも出てくる。そしてフィルクスニーのピアノを聴くと、非常にソフトなやさしいタッチによる、彼の音楽性がとても生きてきたと思います。
 二番目の組合せは、プリメインアンプにデンオンのPMA940V、CDプレーヤーはパイオニアのPD7010です。この組合せはJBLのはつらつとした音を出す組合せと言えると思うんです。特に、この組合せによる、ショルティのマーラーとかジャズは大変に輪郭の明快な、よく弾む、明るいいい音で鳴ってくれました。ただし、明快な傾向が非常に強くて、ヨーロッパ的な雰囲気の音や音楽には、少々違和感を持つ結果になりました。ですから、最初の組合せと、対照的な音の組合せというふうに考えていただいていいと思います。ショルティのマーラーの迫力、録音の特徴をよりストレートに出したのは、こちらの方かもしれません。ただ、このロンドンの録音に抵抗のある方にとっては、最初の組合せの方がいい音だと聴こえるでしょう。この二組の組合せはそういう関係にあります。
 三番目がいちばん高い組合せで、プリメインアンプはサンスイのAU−D707X、CDプレーヤーはヤマハのCD3です。この組合せから出てくる音は、前二者の音の中間に位置しているといえるでしょう。ギラッとした音にも偏らず、ヨーロッパ的な、やや薄曇りのような音にもならない、ちょうどその中間をいくような音です。
 ヤマハの製品は、前の組合せに使ったA550、そしてCD3も素直な性格を持っている。魅力の点では、この上のCD2が持っているトロッとした中域がないので、CD2と比べるとものたりなさを感じていましたが、素直さでは、CD3の方が上ですね。アンプやスピーカーの組合せに素直に応じていくという特質を持っているとも言えます。そういう意味で、CD3はなかなかいいCDプレーヤーだと思います。
 AU−D707Xも、非常に中庸をいった、普遍性のある音のアンプだなということを再確認しました。おそらく、このアンプで鳴らした18Tiの音というのが、18Tiの持っている能力の幅みたいなものを、一番ストレートに出してくれたと思います。ですから、プログラムソースによって、どっちらにもこなせるということに通じる。非常に中庸をいった、いい組合せです。三者三様はっきりとした音の傾向の違いというものが、18Tiから出てきたんではないかと思います。

JBL 120Ti

井上卓也

ステレオサウンド 74号(1985年3月発行)
「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」より

