自己表現と仏像(その8)
仏像とは、
彫刻や絵画などの造形方式によって表された、信仰の対象としての仏の形像。多く彫像をいう。釈迦仏のみならず諸尊仏の像をもさす。
辞書には、こうある。
仏の像であるわけだが、誰かひとりでも仏の姿を見ているのかといえば、
誰も見てはいない。
これまで誰ひとりとして見たことのない仏の姿を彫っているし描いている。
そうやってつくられた仏像をみて、人は感動する。
いい仏像と思うこともある。
オーディオマニアが出す音は、どこか仏像のように感じることがある。
原音再生というお題目がある。
けれど、原音を誰ひとりとして、はっきりとわかっている人はいない。
何を原音とするのか。
そのことについても、長いこといわれ続けてきている。
原音とは何か。
そのことをはっきりと定義したところで、
そこでの「原音」すら、誰ひとりとしてわかっていない。
それでも「原音」は、なにがしかのかたちで、それぞれのオーディオマニアの裡にある。
原音は、だから仏像における仏の存在のように思う。
そして、オーディオマニアは一人ひとり、それぞれの「仏」の姿を再生音であらわしている。