Mark Levinsonというブランドの特異性(その55)

マークレビンソンというオーディオ・ブランドは東海岸なのだが、
このブランドの創立者であるマーク・レヴィンソンは、
カリフォルニア州オークランド生れ、とステレオサウンド 52号に書いてある。

安原顕氏の「わがジャズ・レコード評」の冒頭にある。
     *
 周知の通り、マーク・レヴィンソン(1946年12月11日、カリフォルニア州オークランド生れ)といえば、われわれオーディオ・ファンにとって垂涎の的であるプリアンプ等の製作者だが、彼は一方ではバークリー音楽院出身のジャズ・ベース奏者でもあり、その演奏は例えばポール・ブレイの《ランブリン》(BYG 66年7月ローマで録音)などで聴くことが出来る。
     *
1946年12月11日生れなのは確認できている。
けれど検索してみても、どこで生れたのかはわからなかった。

カリフォルニア州オークランド生れならば、いつコネチカットに住むようになったのだろうか。

そんなことはどうでもいいことのように思われるかもしれないが、
LNP2、JC2、ML2、ML6に憧れてきた、当時10代の私には、
マーク・レヴィンソンは、いわば目標でもあった。

それだから気になる、というよりも、
LNP2、JC2、ML2、ML6に共通する音と、
ML3、ML7以降の音、
それからマークレビンソンを離れてからのCelloの音、
そして忘れてはならないのがHQDシステムの存在と、
Cello時代のスピーカーシステムの関係性である。

これらの音を俯瞰すると、
マーク・レヴィンソンにとっての西海岸、東海岸の音、
アンプの回路設計者のジェン・カールとトム・コランジェロ、
これらの要素を、少なくとも私は無視できない。

1 Comment

  1. TadanoTadano  
    4月 15th, 2022
    REPLY))

  2.  興味深い話です。マーク・レビンソンが考えるニュートラリティーというのは、実はあまり伝えられていないことかもしれません。
     マーク・レビンソンの人生において、アメリカ東西を横断したことは彼に大きなインパクトを与えたのではないでしょうか。
     マーク・レビンソンという人に対して私が抱くイメージは、多角的な視点と大胆さです。
     ご指摘の通り、彼はイギリスのパーツも使用しますし、手当たり次第に興味あるものを使ってしまいます。日本のパーツにも興味を持っているようでした。東海岸のパーツについては、慣れ親しんだものだったでしょう。

     彼はおそらくAR-LSTを評価していました。私もLSTを最も評価できるスピーカー・システムの一つだと考えています。LSTのトーン・コントローラーは面白いものです。彼も気に入っていたのではないでしょうか。そして、LSTを手元でコントロールできるようにしたいというレビンソンの考えに、私も共感できるのです。
     彼はトーン・コントローラーについて、音楽的に深く理解していました。実際に彼のコントロール・テクニックは確かなものです。また、彼は「ユーザーはもっとアバウトにトーンを調整するべきだ」とも語っていました。しかし、その一方で彼はML6やENCOREのような、簡略化したプリアンプも販売しているのです。こうしたことはいくらかユーザーを混乱させるでしょう。
     実際に、LSTを使うのであればプリアンプはJC2や1MΩで十分でした。また、AR-LSTを初期のマーク・レビンソンのアンプでドライブした音は非常にニュートラルなものです。

     もとより性質の異なるジョン・カールとマーク・レビンソンの対比。そして、彼に内包する東西の両極的なコモン・センス。ミュージシャンとしての顔、音楽への愛情。その多面的な性質からはおよそ似つかわしくない不器用さ。PAへの怒り、そして片手落ちな経営者としての顔。
     私が彼に共感するのは、彼のクリエイターとしての顔です。若いころ、私は既存のPAや市販のギター・アンプの音に我慢できませんでした。ほとんどの業務機材はタクシーやトラックのようなもので、なんの色気も感じられませんでした。
     私はハイ・ファイ・パーツを中心に組み合わせ、PAを構築しました。道具ケースは、すぐに変換ピンでいっぱいになりました。
     残念なことに、私は電気的な素養を持ちません。ただ私は、私の耳の怒りと、自らのリビドーに従い音響を構築していっただけでした。

     音楽の才を持つ人間は、繊細とか天才いう言葉で形容されがちです。私はそういう一般大衆に対して、空しい憤りを感じたものでした。だから、私はマークを天才とは形容したくありません。正直、私はまったくアバウトで迷惑な人間でした。

     若きマーク・レビンソンも、音楽人らしいアウトローな生活をしていたのではないでしょうか。外角低めギリギリのアウトサイドを歩いてきた音楽人なら、狂気が無いはずはないでしょうし、それを一般人に抱かせるになんら不思議ではありません。私もミュージシャンですから、同じようなことを言われたものです。ディランもコリアも陽水も、同じことを言われたと思います。しかし、今でも自殺せずにこうして楽しく生きているわけです。そして、ミュージシャン側は、というと、概して自らの狂気には悩んでいるものだし、それだけに心理や中庸を求むるものです。

     私にとってのマーク・レビンソンはマーク・レビンソンのブランドでも、商品でもなく、彼自身の姿です。ちなみに彼はアメリカにおいても、それほど小柄ではありません。伝説には尾ひれがつくものです。
     フレディー・マーキュリーや、ジョン・レノンや、モーツァルトの人生に尾ひれがついているように、マイルスや、ナポレオンや、カエサルや、いもしないヘラクレスの物語のように、史実と伝説とは異なるものです。
     また伝説とは極端なもので、夢見がちな感性と、冷笑的なルサンチマンによって彩られています。

     マーク・レビンソンという人は伝説を信じる側ではなく、伝説になる側にいた人だと言えるでしょう。彼はクリエイターとデザイナーの中間であり、アーティストとリスナーの境界にいる存在です。

     実のところ多くの人は職人に興味を抱いていません。多くの人はバットを作る職人よりも、それを使ってヒット打つ選手のほうに興味を抱くものです。同様に、野球の半分は道具や球場によって作られていますが、伝説とは、選手や監督がゲームの中で作るものです。

     彼が成し遂げたことは、2000円で買ってきたキャンバスが、2000万円にもなりうるということが、オーディオにも当てはまるということを、大衆に意識させたことではないでしょうか。
     私は、現在の資本価値を支える資本経済のイデオロギーに対し、必ずしも肯定的ではありません。しかしながら、マークがオーディオパーツの文化的価値を引き上げ、それを大衆に理解させようとしたことは、やはりイノベーションであり、後世の音響文化に大きな影響を与えたものであるとして、私は評価に値すると思います。
     それでもまだ、ギアと楽器との価値評価の差は大きく、また、ミキサーと指揮者が同等に扱われないという問題は解決していないと言えるでしょう。

    1F

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