賞からの離脱(その12)
菅野先生は、こうも書かれている。
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オーディオは趣味である。ステート・オブ・ジ・アートという言葉の持つ意味の主観性、あるいは曖昧さが示しているように、オーディオというものは、自分のイメージの中にある、内なる音を追求していくという、大変に主観性の強いものであるし、個性とか個人の嗜好という意味で、曖昧といえば曖昧なものである。
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“State of the Art”ということば、オーディオ、
どちらにも主観性と曖昧さがあることが、
よけいにオーディオにおける”State of the Art”の定義を難しくしている、ともいえよう。
だからこそ、井上先生は
「実際に選択をすることになった以上は、独断と偏見に満ちた勝手な解釈として」と書かれた、と読むこともできる。
瀬川先生は、その結果、
「本誌のレギュラーに限っても九人もの人間が集まると、同じ課題に対してこれほど多彩な答が出るのか」
という驚きを「何よりもおもしろかった」とされている。
瀬川先生は、ステレオサウンド 41号での「世界の一流品」との対比についてもふれられている。
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いわゆる一流品と少し異なるのは、一流品と呼ばれるには、ある程度以上の時間の経過──その中でおおぜいの批判に耐えて生き残る──が必要になるが、ステート・オブ・ジ・アートの場合には、製品が世に出た直後であっても、それが何らかの点で新しいテクノロジーをよく生かして完成している認められればよいのではないか。
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瀬川先生以外の、他8人の方による「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」に共通していることは、
岡先生が49号の巻頭でも書かれているように、
「技術、とくに新しい技術がどのように高度に実現しているか」ということが、
「世界の一流品」や名器と呼ばれるモノ以上に重要視されている、といえる。