Date: 11月 15th, 2018
Cate: 楷書/草書
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楷書か草書か(その9)

最初はドアの上の方だけだったのが、
いまでは、最新の山手線の車輌は、かなりの数の液晶ディスプレイがついている。

手にはスマートフォンという液晶ディスプレイ、
スマートフォンから視線を外すと、今度は車輌内の液晶ディスプレイ、という、
液晶ディスプレイに囲まれつつあるわけで、
電車に乗っていると、どうしても目に入ってくる。

数年前になるが、あるスーパーのコマーシャルが頻繁に液晶ディスプレイに映し出されていた。
中学生か、もしかすると小学高学年なのか、
そのくらいの年ごろの少年少女が踊っているコマーシャルだった。

このコマーシャルをみるたびに感じていたのは、
これは踊りなのだろうか、だった。
たしかに若くて体も柔らかくて軽いだろうから、よく動く。

ヘタなわけではない。
けれど、みているとうんざりしてくる。

踊りに、どうしても見えないからだ。
液晶ディスプレイに映し出されているのは、
振付師によって考え出された振り付けを、そのままトレースしているだけにしか見えないからだ。

振付師の考えた振り付けをみたわけではない。
それが踊りなのか、それとも振り付けでしかかないのかまでは、
コマーシャルだけを見ているのだからわからない。

けれど単なる振り付けであっても、それを踊りにするのがダンサーであり、
ダンサーである以上、年齢は関係ない。

どんなにテクニックがあっても、手本となる動きをただ単にトレースしているだけのレベルでは、
踊りに限らず、書であっても絵画であっても、オーディオであっても、
摸作ともならないし、まして贋作とはとうてい呼べない。

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