Date: 11月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド
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ステレオサウンドについて(その88)

ステレオサウンド 56号の組合せ特集で、瀬川先生は組合せ例をつくられていない。
けれど、特集巻頭に
「いま、私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」を、
15ページにわたって書かれている。

これが56号の組合せ特集の特色であり、
最後にこうある。
     *
 スピーカー選びについて、いくつかのケースを想定しながら、具体例をいくつかあげてみた。次号では、これらのスピーカーを、どう鳴らしこなすのか、について、アンプその他に話をひろげて考えてみる。
     *
57号以降、連載になるわけで、
これから先ステレオサウンドの発売が、いっそう楽しみになる、と思った。

けれど、57号に続きは載っていなかった。
58号にも、59号にも、そして60号にも……。

けれど瀬川先生は続きを書かれていた。
書き終えられてたわけではないが、書かれていた。
     *
 いまもしも、目前にJBLの4343Bと、ロジャースのPM510とを並べられて、どちらか一方だけ選べ、とせまられたら、いったいどうするだろうか。もちろん、そのどちらも持っていないと仮定して。
 少なくとも私だったら、大いに迷う。いや、それが高価なスピーカーだからという意味ではない。たとえばJBLなら4301Bでも、そしてロジャースならLS3/5Aであっても、そのどちらか一方をあきらめるなど、とうてい思いもつかないことだ。それは、この二つのスピーカーの鳴らす音楽の世界が、非常に対照的であり、しかも、そのどちらの世界もが、私にとって、欠くことのできないものであるからだ。
 前回(56号)の終りのところ(110ページ)で、仮にたったひとつだけスピーカーを選ぶとしたら、結局JBLの4343あたりしかないではないか、と書いたことと、これは矛盾するではないかと思われそうなので、急いで補足しなくてはならないが、それは次のような意味だ。
 クラシック、ポップス、ジャズ、艶歌……およそあらゆる分野の音楽を、しかも音量の大小や録音の新旧や音色の好みなどを含めて、聴き手の求める音のありかたの多様性に対して、たった一本のスピーカーで応えようとすれば、結局のところ、再生能力の可能性のできるだけ大きなスピーカーを選ぶしか方法がない。音量をどこまで上げても音がくずれず、思いきり絞り込んで聴いたときでも音がぼけない。周波数レインジは、こんにちの最新の録音に十分に対応できるほど広いこと。そして低音から高音までの音のバランスに、とくに片寄りのないこと。硬い音、尖った音、尖鋭な音も十分に鳴らすことができる反面、柔らかく溶け合う響きも鳴らせること。etc、etc……と条件を上げてゆくと、たいていのスピーカーはどこかで脱落してゆき、これが決して最上とはいえないまでも、対応力の広さという点で、結局4343あたりに落ちつくのではないか。
 しかしまた、仮に4343とロジャースPM510を聴きくらべてみれば、4343ではどうしても鳴らせない音というもののあることに気づかされる。たとえば、オーケストラの弦楽器群がユニゾンで唱うときのあの独特のハーモニクスの漂うような響きの溶け合い。そしてホールトーンの奥行きの深さ。えもいわれない雰囲気のよさ。そうした面を、なにもPM510でなくともあの小っぽけなLS3/5Aでさえ、いや、なにもここでロジャースにこだわるわけではなく、概してイギリスの新しいモニター系のスピーカーたち──たとえばハーベスやKEFやスペンドールやセレッションや──なら、いとも容易に鳴らしてくれる。そして、一旦、その上質の響きの快さを体験してみると、それがJBLではついに鳴ることのない音であることを、いや応なしに納得させられてしまう。これらイギリスのスピーカーの、いくぶんほの暗いあるいは渋い印象の、滑らかで上質で繊細な響きの美しさが、私の求める音楽にかけがえのない鳴り方であるものだから、私はどうしてもJBLの世界にだけ、安住しているわけにはゆかないのである。けれど反面、イギリスのスピーカーには、JBLのあのピンと張りつめた、新鮮で現代的な肌ざわりと、音の芯の確かさが求められないものだから、どうしてもまたJBLを欠かすわけにもゆかないという次第なのだ。
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