総テストという試聴のこと(その5)
(その4)で、書き手の高齢化は、総テストという、
ステレオサウンドの特徴の一つであった試聴のやり方をなくしていく、と書いた。
私が読者だったころのステレオサウンドの総テストは、
ほんとうに総テストだった。いつわりはなかった、といえる規模での試聴だった。
41号から読み始めた私にとって、
44号と45号、二号にわたってのスピーカーの総テストは、すごいボリュウムだと感じていた。
そればかりでなく、46ではモニタースピーカーの総テストを行なっているから、
三号続けてのスピーカーの総テストである。
しかも測定も行っていたし、
特集に割かれるページ数も、いまとは違っていた。
それに当時は、セパレートアンプの別冊も数年ごとに出していた。
こちらもそうとうなボリュウムのムックである。
いまのステレオサウンドに、こんなことを求めても無理なのだが、
仮に、奮起して、これらの特集に匹敵する内容をやった、としよう。
オーディオ業界は、高齢化している。
あらためていうまでもないことなのだが、
このことは、こういう特集記事において、作り手側だけでなく、受け手側、
つまり読み手側についてもあてはまることのはずだ。
44号、45号、46号のようなスピーカーの総テスト、
セパレートアンプのムックのような総テスト、
いまの高齢化した読者は、
そのボリュウムある記事をじっくり読む体力(気力)をもっているのだろうか。
胸焼けしそうだよ──、そんなことをいう人がいるかもしれない。