老いとオーディオ(とステレオサウンド・その10)
菅野先生からこんな話をきいたことがある。
まだステレオサウンドにつとめている時だったから、30年以上前になる。
あるオーディオメーカーが、従来の音から脱却するため、
ブランド・イメージを一新するために、
このメーカーとは異る音を実現しているメーカーから優秀な技術者を引き抜いてきた。
ただ引き抜いてきただけでは、不十分だということで、
設計・開発だけでなく、部品の調達から製造ラインに関しても、
この人にかなりのところまでまかせた、とのこと。
にも関らず実際に出来上ってきたオーディオ機器は、
そのメーカーがそれまでつくってきた製品と同じ音のイメージで、
わざわざ引き抜いてきた技術者が以前在籍していたメーカーの音は、そこにはなかったそうだ。
頭で考えるならば、これだけやれば、そのメーカーの音というよりも、
その技術者が在籍していた以前のメーカーの音になるはず、である。
なのに、結果はそうではなかった。
繰り返すが、これはたとえ話ではなく、実際に、日本のメーカーで起ったことである。
なぜ、そうなったのかは、誰にもわからないのだろう。
結局は、組織の音を、その優秀な技術者(個人)は崩せなかった、ということ。
組織と個人では、つねにそういう結果になってしまうのだろうか。
二年ほど前に、別項でこんなことを書いている。
①替えの利かない〝有能〟
②替えの利く〝有能〟
③替えの利かない〝無能〟
④替えの利く〝無能〟
「左ききのエレン」というマンガに出ていた、会社員の分類だった。
菅野先生の話に出てきた他社の優秀な技術者は、替えの利く〝有能〟な人だったのではないのか。
替えの利かない〝有能〟な人だったならば、その会社の音は変ったのか。
菅野先生の話をきいた時には考えなかったことなのだが、
優秀な技術者が引き抜かれた会社の音は、その後、どうなったのだろうか。
おそらく変化しなかったはずだ。
オーディオ雑誌の編集者も同じだろう。