総テストという試聴のこと(その4)
別項で、「老いとオーディオ(とステレオサウンド)」を書いている。
書き手の年齢も読み手の年齢も、高くなっていくだけである。
若い書き手、若い読み手がそうとうに増えないかぎり、毎年、高齢化していくだけである。
読み手も高齢化しているのだから、書き手も高齢化していっても、特に問題はない──、
そう考えることもできる。
ステレオサウンドという雑誌自体も、高齢化しているのだから、
高齢化は受け入れるしかない。
書き手の高齢化は、総テストという、
ステレオサウンドの特徴の一つであった試聴のやり方をなくしていく。
試聴なんて、音を聴くだけだから、ラクだろう、と捉えている人が、
意外に多いのに、ステレオサウンドにいたころも、辞めてからでも、
少なくないことに驚くやら呆れるやら、といったことがある。
試聴は、体力勝負の面が強い。
以前のステレオサウンドがやっていた総テストは、
オーディオ評論家も編集者も、まだ若かったからやれた企画(特集)である。
これからのステレオサウンドの誌上で、
総テスト、総試聴という言葉が使われることはあるだろう。
でも、以前の総テスト、総試聴とは、そこに登場してくる機器の数が違う。
明らかに減っていることだろう。
若くて60前後、70代、80代の人に、昔のような数の総テストを依頼したところで、
ことわられるに決っている。
それはしかたない。
けれど、総テストをやらなくなったことで、どういうことが起るのか。
もう若い書き手は登場してこないのだから、そんなこと心配しても無意味なのかもしれないが、
総テストを経てきたことで、鍛えられるわけだ。
それがなくなってしまう。