Date: 9月 27th, 2018
Cate: 変化・進化・純化
Tags:

変化・進化・純化(その7)

古い知人は、よくスピーカーを買い替えた。
つきあいがなくなって十年近く経つ。
古い知人の近況は、たまに耳にするぐらいだけれど、相変わらずのようだ。

スピーカーをあれこれ買い替えている。
けっこうなことだ。
スピーカーの買い替えは、誰に迷惑をかけるでもないし、
買って売る、また買う、また売る。
それをくり返す。

古い知人の楽しみなのだから、けっこうなことだ。

古い知人は、どんなスピーカーに買い替えても、
常に同じ音で鳴らす。

古い知人は、そのことを自慢気に話す。
どんなタイプのスピーカー、どんな音のスピーカーでも、自分の音にしてしまう、と。

私の耳には、ある時から、古い知人の音は、自己模倣になってしまった、と聴こえる。
自己模倣だから、どんなスピーカーであっても、同じ音で鳴るしかないのだ。

けれど古い知人は、それで満足している。
つきあいのなくなった私がとやかくいうことではない。
こうなってしまうと、自己模倣も純化なのかもしれない。

古い知人は、自己模倣という純化の沼にどっぷりと浸かっている。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]