純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その5)
食品擬装。
今回のモービル・フィデリティの件を知って、
このことも思っていた。
私と同じように、食品擬装のことを思い出した人も少なくないだろう。
根っこは同じなのかもしれない。
そんな気もする。
私が東京に来た頃(ほぼ四十年前)は、食に関する情報はそれほど多くなかった。
美味しい店を取り扱った書籍も少なかった。
それが1980年代半ばごろから増えていったように感じている。
そしてインターネットの普及によって、四十年前とは比較にならないほど、
食に関する情報、美味しい店に関する情報は増えすぎてしまった。
そしていつのころからいわれるようになったのは、
日本人は、情報を食べている、である。
誰が言い始めたのは知らないが、そういわれてもしかたない面もある。
そしてオーディオマニアも情報を聴いている──、
そんなふうにもいわれるようになった。
でも、昭和の時代から、井上先生は「頭で聴くな」といわれていた。
昔から、情報を聴いていたのだろう。
情報を食べている、聴いている。
同時に幻想も食べている(聴いている)のではないだろうか。
この店が美味しい、これが美味しい。
こういった情報は、同じ情報源を見ているのであれば共通している。
その情報をどう捉えるかは人によって違ってこようが、
情報そのものは変らない。
けれど幻想は、人によって違う。