戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その12)
旅人がトランクにつめこんだレコードは、いうまでもなく「ききたいレコード」であった。
ききたいレコードが一枚ではなく、何枚もあったから車掌は、
いきたいところがわからなかった旅人の行き先を察することができた。
ききたいレコードは、ききたくないレコードの裏返しでもある。
ならば旅人がトランクにききたくないレコードばかりをいれていたら、
それを見た車掌は、旅人がいこうとしている目的地を察することができただろうか。
38年前には考えなかった、こんなことをいまは考えている。
単純接触効果というのが、すでに実証されている。
くり返し何度も対象と接することで、好意度が高まり印象が良くなる、というものである。
音に関しても、単純接触効果はあるのだろう。
だとすれば……、と思う。
オワゾリール、アルヒーフの録音が好きだったききては、
ほんとうにこれらのレーベルの音が好きだったのか、である。
人の好みは、どうやって形成されていくのか、くわしいことは知らない。
ただ思うのは、嫌いなものを排除することの好みの形成であるはずで、
好きな音がまだつかめていない段階でも、嫌いな音、ききたくない音ははっきりしているのではないだろうか。
人によって、それも異っているのかもしれないが、
とにかく嫌いな音を徹底的に排除することから、
オーディオをスタートさせたききては十分考えられる存在だ。
嫌いな音を徹底排除することによって、ある独特な音が形成される。
その音で、彼はさまざまな音楽をきいてきた。
音楽をきいてきた回数だけ、その音に接している。
そして、いつしか、その音を好きになっている──。
これも単純接触効果といえるだろう。