オーディオと青の関係(名曲喫茶・その7)
2020年の大半は、コロナ禍である。
だった、と過去形で書けないのが、現状である。
飲食店は大変だ、と耳にする。
飲食店だけではないはずだが、
飲食店の閉店をきいたりみたりする機会がけっこうあるだけに、
新型コロナのおよぼす影響の深さを実感することになる。
この項で書いている新宿珈琲屋は、私にとってはじめての馴染みの店だった。
二年程しか通えなかったけれど、
それでも新宿珈琲屋は、馴染みの店だった。
東京で暮すようになって、来春で四十年になる。
馴染みの店はいくつかできた。
けれど新宿珈琲屋のように、それらのほとんどがなくなってしまった。
それぞれの理由で終っている。
いま馴染みの店は、いくつもない。
その数少ない飲食店も、どうなるのかはなんともいえない。
馴染みの店ではないものの、よく行く店のいくつかは今年閉店してしまった。
それだから、よけいに新宿珈琲屋のことを思い浮べる。
新宿珈琲屋がなくなり、代りになる店を一時期探した。
都内の主だった珈琲店に行った。
いまほど情報があふれる時代ではなかっただけに、雑誌が頼りだった。
でも代りとなる店、
馴染みの店となる珈琲店はついに見つけられなかった。
いまだったら、どうだろうか……、とは思わない。
あのころステレオサウンドで働いていなかったら、
あれほど新宿珈琲屋に通えなかった。
一杯五百円の珈琲は、当時としては高いほうだった。
ステレオサウンドで働く前から新宿珈琲屋のことは知っていたけれど、
アルバイトもほとんどしてなかった学生にとって、
五百円の珈琲は高いだけでなく、私の住んでいた田舎では、
高校生が一人で喫茶店に入ることが禁じられていた。
いつかは行ってみたい、と思っていた珈琲店に、
週に何度も通えるようになったのは、ステレオサウンドで働いていたからだ。
新宿珈琲屋は、あのときの私にとって《恵まれた青春》のようだった。