 JBLからコンシュマープロダクツの新ラインナップとして、Tiシリーズが登場することになった。この新シリーズは、従来のL250をトップモデルとしたしシリーズに替わるべき製品群で、現在、250Ti、240Ti、120Tiと18Tiの4モデルが発売されているが、そのモデルナンバーから類推しても、120Tiと18Tiの中間を埋めるモデルが、今後登場する可能性が大きいと思われる。
 新シリーズの特徴はスコーカーの振動板にJBLとしては、初めてのポリプロピレン系の材料と、既にコンプレッションドライバーユニットのダイヤフラムとして、2425、2445に採用されているチタンをトゥイーターダイヤフラムに採用したことである。ちなみに、Tiシリーズの名称は、このチタンから名付けられたものだ。
 新シリーズの4モデル共通に採用されているトゥイーター044Tiのダイヤフラムは、25μ厚のチタン箔をダイヤモンドエッジと特殊形状のドーム部分とを下側から渦巻状の窒素ガスを吹付けて一体成形してあり、ドーム部は、強度を確保するために放射状に配した4本のメインリブと2本の同芯円リブ、さらに、両者の交点をつなぐサブのリブを組み合せた特殊構造により、2425などに採用された250μ厚のチタンと同等の強度を得ており、従来の044と比較して出力音圧レベルが、3dB、許容入力も30Wのピンクノイズに耐えるまでに向上しているという。また、周波数特性も−3dBで23kHzと伸び、ダイヤフラムが軽量化されたため、過渡特性も優れ、デジタル録音に素晴らしい立上がりを示す。
 一方、ポリプロピレン系の振動板もJBLとしては初採用だが、従来の紙に替わって新採用されたのは、19Tiの16cm口径ウーファーが最大のサイズであり、それ以上の口径では、紙のほうが便利との結論のようであり、安易に、より大きな口径のコーン型ユニットに採用しないのは、名門の見識とでもいいたいところだ。ある雑誌に240Tiの36cmウーファーも特殊ポリプロピレンコーン採用とのリポートがあり、一瞬、驚かされたが、資料をチェックしてみれば明らかに誤報である。それほど、ポリプロピレンで大口径コーン型ユニットを開発することは、困難であるわけだ。なおJBLで採用したポリプロピレンは、炭素粉を適量混入して硬度を上げているとのことで、3ウェイ構成以上のコーン型スコーカーは、すべて、この特殊ポリプロピレンコーン採用である。
 その他、エンクロージュア関係では、フィニッシュがチーク仕上げとなり、グリルが、フローティング・グリルと呼ばれるグリル枠の反射によるレスポンスの劣化を防ぐ構造が新採用されている。また、上級2モデルは、バッフルボードの端にRをとった、ラウンドバッフル化が特徴である。
 今回、試聴した120Tiは、Lシリーズでは、ほぼ、L112に相当するユニット構成をもつ3ウェイ・システムである。
 30cmウーファーは、独特な魅力のあるサウンドで愛用者が多いアクアプラス複合コーン採用で、表面からスプレーをかけて黒に着色してある。磁気回路は当然のことながらJBL独自のSFGタイプだ。
 13cmコーン型スコーカーは、特殊ポリプロピレン振動板採用の104H、トゥイーターは、シリーズ共通のチタンダイヤフラム採用のドーム型ユニット044Tiだ。
 エンクロージュアは、リアルウッドのチークを表面に使い、40年間のキャリアを誇るJBL伝統のクラフトマンシップを感じさせるオイル仕上げであり、ユニット配置は左右対称ミラーイメージペアタイプであるが、左右の木目はリアルウッド採用の証しで、絶対に一致することはない。
 また新シリーズは、Lシリーズではバッフル面にあったレベルコントロールが、スイッチ型になり裏板の入力端子部分に移され、不要輻射を防ぐとともに、接点部分の信頼性が一段と向上し、音質的なクォリティアップがおこなわれている。
 試聴は、スタンドにビクターLS1を、底板にX字状にスタンドが当たる使用方法ではじめる。最初の印象は、JBL独特の乾いて明るい音色が、少し抑えられ、穏やかさ、スムーズさが出てきた、といったものだ。スタンド上で位置の移動でバランスを修正し、ユニット取付けネジを少し増締めすると、反応がシャープになり、全体に引締まった音に変わってくる。良い意味でのポリプロピレン系の滑らかさ、SN比の良さが中域をスムーズにし、チタンの抜けの良さが、音場感の拡がりと、低域の活性化に効果的だ。かなり楽しめる新製品だ。

マッキントッシュ XRT20, JBL

菅野沖彦

ステレオサウンド 72号(1984年9月発行)
特集・「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」より

