Date: 12月 15th, 2018
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日本の歌、日本語の歌(その5)

別項「音を表現するということ(その4)」で書いたことを、昨晩思い出していた。

audio wednesdayで、ほぼ毎回グラシェラ・スサーナの歌をかける。
グラシェラ・スサーナはアルゼンチン人。
日本語を話せないわけではないが、流暢とはいえない。

グラシェラ・スサーナの歌う日本語の歌も、誰が聴いても外国人による日本語の歌とわかる。
このことは、これまでに何度となくいわれてきた。
「よく、こんな日本語の歌、聴けますね」とか「がまんできますね」とか、
そういったことを、30年以上、何度となくいわれてきているから、
こちらとしては「またか」と思うだけである。

その2)でも書いていることだが、こういうことをいってくる人たちは、
ホセ・カレーラスの「川の流れのように」もダメなようである。

日本語で「川の流れのように」を歌っている。
日本人の歌手が歌うようには日本語として明瞭ではない。

そこのところが気になる人は少なくないどころか、
むしろ多いようにも感じている。

私はグラシェラ・スサーナもホセ・カレーラスも、まったく気にならないどころか、
日本語の歌を歌う歌手として、高く評価している。

昨今では、テレビで外国人による日本語の歌番組をやっているようである。
テレビをもたないからほとんど知らないが、
その番組に出てくる外国人のほうが、グラシェラ・スサーナよりも、
ホセ・カレーラスよりも、日本語の歌における日本語に関しては流暢であり、
まったく外国人ということを意識させない人もいるらしい。

このことを以前いわれたこともある。
暗にグラシェラ・スサーナの日本語の歌は、
その人たちの歌よりもレベルが低い、といいたかったようだ。

けれどホセ・カレーラスにしてもグラシェラ・スサーナにしても歌手である。
アナウンサーではない。

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