Date: 9月 27th, 2018
Cate: 変化・進化・純化
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変化・進化・純化(その8)

古い知人だけのことではない、とおもう。

いま、オーディオ評論家と呼ばれている人たち、
オーディオ雑誌、それを編集している人たち、
彼らもみな自己模倣という純化の沼に浸かっているし、
浸かっていることに気づいていないのかもしれない。

こんなことを書いている私にしても、自己模倣から抜け出せていないのかもしれない。

自己模倣という純化の沼と書いたけれど、
本来、これは変化・進化・純化の「純化」とはいえない。

そこに進化もなく、変化すらないからだ。

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