 正確には記憶していないが、多分、1967年ぐらいから、ぼくのメインシステムとしてJBLの375ドライバー十537−500(ホーン/レンズ)を中心としたスピーカーを使い始めた。当初から、3ウェイのマルチアンプシステムとして使い始めたもので、ぼくにとってこのスピーカーは、まさに妻のようなものであった。何故なら、ぼくがこれを使い始めた頃、ぼくの気持ちの中では、一生、このスピーカーとつきあおうと思っていたし、また、そうなりそうな予感もあったからである。トゥイーターは075、ウーファーは初めのうちはワーフェデールのW12RS・PST、そして後に目まぐるしく変り、結局、JBL2205に落着いて現在に至っている。もっとも、075は、その後、ぼく流に改造しているし、375ドライバーも2445Jに変ってはいるが、これは妻を変えたようなものではなく、女房教育をしたようなものである。つまり、通称〝蜂の巣ホーン〟を中心としたJBLのユニットによる3ウェイのマルチシステムという基本は、この17年間変ってないのである。もちろん、その間にも、いろいろなスピーカーに出会って、浮気心を起こしたこともあるし、そのうちの何人かは、本妻と一時的に同居させたこともあった。しかしいつも、せいぜい3〜6ヵ月で、妾のほうは追出されてしまうのが常だった。まさに浮気のようなもので、本妻と並べてみると、改めて、妻の美点がクローズアップされ、一時期血迷った自分を反省するのであった。時には妻にはない魅力を垣間見せる妾もいたが、総合的にはいつも妻のほうが上であった。それに気がついてしまうと、とても妻と妾を同居させている気がせず、妾のほうにはお引取り願うということになるのであった。
 そんなぼくとスピーカーとの関わり合いに、かつてない大事件が起きたのが、今から3年前、1982年の春である。
 その2年前、ぼくは録音の仕事でアメリカへ行き、ニューヨークで二週間ほど仕事をしたが、その間に、マッキントッシュのXRT20というシステムに出会ったのである。ぼくの浮気の虫は、にわかに鎌首を持上げ、この熟女の魅力の虜になってしまった。しかし、この時は、かろうじで理性が勝って旅先での出来事にとどめることが出来たのである。しかし日本に帰って、久しぶりにわが家で妻の歓迎を受けながらも、XRT20の妻にはない魅力が想起され、妻には悪いと思いながらも、妻との営みの最中にXRT20を空想したり、妻にXRT20の魅力を求め無理強いしたりという一年がつづいていた。しかし、再び、妻との生活に馴れ、いつしか、XRT20の記憶も薄れていったのだった。もとの落着いた心境で、夜な夜なベートーヴェンやハイドンを、バッハやモーツァルトを、そして、マーラーやブルックナーを招いて楽しい一時を過していたし、時にはソニー・ロリンズやアート・ペッパーを、また、大好きなメル・トーメやジョニー・ハートマンを招くこともあった。ジャズメンを招いた時の妻の喜々とした表情は、ことのほか魅力的で、とても15年連れそった古女房とは思えない若返りようであったものだ。
 が、忘れもしない1982年の春、日本でXRT20に再会してしまったのである
 XRT20が来日した! と聞いた時からぼくの胸は高鳴り、ニューヨークで味わった興奮が、まるで昨日のことのように甦ったのである。もう、居ても立ってもいられない。ぼくは後先顧みず、XRT20をわが家へ連れ込んでしまったのだった。彼女のために部屋を片づけ、レコード棚の一つは廊下へ出し、なんとかXRT20のために居心地のよいスペースを確保した。
 それからの数十日は、ぼくは平常心を失っていたように思う。朝な夕な、夜更けまで、ぼくはXRT20に狂っていた。柔らかく優美な肌、しなやかでいて強勒な、その肉体にのめり込んでいった。気性は妻よりややおとなしいように見えたが、どうしてどうして芯は強い。若いだけあって柔軟性に富んでいて、クラシック畑の人ともジャズ細の人とも、分け隔てなく馴染んでくれた。ぼく流の教育にも従順で、驚くほどの適応性を見せるのだった。
 この間、妻は無言であった。そしてある夜、ふと沈黙の妻の存在に気づき、久し振りにぼくは妻との語らいの一時をもった。そしてぼくはまたまた、妻の能力を再再発見したのである。妻はいった。
「私はXRT20とは違うのよ。でも、私は長年、あなたによって教育され、大人になったと思うの。それだけに新鮮味はないかもしれないけれど、XRT20とは違った心地よさをあなたに与えてあげられる自信があるの。この前、あなたの親しい瀬川冬樹さんが来られて、あなたとお話ししていらしゃっるのを聞いたわ。瀬川さんはさかんに私との離婚をあなたにすすめられていたわね。でも……私、嬉しかった。あなた絶対に首を縦に振らなかったもの。ありがとう。」
 ぼくはこの時から、長年の主義を破って妻を二人持つことに決めたのである。辛いオーディオ国の法律では重婚は禁じられていないようである。そして、新しいXRT20に、長年JBLに注ぎ込んだ情熱的教育に匹敵する努力を集中的に一年間傾注したのである。来ては去った多くの妾達とはXRT20は違っていた。他人からみるとXRT20がぼくの正妻のように見えるかもしれない。しかし、今や、堂々と、それでいて、ひかえ目に存在するJBLとは馴染んだ年輪が違う。どちらも、ぼくのとっておきの音である。
 この二人の妻と、いつまで続くかはぼくにもわからない……。

