瀬川冬樹
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・ラックス」
「私のラックス観」より
ラックスの社歴が50年という。私のオーディオ歴はせいぜいその半分を少し越えたばかりである。
私がオーディオアンプを作りはじめたころ、ラックスのパーツは日本で一番高級品で通っていた。昭和二十年代半ばごろの日本の電子機器やパーツの性能は、世界的にみてもひどく貧弱なレベルにあった。割れたドブ板のあいだからメッキ工場の流す酸の匂いの洩れてくるような、うらぶれた町工場で作られたという感じが製品そのものにただよっているような、手にとっただけでアンプ作りの意欲を喪失させるような、いかにも安っぽい、メッキでピカピカ光らせていてもその実体は貧しく薄汚れているといったパーツばかりであった。そんなパーツがうそ寒くパラパラとならべられたウインドウの中に、ラックスの♯5432というパワートランスを眺めたときの驚きを、何と形容したらいいだろう。アメリカのアンプにさえ、こんなにきれいでモダーンなトランスは載っていなかった。
完成品のアンプが売れるというようなマーケットはまだなくて、アンプが欲しければ自作するか作ってもらうか、海外から取り寄せるかしなくてはならなかった時代である。いまの秋葉原ラジオ街の前身、神田須田町を要として一方は神田駅寄りに、もう一方が小川町にかけて、八割以上が露天商で、残りの僅かがテンポをかまていた。その中でも数少ない高級品を扱う店に中島無線というのがあって、そのウインドウで初めて♯5432を見たのだった。よだれを流さんばかりの顔で、額をくっつけてみいっていた。ひどく高価だった。
イギリス・フェランティのエンジニア、D・T・ウィリアムソンが、雑誌『ワイアレス・ワールド』に発表した広帯域パワーアンプが〝ウィリアムソン・アンプ〟の撫で話題になったころの話で、回路はそっくた真似ができても、パーツの性能、中でも、出力トランスの特性の良いのが入手できなくて、発振だの動作不安定で格闘していた時代に、ラックスはやがて〝Xシリーズ〟の名で素晴らしいアウトプットトランスを世に送った。トランス一個買うのに、当時の中堅サラリーマンの月給一ヵ月分が消えてしまうような高級品だった。これらのトランスと、真空管のソケットやスイッチ類がラックスの主力製品で、そのどれもが、ズバ抜けて高価なかわり性能も仕上げもよかった。昭和二十六〜二十七年以降、私はどれだけのラックス・パーツを使ってアンプを作ったことか。アンプの製作記事を書いては原稿料をかせぎ、その原稿料でまた新しいアンプを作る。それがまた原稿料を生む……。ラックスのトランスを思い起こしてみると、アンプ作りに血道をあげていたあの頃の想い出に耽って、ついペンを休めて時間を費やしてしまう。決してラックスのパーツばかりを使っていたわけではないのに、このメーカーの作るトランスやソケットは、妙に私の性に合ったのか、好んで使ったパーツの中でも印象が鮮明である。
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昭和三十三年ごろ、つまりレコードがステレオ化した頃を境に、私はインダストリアルデザインを職業とするための勉強を始めたので、アンプを作る時間もなくなってしまったが、ちょうどその頃から、ラックスもまた、有名なSQ5B
きっかけに完成品のアンプを作るようになった。SQ5Bのデザインは、型破りというよりもそれまでの型に全くとらわれない新奇な発想で、しかも♯5423やXシリーズのトランスのデザインとは全く別種の流れに見えた。
途中の印象を飛ばすと次に記憶に残っているのはSQ38である。本誌第三号(日本で最初の大がかりなアンプ総合テストを実施した)にSQ38DSが登場している。いま再びページを開いてみても当時の印象と変りはなく、写真で見るかぎりはプロポーションも非常に良く、ツマミのレイアウトも当時私が自分なりに人間工学的に整理を考えていた手法に一脈通じる面があってこのデザインには親近感さえ感じたのに、しかし実物をひと目見たとき、まず、その大づくりなこと、レタリングやマーキングの入れ方にいたるまですべてが大らかで、よく言えば天真らんまん。しかしそれにしては少々しまりがたりないのじゃないか、と言いたいような、あっけらかんとした処理にびっくりした。戦前の話は別として♯5423以来の、パーツメーカーとしてのラックスには、とてつもなくセンスの良いデザイナーがいると思っていたのに、SQ5BやSQ38を見ると、デザイナー不在というか、デザインに多少は趣味のあるエンジニア、いわばデザイン面ではしろうとがやった仕事、というふうにしか思えなかった。
少なくともSQ505以前のラックスのアンプデザインは、素人っぽさが拭いきれず、しかも一機種ごとに全く違った意匠で、ひとつのファミリーとして統一を欠いていた。一機種ごとに暗中模索していた時期なのかもしれない。その一作ごとに生まれる新しい顔を見るたびに、どういうわけか、畜生、オレならこうするのになア、というような、何となく歯がゆい感じをおぼえていた。
ほかのメーカーのアンプだって、そんなに良いデザインがあったわけではないのに、ラックスにかぎって、一見自分と全く異質のようなデザインを見たときでさえ、おせっかいにも手を出したくなる気持を味わったということは、いまになって考えてみると、このメーカーの根底に流れる体質の中にどこか自分と共通の何か、があるような、一種の親密感があったためではないかという気がする。
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いろいろなメーカーとつ¥きあってみて少しずつわかりかけてきたことだが、このラックスというメーカー、音を聴い
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