Date: 9月 18th, 2022
Cate: 瀬川冬樹
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瀬川冬樹というリアル(その9)

ステレオサウンド 59号掲載の、
瀬川先生によるアキュフェーズM100の新製品紹介の文章。

この文章が、読んだ時から、ずーっと心のどこかにひっかかっているような気がしていた。
アキュフェーズのM100に、当時、すごく関心を寄せていたわけではない。
自分でも不思議に思いながらも、
ひっかかっているような気がしていた、という感じだったので、
あまり、というか、ほとんどそのことについてそれ以上考えることはしなかった。

最近になって、ああそうだ、と気づいた。
     *
 そのことは、試聴を一旦終えたあとからむしろ気づかされた。
 というのは、かなり時間をかけてテストしたにもかかわらず、C240+M100(×2)の音は、聴き手を疲れさせるどころか、久々に聴いた質の高い、滑らかな美しい音に、どこか軽い酔い心地に似た快ささえ感じさせるものだから、テストを終えてもすぐにスイッチを切る気持になれずに、そのまま、音量を落として、いろいろなレコードを、ポカンと楽しんでいた。
 その頃になると、もう、パワーディスプレイの存在もほとんど気にならなくなっている。500Wに挑戦する気も、もうなくなっている。ただ、自分の気にいった音量で、レコードを楽しむ気分になっている。
 そうしてみて気がついたことは、このアンプが、0・001Wの最小レンジでもときどきローレベルの表示がスケールアウトするほどの小さな出力で聴き続けてなお、数ある内外のパワーアンプの中でも、十分に印象に残るだけの上質な美しい魅力ある音質を持っている、ということだった。夜更けてどことなくひっそりした気配の漂いはじめた試聴室の中で、M100は実にひっそりと美しい音を聴かせた。まるで、さっきの640Wのあの音の伸びがウソだったように。しかも、この試聴室は都心にあって、実際にはビルの外の自動車の騒音が、かすかに部屋に聴こえてくるような環境であるにもかかわらず、あの夜の音が、妙にひっそりとした印象で耳の底で鳴っている。
     *
瀬川先生の文章の終りのほうである。
ここのところが、ずーっと私の心のどこかにあった。

ここのところを読んで、どう思うのかは、人それぞれでしかない。
私は私の読み方をするだけで、
ここのところを読んでいると、
瀬川先生は独りでM100を聴かれているのか──、
そんなことを感じてしまうから、私の心のどこかにひっかかっていたのだろう。

そんなことはない。
ステレオサウンドの試聴室での試聴なのだから、
瀬川先生の隣には編集者が最低でも一人か二人はいるはずだ。

なのに、何度読み返しても、私には瀬川先生が独りで聴かれていくように感じてしまう。

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