Date: 4月 28th, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor
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JBL 4320(その6)

ステレオサウンド 100号を読めば、その理由の一端がわかる。
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(4320は)しかし、いくら眼がぱっちりといっても、細やかさがすこさし足りないように思えた。次に買った4343はそれをうまく補ってくれたが、4320のあのパーンと音の出る、響きのある開放感は抑え込まれてしまった。
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4320は黒田先生が書かれているように、ピアニストのポリーニが出てきたころに登場している。
「かれのあのピーンと張った音と4320が合った」ことで手に入れられたわけである。

ステレオサウンド 100号では、
「究極」とは可変のXと可変のYを掛け合せているようなもの、と書かれている。
「可変のYの部分が、機器そのものによって変化させられてしまう」し、
「音楽とハードが持ちつ持たれつ変っていく」わけだ。

黒田先生は「幾つになってもXとYを可変の状態においていたい」から、
黒田先生のスピーカー遍歴はある。

「なよなよしたスピーカーはきらい」で、
「背筋がぴんとしていて目がきっとしている……そんなスピーカーにいつも惹かれてきた」黒田先生が、
4343のあとに入れられたのはアクースタットのModel3だった。

スピーカーから出てくる音の感じとり方は人によって違うのはわかっている。
アクースタットのコンデンサー型スピーカーの音を、どう受けとめるかも人によって違うのを知っている。

そのうえで書けば、アクースタットは「なよなよした」ところをもち、
「背筋がぴんとして」いるとは言い難い面をもつスピーカーである。
そういうスピーカーを、黒田先生は4343の次に迎え入れられている。

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