Date: 4月 20th, 2020
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹
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岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代(その4)

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、終りはやってこない。
これから先、どれだけ趣味としてのオーディオが、
それからオーディオ評論というものが続いていくのかはわからないが、
その最後まで、岩崎千明と瀬川冬樹のいない時代は続くわけだ。

長島先生が、サプリームNo.144(瀬川先生の追悼号)に書かれたこと。
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オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
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私もそう思っている。
そうだとすれば、オーディオ評論はステレオサウンドの創刊とともに始まった、ともいえる。
それ以前からあった、といえば確かにあった。
けれど、長島先生がいわれるところの「オーディオ評論」は、
その場が生じてはじめて可能になるわけで、そういう意味でも、
私は1966年、ステレオサウンドの創刊からと捉えている。

1966年から2020年。
もう五十年以上が経っている。

岩崎先生は1977年、
瀬川先生は1981年だから、
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代のほうが、はるかにながい。

この「ながい」は、
いまオーディオ評論家としてなにかを書いている人たちもキャリアもいえることだ。

それだけでなく、オーディオを趣味としてきている人たちも、
オーディオのキャリアは、岩崎先生、瀬川先生よりもながい人が少なくない。

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、われわれはオーディオをやっている。
そのことを意識しなければならない──、
そういいたいわけではない。

意識していなくて当然であろうし、それが多数であろうし、
意識していない人に意識しよう、という気もない。

けれど私は、どうしても「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」ということを、
強く意識してしまうときがある。

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