あるスピーカーの述懐(その43)
「スピーカーの存在感がなくなる」、
このことこそ、オーディオの理想と考える人は、
スピーカーの音が嫌いな人なのだろう、とすでに書いている。
オーディオにおける官能性、
再生音における官能性、
これらはどこにひそんでいるのだろうか──、を考えると、
スピーカーの存在がなくなってしまっては、
どこに官能性を求める、見出すのだろうか、という疑問が自然と湧いてくる──、
そう考えるのは、スピーカーの音が好きな人なのだろう。
録音された音楽にこそ官能性はあって、
十全に再生できれば、
スピーカーの存在がなくなってこそ官能性が再現される──、
これは理屈でしかないような気さえする。