JBL L250

菅野沖彦

ステレオサウンド 71号(1984年6月発行)
特集・「クォリティオーディオの新世代を築くニューウェイヴスピーカー」より

 JBLの技術的な特徴というのは、かつてはハイエフイシェンシー、ハイパワードライブという業務用から派生したヘヴィデューティな性格にあったと思うのですが、JBLというメーカーの創設意図というのは、本来、家庭用の高級フロアースピーカーを作ることにあった。例えば、ランサー101、L200、L300といったホーンドライバーを用いたシステムが代表的な存在でしょう。L250は、コンセプトとしては、JBLの家庭用フロアースピーカーのカテゴリーに入るのですが、その独特なプロポーションとユニット構成は、JBLの家庭用スピーカーの歴史の中で異彩を放っています。しかし、L200、L300とこのL250を歴史的に埋める位置にあたるL222Aというトールボーイのシステムを見てみると興味深いことに、3ウェイ構成でトゥイーターはホーン型、スコーカーは13cmコーン型なのですが、そこに波型プレートの音響レンズがつけられていた。つまり、JBLとしては、家庭用として旧来のホーン型からコーン型へ移行する経過をよく表わしていると思うんです。エンクロージュアも、側板にテーパーがついて、定在波や剛性の面でも独創的なデザインを採用し、このピラミッド状のL250へ連なるものでしょう。
 しかし、もっと遡ってみると、L250の原点というのは、実は、かつてJBLのラインナップの中で異色な位置を示めていたアクエリアス・シリーズのあたりからだと思いますね。74年頃に一時期輸入されたことがあり、それまでのJBLの考え方とは全く異なったコンセプト、つまりスピーカーを1チャンネルの中だけで考えたシグナルの忠実な変換器としてステレオ用に2本使うというのではなく、最初から家庭内でステレオフォニックな拡がりというものを意図し、ホームインテリアにも溶けこむようなデザインから無指向性のペアスピーカーとして設計されていました。ですから、ユニットに、強烈なドライバーや大口径ウーファーを使ってエネルギー変換の忠実度を上げるというよりも、音の拡散とそのコントロールにウェイトが置かれていた。結果的にアクエリアス・シリーズというのは、JBLにおいて失敗に終ってしまったんですが、ひとつには実験的な性格が強過ぎたということもあったんじゃないかと思います。
 ステレオフォニックな音場というのは、位相差、時間差、レベル差というものによる立体感、つまり奥行きと拡がりのあるソリッドな空間ということですね。で、この2チャンネルの伝送変換というのは、モノーラルが単純に二つになったということとはまったく違います。ところが、2チャンネルの関連を使って、和差信号、位相差を空間で再生するためのステレオスピーカー技術というものは、アメリカにおいては70年代にようやく始まったと言え、アクエリアス・シリーズも当時にあってはJBLの解答のひとつだったわけです。
 70年代までというのは、とにかくエネルギーの忠実な変換器ということに技術が偏っていたように思います。偏っていたというのは悪い表現なんで、徹底していた。徹底していたからこそ、4343のような4ウェイ構成でもって、全帯域を緻密にエネルギー変換できるクォリティの高いスピーカーが生まれえたわけですよ。
 それに対して、アクエリアス→L222A→L250という系譜が語る別のラインというのは、忠実なエネルギー変換器であることに加えて、ステレオ空間の変換に対する忠実度を高めようというアプローチの上に礎かれてきた、もうひとつのJBLの歴史なんです。もちろん、音場変換器としてのスピーカーというとらえ方は、ボストンにも、先のスネルにも濃厚に表われていて、これはアメリカのスピーカーのニュージェネレーションに共通した問題なんですね。JBLとしては、バイラジアルホーンの開発というのも、明らかに指向性コントロールをステレオ音場の変換というポイントから取り入れた技術で、JBLにあっては、ホーンドライバーが音場変換に適していないとは判断していないことがうかがえます。
 ですから、そういう意味でL250を眺めてみると、これは完全に左右ペアスピーカーとして考えられており、ステレオフォニックな空間再生としてのあるべき技術的なポイントがどこにあるのかということに、大きなウェイトを置いて開発されたスピーカーなんです。
 ただし、JBLのように伝統のあるメーカーの場合、基本的にユニットを大幅に変えるということはしないで、柔軟に対応してゆくということはあるわけで、ユニットの設計そのものは従来のようにハイリニアリティ、ローディストーションという物量の投じられた内容をもち、L250の場合、エネルギー変換器としての忠実度を基本的に満たした上で、さらにエネルギーレスポンスのフラット化、位相コントロールという考え方が後からアダプトされている。このあたりの慎重な対応が、伝続あるJBLらしいところなんですね。
 L250の音の上での良さというのは、指向性がブロードになり、エネルギーレスポンスがフラット化されているためか、ステレオフォニックなプレゼンスによる響きの柔らかさということがまず聴き取れると思います。とはいっても、あくまでも芯のしっかりとした、輪郭の明確なJBLサウンドを継承していますね。
