Date: 9月 2nd, 2016
Cate: バッハ, マタイ受難曲
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ヨッフムのマタイ受難曲(その2)

瀬川先生は、どこかにマタイ受難曲について書かれているのだろうか。
いまのところ、私は見つけ出せずにいる。

マタイ受難曲を聴かれていた──、
そう信じていた。
誰の指揮で聴かれていたのか。
リヒターなのか、カラヤンなのか、クレンペラーなのか……。
それを知りたいと、秘かに思っていた。

もしかすると……、というところはあった。
ヨッフムかもしれない……、と思うところはあった。

「虚構世界の狩人」におさめられている「夢の中のレクイエム」で書かれている。
     *
 最後にどうしても「レクイエム」について書かないわけにはゆかないが、誰に何と言われても私は、カラヤンのあの、悪魔的に妖しい官能美に魅せられ放しでいることを告白せずにはいられない。この演奏にはそして、ぞっとするような深淵が隠されている。ただし私はふつう、ラクリモサまでしか、つまり第一面の終りまでしか聴かないのだが。
 そのせいだろうか、もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
     *
だからヨッフムかもしれない……、とずっと思い続けてきた。
モーツァルトのレクイエムとバッハのマタイ受難曲とは同じにできないことはわかっていても、
それでもヨッフムかもしれない……、となぜ思い続けてこられたのか、
自分でも不思議に思っていた。

先日、あるオーディオマニアの方と話していた時に、
瀬川先生もヨッフムのマタイ受難曲だった、ということを聞くことができた。

ここから新たに考えることが始まる。

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