変化・進化・純化(その11)
別項「音の良さとは(好みの音、嫌いな音・その1)」に、
元同僚のグリーンピース嫌いのことを書いている。
徹底したグリーンピース嫌いの彼は、
交通事故のあと、グリーンピースをおいしそうに食べる。
事故のとき、頭を打ったこともあって、少し記憶がとんでいる、と彼は言っていた。
それまで絶対に食べなかったグリーンピースを、おいしい、と言いながら食べている。
彼自身、グリーンピース嫌いだったことも忘れてしまっている。
とんでしまった少しばかりの記憶に、グリーンピースに関することも含まれていたのか。
そもそも彼がどうしてグリーンピース嫌いになったのかは知らない。
本人がグリーンピース嫌いだったことすら忘れてしまっているから、
あれこれ訊ねても、何か期待できる答が返ってくることはないだろう。
それでも、答を知りたい。
人の好みとは、その程度のことなのか、とも思う。
ならば古い知人が、何かのきっかけで少しばかり記憶を失った、としたら……、
たとえば老人性痴呆症になったとしたら……、
嫌いな音に関する記憶もなくなってしまうのか。
グリーンピース嫌いだった元同僚が、いまではおいしそうに食べているのと同じように、
全体のバランスを大きく欠いてでも、嫌いな音を排除していたことすら忘れてしまい、
見事なバランスの音を鳴らすようになるのだろうか。
それも、ひとつの純化なのだろうか。