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プラズマトロニクス Hill TypeI

菅野沖彦

ステレオサウンド 54号(1980年3月発行)
「スピーカーシステムの未来を予見させる振動系質量(マス)ゼロのプラズマレーザー方式〝プラズマトロニクス/ヒル・タイプI〟の秘密をさぐる」より

 電気エネルギーを空気の疎密波という、いわば空気の圧力の変動に変換して、音をつくり出すのがスピーカーであるが、そのためにどうしても必要なのが、振動板である。金属、紙、布、プラスティックなど、いろいろな材質が使われているが、いかなる物質を使おうと、これらは必ず質量をもっていて、その運動は慣性の影響から逃れることはできない。長年の研究開発の結果、より軽く剛性の高い材質が使われ実用上はかなりの水準に達していることは、市販の優れたスピーカーの音を聴けば納得できるのだが、決して理想通りとはいえない。振動板という物質の存在は、この他にも多くの問題があって、スピーカー固有の音色の原因の多くがここに存在している。つまり広義の歪の要因といえるものだ。この電気振動と空気振動の媒体となっている振動系の質量を、0にしようという発想は昔から多くの技術者が持っていた(イオノフォンもその一つ)。つまり、振動板の機械振動以外の何らかの方法で空気を直接エキサイトする新しい技術だ。
 ニューメキシコ州アルバカーキにあるプラズマトロニクス社から発売された、ヒル・タイプ・ワン・プラズマ・スピーカーシステムは、この分野に挑戦し、実用レベルの製品化に成功した画期的なスピーカーシステムである。
 このスピーカーの開発者は、同社の社長であるアラン・E・ヒル博士で、この音楽好きの物理学者の十数年にわたる研究・実験の賜物が、この製品である。ヒル博士は長年、米空軍のエレクトリック・レーザー開発部門に籍をおき、途方もなく強力なレーザーを開発したが、ここでの博士とプラズマの触れ合いが、このスピーカーシステムの誕生の背景となった。空軍の高級化学者としての仕事の傍ら、毎晩、毎週末、毎休日、博士は趣味として自宅の研究室で、レーザー・プラズマの応用技術の一つである、このスピーカーの研究に夢中になっていた。なにしろ、11歳の時にオシロスコープを自作したり、平面振動板スピーカーを手がけたりしていたらしいし、同時に強烈な音楽少年でもあったという博士のことだから、物理学者として一家をなしてからも、まるで少年のように、ひたむきな情熱で、プラズマ・スピーカーの開発に夢中になっていた姿は想像に難くない。片瀬は「この頃(11歳)から、私はマス・レス(無質量)の発音構造の可能性を実現するのが夢でした」と語っている。余談だが、博士のレーザー光線の実用技術は、なんと赤ちゃん用のゴムの乳首に小さな穴をあけるのが最初だったというから面白い。1977年に博士は空軍を辞して、プラズマトロニクス社を設立、苦節を重ねて、このタイプIの完成を見ることになったのだった。
 ヒル・タイプIスピーカーシステムは、700Hz以上の帯域をプラズマ・ドライバーが受け持ち、それ以下は、16cm口径コーンスピーカーと36cm口径コーンスピーカーが130Hzのクロスオーバーで構成されているが、全帯域をプラズマ・ドライバーで構成することは、常識では及ばないコストと実用技術の困難さがあるらしい。しかし、マス・レス・スピーカーの利点は700Hz以上で充分現われているし、コーンユニットとプラズマ・ドライバーとの音質的バランスが見事にとられていることには感心させられる。ここには、博士の音楽ファンとしてのセンスも十分生かされていると感じるのである。プラズマ・ドライバーの動作原理の詳細は現在パテント申請中で明らかにされていないが、3000度Cもの高熱によって電離した、青白く輝くプラズマから放射される無指向性の球面波は、きわめて繊細・緻密な音像と、豊かな音場プレゼンスを再現する。現実に、実用レベルで音楽を奏でてくれる様に接することは、まことにエキサイティングでファンタスティックな体験である。システムにはプラズマ・ドライバー専用アンプと、エレクトロニック・クロスオーバー・アンプが内蔵され、別に低域用アンプを使ってバイアンプ・ドライヴするようになっている。さらに大きなヘリウムガス・ボンベが付属し、約300時間毎にガスを充填させる必要がある。放射線の心配は絶対にないそうだ、念のため。未来形スピーカーの日本上陸である!!