日本の歌、日本語の歌(その2)
ホセ・カレーラスによる「川の流れのように」は心に沁みた。
美空ひばりによる「川の流れのように」はもちろん聴いていた。
何度も聴いていた。
いい歌だということはわかっていた。
けれど、こんなにもいい歌だったのか、と思い知らされた。
ホセ・カレーラスの日本語も決して流暢ではない。
そういう意味では、瑕疵のある歌唱ということになるだろう。
この瑕疵がどうしても気になってしまう人、そうでもない人がいる。
私にとっては、ささいなことであり、瑕疵とも感じていない。
なにかの機会に、ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”を人にすすめた。
「川の流れのように」が素晴らしいから、とすすめた。
たいていは「美空ひばりを聴いたこと、あります?」と返ってくる。
ある、と答えると、「なぜ、わざわざ外国人の日本語で聴く必要があるのか」といったことが返ってくる。
もし、美空ひばり以外の日本人歌手による「川の流れのように」をすすめたら、
違うやりとりになっているだろう。
ホセ・カレーラスの「川の流れのように」でそういうやりとりになってしまうのは、
ホセ・カレーラスが日本語を話さないからであり、
日本語に限らず、歌は、その歌詞の言語を理解していなければ、ほんとうのところでの歌唱とはなりえない、
そういう認識が聴き手側にあるからではないのだろうか。