Date: 12月 24th, 2020
Cate: ベートーヴェン
Tags:

ベートーヴェンをきく、ということ(その2)

(その1)には数人の方からのコメントが、facebookにあった。
読みながら思い出したことがいくつかある。

一つが、五味先生の文章である。
     *
 右の二例とも、死の恐怖に発している。恐怖が生み出した賢明さというべきかも知れぬが、私のように交通事故で人を死に至らしめ、死の恐怖を与える怖ろしさを味わった人間には、こんどの航空事故はよそごととは思えない。わけて機長のそのときの心底をおもう。乗客は恐怖を知らずに死んでいたかも知れないが機長だけは断じて知っていたはずだ。そうなら、一番残酷な死に方だろう。操縦ミスをあげつらう前に、彼はもうその恐怖で贖われていたのではないのか、そう思えてならなかった。
 私の場合は、こちらは死ななかったから贖いようはない。私が死ぬまで、これは変るまい。と今はこんなふうに書いていられるが、当座は、いても立ってもおれず辛うじてレコードを聴くことで騒ぎ立つものを鎮めていた。私に音楽を聴く習慣がなかったら、事故の直後から現在にかけて、けっして、いまあるような状態にはなれていなかったろう。これだけは確実な、体験者の述懐と申してもそう不遜な言いざまになるまいと思う。
 では何を聴いたか。音楽さえ聴いておれば胸の騒ぎは鎮まるわけのものではない。聴く習慣には、同時に選択のそれが含まれていたはずで、習慣が六百枚にあまるレコード・コレクションの中から限られた数枚を、私に抜き取らせたと思う。モーツァルトの『レクィエム』を聴いたのも、名曲、好きな曲であるからに相違はないが、それだけでああは聴けなかったろう。ほんとうに、何度、何十度私は聴いたろう。はじめは涙を流して聴いたが、ということは、茫然と、ただ事故の瞬間の光景や、私の車に飛ばされていった少年研治君の毬のようなあの軽さや、凝視、絶望感、悔い、血、そんなものが脳裏に甦って、かんじんの音楽は、何も聴いていなかったといっていい。レコードが終ると針をとめに立って行ったが、これこそ単なる習慣にすぎなかったろう。
(中略)
『レクィエム』は、むろん、こんなことばかりを私に語りかけてきはしない。私は自分のためでしかレコードは聴かない。私の轢いてしまった二人の霊をどうすれば弔うことができるのか。それを、私はモーツァルトに聴く。明らかに救われたいのは私自身だ。人間のこのエゴイズムをどうしたら私から払拭できるか、私はそれをモーツァルトに聴いてみる。何も答えてはくれない。カタルシスといった、いい音楽が果してくれる役割以上のことは『レクィエム』だってしてはくれない。しかし、カタルシスの時間を持てるという、このことは重大だ。間違いもなく私は音楽の恩恵に浴し、亡き人の四十九日をむかえ、百ヵ日をむかえ、裁判をうけた。
 こんどの連続した航空事故は、私の痛みを甦らせた。私は自分のためではなく、はじめて死者のためのレクィエムというものを聴いた。私の轢いてしまった二人と同様、あのジェット機の乗客たちは、まったく、何ひとつミスのない状態で死に追いやられてしまった。なんとも腹立たしい仕儀だと、生きていれば口走ることもできよう。今となってはかえらない。一切がかえらない。私は、知っているから、乗客の死をとむらう『レクィエム』をかけずにいられなかった。毎晩それで、きまった時間になると書斎に入ってモーツァルトの『レクィエム』を鳴らした。カール・リヒターの指揮したテレフンケン盤である。もう一枚、カラヤンのドイツ・グラモフォンがあるが、この演奏はひどい。『レクィエム』を純粋に音楽として鑑賞する人にはどうか知らぬが、私の耳には、腹立たしいくらい穢ない『レクィエム』だった。カラヤンという指揮者の近ごろのつまらなさは、『レクィエム』一枚に限らぬが、もう少し別な心境で私は今度の『レクィエム』をかけたつもりでいる。
 もちろん、こうは誹っても、カラヤンの振る棒にうっとりする聴衆が世界にゴマンといるのだから、この事実をそしることはできない。カラヤンがわるいのではなく私の聴き方のせいだろう。が、ほかに、私にどんな『レクィエム』の聴きようがあるだろう。
     *
「死と音楽」からの引用だ。
五味先生は、誰かに許してもらいたかったわけではないはずだ。

いかなる名曲であろうと、空前絶後の名演奏であろうと、
その行いを許してくれるわけではない。

五味先生が《轢いてしまった二人の霊》を弔うためのモーツァルトであり、
モーツァルトの『レクィエム』とともに、マーラーの交響曲、
そしてビバルディを聴いた──、と続けられている。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]