Date: 1月 2nd, 2019
Cate: 楷書/草書
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楷書か草書か(その10)

「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスは、
1985年のライヴエイドの再現である。

実際のライヴエイドがどうだったのかは見たことがないけれど、
「ボヘミアン・ラプソディ」を観ていると、見事としかいようがない。

それは決してトレースではない。
その9)で指摘したようなトレースではないから、
ここにきて「ボヘミアン・ラプソディ」のカタルシスがとてつもないものに仕上がっている。

クイーンのヒットした曲は、ある程度は知っている(聴いている)程度で、
一枚もクイーンのLP、CDを持っていない私(にわかファンですらない)でも、
グッと胸にくるものがあった。

ライヴエイドのシーンで、涙する中高年のファンが多い、と聞いているが、
若いころにクイーンに夢中になっていた時期があったならば……、
そんなふうに思わせるほどだ。

けれど、再現度がどれほど完璧といえるレベルにあったとしても、
フレディ・マーキュリー役のラミ・マレックが、実際のライヴエイドの映像を見、記憶し、
フレディ・マーキュリーの動きをトレースしただけでは、
それがどんなに完璧なトレースであったとしても、
1985年のライヴエイドの再現とはとうていなりえない。

トレースは、どこまでいってもトレースでしかない。
トレースの域から脱したところでのラミ・マレックのフレディ・マーキュリーだからこその感動であり、
ここで涙する人が大勢いるのだろう。

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