変化・進化・純化(その13)
一年ほど前だったか、ソーシャルメディアに、こんなことがあったのを憶えている。
新しいスピーカーを導入して一年。
その一年間に、いろいろなことをやってきた。
使いこなしと呼ばれることをやってきたおかげで、ずいぶんといい音になってきた──、
そんなことが、そこには書いてあった。
これだけだったら、ここで取り上げたりはしない。
続けて、《自分の音が進化した》とあった。
進歩したではなく、進化した、とあった。
すごいことを書けるものだなぁ、と思った。
この人だけなのか、
それともいまでは、自分の音を進化した、と何の気なしに書けるものなのだろうか。
進歩と進化は、音の世界ではそうとうに違うことだ。
進化は、文字通り「化ける」。
またか、といわれそうだが、「音は人なり」である。
そして別項で書いているように「人は音なり」でもある。
私はそう考えているから、自身の音がほんとうに進化したのであれば、
それを鳴らしている人も進化していなければ、おかしい。
音だけが進化するなんてことはありえない。