MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その4)
今日(12月2日)は、マリア・カラスの誕生日。
二年後の2023年は、生誕百年になる。
マリア・カラスを聴いていた。
いわゆるベスト盤の「PURE」を聴いていた。
MQA Studio(96kHz)である。
「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)ももちろんそこに収録されている。
別項で、「清らかな女神よ」は、マリア・カラスの自画像そのものだ、と書いた。
いまもそう思っているだけでなく、そう確信している。
「PURE」のなかの一曲である「清らかな女神よ」だけを聴いても、
このベスト盤のタイトル「PURE」の意味をあらためて考える。
ピュアな、だとか、純粋だ、とか、書いたり言ったりする。
そんなふうに使われるピュアとここでのマリア・カラスにつけられたといえる「PURE」とでは、
ずいぶん意味の重さが違う。
意味そのものも違うようにも感じる。
誰が「PURE」とつけたのかは知らない。
けれど、ピュアということと裸の音楽ということが、少なくとも私の裡ではつながっていく。
ここには薄っぺらい意味でのピュアはない。