ピュアオーディオという表現(その2)
ピュアオーディオが使われるようになってきたのは、オーディオ・ヴィジュアルの抬頭だけではない。
ピュア(pure)は、純粋ということである。
純ということである。
文学の世界では、純文学という。大衆文学・通俗文学への対義語でもある。
ピュアオーディオにも、そういった意味合いがある。
それはヴィジュアルが加わったことに対してだけではなく、
いわゆるゼネラルオーディオと呼ばれるものに対しても、である。
私もそうだが、オーディオマニアはラジオから始まり、ラジカセがあって、
オーディオへと進んでいった世代がある。
私の場合、ラジオもラジカセもモノーラルだった。
私より上の世代であれば、ラジカセがなく、ラジオからオーディオへと進んでいっている。
つまりオーディオのスタートとしてのラジオがあった。
ラジオはたいていの家庭に、以前はあった。
いまはラジオのない家庭も珍しくないのかもしれない。
そのころはピュアオーディオとは呼んでいなかったし、
ラジカセをゼネラルオーディオと区別することもなかった。
なのにいつのころからか、
ピュアオーディオ、ゼネラルオーディオ、オーディオ・ヴィジュアルという区別が行われるようになった。
思うには、1979年に登場したソニーのウォークマン(TPS-L2)が、
ゼネラルオーディオという言葉を生み出していったのではないだろうか。