黒田恭一
サウンドボーイ 10月号(1981年9月発行)
特集・「世界一周スピーカー・サウンドの旅」より
このスペンドールのBCIIというスピーカーは、しばしばクラシック向きといわれる。たしかに、このスピーカーのもちあじであるきめこまかさは、繊細さを求めるクラシック音楽をこのましくきくのに、うってつけである。それに、SS編集部の良識派のMくんがいみじくもいったことであるが、おそらくこのスピーカーをつくった人たちは、ここで試聴につかったようなレコード、たとえばデイヴ・エドモンズの『トワンギン』のようなレコードは、きいたことがないにちがいない。しかし、デイヴ・エドモンズの『トワンギン』の中には、1968年にロンドンで録音された曲が収録されている。そうなれば、今回の意図からして、ここできいてみることになる。
それで、結果はどうであったかということになるのだが、納得できる音をきくことができた。なるほどと思えた。デイヴ・エドモンズの音楽をパブ・ロックといっていいのかどうかはわからないが、この音楽の、あかるくはれやかになりようのない性格を、なかなか巧みに示した。ひびきのスケールがきわだって大きいとはいいがたいが、それなりの音楽の力感といえるようなものは提示したというべきであろう。
これはイギリス出身のスピーカーに共通していえることであるが、サウンドは、いくぶんうつむきかげんで、多少暗い。その多少の暗さが音に陰影をつけることにもなっているようである。
このスペンドールのBCIIを、たしかにイギリス出身のスピーカーであると思ったのは、イギリスで録音された、つまりイギリス出身のレコードをきいたときでなく、むしろアメリカのウェストコースト出身のレコード、たとえばハーブ・アルバートのレコードなどをきいたときであった。アルバートのトランペットの音は、かげりの中にあった。エレクトロボイスのスピーカーできいたときほどの違和感はなかった。その辺がイギリスのスピーカーの興味深いところである。レコードヘの歩みより方が巧妙である。
それぞれのレコードがきかせる音楽の「らしさ」への対応がうまいということになるであろう。
スライ&ロビーの『タクシー』のようなレコードにしても、乾ききらないどことなく湿りけを残したひびきを、ききてに感じさせるような音をきかせる。ひびきは、再三書いているように暗く、多少の湿気もあるのであるが、ついに重くひきずったようにならない。つまり、ある種の軽みの表現にもすぐれたところがあるということである。
そために、このスピーカーは、いまの時代のサウンド、あるいは今様な音楽にも、無理なく対応しているとみるべきであろう。このイギリス出身のスピーカーは、なかなかどうしてヤング・アット・ハートである。一応ものわかりもよく、それなりの実力をもあり、気分的に若いとすれば、つかう方からすると、気をつかわないでつかえるということで、それはむろんスピーカーとしては美徳である。
このスピーカーには、もうひとつ、このましいところがある。おそらく、ひびきのきめのこまかさに関係してのことと考えるべきであろうが、言葉のたちあがりが鮮明である。歌を中心にきく人にはうってつけのスピーカーといえるのではないか。
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