JBL 4320(その3)
タンノイ・オートグラフは五味先生、JBL・4343は瀬川先生、マッキントッシュ・XRT20は菅野先生、
ボザーク・B310なら井上先生、エレクトロボイス・パトリシアン600は山中先生、JBL・パラゴンはやはり岩崎先生、
というように(他にもいくつもあげられる)、
私の中ではいくつかのスピーカーは、特定の人と分ち難く結びついている。
JBL・4320はというと、私の中では黒田先生ということになる。
ステレオサウンド 38号をみれば、菅野先生も4320を使われていたことがわかる。
JBLの375+537-500を中心とした3ウェイ・システムの他に、
ブラウン・L710、JBL・L26(4チャンネル用システム)と一緒に4320(2405を追加されている)がある。
菅野先生のリスニングルームは、その後60号に登場している。
このときには4320もL26もL710もなくなっていた。
その後わかったことだが、菅野先生の4320は井上先生のところにいっている。
菅野先生も使われていた4320なのだが、それでも私の中では4320といえば黒田先生がまず浮ぶ。
黒田先生といえば、人によっては同じJBLのスタジオモニターの4343、
4343の後にいれられたコンデンサー型のアクースタット、
さらにその後のアポジーDivaを思い浮べる人の方が多いように思う。
私も、黒田先生といえば、ということになると、4320よりもDivaやアクースタットを思い浮べる。
けれど、ここでは逆である。
JBL・4320といえば……、であるからだ。
ステレオサウンド 100号での黒田先生の文章が強く私の中で残っている。
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4343が運び込まれたとき、4320はある友人に譲る約束がしてあって、トラックの手配までしてあったが、なぜか別れ難かった。女房が「こんなにお世話になったのに悪いんじゃないの」と言ってくれたのを渡りに船と、「そうか」と譲るのをやめた。いまも松島の家で鳴っている。
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「究極のオーディオを語る」の中での一節だ。