セッティングとチューニングの境界(その25)
この項を書いていると、以前書いたことをまた書きたくなってくる。
いまから十年ほど前のステレオサウンドに、短期連載で、
ファインチューニングとつけられた記事が載っていた。
その記事の内容そのもののことではなく、
あくまでもタイトルのことである。
チューニングとついている。
けれど、記事の内容は、どこまでもセッティングである。
ファインセッティングというタイトルだったら、わかる。
けれどファインチューニングである。
誰がつけたタイトルなのだろうか。
担当編集者なのか。
一般的にはそうである。
だとしたら、この記事の担当編集者は、
セッティングとチューニングの違いがわかっていない、というよりも、
違いがあるとも思っていないのだろう。
この担当編集者は、井上先生の試聴に立ち合ったことがないのだろうか。
ないのであれば、しかたないかも……、と思わなくもないが、
それでも十年ほど前に、ステレオサウンドに井上先生の試聴に立ち合った人は、
もういなかったのか。
一人ぐらいはいたように思うのだが。
いたとしても、その人も結局はセッティングとチューニングの違いなんて、
考えたことがなかったのだろう。
考えていたとして、ファインチューニングのタイトルに、何の疑問を抱かなかったとしたら、
井上先生の試聴から何も学んでいなかった。