 それから、これはJBLの嫌いな人に言わせると、中低域にJBLのスピーカーというのはかなり特徴があり、ややボクシーな音がする。なにか容れ物の中から音が出てくるというイメージを彷彿させる。
 逆に言えば、聴きごたえのする、迫力のようなものが得られるという解釈もできるんですが、L250を聴いても、その中低域の、悪く言えばボクシーな感触というのがやはりありますね。エンクロージュアのプロポーション、バスレフボートの位置など、ボクシーな感触をある意味では避けた配慮がみられますが、やっぱりJBLの音であるな、という感想が出てくる。
 そうした意味においては、70年代に生まれたニュージェネレーションのスピーカーメーカーとは、一味も二味も違うスピーカーであるという、やはり大人なんですね。
 JBLファンというのは、最もJBL的な音が円熟して、まるで19世紀のヨーロッパの爛熟した貴族文化のように確立した時代に求めず、たしかに、JBLのヴィンテージが、そこにあったことは事実でしょう。
 それからすれば、L250のようにコーン型、ドーム型ユニットを用いたシステムというのはどうも……ということになるかもしれないけれども、スピーカーは空間の変換器であるべきだというこの客観的な共通意識を、実際のリスニングレベルでどう感じるのかということがかかわってくることなのでしょう。
 ただ、JBLくらいの大規模なメーカーになれば、ひとつの技術的な理想を実現するために、ホーン型は絶対に使えない、これからはコーン型しかないんだというような短絡した見方はしない。
 ニュージェネレーションは、じゃホーンシステムでは実現できないのかというとそれも妙なことでしょう。ホーンによって、いつの日か、もっと指向性が良くて、球面波再生を実現した呼吸球のようなホーンスピーカーができないとは言い切れないでしょう。それから、まったく逆に、指向性を自在にコントロールできるホーンの設計が可能になれば、意図的に指向性を狭くして、サービスエリアのコントロールをすることもできる。それらは、すべてニュージェネレーションに属した発想なんですね。
 ニュージェネレーションを迎え入れるために、我々はもうひとつのファクターを、まったく違ったアングルからとらえる必要があります。スピーカーというのは、リスナーの趣向に対応して鳴り響くものであるけれども、というよりもまさにそれゆえに、人間というのは本質的に飽きる、感覚が麻痺する、何か別の違うものを要求するという本能があるわけで、人間の広い感性の中でオーディオを見る見方が必要だと思うんです。それをただ縦の線上に並べて云々する、妙なヒエラルキーの中に閉じこもってしまうというのは、オーディオをどんどん袋小路へ追い込んでゆくことになるんですね。精神的には、プアーなオーディオになってしまう。
 たしかに、オーディオはテクノロジーの世界だから、良い悪いをテクノロジカルに表現して、縦の線で順序付けることは可能かもしれない。しかし、そのこと自体はオーディオの楽しみ、快楽とは無関係な、あくまでもテクノロジーの世界での話でしょう。もっとそこに、人間や音楽が立体的に絡んでくるより大きな世界がオーディオですよ。ですから、ニュージェネレーションのスピーカー群は、その意味で、フレッシュなるがゆえの魅力、まったくそれまで追求してきた自分のオーディオの方向を逆に振ってくれるような魅力が問われていることも事実なんですね。
 極端なことを言えば、それまでと違えばいいんです、変化が与えられればいい。
 その変化というのは、善悪、良し悪しの価値判断とは、まったく別問題なんです。ところが、そこをいい加減に混乱させてしまうために、オーディオのコンセプトに様々な混乱が生じている。混乱しているために、それを逃がれるかのように極端な保守的な考え方に閉じこもったりするわけだ。
 人間が、何か違うものを欲しがる、これは本能なんです。とりわけ、音に対する感性や情緒というのは、そういう本能のもとに常にさらされている。また、それを制約する規制があっては本質的に困るんですよ。
 変わる場合には良く変わらなきゃならないということは、絶対的な知性だけれど、それが良いのか悪いのか判断する物差しは趣味判断であり、個性であるという複雑な二面性をオーディオはもっている。
 ですから、ニュージェネレーションに共通したファクターが、音場、つまり時空間の変換器としてのスピーカーという新しいスピーカー像を提示していることは、客観的に認めうるとしても、それだけでは片手落ちですよ。人間の感性、情緒という本能に基づいたニュージェネレーションという見方が、基本には必要なんですね。
 イーストコーストサウンドは、その意味では一変した。しかもいい意味で一変したんだけれども、JBLの場合、伝統がある故にその伝統に引きずられている面もあると言えるし、新世代への対応はやはり慎重であると言えるでしょう。なぜ、アクエリアス・シリーズのオムニディレクショナル(無指向性)が成功を収めなかったのか、その教訓を誰よりもJBL自身が受けとめているはずなんです。

