楷書か草書か(その10)
「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスは、
1985年のライヴエイドの再現である。
実際のライヴエイドがどうだったのかは見たことがないけれど、
「ボヘミアン・ラプソディ」を観ていると、見事としかいようがない。
それは決してトレースではない。
(その9)で指摘したようなトレースではないから、
ここにきて「ボヘミアン・ラプソディ」のカタルシスがとてつもないものに仕上がっている。
クイーンのヒットした曲は、ある程度は知っている(聴いている)程度で、
一枚もクイーンのLP、CDを持っていない私(にわかファンですらない)でも、
グッと胸にくるものがあった。
ライヴエイドのシーンで、涙する中高年のファンが多い、と聞いているが、
若いころにクイーンに夢中になっていた時期があったならば……、
そんなふうに思わせるほどだ。
けれど、再現度がどれほど完璧といえるレベルにあったとしても、
フレディ・マーキュリー役のラミ・マレックが、実際のライヴエイドの映像を見、記憶し、
フレディ・マーキュリーの動きをトレースしただけでは、
それがどんなに完璧なトレースであったとしても、
1985年のライヴエイドの再現とはとうていなりえない。
トレースは、どこまでいってもトレースでしかない。
トレースの域から脱したところでのラミ・マレックのフレディ・マーキュリーだからこその感動であり、
ここで涙する人が大勢いるのだろう。