「異相の木」(好きな音と正しい音・その2)
「趣味なんだから……」、
昔から、そしていまもソーシャルメディアでよく見かける。
「趣味なんだから……」につづくのは、ほとんどの場合、
好きに関することだ。
趣味なんだから好きにやらせろ、
趣味なんだから、好き嫌いだけでいいんだ、とか。
「趣味なんだから……」は、免罪符なのか。
そういっていれば、オーディオは楽しいのか──、と私は昔から思っている。
オーディオは録音と再生の約束事が守られていることが、大前提である。
「趣味なんだから……」と、すぐに行ってしまう人は、
この約束事すら無視するのか。
そして、ここでも孔子の論語を引用したくなる。
ついこの間、別項で引用したばかりだか、その別項とも関係してくる。
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
以前、別項で二回引用した孔子の論語が頭に浮ぶ一年でもあった。
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
《七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。》、
ここである。
「趣味なんだから……」と、そこに留まっていたのでは、
《七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず》の域には、
到底辿り着けない。