JBL 4411

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より
4枚のレコードでの20のチェック・ポイント・試聴テスト

19世紀のウィーンのダンス名曲集II
ディトリッヒ/ウィン・ベラ・ムジカ合奏団
❶での総奏が音場的ひろがりを感じさせて、しかもたっぷりとひびく。❷でのヴァイオリンがふっくらした感じでこえるので、これがJBLのスピーカーであることを思いだして、おやおやと思う。❸でのコントラバスはいくぶんふくらみぎみである。したがって❺でのリズムをきざむコントラバスも重めに感じられる。❹でのフォルテの音は硬めである。ここでもう少しやわらかいといいのだがと思う。

ギルティ
バーブラ・ストライザンド/バリー・ギブ
❶でのエレクトリック・ピアノはくっきりと輪郭をつけて手前にはりだす。音像的にはかならずしも大きすぎない。❷での吸う息を強調しないのはいいが、声のみずみずしさの提示でいくぶん不足している。❸ではベースの音の方がめだち、ギターの音に繊細さが不足している。したがってギターの音はきわだちにくい。❹でのストリングスは奥の方で充分にひろがり、効果的である。総じてひびきは明るい。

ショート・ストーリーズ
ヴァンゲリス/ジョン・アンダーソン
❶でのピコピコいう音のくっきりとした提示のされ方はなかなか特徴的である。❷でのティンパニの音の質感そのものにはいくぶんものたりないところがあるものの、独自の鮮明さがある。そのために❸での左右への動きなどは効果的に示される。ただ、❹のブラスの音などには多少の力強さの不足を感じなくもない。❺でのポコポコについても❶と同じことがいえて、ここでの音楽の特徴がききとりやすい。

第三の扉
エバーハルト・ウェーバー/ライル・メイズ
ここでの結果がもっともこのましかった。❶ではベースがいくぶんひかえめに提示される。❷でのきこえ方も、無理がなく、自然である。とりわけピアノの高い方の音には充分な輝きがある。しかし❸でのシンバルは、どちらかといえば、消極的である。ここで特に見事だったのは❺での木管のひびきのひろがりである。これまでの部分との音色的な対比も充分についている。すっきりした提示がこのましい。

JBL 4411

黒田恭一

ステレオサウンド 66号(1983年3月発行)
特集・「2つの試聴テストで探る’83 “NEW” スピーカーの魅力」より

 音としての表現がごり押しになっていないところがこのましい。しかし提示すべきことはしっかり提示されている。これで低い方の音に力強さが加われば、さらに音は説得力をますのであろうが、その点でいくぶんものたりないところがある。
 低い方の音がしっかりおさえられていると、たとえば①のレコードでの❺のコントラバスがふくれることもないであろうし、③のレコードでの❷のティンパニの音が質感に不足することもないのであろう。その点をいかにカバーするかが、このスピーカーをつかっていく上でのポイントになるかもしれない。
 ただこのスピーカーはいかなる場合にも提示すべき音を輪郭をぼかさずに提示するので、その意味ではつかいやすいといえそうである。㈰のようなオーソドックスなレコードに対しても、あるいは②、③、それに④のレコードできけるような音楽に対しても、わけへだてなく対応するところはこのスピーカーのいいところである。