誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その1)
12月のaudio wednesdayのテーマは、
「誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク」だった。
誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスクというけれど、
その前に自分で聴きたいディスクである。
自分で聴きたくないディスクを、
誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいとは、まず思わない。
けれど自分で聴きたいディスクは、
誰かといっしょに聴くことに向いているディスクとは必ずしもいえない。
そういえるディスクとそういえないディスクとがある。
今年のインターナショナルオーディオショウでの、あるブースでのことだった。
そこでは高価なオーディオ機器が鳴っていた。
私がそのブースに入ったとき、それまで鳴らされていたディスクがちょうど終ったところだった。
来場者の一人がスタッフに「このディスクを聴かせてほしい」とCDを手渡していた。
スタッフの人も気軽に応じていた。
「音量は?」とスタッフの問いに、「かなり大きめで」との会話が聞こえてきた。
どんな音楽なのかは、音が鳴るまでわからない。
音が鳴ってきた。
なんともいいようのない音楽と音だった。
演奏はプロのミュージシャンとは思えない、
それに録音もプロの仕事とは思えない。
アマチュアのバンドをアマチュアの録音マニアが録ったディスクなのか……、
と思った私は、ディスクを持参した人の顔を見た。
満足そうに聴いているように見えた。
私は、これを最後まで聴くのはタマラン、ということで、すぐに席を立ってブースを出た。
私が立ったのと同じようなタイミングで数人の人が立ち上って出口に向っていた。
この人たちが、私と同じように感じて席を立ったのかはわからない。