Date: 10月 9th, 2012
Cate: 黒田恭一
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バーンスタインのベートーヴェン全集(その11)

菅野先生が例としてあげられているカラヤン/ベルリンフィルハーモニーのチャイコフスキーのレコードは、
実をいうと聴いたことがない。
CDを買ってきて聴いてみようか、とも考えたが、
いま購入できるCDで、チャイコフスキーの第四番がおさめられているのは、
五番、六番との2枚組であり、1997年に発売されたものである。

もしかすると、リマスターによって、菅野先生が指摘されているところは
多少補整されている可能性もないわけではない。
なので、結局CDは購入しなかった(チャイコフスキーをあまり熱心に聴かないのも理由のひとつ)。

このカラヤン/ベルリンフィルハーモニーにチャイコフスキーの四番の録音が、
どう問題なのか、は、71号の菅野先生の発言を引用しておく。
     *
カラヤンとベルリン・フィルによる、チャイコフスキーの『交響曲四番』を、たまたま聴いていたら突如としてオーケストラが、ステージごとせり出して来ちゃって、びっくりしたわけね。
おそらくあれはね、オフ・セッティングでオーケストラのバランスのとれる一組のマイクロフォン、もっとオンでマルチにした一組のマイクロフォンがあり、それぞれにサブ・マスターがありまして、それがマスターへ入ってくる。
そして、その音楽のパッセージによって、そのオフ・セッティングを生かしあるいはオンも生かすというようなかっこうでいっているんだろうと、思うんです。
僕の記憶によると、ピアニッシモで、わりあいに歌うパッセージではオフが生きるんですな。そして、フォルテになってきますとオンのほうが生きてくる。
たしかに、それは明瞭度の問題からいっても、わからなくはない。
しかし、オーケストラのフォルテッシモは、大きく広がった豊かなフォルテッシモになってほしいのが、オンになってきますと、むしろその豊かさじゃなくて、強さ、刺戟ということで迫ってくる。
セッティングがそういうオン・マイクロフォンですから、それにすーっとクロスしていくと、オーケストラがぐわーっと出てくるんですね。
たぶん録音している人は十分わかっていると思うんですよ。ところが、カラヤンさんは恐らくそれを要求している。
そのとき、カラヤンさんに、
「いや、これはレコードにしちゃまずいですよ、オーケストラが向こうへいったり、こっちにきたりしますよ」
ということをたとえば言ったとしても、カラヤンさんは、
「いや、ここではこの音色が欲しいんだ。近い、遠い、そんなことはどうでもいい」
と言ったかどうかはわからないけれども、そして、
「ちょっと聴かせてくれ」
と、ミキサーに言う。ミキサーは
(じゃ、オフマイクの音のことを言っているのかな)
と勘を働かせて聴かせますね。
「これだ! これはこれでいい。じゃ、この部分はこの音で録ってくれ、ここの部分はこの音で録ってくれ……」
それでミキサーはそれに忠実に従って録ったと思う。
カラヤンさんはそれを聴いて、おそらく音楽的にきわめて満足をしたでしょう。
ところがわれわれが聴くと、これはほんとうに……近くなったり、遠くなったり、定位が悪くなったり……。
     *
これはあくまでも菅野先生の推測による発言ではあるものの、
かなり確度の高い発言だと思える。

このカラヤンのチャイコフスキーは1976年12月にベルリンで録音されている。
単なる偶然なのだろうか、1976年12月のトロントでも、同じようなコンセプトによる録音が行われている。
グレン・グールドによるシベリウスのソナチネである。

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