BOSE 901というスピーカーのこと(その5)
スピーカーであれアンプであれ、
オーディオマニアが、その音をどこかで聴いて、あれこれその音について語る。
オーディオ店であったり、オーディオショウであったり、
オーディオマニアのリスニングルームであったりする。
そうやって聴けた音は、そのオーディオ機器の本来の音なのか、
どの程度で鳴っていたのか──、
そういったことを無視して、あれこれ、どんなに多くを語ったとしても、
私は、ほぼ無意味と受け止めている。
そうでなければBOSEの901の評価はもっともっと高いはずだ。
けれど実際は、901に関心を持っていた人でも、
今回のaudio wednesdayで、初めて聴けました、となる。
このことに関しては、言いたいことけっこうある。
まずオーディオ店、その店員について、言いたいことはある。
それからオーディオ評論家に対しても、
オーディオ雑誌の編集者に対しても、である。
そのことを書いていったら、キリがないほど書けるけれど、
だからと言って、いまさら書いたところで……、というおもいのほうが強い。
そのことは措くとして、今回の901 Series Vの音は美しかった。
こんなに美しくなるのか、と鳴らしている本人が、
少しばかり驚くほどだった。
別項で触れて青木涼子の「Harakiri」も美しかった。
でも、個人的には、「Harakiri」の後にかけた
グラシェラ・スサーナの「人生よ ありがとう」の美しさに、さらに驚いていた。
聴いていて情景が浮かんでいた。
いままでになかった情景だった。
その情景の美しさに、驚いていたのかもしれない。