Mark Levinsonというブランドの特異性(その56)
このブログは、2023年1月29日で終りなのだが、
いまのペースで書いていると、この項に関しても結論を書かずになってしまうそうである。
ちょっとペースをあげないと──、と思っていたところに、
今日未明に、Fさんという方からのメールが届いていた。
以前、何度かやりとりをしたことがある人で、
マークレビンソン、Celloの製品を愛用されてきた人である。
今回のメールには、Fさんのコントロールアンプ遍歴が綴られていた。
そこには、CelloのAudio Suiteこそが、
マーク・レヴィンソンの究極なのだろうと感じた、とある。
この一点こそが、この項でのいわば結論である。
私もAudio Suiteこそが、
マーク・レヴィンソンという男の、全き個性の完成形と感じている。
FさんはマークレビンソンのLNP2、ML6、
CelloのEncore 1MΩという遍歴の末のAudio Suiteである。
だからこそ、わかるなぁ、とひとりごちた。
Fさんのメールを読みながら、Audio Suiteを初めて聴いた日のことを思い出していた。
ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
Audio Suiteの、コントロールアンプとしての完成度に関しては、
いくつか注文をつけたくなることがある。
でも、そんなことは音を聴いてしまうと、一瞬のうちに霧散してしまう。
魅力的ではなく、魅惑的に響く。
音楽が魅惑的に鳴り響くのである。