Date: 10月 30th, 2020
Cate: オーディオ評論
Tags:

二つの記事にみるオーディオ評論家の変遷(その1)

ステレオサウンド 94号、150ページに、こうある。
《よくコアキシャルは定位がいいとはいうが、それは設計図から想像したまぼろしだとぼくは思う。》

いま書店に並んでいる管球王国Vol.98に、
「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」という記事が載っている。

94号(1990年春)で、コアキシャルが定位がいいというのはまぼろしだ、と書いた人が、
30年後、「魅惑の音像定位」という記事を執筆している。

節操がない、とは批判しない。
30年も経てば、人は変る。
考えも、いろんな意味で変ってくる。

だからこそ、なぜ変ったのかを、オーディオ評論家ならばきちんと説明してほしい。

「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」は、まだ読んでいない。
30年前に、真逆のことを主張していた人が、なぜ、管球王国の記事を担当したのか。
そして、おそらく記事中では、同軸型スピーカーの定位のよさにふれているはず。

定位がいいのは、まぼろし、とまで書いた人が、真逆のことを認めるようになったのには、
いったい何があったのか。

執筆者の傅 信幸氏は、書かれているのか。
94号のことを憶えていない人は、
「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」をすんなり読むだけだろう。

でも、中には、私と同じように94号のことをしっかりと記憶している人もいる。
その人たちは、なぜ? とおもう。

その「なぜ?」に答えるのが、オーディオ評論家のはずだ、という時代は過ぎ去っていて、
いまでは答えないのが、オーディオ評論家なのだろう。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]